ヘビメタ騒音で宿題ができない」と言っても、「そんなのは、家族で解決してくれ」と言われるのが、オチだ。みんな、うちのきちがい兄貴が、どういうきちがい感覚で鳴らしているかわかってない。あいつは、でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしていると思ってないんだぞ。聴覚が正常なら、絶対にでかい音だとわかる音で鳴らしている。きちがい感覚でのりこえて、自分の聴覚を否定して、でかい音で鳴らしてないということに、してしまう。これが、意識的にやっているなら、まだ、救いようがあるのだけど、意識的にやっていることではないから、救いようがない。無意識的にこういうことをやるということが、きちがい家族と一緒に住んでいない人にはわからない。その人たちにとっては、「家族で解決できる問題」なのだ。ところが、殺さなければ、解決することなんできないんだよ。きちがいが、すぐ横の部屋で、きちがい的な感覚で、思いっきり鳴らし続ける。おかあさんが注意したって聞かないし、きちがい親父はきちがいだから、「テコでも注意しないぞ」と思っているような態度になってしまう。家族で解決できるわけがない。ところが、普通の人の家族はきちがい家族ではないので、家族で相談すれば解決できると思っているんだよ。そういうところから考えても、普通の人は「どうとうの同質の経験をしてない」ということがわかる。「同党の同質の経験をしてないやつ」が「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいある」と言って、無理なことを言ってくる。宿題はできない。きちがいヘビメタが鳴り終わるまで、宿題はできない。きちがい兄貴にどれだけ、「鳴っていると宿題ができない」「宿題ができないと、学校で恥をかくことになるからやめろ」ということを言ったって、つうじない。一切合切通じない。きちがい親父のように、つうじない。少しでも、自分が思いっきりできなくなるようなことは、内容を認識する前に、発狂して、はねのけておしまいだ。言われたあとも、言われたことになってないのである。「なにかいやなことを言われた」と言うような、感触しか残っていない。実際になにを言われたのか、まるでわかってない状態だ。ようするに、無意識的レベルでは、内容を理解したからはねのけたのだけど、それが意識的な過程ではないから、内容は、意識には、とどまらないのである。つまり、内容は、意識には、認識されないのである。
こんな特殊なやつが、きちがい的な意地で鳴らしている騒音が、影響をあたえないわけがないだろ。言霊主義者じゃなくても、「影響をうけないと言えば、影響をうけない」というような幼稚な思考をしているやつらが多い。
たとえば、宿題をやっていかないなら、宿題をやってきたやつからすれば、俺は、ダメ人間に見えるんだよ。自分は宿題をやって、エイリが宿題をやってこなかった。これだけで、自分が比較的に言って優位な立場になるんだよ。とりえず、比較優位を感じると言っておこう。で、この比較優位の感覚は、ようするに、「偉そうな発言」につながる。自分なら、できると思って、俺のことをバカにす。ヘビメタが鳴っているから宿題ができないなんて、あまえだ」「どれだけ騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言うわけさ。
で、何回も言うけど、ヘビメタ騒音の繰り返しで、働けなくなれば、働いているやつが、比較優位の感覚で、俺にえらそうなことを言ってくることになる。ぼくの人生は、ほんとうに、きちがいにやられて、うぬぼれ屋にえらそうなことを言われる人生だった。
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