「宿題」から、「無職」まで、ずっとおなじことが成り立っている。この場合の「宿題」というのは「宿題ができないこと」であり、この場合の「無職」というのは「働くことができないこと」である。ずっとずっと、おなじことが成り立っている。
普通の人……九割以上の人が、無理解ぶりを発揮した発言をすることになっている。九割以上の人が「ちゃんと言えばつたわる」「そんなのは関係がない」と言うことになっている。九割以上の人が「自分ならできる」と思って、できないエイリにくらべて優越感を感じるようになっている。
九割の以上の人が、じつは、きちがい家族にやられたことがないのに、きちがい家族にやられたことがあるという前提でものを言ってくるようになる。九割以上の人が「自分だって苦労した」と「同等の苦労をした」という前提でものを言ってくるようになっている。
けど、その人たちは、きちがい家族にやられたことがないのである。どうしてかというと、きちがい家族といっしょに住んだことがないからだ。きちがい家族といっしょに住んだことがないなら、一秒もきちがい家族にやられてないということになる。
きちがい家族が、どんな感覚で、どんな意地で、きちがい行為をやるかまったくわかってない。
きちがい家族が、きちがいモードで、きちがい行為をしたら影響をうけるのだけど、影響をうけたことが(実際には、一秒もない)人が「自分だっら影響をうけない」という前提で、「鳴ってたって、できる」と言ってくる。「自分だっら影響をうけない」という前提で、「そんなのは関係がない」「そんなのはあまえだ」と言ってくる。
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普通の家族が鳴らす騒音なら、経験したことがあるかもしれないけど、きちがい家族が鳴らす騒音は経験したことがないのである。普通の家族がやる「いやなこと」「頭にくること」は経験したことがあるけど、きちがい家族がやる「いやなこと」「頭にくること」は経験したことがないのである。
どんな感覚で、やっているかまるでわかってない。どんな感覚できちがい家族がやるか、まったくわかってない。やったあと、どういう記憶が成り立っているのか、まったく買ってない。きちがい家族がやったあと、きちがい家族のなかで、どういう記憶が成り立っているのか、(普通の人は)まったくわかってない。わかってないのだ。