「現実感」というのが、ものすごく影響をあたえているのだ。あるいは、「現実味」というのが、ものすごく影響をあたえているのだ。思考に影響をあたえている。
たとえば、ある仕事Aをしたとする。その仕事をしていたとき、腰をいたくしたとする。その仕事をすると、かなりの高確率で、腰がいたくなるということが、わかったとする。
こういう場合は、過去のデータに基づいて、現実的な思考がができるのである。
思霊主義者だって、『Aという仕事をしたとき、腰痛が発生したので、Aという仕事はさけよう』と思うのだ。思霊主義者だって「腰痛が発生すると思うから、腰痛が発生する」とは考えないのだ。
つまり『腰痛が発生する』という悪いこと(ネガティブなことを)考えるから、実際に、腰をいためるという悪いこと(ネガティブなこと)が発生するとは考えないのだ。
そして、「Aという仕事をしても、腰をいためるというネガティブなことを考えなければ、実際に、腰をいためることがない」とは、考えないのだ。
思霊主義者は、思ったことが現実化すると考えるので、本来なら、腰をいためるというネガティブなことを考えたから、腰をいためるというネガティブなことが発生したと考えるはずなのだ。
しかし、自分が経験したことに関しては、そのような思考をせずに「こういうことが起きた」という過去のデータを参考にして現実味がある思考をする。そして、この思考全体が、じつは、思霊主義者の主義にはあわない思考だということに、気がつかない。まったく、気がつかない。
自分の経験からわかっていることに関しては、ちゃんと、原因と結果について、考えることができるのだ。ところが、漠然とした不安を感じることに関しては、思霊思考におちいってしまうのである。
言霊主義者の思考にしたがえば「Aという仕事をしても、腰をいためることがないと考えていれば、腰をいためることがない」……はずなのである。こういう思考を思霊思考と呼んでおこう。
「思ったことが現実化する」という思考の鋳型があり、現実が、その鋳型に流し込まれるのである。だから、なにかいやなことが起こった場合は、先にそのいやなことが起こると考えたから実際に、そのいやなことが発生したと考えるのである。
しかし、何度も言うけど、実際に自分が経験した……現実感が高いことに関しては……これをするとこうなるという現実的な思考をしてしまうのである。
しかも、自分が現実的な思考をしているということが、わかっていないのである。
この現実的な思考というのは、思霊思考ではないのである。自分が、思霊思考をしていないということに気がつかない。普通に、Aという仕事をすると、腰がいたくなるので、Aという仕事をすることを避けようとするのである。
この場合は、思わなければ、発生しないというような思霊思考をしないのである。「悪いことを考えると悪いことが発生する」という考え方があるのである。これを「思霊思考1(いち)」と呼んでおこう。
また、思霊思考の理論的な帰結として「悪いことを考えなければ、悪いことが起こることを避けることができるのではないか」と思霊主義者は考えるのである。これを「思霊試行2(に)」と呼んでおこう。
実際に、自分が経験したことに関しては、言霊思考1も、言霊思考2も成り立たないのである。完全にスルーしてしまう。思いに関係なく、Aをすると、Bが発生しやすいと考えるのである。Bが発生することを避けるには、Aをしないようにすればいいのだと考えるのである。
これは、思霊思考ではない。
思霊思考にしたがえば、かりに、Aをしたとしても、Bが発生しないと考えれば、Aをしても、Bは発生しないということになるのである。
けど、これが、自分の経験によって、打ち破られている場合は、ごく自然に、AをするとBが発生しやすいので、Aをするのはやめようと思うのである。何度も言うけど、自分が、思霊思考をしていないということに関して、無頓着なのだ。
ようするに、思霊主義者は、自分が経験したことに関しては、思霊思考をしていないのに、思霊思考をしていないという認識がないのだ。だから、ほんとうは、思霊思考をしていないのに、自分がいつも、思霊思考をしているような気分になっているだけなのだ。
思霊思考になってしまう場合は、経験がない漠然としたことについて考える場合なのだ。この場合は、『暗いことを考えると暗いことが起こるので、暗いことを考えないようにしよう』と思うのだ。ようするに、自分が暗いことを考えないことによって、自分にとって不都合なことが発生することを、避けることができると考えているのだ。
これは、ジンクスやおまじないのようなものなのである。もうすでに、経験して、経験則から「Aをするときは、Bというネガティブなことが起こりやすくなる」ということがわかっていることに関しては、思霊思考をしない。思霊思考にしたがえば、経験則からわかっていることに関しても、「考えないこと」によって「発生するかどうか」を制御できるはずなのだ……。
どうしてかというと、思霊思考というのは、わけへだてなく、成り立ってしまう思考だからだ。つまり、ここでも一〇〇%詐欺が成り立っていて、「すべてにおいて、成り立つ」ということになっている。ある範囲では成り立つけど、ある範囲では成り立たないというものではないのだ。
ところが、経験則からわかっていること……経験則から容易に想像がつくことに関しては……おまじないで避けることができないと考えてしまうのだ。何度も言うけど、そのように考えているという自覚がない。
ようするに、思霊思考を完全に否定して、現実的な思考をしているときも、思霊主義者は、思霊的な思考を完全に手放したわけではないのだ。経験則から、類推できないことに関しては、突如として、思霊思考が復活して、思霊思考をしてしまう。
ようするに、本人にとって、漠然とした不安を感じることに関しては、思霊思考をしてしまうのである。経験則でわかってることに関しては、現実思考をして、経験則ではわからないことに関しては、思霊思考をしてしまうのである。
そして、そういう切り替えをしているということに関して、本人が、無自覚なのだ。ようするに、自分にとって現実感があることに関しては、まったく、思霊思考なんてしていないのに、思霊思考をしていないということに、本人が、気がつかない。現実感があるかどうかと言うことを基準にして「思ったことが現実化する」という考えを使うかどうか決めているのだ。
無意識的に決めているので、本人は、ずっと、自分は「思ったことが現実化すると考えている」と思っているのだ。