「お兄さんに言えばいい」「お兄さんと相談すればいい」と言うやつも、「自分なら、そのお兄さんを説得できる」と思っているんだよね。「自分なら、説得してしずかにさせることができる」という前提が、成り立ってしまう。「きちがい兄貴がきちがい的な感覚を持ってるからむりだ」と言っても、信じない。「きちがい兄貴がきちがい的な感覚を持ってるからむりだ」と言われたあとも「自分なら、話し合いで解決することができる」と思っている。だから、エイリさんより、交渉力があると思っている。エイリさんは、話し合いで解決できないけど、自分なら話し合いで解決できる」「お兄さんをしずかにさせることができる」と思っている。「自分なら説得してお兄さんをしずかにさせることができる」という前提で、ものを言ってくる。きちがい家族といっしょに住んだことがない人が、こういう前提で、実際にこまっている俺に、説教をする。「そんなのは、言えばいい」というのは、「そんなのは、言えばい解決するはずだ」と思っているということだ。きちがい兄貴が、きちがいで、きちがい感覚をもっているから、俺がほかの人からなめられる。こういうことが、いろいろなところで成り立つ。ちなみに、親父のことでもこれとおなじことが成り立っている。親父がきちがいだから言うことを聞かないのだけど、俺の説得力がないから親父さんが言うことを聞いてくれない」と思っているやつがいる。こいつらは、きちがい親父のことがわかってないだけだ。実際に、うちのなかで、きちがい親父がどういう行動をするかということがわかってないだけだ。きちがい親父がきちがい行動をするとき、きちがい親父が、自分の行動に関してきちがい的な認識をもっているということがわかってないだけだ。
交渉力のせいにするな。交渉力……エイリの交渉力の問題ではなくて、兄貴のきちがい感覚の問題なんだよ。エイリの交渉力の問題ではなくて、親父のきちがい感覚の問題なんだよ。