「書いたことが現実化する」ということについて考えてみよう。
たとえば、「なんとか資格試験に合格する」と紙に書いて、普段よく見るところに、はりだしておく。ようするに、よく見えるところにはっておくので、それを見て、がんばるようになるから、がんばった結果、合格するということだ。
ここに、トリックがある。
じつは、「ことだま」じゃないけど、書いたことによって、「かきだま」が発生して、「かきだま」のチカラによって、合格するということと、かきだま自体には、チカラはないけど、見て、努力した結果、合格するということが、ごちゃごちゃになっている。
ようするに、書いただけで、効果があるのか、それとも、書いたものを見て、努力すると効果があるのかということについて、はっきりと、言及してない。主張にしたがえば、「書いたものを見て、努力するから合格する」のに、それを「書いたから合格する」と言い換えてしまうところがある。
書いたものを見て、努力する「から」合格するのと、書いた「から」合格するのは、ぜんぜんちがう。書いたから合格する場合は、「かきだま」のチカラによって、合格するのである。
「ことだま」とおなじように、「かきだま」自体に未来を変える力があるという信仰だ。これと、普段よく見えるところに、はりだしておくから、見て、努力して、合格するのはちがう。
見て、努力して、合格する場合は、努力したから、合格したのだ。
たとえば、書いても、努力しなければ合格しないのである。そして、たとえば、見えるところに「書いたもの」をはりだしておいても、努力しなければ合格しないのである。
見ても、「資格勉強をしよう」と思わずに、さぼっていたら、合格しない。
「かきだま」のチカラがない場合は、努力しなければ、合格しない。
まあ、資格用の勉強しなくても、ごく自然に、資格試験の出題範囲について知識がある場合がある。それは、そういうことを資格勉強としてではなく、趣味の読書や趣味の動画視聴によって、身につけていたので、知っているという場合だ。
この場合も、合格はする。「書いたもの」をはりださなくても、合格するし、「書いたもの」をはりだしても、合格する。
自然に知識を身につけてしまった人が「合格する」と書きだして、見えるところにはっておいた場合があるとする。この人が合格したとする。その場合、合格すると書きだして、見えるところにはっておいた「から」合格したのかというと、ちがう。
この人は、「合格する」と書いて、見えるところにはっておかなくても、合格する。
たとえばの話をしよう。
たとえば、ある資格試験があるとする。これをとりあえず、Aという資格試験だとする。この資格試験の合格者は一〇%だとする。九〇%の人が落ちる。
Aという資格試験を受ける人、全員に、「合格する」と書いて見えるところにはりだしておくように、たのんだとする。そして、全員が、そのとおりにしたとする。その結果、一〇%の人が合格した。
一〇%の人は、「合格すると書いて、見えるところにはりだしておいたから、合格した」と言うことができる。
もし、合格した人だけが「書くと、書いたとおりになる」といろいろなところで言うとすると、「書くと書いたとおりになる」ということが、正しいことのように流通する。
しかし、九〇%の人は書いたにもかかわらず、合格しなかったのである。
生存者バイアスがかかっている。
「紙に書いて、その紙を、普段、見えるところにはっておくと、書いたことが、潜在意識に影響をあたえて、書いたとおりになる」……と、合格した人が言えば、一〇〇%、その通りになると、多くの人が誤解をしてしまう。
「潜在意識に影響をあたえるようにすればいいのか」と思ってしまう。
しかし、書きだして、潜在意識に影響をあたえた?にもかかわらず、九〇%の人がおちた。おちた人のことは、無視してしまうのである。
おちた人は「書くと、書いたとおりになる」と言えない状態になる。どうしてかというと、書いても、書いたとおりにならなかったからだ。
YouTubeの動画で、「書いてはりだしておくと、潜在意識に影響をあたえて、書いたとおりになる」ということを言っている動画があるとする。
実際その動画をつくった人が、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、見えるところに、はっておいたら、「チャンネル登録者数一〇万人を達成した」ので、これは、事実だと言ったとする。
けど、その人は、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、その紙を見えるところにはりだしたあと、何千本も、こつこつと、動画を作成しているのだ。
こつこつと努力をした。
もし、「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いてはっておいても、一本も動画を投稿しなかったら、達成できただろうか? 達成できない。
もちろん、一本、動画をあげただけで、一〇万人の登録者を獲得してしまう場合も、なくはない。可能性だけはある。
けど、一〇本ぐらい投稿したところで、たいして、チャンネル登録者を獲得できずに、やめてしまう人も多い。この一〇本ぐらい投稿してやめてしまった人も、おなじように「チャンネル登録者数一〇万人を達成する」と紙に書いて、よく見えるところにはりだしておいたとする。
けど、チャンネル登録者数ひとりのとき、やめてしまったとする。そうしたら、チャンネル登録者数一〇万人なんて達成できない。
達成できないので、「書いて、よく見えるところにはりだしておいたら、一〇万人達成できた」と言えない状態のまま、すごすことになる。
なので、この人は「書いたら、書くだけで夢がかなう」とか「自分の目標を書き出して、よく見えるところにはっておくと、潜在意識に影響をあたえて努力するようになるから、目標が達成できる」とかということを言えない。
「書いて」夢をかなえることができた人だけ、「書くと夢がかなう」と言うことができる。
「書いて」目標を達成した人だけ、「書くと目標を達成できる」と言うことができる。ようするに、生存者バイアスがかかっている。
* * *
じつは、「書いたから」と「潜在意識に影響をあたえるから」と「努力したから」というのは、それぞれちがう理由について言及している。
けど、「書いて、それを、見えるところに、はっておくと潜在意識に影響をあたえるから、合格する」というようなことを、すらっと、書いてしまう人がいる。
「書いたから」の場合は、ほんとうに書くだけで、合格するのである。書いたあと、書いたものをはらなくても、合格する。書いたことによって、合格すのだから、書けば、合格する。
「潜在意識に影響をあたえるから」合格するという場合は、「潜在意識に影響をあたえなければ、合格しないのである。書いただけではだめなのである。書けば、書いただけで、潜在意識に影響をあたえるのか、それとも、よく見えるところにはりだしておかないと、潜在意識に影響をあたえることができないのか、はっきりしない。
これは、あいまいにしておいて、人をだますつもりがあるのかどうかわからないけど、トリックポイントではある。
「潜在意識」というトリック用語自体が問題だ。これは、言霊のところで説明をしたので、重複して説明しない。
ともかく、あるのかないのか、よくわからない「潜在意識」とやらが、未来の結果にものすごく大きな影響をあたえるというのは、フィクションでしかない。そういうことを言う人たちが、そういうフィクションをつくって言っているだけだ。フィクションと書いておいたけど、「妄想」でもいい。
そして、「努力したから」合格する場合は、努力をするから合格をするのである。
「書くこと」も「書いたものを、よく見えるところにはっておくこと」も関係がない。「努力をしたから」合格をしたのである。