ヘビメタ騒音の「あしひっぱられ感」が、すごい。やられていないやつはわからない。わからないのに、わかったつもりで、アホなことを言いやがる。そういうことも含めて、ヘビメタ騒音が、いやだよ。だって、ほんとうに、ヘビメタ騒音がなかったら、こいつらから、なめられることもなかった。ヘビメタ騒音がなければ、こいつらが、俺に対して、こんなことを言う場面はなかった。ほんとうに、すべてに影響があるのに、こいつらは、「そんなの関係ない」と言う。こういうことも含めて、ほんとうに、人生がいやになる。複数回繰り返されたことだけど、こいつらとのこういうやりとりが、生きる気力を奪う。ほんとうに、きちがいにやられて、きちがいにやられたから、弱くなって、くそ凡人から、くそを言われるようになった。ほんとうに、ゆるしがたい。ともかく、ヘビメタ騒音なしの人生がほしい。ともかく、きちがいヘビメタ騒音なしの「若い時代」がほしい。どうしても、ヘビメタ騒音なしでやりなおしたい。ヘビメタ騒音なしで生きたい。あの生活が、その後の人生に影響がないわけがないだろ。あの音の連続が、その日の状態に影響をあたえないわけがないだろ。「自分だって苦労した」「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって、朝はつらい」と言えば、影響がないことになってしまう。そいつらのなかで、ヘビメタ騒音の影響なんてたいしたことがないということになってしまう。そうなったら、そいつらのなかでは、そうなんだよ。俺がどれだけ「ちがうんだ」ということを説明しても、そいつらは、考えを改めない。自分の考えが正しいと思ったままだ。
鳴っている最中のものすごい状態がわかってないやつら……。鳴り終わったあとのものすごい状態がわかってないやつら……。あれが五〇〇〇日積み重なったときの状態がわかってないやつら……。こんなやつらに、アホなことを言われる。こんなやつらが、こともあろうに、俺に説教をしてくる。きちがいの行為がわかっていないやつが、きちがいの行為を無視して、むりなことを言ってくる。こいつらは、きちがい行為がどういうものかわかってない。きちがいの「無視のしかた」がわかってない。わかってないから『影響なんてない』と思っているだけなのに、えらそうなんだよ。