ほんとうに、教室で恥をかいた、いいわけがない。特に、高校入試でおちまくっているとき、恥をかいた。いいわけがない。あいつは、入試の一日まえだろうが、二週間前だろうが、自分が鳴らしたいと音で鳴らしていた。自分が鳴らしたい時間は、自分が鳴らしたい音で鳴らしていた。一三時間鳴らせるなら、一三時間、思いっきり鳴らした。どれだけ言われても、俺がこまっているということがわからない。わからなければ「知らなかった」ということになる。数十年後にわかったことだけど、ほんとうに「知らなかった」と言いやがったのである。「ぜんぜん気がつかなかった」と言いがったのである。もう、そのときは、ヘビメタに対する興味が失せて、別に思いっきり鳴らしたいと思っていないから、ゆずる必要がないわけ。ゆずる必要がないから、「気がつかなかった」「知らなかった」と言ってすっとぼけている。もちろん、すっとぼけているつもりがない。きちがいとしか言いようがない状態なんだよ。どれだけ、俺が「こまるからやめてくれ」と真剣に言ったか、わかってない。普通の人間なら、こんなでかい音で、入試前に鳴ってたらこまるだろうな」ということが、「言われなくても」わかるものだ。ところが、自分が思いっきり、鳴らしたいという気持があると、どれだけ言われても、わからなくなってしまうのだ。これが無意識的な過程だから、意識的には、特にいじわるなことをしているつもりがないのである。いじわるなことをしているつもりがないのに、しらばっくれて、自分のやりたいことを、すべて満たして、それで、迷惑をかけたと思ってない状態になる。こまるんだよ。自分のやりたいことを、すべて満たして、がめつく、まったくゆずらずに鳴らしたのに、鳴らしてないつもりなんだよ。こっちに対する気持ちが、鳴らしてない時とおなじなんだよ。ようするに、自分が頑固に鳴らしたことは、意識のなかから抜けているのである。これがこまるんだよ。きちがい兄貴はきちがい親父とまったくおなじだ。これに関してまったくおなじなんだよ。こういう家族がいない人には、まったくわからないことだ。そして、実際にこういう家族といっしょに住んでいなければ、こういう家族にやられることもないのである。
俺とおなじ量、「昨日」きちがいヘビメタをやらななかったやつが……一分もきちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音にさらされなかったやつが、「そんなのは関係がない」「ヘビメタなんて関係がない」「鳴り終わったら関係がない」「過去は関係がない」「そんなの影響がない」と言いやがる。自分が俺とおなじ目にあってないから、言えることだ。自分が実際に、ヘビメタ騒音に長時間さらされてないから、言えることだ。ところが、自分がすぐれているということになってしまうのである。自分だったら、鳴らされていても、影響が残らないと思っているのである。「過去は関係がない」と言う俺……かっこいいと思っているのである。
自分の嫌いな音に、あの至近距離で、あの音のでかさで、さらされていたら、まったく眠れない状態になり、次の日に影響がでる。実際に鳴らされてないから、自分には影響がない。だから、「そんなの影響がない」と言う。自分だったら、鳴らされていたって、宿題ぐらいできると思って、「そんなの関係がない」と言う。
こういうやつばかりだったよ。