2024年11月6日水曜日

ゆずってやらなかったという認識が一切合切ない状態で生きている。

  今日も、工事の音がうるさい。騒音がずっと鳴っている状態だと、どーーーーーしても、ヘビメタ騒音のことを思い出してしまう。からだの感じが、ヘビメタ騒音にさらされたときのからだの感じになる。

きちがいヘビメタ騒音なしで、普通にあの子とつきあいたかったなぁ。ヘビメタ騒音が鳴ってたら、うまくいかない。どれだけうまくいくはなしだって、うまくいかない。「無理」なんだよ。きちがいヘビメタ騒音が鳴っている状態で、女の子とつきあうのなんて無理だ。破局が見えている。これ、みんな、どういう状態で暮らしていたか、わかってないけど、とても、普通につきあえる状態じゃないのである。騒音のなかから出て行って、普通に接するということができない。騒音のなかから出て行って、普通の気持ちを維持するということができない。これ、普通の友達とあうときだってそうだった。親友とあうときだってそうだった。ともか、気持ちが普通じゃないのである。自分の気持ちは、ヘビメタ騒音のことで暗い。おこっていたり、不安になったりしている。どうしたって、ヘビメタ騒音をやられれば、きちがい兄貴に対する怒りがしょうじる。きちがい兄貴の態度は、これまた、どれだけ詳細に、ほかの人に語ったところで、ほかの人が理解できるものではない。ほかの人は、実際にやられているわけではないから……きちがい家族に毎日やられているわけではないから……同情してくれる人も含めて、ぼくが感じている現実的な状態というのは、とにもかくにも、わからない。家を出るときにヘビメタ騒音が鳴ってなかったとしても、前の日は鳴っているわけで、苦しみはおなじだ。からだのつかれが、とれないまま、家を出ることになる。そして、前の日、鳴っていたと書いたけど、前の前の日も、前の前の前の日も鳴っているわけだ。一〇〇日前も、一〇〇〇日前も鳴っているだ。あの子に会ったとき、二千数百日、日曜日も鳴っている状態で、ずっと、毎日鳴っていた。「そんなの、関係がない」とほかの人は言うけど、関係がある。どれだけ無視したって、鳴っていた。かりにデートをしたとして、帰ってきたらまた、ヘビメタ騒音にさらされるのだ。何時間も何時間もさらされることが決まっている。こんな状態で、人にあっても、半分は楽しくない。きちがいヘビメタ騒音が二千数百日前から鳴っていなかったら、楽しくデートできても、二千数百日前から鳴っていたら、楽しくない。楽しくても、不安と怒りをかかえた楽しさだ。前日までのつかれをかかえた楽しさだ。そして、「帰ったら、また鳴っている」「どれだけやめろと言っても鳴っている」と、帰るときに思うのだから、楽しくない。とにもかくにも、ヘビメタ騒音であの子と普通につきあいたかった。とにもかくにも、ヘビメタ騒音なしで、普通に、わかいころをすごしたかった。俺から「ひく」ことになるわけだけど、そうなると、俺がその子に興味がなくて、ふったというような感じにうけとられるわけだ。ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、そういう誤解もなかった。すべてがすべてこういう状態なのである。「やめろやめろ」と何回も何回も何回も何回も何回も怒鳴り込んでいたのに、きちがいがきちがい的な官学でずっと鳴らしやがる。きちがい兄貴はきちがいだから、ものすごくでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしていると思ってない。きちがい兄貴はきちがい兄貴だから、まったくゆずらなくても、ゆずってやったと思っている。きちがい兄貴はきちがい兄貴だから、こっちがこまっているということが、まったくわかってない。この「わからなさ」が異常なのだ。ほんとうに、きちがいでなければ、どれだけ、やりたい気持ちでやったとしても、わかっている。わかって鳴らす状態にしかならない。普通の人だったら、思いっきり無視して鳴らしてやったと思うところだ。ところが、実際には、思いっきり無視して鳴らしたのに、鳴らしたことになってないのだ。これが、きちがい感覚なのだ。このきちがい感覚は、きちがい兄貴のことを傷つけない。きちがい兄貴の気持ちを傷つけずに、やってはいけないことをやる気ることができる。きちがい兄貴だって、きちがい兄貴が鳴らしていた音で、自分が聞きたくない音を聞かされたら、五秒で、「うっさい!!!鳴らすな」と怒鳴り込んでくるような音で鳴らしている。きちがいだから、勝手に、書き換えてしまっている。無意識的なレベルで感覚器を書き換えている。感覚器からの信号を書き換えている。自分にとって『普通の音で鳴らしていること』が都合のいいことであれば、どれだけでかい音で鳴らしていても、『普通の音で鳴らしている』ということになってしまう。そして、「しずかにしてくれ」という内容を含むことを言われたら、それだけで、発狂して、はねのけてしまう。はねのけたら、言われたことにならないのだ。そういうしくみがほかの人にはわからないから、俺がほかの人から誤解されることになる。実際、ほかの人は、こういうしくみをもった家族と一緒に住んでいるわけではない。だから、何回も言うけど、降雨家族がやる騒音というものを経験したことがない。こういう家族はきちがいなんだけど、気ちがいにはきちがいのやり方があって、普通の人が想像できないようなやり方でやる。そして、本人は、まったくやったつもりがないということになっている。だから、気ちがいなんだけど、うまい具合にそうなっている。だから、自分の欲望だけは、普通の感覚を無視して、なおかつ、普通の常識を無視して、押しとおす。けど、押しとおしたという気持がないのだ。認知がない。だから、「やってない」と言う態度でずっと毎日暮らしている。じゃあ、言えば静かにしてくれるのかと言うと、絶対の意地で静かにしない。一三(じゅうさん)時間鳴らせるなら、一三時間、すべて、自分が満足できる、でかい音で鳴らす。鳴らしきる。一時間ゆずってやるとか、自分が満足できない普通の音で鳴らすということは、絶対にない。だから、鳴らしているのに、本人がわかってないのだ。ぜんぜん鳴らしたと思ってない状態で生きている。七時間なら、七時間すべての時間、自分が思った通りの音で鳴らしている。自分が満足できないような小さな音・普通の音で鳴らす時間は一分間だってない。そういう状態だ。そういうはりつめた状態なんだよ。けど、本人は、気楽なんだよ。だいたい、おとうとに迷惑をかけているつもりがまったくない。入学試験の一日まえにずっと、七時間鳴らしてたって、本人は、おとうとの受験の邪魔をしているつもりがまったくないのだ。ほんとうは、ゆずってないのに、〇・一デシベル一分間でも、音をさげてやったら、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。この態度が、親父の竹のときの態度とおなじなのだ。この態度が、親父が魚の切り身をテーブルの上に出しておくことにこだわったときの態度とおなじなのだ。絶対にゆずらないのだけど、ゆずってやらなかったという認識が一切合切ない状態で生きている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。