2025年5月18日日曜日

『だれだって正しい基準で考えることができる』『正しい基準で考えれば、正しい結論に至ることができる』

 極端に、「人の言うことを気にしない人」というものについて考えてみよう。たとえば、Aさんが、Bさんに、包丁を見せつけた。Aさんは、通り魔で、包丁を見せた時の、相手の反応を見て楽しみたい人だったのだ。そして、Aさんが、Bさんに包丁を見せたとき、Bさんが、Aさんのことをにらんだとする。そうしたら、Aさんが、Bさんにひどい目で見られたと思って、Bさんを刺した。こういう事件が起こったとする。その場合、Aさんは、「Bさんがひどい目付きで見てきたので、頭にきてさした。あんな目付きで見られただれだって腹をたてる。自分よりも、あんな目付きで見てきたBさんがひどい。Bさんが自分にやったことがひどいので、刺されても文句は言えない」と考えたとする。Bさんの家族が、Aさんがひどいやつだと言ったとする。「人の言うことを気にしない」能力が高いAさんは、なにを言われたって、気にしない。それどころか、自分がひどい目つきで見られたのでかわいそうだと思うのだ。Aさんのなかでは、『Bさんがひどいことを自分(Aさん)にしたので、刺されて当然であるわけで、自分(Aさん)がせめられるのはおかしいという感覚がある。「Bさんの家族は、たいしたことをやってない自分をせめてくるので感覚がおかしい」とAさんは思うのだ。だから、Aさんは、Bさんの家族をひどいクレーマーだと思っているだけで、Bさんの家族の言い分が妥当だということに、まったく気がつかない。アドラーは「自分でよく考えて判断すればいい」ということをいっているのだけど、Aさんがどれだけ考えたって、そんなことしか思い浮かばないのだ。相手の言い分が正しいかどうか、「自分がよく考えて判断すればいい」という考え方には、よく考えれば、だれだって正しい基準で考えることができるのだから、正しい結論に至るはずだという『妄想的な前提』が成り立っている。そりゃ、いろいろなやつがいるから、『だれだって正しい基準で考えることができる』『正しい基準で考えれば、正しい結論に至ることができる』と考えてしまうのは、現実的ではない。

