2025年5月21日水曜日

そいつは、「よく考えなおしても」そいつの判断基準で判断してしまう

 アドラーは、「よく考えれば、だれでも正しい結論に至ることができる」と仮定しているのだ。しかし、自分がそう仮定しているということに、気がついていない。

ようするに、「よく考えれば、だれでも正しい結論に至ることができる」と仮定として、判断をしている。

あることが、神様視点で、超過要求だったとする。

しかし、Aさんは、適切要求だと思ったとする。そして、Bさんは超過要求だったとする。その場合、Aさんが、Bさんの言い分をよく考えて判断すれば、Bさんの言い分が正しいことがわかるという、設定なのだ。ばからしい。

「よく考えて判断すればよい」というのが、どれだけ、アホな設定かわからないのか?

そいつの判断基準がすでにそいつのなかにあるのだから、そいつは、「よく考えなおしても」そいつの判断基準で判断してしまう。

なんらかの外的な要因が、かわって、それをAが認識すれば、Aが考え方をかえる場合はある。しかし、それは、判断に影響をあたえるなんらかの要因が、変化し、その変化をAが感じたから、おこる変化なのだ。

Aが、神様視点で考えられるようになるということではない。

「よく考えれば」……相手が言っていることが正しいかどうかわかるので、自分で判断して、相手の言い分を無視すればいいというのが、アドラーの考え方なのだ。

「ちょっと考えると、まちがうこともあるけど、よく考えれば、まちがうことがない」という、暗黙の設定が紛れ込んでいるのだ。

よく考えれば、神様視点の正しい判断基準でものを考えることができる……というわけではない。ところが、あたかも、「よく考えれば、神様視点の正しい判断基準でものを考えることができる」という前提が成り立っている。

神様視点の正しい判断基準という言葉を使うわけではないけどね。なんかもやもやと思っている正しい判断といのは、神様視点の正しい判断基準という意味合いを持っている。

「自分の頭でよく考えれば」……相手の言い分は無視していいのである。「自分の頭でよく考えれば」……相手の感情は無視していいのである。そうすると、「考えた」と思えば、自動的に、相手の言い分や相手の感情を無視していいということになる。だって、考えたのだから、無視していいのだ。よく考えたのだから、無視していいのだ。相手の不満は、相手の問題なのだ。

どれだけ無茶なことを要求しても、相手の問題だと片づけることができるのだ。相手の問題と自分の問題を切り離して考える……。けど、自分の行為がさきにある場合は、相手の問題だと言いきれない場合がある。ところが、「よく考えて」無視して、「相手の問題だ」と思えば、それで、どんな無茶なことを要求しても、「相手の問題になってしまう」のである。

そして、自己責任論が、この判断の後押しをする。たとえ、不満を持っていたとしても、やってしまった、相手の責任なのだ。自分が、無茶なことをおしつけた責任というのは、自己責任論者なのに、まったく頭に浮かばないのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。