あの状態を経験したことがないやつが、とやかく言ってくる。ゆるせない。あの状況を知らないやつが、アホなことを言ってくる。ゆるせない。ほんとうに、あいつら、わかってないからなぁ。相当にまとはずれなことを言っているのだけど、まとはずれなことを言っているつもりがないんだよな。そういう誤解を、きちがい兄貴が、きちがい行為によってつくる。どれだけ、きちがい兄貴のことを言ったって、こいつらはこいつらで理解しない。「そんなの、ちゃんと言えばいい」「ちゃんと言えばわかってくれるよ」……。こんなレベルの理解しかない。ちゃんと言えばわかってくれるよ」というのは、お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんはわかってくれるということだ。そして、しずかにしてくれるということだ。こういうレベルの理解。こういう誤解が、最初から、強烈に成り立っている。そして、こいつらはこいつらで、実際に、やられたことがないので、『影響のでかさ』がわからない。こいつらはこいつらで、影響のでかさを、ガン無視したことを、言いやがる。そして、『影響のでかさをガン無視している』ということも、絶対に認めない。ぼくの経験の範囲だと、最初に、「そんなの、ちゃんと言えばいい」「ちゃんと言えばわかってくれるよ」と言ったやつが、影響のでかさを理解してくれることはない。説明したって、理解しない。しかも、説明を聞いているうちに、腹をたてるの。そういうところ、あるよ。それは、「自分が思っていること」とちがうことを言ってくるわけだから、腹がたつんだよ。ようするに、自分が思っていることとは、ちがうことをぼくが言うので、腹がたつ。こいつらのなかでは、「これは、こうだ」という常識が成り立ってる。自分のなかに成り立っている常識を否定されたら、腹がたつだろ。けど、きちがい兄貴は、こいつらの常識のなかの人じゃないのである。うちのきちがい兄貴は、こいつらの常識が通用する人ではないのである。うちのきちがい兄貴は、こいつらの常識外の人なのである。「の」の重複は指摘しなくていい。
何度も言うけど、こいつらはこいつらで、認めないんだよ。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、普通の人がしないことをしている。そして、その「普通の人がしないこと」というのは、普通の人が理解できないほど『影響がでかいこと』なのである。やられているのに、やられていないような状態で、生きることができないことなのである。けど、やられてないやつは、やられていないので、それがわからない。不可避性をガン無視してくる。「やられる」と「こうなる」という必然性を無視しやがる。毎日続くということの意味が、まったくわかってない。
やられていなければ、簡単にできることができなくなる。どれだけがんばっても、どれだけ努力しても、できなくなる。……これがわかっていないやつばかりだ。こいつらにとって、ぼくの騒音……きちがい家族による騒音は、通常の生活範囲で、消化できることなのだ。影響をうけずに、なんとかやっていけることなのだ。そういう想定でものを言ってくる。無理なことを言ってくる。もちろん、「無理なことを言っているつもり」なんていうのは、ない。だから、これも、きちがい兄貴のガン無視と、ちょっと似てくるところが出てくるんだよ。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、くそめいわくなきちがい行為をするから……毎日夢中になって、長時間するから……こっちのからだがこわれてくる。こっちのなかで、『できないこと』が増えていく。これ、必然なのである。けど、必然性が見えないやつから……ぼくのことを見ると……ぼくがさぼっているようにしか見えないのだ。だから、攻撃をしてくる。普通にバカにしてくる。こんなことが、つみかさなって、いいわけがないだろ。