以前も、指摘したのだけど、アドラーのように、努力論の立場をとる人であり、なおかつ、人の言うことは気にしなくてもいいという立場をとる人は、ほかの人に対して、圧力をかけている。ようするに、努力論で、ダメ出しをしておいて、相手が、ダメダシされたということを気にすると、「ほかの人の評価なんて気にする必要がない」と言い出す人だ。これも、一種のダブルバインドなのである。ダメな評価を自分が他人に出して、他人が気にすれば、「他人の評価」なんて気にする必要がないということを言い出すのだ。この場合の「他人の評価」というのは、ダメ出しをした。自分の(相手に対する)評価だ。自分と他人という言葉を使うと、誤解が生じるので、いちおう、AさんとBさんに登場してもらおう。Aさんが、Bさんに対して「Bさんは努力をしていないダメな人間だ」と評価したとする。そして、別の機会に、Aさんは、Bさんに対して「他人の評価なんて気にする必要がない」と言ったとする。「他人の評価なんて気にする必要がない」のなかの「他人」にAさん自身が含まれているのである。Bさんにとっては、Aさんも他人だからだ。他人であるAさんがくだしたBさんに対する評価を、気にしなくてもいいということを、AさんがBさんに言ったことになる。だから、これは、一種のダブルバインドになる。