異質の、騒音がはじまってしまったんだよな。ぼくだって、幼稚園の横に住んでいるわけだから、それまでだって、騒音を経験しているわけ。となりの家を建て直したときの騒音を経験しているわけ。北の家と西の家が、ヘビメタ騒音がはじまる前の一二年間のあいだに、建て直した。だから、工事の音も経験しているわけ。幼稚園の園舎だって、補修工事をしているわけ。だから、工事の音も、幼稚園の音も、普通の生活騒音も経験しているわけ。きちがい兄貴が、あのヘビメタ騒音を鳴らす前に、兄貴のステレオで、普通に曲を聞いていたので、普通のステレオの騒音も経験しているわけ。兄貴が、フォークギターにこって、ずっと弾いていたので、楽器騒音も経験しているわけ。となりの人が、三味線にこっていたときがあったので、楽器騒音も経験しているわけ。一階のテレビの音だって、聞こえるわけ。けど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、異質であるわけ。音のでかさも、音の質も、異質であるわけ。けど、ほかの人が、「僕のきちがいヘビメタ騒音」のことを聞いたとき、思い浮かべるのは、普通の騒音であるわけ。ヘビメタがはじまる前の騒音とは、ぜんぜんちがうわけ。生活ができなくなる、騒音であるわけ。生活のすべてが破壊される騒音であるわけ。この、生活のすべてが破壊される音というのが、ほかの人にはわからない。道路工事の騒音、普通の楽器騒音、家の改築の騒音、家を建て直す騒音、近くの学校やビルを建て直す騒音、普通のステレオの騒音、普通のテレビの騒音……そういうものしか、体験してないわけ。きちがい兄貴による、きちがい的な騒音を経験してないわけ。異質な長時間騒音が、毎日毎日、長期間、続くということを経験してないわけ。だから、普通の騒音を思い浮かべてしまう。どれだけ「ちがうんだ」と言っても、自分が経験した普通の騒音しか思い浮かべることができないので、けっきょくは、自分が経験した普通の騒音を思い浮かべてしまうわけ。どれだけ、俺がちがうと言っても、ほの人は、経験がないから、それがどれだけ、影響をあたえるかわからない。どれだけ「やめてくれ」と言っても、やめてくれない、きちがい兄貴の態度がわからないわけ。「やめてくれ」「やめてくれ」と言っているのに、まったくやめないで、長時間鳴らしているときの態度がわからないだろ。きちがいの感覚がわからないだろ。これ、きちがい家族と一緒に暮らした人じゃないとわからないことなんだよ。だから、どれだけ言っても、つたわらない。まあ、きちがい兄貴に「しずかにしてくれ」と言っていることがつたわらないのと、普通の人に「きちがい兄貴のこと」がつたわらないのは、ちがうことなんだよ。ちがうしくみが成り立っている。レベルもちがう。けど、つたわらないのはたしかなんだよ。だから、普通の人は、自分が経験した騒音を思い浮かべて、「言霊的な解決法」や「相談すればいい」というようなことを言うわけ。けど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音というのは、言ってみれば、「暗闇条件」であるわけ。きちがい親父も「暗闇条件」なのだけど、まだ、こっちのほうが「一般的」だ。きちがい親父がいる人も、わずかだけど、いる。「暗闇条件」がふたつかさなってしまうということの、意味が、ほかの人には、まったく、わからない。だから、条件を無視して話し始めることというのは、ぼくにとって、土台「無理なこと」なんだよ。「そんなことができたら、苦労しない」と思うことなんだよ。「そんなことで解決できるなら、苦労しない」と思うことなんだよ。みんな、きちがい家族のすさまじさがわかってない。みんな、きちがい家族のしくみがわかってない。みんな、きちがい家族の、感覚がわかってない。こういったことも、どれだけ説明しても、伝わらないことだ。実際に、『きちがい的な父』『きちがい的な兄』という「暗闇条件」が成り立っている人にしか、この条件の意味がわからない。根本的にわからない。