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レッサーパンダ事件と呼ばれる事件が実際に起こったのだけど、被害者がアニメ声だったから、加害者は「本気で相手が嫌がっている」と言うことに気がつかずに、刺したというようなことを、主張するやつが出てくる。レッサーパンダ事件と言うのは、簡単に言ってしまうと、障碍者の男性が、女性を刺した通り魔事件のことだ。これは、通り魔事件だ。加害者と被害者の間に、因縁の関係があったわけではない。ただ、路上であっただけ。それまでは、一切合切、面識がない二人だったのである。加害者のほうが、被害者を刺した理由というのが、よくわからないので、いろいろな憶測を呼ぶことになる。加害者本人が動機について明確に話したわけではなくて、誘導されて調書ができあがったという感じだ。ともかく、こういう事件についても、「すべては自己責任」と考える人は、刺された人間のせいだと考えてしまうのだ。ただ単に、歩いていたら、へんな人が、包丁を見せて、へんな表情を浮かべた。なので、相手を見たら、相手が、包丁で(自分)を刺した。こういう場合だって、精神世界の人は、刺されたほうの自己責任だと言ってしまうのだ。そして、冒頭のアニメ声だったからというのも、じつは、被害者側の責任を追及しているのである。アニメ声でなければ、刺されなかったかもしれない。アニメ越えではない声で、「やめて」と言ったら、加害者は「やめた」かもしれない。それなのに、アニメ声で「やめて」と言ったので、加害者が、ほんとうにいやがっていると思わずに、包丁で(アニメ声の相手を)刺して、殺したということになる。こういうことを言う人の頭のなかでは、「やめて」とアニメ声で言わなかったことが、過失になるのだ。落ち度になるのだ。だから、被害者側にも、落ち度があるということになってしまう。こんなの……ない。アニメ声でない声で「やめて」と言ったらやめたはずだというのは、単なる想像なのである。アニメ声でない声で「やめて」と言ったって、刺したかもしれない。勝手に、「アニメ声だから、わからなかった」と言っているやつが、そう思っただけなのである。しかし、相手が本物の包丁を持って、近づいてくるのに、「やめて」と本気で言わない人なんているのだろうか。加害者が障害者だから「相手が本気で言っているとは思わなかった」とその人は思っているのだ。まあ、その人というのは、アニメ声でない声で、「やめて」と言ったら、加害者は被害者を刺さなかったと勝手に想像している人のことだ。とりあえず、この人のことを、Aさんということにしておこう。Aさんの考えでは、本気で刺そうと思って近づいてきた加害者に対して、被害者が「やめて」とアニメ声ではない声で言ったから、刺されたということになる。こんなのは、おかしいだろ。刺すつもりで、相手に近づき、刺すつもりで、相手を刺したのだ。どんな声で、「やめて」と言っても、刺したはずだ。じつは、加害者は知的障碍者なのだけど、知的障碍者だから、相手が、「本気でやめて」と言っていることに気がつかなかったというのが、Aさんの意見なのだ。いやーー。そりゃ、ないだろ。どれだけ、太い声で「やめろ」と言ったって、本気で刺すつもりで、刺したのだから、やめなかったと考えるのが筋だ。ようするにAは、加害者が知的障碍者だから、相手が『本気で』やめてと言っているということがわからなかったから、刺したとAさんは言うのだ。こんなの、ない。冗談で、刺すふりをしたら面白いだろうなと思って、刺したわけではないのだ。それこそ、本気で、相手がなにを言っても、かまわずに刺したのだ。相手が、アニメ声ではない普通の声で「やめて」と言ったら、やめてやるつもりで、ふざけるつもりで、刺すような真似をした? そんなことはないだろ。ふざけるつもりで、刺すような真似をしたのだけど……相手が、本気で「やめて」と言わなかったから、そのまま、ほんとうに刺した? そんなことはないだろう。ふざけてさすようなふりをするために(相手に)近づいたのではなくて、最初から、刺すつもりで、相手に近づいたのだ。相手が『本気で』やめてと言ったら、刺すのをやめるつもりだったけど、相手が『本気で』やめてと言っているようには思えなかったので、刺した。どれだけゆがんだ考え方をもっているのだろ? Aさんの考え方は、ゆがんでいる。相手が普通の声で「やめて」と言ったら、刺さなかったけど、相手がアニメ声で「やめて」と言ったから、刺した。被害者の女性が、女性らしい声で「やめて」と言ったので、相手がほんとうにいやがっているとは思わずに刺した。こんなのは、おかしい。Aさんの考え方は、事態を混乱させるだけだと思う。Aさんがどうしてこういうことを言うのかというと、Aさんは、自分が障害者の味方のつもりだから、こういうこと言うのである。しかし、Aさん自身は、公平に判断しているつもりなのである。こんなのは、ない。障害者に肩入れしているので、障碍者が加害者である事件に関しては、加害者側に立ってしまうのである。Aさんは、そういう人なのである。公平なわけがない。

けど、Aさんだけではなくて、「すべては自己責任」と被害者側の追及をしている精神世界の人も、相当に、加害者に肩入れをした意見をもっていると思う。

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だれだって正しい基準で考えることができるのだから、正しい結論に至るはずだ……と思っている人たちは、実際に起こった事件の前では、口をふさいでしまうのである。

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刺したほうの責任は追及されず、刺されたほうの責任が追及される。おかしな世の中だ。自己責任論なんてものがはやってから、やったやつの責任ではなくて、やられたやつの責任を問う世の中になってしまった。こんなのはおかしい。しかし、自己責任論がはやっているので、ほとんどの人がおかしいとは思わないのだ。こんなのは、おかしい。自己責任論者が、おかしいと思わないのもおかしい。善悪の基準が麻痺している。自分がどれだけ、でたらめなことを言っているのか、まったく、気がついていないんだよなぁ……。こんなのはない。自己責任論者が増えたことで、世の中は、悪くなった。自己責任論者が増えるまえよりも、あきらかに、悪くなった。なぜ、悪いことをやった人の責任が問われず、悪いことをされた人の責任が問われるのだ。こんなのおかしいだろ。これがおかしいと思わないのは、おかしい。「すべては、自己責任」なんてよく言うよ。それなら、自己責任論を信じることで、自己責任論者の数を増やしたことに、責任を感じるべきだ。自己責任論者が増えると、社会が悪くなる。やったらやりがちの世界になってしまうからだ。

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構造的には「やられている」側の人間が「自己責任」などと言いだす。支配者層は、ウハウハだな。ほんとうに、奴隷根性を植え付けられて、条件が悪い人をいたぶりはじめる。条件が悪い人に圧力をかけようとする。考えが、たりないんだよ。こんなやつばかりだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。