2023年7月19日水曜日

きちがい的な意地でやっちゃうけど、なにも残らない

 ほんとうに、ヘビメタ騒音でつかれたなぁ。あれがどういうことなのか、ほかの人はわかってない。経験しなければ、どういう範囲で破損するのかがわからない。生活が破損する。感情が破損する。精神が破損する。からだが破損する。

きちがいヘビメタが鳴っているとき、階段の上り下りをするのがたいへんなんだよ。あの不愉快な圧迫感はない。耳をふさいで、「あーー」とか言いながら、階段をおりたりあがったりする。両手で両耳をふさいでも、がんがんがんがん、音がはいってくる。ものすごい音圧で、狂いそうになる。きちがい兄貴の部屋に行って、「やめろ」「やめろ」「しずかにしろ」「勉強するから静かにしろ」と怒鳴りまくっても、一秒もしずかにしてくれなかった。それが事実だ。ところが、「がんがん鳴らして、一秒もしずかにしてやらなかった」という認知・認識がないのだ。まったくない。弟が、必死になって「やめてくれ」と怒鳴っていたという記憶もない状態なのだ。まったく鳴らしてない状態ですごしているのとおなじなのだ。本人が……きちがい兄貴本人が、まったく、一秒もヘビメタを鳴らしてない状態とおなじなのだ。実際の行動は、きちがい的な意地で、こだわってこだわって、一秒もゆずらずに、鳴らしているのだけど、あたかも、「まったく鳴らしてない」つもりのままなのだ。そういう感情と認知と感覚なのだ。これが、きちがいなんだよ。

自分の感情しかないんだよね。親父が「やってやるやってやる」と言っているときのことを、前投稿で書いたけど、それは、親父がこっちにやってやりたくなって、言っているバージョンなんだよね。親父が、勝手にやっているときは、相手の言うことを絶対にきかないのだけど、きかなかったというつもりがないんだよね。むかし、おかあさんが「竹を植えないで!」「そんなところに、竹を植えたらあとでたいへんなことになるから、竹を植えないで」と何回も言っているのに、きちがい親父が、きちがい的な形相で無視して、植えちゃったんだよね。で、おかあさんが「竹を植えないでくれ」と言ってきたという、ことは、きちがい親父のなかで、ないわけ。言われたとき、顔を真っ赤にして、無視してやり続けたわけなんだけど、そういう記憶が、ごっそりぬけている状態なんだよね。だから、「竹を植えないで」と必死に言っていた、おかあさんに、「どうだ、いいだろ」なんて言うところがある。まるでわかってない。言われたら、「不都合なこと」はきちがい的な形相ではねのけて、なかったことにしちゃうんだよね。言われたときだけ、怒り狂って、反対のことを何回もさけんだり、あるいは、まったくなにも言わないまま、脂汗をかいて、からだじゅうを真っ赤にしてやってしまう。まったくなにも言わないバージョンを、とりあえず、無視バージョンとよぶことにする。そして、反対のことを逆上してさけぶバージョンを、反対語バージョンとよぶことにする。その場合、無視バージョンも、反対語バージョンも、なかで起こっていることは、ほとんど同じなんだよ。これ、きちがい的な人間……親父や兄貴のようなタイプのきちがいと一緒に暮らしたことがないと、わからない。このすさまじさがわからない。これ、無視バージョンのときも、反対語バージョンのときも、相手に言われたときだけ、きちがい的な意地でやっちゃうけど、なにも残らない。「やった」ということも残らないし、「相手が、自分にやめてくれと言ってきた」ということも残らない。まっーーったく、まっーーたく、残らない。これ、相手がどれだけ言っても、「なかったことに」になっているんだよね。自動的に……。このきちがい構造がわかるか? これがどういう影響をあたえるかわかるか? きちがい兄貴やきちがい親父が、きちがい的な意地でやったことは、本人にとって、とくに、きちがい的な意地でやったことではないことになっている。相手が「やめてくれ」と言ってきたということは、「なかったこと」になっている。相手の必死さと、自分の必死さがわかってないのである。自分が、必死になってやり勝ちをした……相手の言うことを聞いてやらなかったということが、まったく頭のなかに、残らないのである。出来事の記憶として残らないのである。それだと、「相手がまったく、(やめてくれと)言ってこなかったから、気がつかずにやった」ということと、記憶的にイコールなのである。このきちがい。このきちがい構造。「自分にとってだけ都合がいい」……この、脳みその構造。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。