こんなの、なぐられたことがないやつが、「俺だったら、なぐられてもいたくない」と言っているのとおなじだ。まあ、だれだって、なぐられたことぐらいあるか? けど、程度がちがう。普通の人が普通のうちで感じた騒音と、ぼくが、ぼくのうちで感じた騒音はちがうのである。弱くなぐられたことしかないやつが、強く、何回も何回もなぐられたやつに「俺だってなぐられたことはある」「俺はなぐられたって、たいしたことがなかった」と言っているのとおなじだ。きちがい家族による、至近距離の騒音がどういうものだかわかってないな。きちがいなんだよ。ほかのうちには、いないんだよ。だから、ほかの人はやられることがないんだよ。程度がちがえば、ちがう。頻度がちがえばちがう。やっているやつの態度がちがえばちがう。「影響をうけないことは可能だ」「関係ない」と思っているやつは、ただ単に、(それ自体を)自分がやられたことがないからわかってないだけだ。
騒音というのが、だれでも経験したことがあることだから、逆に盲点になってしまうのである。騒音というのが、だれでも経験したことがあることだから、般化して考えてしまうのである。きちがいヘビメタ騒音は、きちがい家族によるしつこい騒音だから、ほかの騒音とはちがう。『騒音』というレベルで、抽象化して、「自分だって経験した」という前提で、ものを言ってくるな。「関係ない」と否定からはいるな。「影響なんてない」と否定からはいるな。わかってないだけじゃないか。経験がないだけじゃないか。実際に経験がないから、被害をうけてないだけじゃないか。実際に経験がないから、自分の身に影響がないだけじゃないか。どうして、「自分のほうがすぐれている」と思い込むんだよ。どうして、「自分だったら平気だ」と思い込むんだよ。どしうて、「自分なら、影響をうけない」と思い込むんだよ。
軽い騒音しか経験してないから、そう思うんだろ。軽くなぐられたことがあるというのと、毎日、何十発もなぐられているというのは、ちがうことなんだよ。からだの影響だってちがうんだよ。くそ一般化するな。くそ抽象化するな。おなじ質の騒音を、おなじ量だけ経験したという前提でものを言うな!!
おなじ質の騒音を、おなじ量だけ経験したら「関係ない」なんて言えなくなるんだよ。おなじ質の騒音を、おなじ量だけ経験した「影響がない」なんて言えなくなるんだよ。「関係があること」がいっぱいしょうじて、言えなくなる。「影響がある」状態なので、「影響がない」なんて言えなくなる。「関係がない」といっているからには、「関係があることがいっぱいしょうじなかった」ということなんだよ。「影響がない」と言っているからには「影響がない状態で暮らしている」ということなんだよ。騒音を経験したと言っても、そういうレベルの騒音なんだよ。きちがい家族がやる、きちがい的な騒音が毎日ずっと続いたわけじゃないんだよ。俺は……「きちがい家族がやる、きちがい的な騒音が毎日ずっと続いた」から、関係があると言っている。俺は……「きちがい家族がやる、きちがい的な騒音が毎日ずっと続いた」から影響があると言っている。ちがいを理解しろ。