神様視点で、適切範囲要求……Aさんの視点で適切範囲要求……Bさんの視点で超過範囲要求である案件について、もうちょっと、言っておく。
Bさんの視点では、Aさんの要求は、超過範囲要求なので、やらない。超過範囲要求は不当な要求なので、やる必要がないのだ。Aさんに屈する必要がないのだ。
Aさんが、どれだけ、「不当な要求ではない。正常な範囲の要求だ」と言っても、Bさんの視点で見れば、不当な要求なので、やらない。
アドラー主義者は、「相手の問題だと切り捨ててしまうのである。ようするに、よく考えて、自分の考え方がまちがってないと思うなら、不当な要求をしてくるのは、Aさんの問題だから、自分には関係がないということになる。
Bさんが、アドラーの考え方に賛成している場合は、不当な要求をしてくるのは、Aさんの問題だから、自分には関係がないと思ってしまうのである。
しかし、神様視点で、適切範囲要求なので、Bさんが、ほんとうはまちがっている。
「相手の言い分をよく考えて判断すれば、だれもが、正しい基準でものを考えることができるはずだ」という考え方や、「不当な要求をしてくる相手の問題だから、相手の言うことをガン無視していい」という考え方は、問題を引き起こす考え方なのである。
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Aさんが、いい人で、Bさんの仕事までやってあげたとする。AさんはAさんの仕事をかかえているので、よけいな仕事が増えたということになる。一回だけなら、出血大サービスで、対応できるけど、毎日続いたら、Aさんがまいってしまう。
これも、言霊主義者なら「できると言えばできる」と言って、問題にしないことなのである。
「できる」と言ったって、できないことはある。かりに、何回かはできたとしても、ずっとそれを続けるのは、むずかしい場合がある。
ようするに、一時的にストスレ対抗で処理できるけど、それは、むりをしてやっていることだから、ずっと続くのはまずい。
短期間で終了することと、長期間にわたって続くことは、それぞれ、日常生活の中で、ちがった性質をもつものなのである。
ところが、言霊という視点で考えると、両者のちがいなんて、まったく問題にならないのである。
「できる」と言えば、どっちだって、できるのである。
一日で終わることと、何十年かかっても終わらないことの区別をしない。一日で終了することと、数万日かかっても終了しないことの区別をしない。
「言えば、言ったことが現実化する」という文のなかに、どうやって、短期間で終わることと、長期間で終わることの区別を含めることができるのか?
区別なんて含めることはできない。
言霊思考で扱う限り、両者の区別なんてしない。
たとえば、「短期間のことなら、できると言えばできるけど、長期間のことだと、できると言ってもできない場合がある」なんてことは、言わないわけだ。
「できると言えば、できる」のである。期間なんて、まったく関係がない。
それが、言霊思考だ。
自分が、自分の視点で、時系列的に出来事を体験している場合は、「長期間だとむりだ」というようなことが、言霊主義者にだってわかるのである。
「ずっと毎日続くと、つかれる」「つかれがたまると、できなくなる」ということが、言霊主義者だって、経験をとおしてわかっている場合がある。その場合は、そのように考えるのである。そのようにというのは、「自分は、つかれがたまるとあれができなくなる」と考えるということだ。あるいは「毎日、つかれがたまって、もう限界だ」と考えるということだ。
「できると言えばできる」というのは、短期的なことで、ストレス対抗が機能する場合の話だ。
ストレス刺激がずっと、長期間にわたって続くのであれば、人間に備わっているストレス刺激に対抗する力では、どうにもならない状態になる。
ストレス対抗で、がんばっている状態自体が、ストレスになってしまうので、修復ができなくなる。ようするに、体が(もうそれ以上)ストレス刺激に対抗できない状態になる。
言霊主義者は、「文」として切り取って、法則性があると勝手に思っているだけなのだ。だから、ほんとうは、いろいろなところで、ぼろが出る。
ところが、言霊主義者は、言霊では対応できない部分を、無視してしまうのである。自分にとって、明らかなことは、現実的な思考をするのである。そして、現実的なことでも、言霊思考にあわないことは、無視するのである。
ようするに、「明日は晴れる」と言ったのに、雨になった場合は、雨になったということを無視してしまうのである。あるいは、昨日「明日は晴れる」と言ったことを、無視してしまうのである。都合よく無視して、「言霊は絶対だ」「言霊原理は正しい」と思っているだけなのである。
ようするに、「(なになに)ではない場合」に遭遇したしても、それについては、深く考えないのである。言霊理論を否定するような出来事が発生した場合も、言霊主義者は、それを無視して「言霊は絶対だ」と思ったままなのである。