2024年11月16日土曜日

ギリケン問題

ギリケン問題というのがある。ギリケンというのは「ギリギリ健常者」のことだ。健常者なのである。

けど、障害者並みに、ある分野のことができないのである。

ギリケン健常者の問題というのは、たいていの場合「労働できるかどうか」という問題になる。それ以外の分野では、たいして問題にならない。

日本労働教徒や努力論者というのは、成人の九割以上を占めるマジョリティーだ。定年退職して働いてない人間も、日本労働教徒であることには、かわりがないので、働いてないにもかかわらず、日本労働教の価値観をもっている。

とりあえず、一般労働教徒か、あるいは努力論者である者のことを「定型一般人」と呼ぶことにする。

定型一般人から見ると、障害者と健常者のあいだには、一本の太い線があり、両者はわけられていると考えている。だから、障碍者に求めることがちがってくる。障害者は障害者であるので、一般人であることは求めないのだ。一般人ならできることを、障害者には求めない。

けど、現実世界には、定型一般人が考えているようなはっきりとした線引きはない。

ひとくちに障害者といっても、障害の程度がちがうし、障害を抱える分野がちがう。ひとくちに障害者といっても、ほんとうにひとそれぞれに、状態がちがう。

そして、障害者かどうかというのは、医者が障碍者だと認めたかどうかということにかかっている。まあ、行政的に障害者なら、障害者であり、行政的に健常者なら健常者だということになる。

けど、「働く」ということのレベルがあがってしまったので、ギリギリ健常者でも、働けない場合があるのだ。ぎりぎり健常者の場合も、障害者とおなじように、ギリギリ健常者のなかで、障害の程度がちがう。それぞれのギリギリ健常者の障害の分野がちがう。この障害の分野というのは、相当に細かい分野だ。

そして、「仕事をする」ということになると、さまざまな分野がかかわることになる。ある仕事(アルファ)をするには、A、B、C、D、E、Fという能力が必要だとする。どの能力も、ある程度ないと、仕事ができないという状態になる。

ある程度というのを、とりあえず、六〇以上だとしておこう。たとえ、A、B、C、D、Eの各項目が八〇だとしても、Fという項目が三〇であれば、仕事ができないということになる。その仕事(アルファ)ができないということだ。

たとえば、花子さんはA八九、B九九、C八四、D九八、E七八、F三〇だとする。Fの能力以外は、高いので、定型一般人から見ると、仕事ができるように見えるのである。けど、Fの能力の低さが足をひっぱって、アルファという仕事ができない。

けど、A、B、C、D、Eの能力が必要な仕事はできるのである。この仕事をベータだとする。ベータという仕事に必要な能力は、A、B、C、D、Eの各値が六〇以上だとする。そうなると、Fという項目がないので、花子さんは、ベータという仕事なら、できるのである。だから、ある仕事アルファができない人も、ある仕事ベータならできるということになる。

しかし、たとえば、Cという能力が六〇未満の人は、アルファという仕事もベータという仕事もできないということになる。

たとえば、太郎という人がいたとする。太郎さんの各項目能力値がA八〇、B九〇、C四九、D八八、E九九、F八九だとしよう。太郎さんは、ある仕事アルファもできないし、ある仕事ベータもできないのである。どうしてかというと、Cの能力値が低すぎるからだ。

しかし、A八〇、B九〇、D八八、E九九、F八九とCの能力をぬかした数値は高いので、定型一般人は、太郎さんは障害者ではなく、健常者だと判断するだろう。むしろ普通の人よりも能力が高いのだから、仕事ができると判断するだろう。

しかし、太郎さんは、Cの能力が低いのでアルファという仕事もベータという仕事もできない。

このように、健常者と障害者のあいだには、一本線であるような区分線はないということになる。

しかし、定型一般人が「他者」を見るとき、どのようなことが起こるかというと、健常者と障害者という区別をして、他者を見るのである。

健常者なら、仕事ができると考えて、障害者なら仕事ができなくてもしかたがないと考えるのだ。障害者が仕事をする場合は、特殊なサポートが必要になるということも、うけとめることができる。

しかし、健常者が仕事をする場合は、特殊なサポートが必要ではないと考えるのである。健常者なのに、できないのであれば、定型一般人はその健常者が、あまえた健常者だと思うだけだ。

健常者なら、特殊なサポートなしで、仕事ができてあたりまえなのである。

他人の特定分野の障害なんて、気にしていられないというのが実情だろう。

仕事によって、求められる能力の組み合わせがちがうということや、人によって各分野の能力にばらつきがあるというようなことは無視してしまうのである。

ようするに、一本の直線的な区分線があると考えてしまうのである。だから、能力項目によって、デコボコになるような区分線は考えてない。

そしてさらに、定型一般人のなかには、ギリギリ健常者という区分領域がない。

なので、定型一般人は、ギリギリ健常者を健常者とみなすのである。そうなると、定型一般人は、「健常者なのだから仕事ができてあたりまえだ」と考えるのである。

定型一般人から見ると、ギリギリ健常者は「仕事ができるのに、仕事ができないと言って、あまえている人だ」ということになるのである。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。