自己責任論というのは、刺されたやつの責任を問う責任論なんだよ。くそバカな理由で人を指したやつの責任を問うのではなくて、刺されたやつの責任を問う責任論なんだよ。自動的だ。自動思考だ。こいつらの頭のなかでは、「やられたやつが悪い」ということになってしまう。こいつらの頭のなかでは、「やられたやつの自己責任だ」ということになってしまう。責任の所在なんて考えないのだ。ほんとうの責任の所在について考えないで、「そんなのは、やられたやつの自己責任だ」と考えるようになってしまう。「やられたら、やられたほうが悪い」ということになってしまう。
たとえ、刺されたほうに、落ち度がなくても、落ち度をつくってしまうことができる。精神世界の人は、あとだしジャンケン思考をしているけど、これにも、あとだしジャンケン思考が成り立つ。ようするに、刺されたという結果が出ているので、刺されたほうが、刺された理由をつくっているということになってしまうのだ。これは、あとだしだ。カルマも、あとだしジャンケン思考で、刺されたなら、前世でわるいことをしたにちがいがないということになってしまうのである。そして、たとえば、刺されたやつが、刺したほうを、「前世で」刺したので、今世で刺されるほうになったのだというような解釈をでっちあげてしまう。
こんな、人に濡れ衣を着せるような思考法が、いい思考法であるはずがないだろ。あきらかに、トラブルをうみだしている。あきらかに、トラブルをうみだす思考をしている。カルマというのなら、無実の他人に、濡れ衣を着せることで、カルマをつくりだしているぞ。そんなことにも、気がつかないのか?