この、毎日勉強することができないというのが、ものすごく、こたえた。これ、経験した人じゃないわからないと思う。名誉、だださがり。バカにバカにされるようになる。だから、やめてくれと何回も言ったのに、きちがい家族が、まったく気にしないで、自分がやりたい分は絶対にやってゆずらないという態度で、「よそのうちではありえない」「ものすごい音で」鳴らし続ける。しかも、本人は、そういうことをして迷惑をかけているつもりがまったくないのである。俺の勉強の邪魔をしているというつもりがまったくない。これは、何万回・直接、もろに言われても、わからないんだよ。「なんとなくいやなことを言われた」という気持しかなくて、実際に「自分の音で、弟が勉強ができなくてこまっているんだな」というような理解にすすまない。進まなければすすまないんだよ。自分が、ほんとうに、少しでも、がまんしなければならないのは、絶対にいやだから、がまんしなければならなくなるようなことは、言われたあとも、「なにかいやなことを言われた」というようなあいまいな理解にとどまって、「自分の音で、弟が勉強ができなくてこまっているんだな」というような理解にすすまない。理解できないまま、「しずかにしてくれ」という内容を言われたら、発狂してはねのけておしまいだった。みんなの家では、こういう家族がいないわけだから、経験したことはないんだよ。「騒音ぐらい俺だってあった」と言ったって、音のでかさ、音の質、音の持続時間、騒音の持続期間がちがう。毎日、あんな音でやられていいわけがない。毎日あんな音のでかさで、家族が、鳴らしているうちなんてないんだよ。
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それこら、これをずっとやられると、……十一歳からやられると、どうしても、十八歳のときには、通学通勤が普通にできないからだになる。そういうからだになることは、「必然」なんだけど、きちがい家族がいないうちではわからない。きちがい家族がきちがい的な感覚で、きちがい的な音をならているうちの人じゃないと、実際にやられたことがないから、「必然性」がわからない。そうなると、……よそから見ると、俺がさぼっているように見えるのだ。実際、「さぼっている」とか「あまえている」と、どれだけ言われたかわからない。そいつらに、ヘビメタ騒音の話をしても、「そんなのは関係がない」と言って、関係性を認めないんだよ。「影響がない」と言いやがる。「鳴り終わったら関係がない」と言う場合だって、一日のなかで鳴り終わったら関係がないという場合と、人生のなかで鳴り終わったら関係がないという場合がある。けど、こんなの、十一歳から十八歳まで、毎日、日曜日も含めて、どんな大切な日も、きちがいヘビメタが一秒も鳴りやまなかったということが、関係ないわけがないのである。影響をあたえないわけがないのである。現在に影響をあたえないわけがない。ところが、「関係がない」「影響がない」と言うやつは、「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言えば、それで、自分も、おなじ量の騒音を経験したということにしてしまう。経験したけど、「俺は通っている」「俺は働いている」という自負がある。この自負はまちがった自負なんだけど、本人には、そんなこと、どれだけ言ったってわからないだろう。実際、「それはまちがった自負なんだ」ということを言ったところで、ちゃんと理解してくれたやつなんて、人生のなかで一人もいないぞ。基本、「関係がない」「影響がない」「さぼっている」「あまえている」ということを言うやつは、その意見をかえることがないのである。ヘビメタ騒音のことを説明しても、意見がかわらない。こんなくそバカにバカにされなければならなくなる。どれだけ、くやしいか。きちがいヘビメタが鳴っている状態というのがわからないのだ。そして、きちがいヘビメタと言ったけど、ヘビメタが好きなやつは、さらに、ぼくに対して、嫌悪感をもつようになっている。ヘビメタというのは、ぼくにとっては、特に苦手な音を詰め合わせたような音楽分野なんだよ。そりゃ、ヘビメタが好きなやつは、思いっきりでかい音でヘビメタを鳴らせば気持ちがいいと思うわけで、ぼくの感じ方とはちがう。けど、そいつらだって、苦手な音はあるんだよ。苦手な音があの音のでかさで、あの至近距離で、ドカスカ鳴っていていいわけがない。ほんとうに、意識的なレベルではなくて、無意識的なレベルで体感している振動もある。あの音のなかで、まともに勉強することはどうしてもできないんだよ。そして、これが肝要なところだけど、きちがい兄貴は、しずかな音で鳴らしているつもりだったかもしれないけど、異常にでかい音で鳴らしている。ヘビメタが好きな、兄貴のともだちがきたとき、その兄貴のともだちが「こんな音で鳴らしてだいじょうぶなの」と兄貴に訊いたぐらいだ。これ、ヘビメタが好きな人にとっても、でかい音なんだよ。その兄貴の友達は「こんなにでかい音で鳴らしたことはない」と言ったんだよ。もちろん、自分のうちで鳴らすとき「こんなにでかい音で鳴らすことはない」という意味だ。ちょっとだけ言っておくと、「そんなにでかい音で鳴らしているのに、親が文句を言わないのはおかしい」と思っているやつがいるかもしれないけど、親は、普通の親父ゃないんだよ。母親の言うことは、兄貴は聞かないし、きちがい親父は、きちがいだから、きちがいヘビメタを鳴らすことをうしろから支援するような態度で暮らしていたんだよ。