たとえば、「言ったことが現実化する」ということと「言い方が悪いと現実化しない」ということは、両立しないんだよ。どっちとも、正しいと言いきることはできないんだよ。けど、言霊主義者は、よく考えないで「言ったことが現実化する。これは正しい」「言い方が悪いと、現実化しない。これも正しい」と思ってしまう。そして、思ったままだ。理論的に矛盾しているということに気がつかない。矛盾しているということを、ぼくが、言霊主義者に言ったとする。そうすると、言霊主義者は不愉快な気持になるのである。そりゃ、自分が正しいと思っていることが、理論的に正しくないと説明されるわけだから、不愉快な気持になるのである。「単純なのがただしい」と言いかえしたりする。これの意味は「言ったことが現実化するというのは、単純なことだから正しい」ということだ。いや、単純でも、まちがっていることは、まちがっているんだよ。ようするに、「矛盾がある」ということを認めたくないので、認めないような発言をするわけ。それから、「アバウトでいいんだ」ということを言ったりする。これの意味は「言ったことが現実化するということと言い方が悪い現実化しないということが、矛盾しているということは、考えるべきではない。言ったことが現実化するということは、アバウトに理解すればいい。言い方が悪いと現実化しないということも、アバウトに理解すればいい。アバウトに理解すればいいことを、がたがた言ってくるのは、そっちのほうがおかしい。矛盾してたって、アバウトに考えればいいんだよ」ということだ。両方が正しいということになると、矛盾するということは、認めないのである。「アバウトでいいから、矛盾していない」と考えているのである。こういうレベルの思考方法だ。この言霊主義者が、普段「すべては受け止め方の問題だ」と言っていたとしても、そのときは、「受け止め方」をかえてくれるわけではないのである。俺が言っていることにあわせて、自分の「受け止め方」をかえてくれるわけではない。そして、自分が、かたくなに!!!自説にこだわって、理論的な矛盾を認めなかったということは、無視してしまうのである。これは、自説にこだわって「受け止め方をかえなかった」ということだ。だから、この点でも、自分が信じている理論と、自分が実際にやっていることが、矛盾しているのである。この言霊主義者が「エイリさんの話を聴いて楽しい」と言えば、楽しくなるのかと言えば、楽しくならないのではないかと思う。自説を批判された……矛盾があると指摘された……そのとき、「楽しい楽しい」と言えば、楽しくなるのかという問題がある。「うれしいうれしい」と言えばうれしくなるのかという問題がある。自分が正しいと思っていることを批判されて不愉快なときも、「うれしい」と言えば、「うれしくなる」のである。言ったことが現実化するから、うれしいと言えば、うれしくなるのである。ところが、たいていの言霊主義者が、こういう時にかぎって、言霊的な解決方法を模索しないのである。「矛盾があるとか言って、なんだこのやろう」とおこった気持ちになってしまうのである。この言霊主義者が、同時に自己責任論者だったとしよう。自己責任論者だから「批判されたのは自分の責任だ」と思うかというと、思わない場合のほうが多い。ぼくの経験の範囲だと、すべての自己責任論者であり、なおかつ言霊主義者である人が、自己責任だとは思っていなかったのである。矛盾したことを言って、矛盾していると指摘されたのだから、これは、特に、自己責任論じゃなくても、自己責任だと思うべきところだ。ところが、普段は、自己責任論をふりまわしているやつにかぎって、自己責任だとは思わないのだ。この場合だと、「矛盾していると指摘してきたエイリが悪い」ということになる。そいつのなかで、そうなる。「エイリが、不愉快なことを言ってきたので、不愉快になった」ということになる。そいつのなかで、そうなる。一倍速で自分が実際に経験したことだと、「すべては自己責任」などとは思わずに、普通に他責思考をするのだ。「ほかのやつのせいで、自分が不愉快な思いをした」と思うのだ。一倍速で実際に起こったことは、自分の感情を伴ったプロセスを記憶しているので、普通に「これはこうだ」と思うのである。記憶障害者である言霊主義者は、のぞくとすると……言霊主義者は人の話だと、じつは、出来事の時系列的な順番を気にしなかったり、まちがえたりするのだけど、自分が身をもって経験したことに関しては、時系列的な順番を記憶しているので、出来事の時系列的な順番をまちがえるということがないのである。けど、これが、人の話だと、かなりの頻度で、時系列的な順番をまちがえてしまうのである。そして、言霊主義者が事前に「自分は、これ以降……不愉快に感じることはない」と言っておけば、不愉快に感じることがないのである。言霊主義者が、どこかの過去の時点で「不愉快なことは発生しない」と言えば、不愉快なことは発生しないのである。もちろん、自分にとって不愉快なことは発生しないという意味だ。まあ、この場合、すべての人にとって、不愉快なことは、発生しないという意味でもいい。ともかく、一度でも、「不愉快なことは発生しない」と言っておけば、不愉快なことを経験することがないということになるのである。だから、エイリに矛盾を指摘されたとしても、不愉快な思いをすることがないのである。けど、わりとむきになって「アバウトでいいいんだ」「単純なのが正しいんだ」と言っているように思えるのである。ともかく、矛盾があるということは、最後まで認めないのである。
現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。
死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。
過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。