2025年5月15日木曜日

「できると言えばできる」も「努力すればできる」もおなじような「機能」をもつ言葉なのだ

  経営者側ではなくて、従業員側にも言霊主義者がいる。経営者も従業員も、カネがほしいなら、言霊の力を使って金を儲ければいいのである。ところが、ほんとうは、そんなことはできないので、経営者は会社を経営して金を儲け、従業員は、従業員として雇われて、金を儲けるのである。言霊の力を使って、問題を解決している話ではないのである。

そして、たとえば、ブラック企業の経営者が「できると言えば、できる」と言ったとしよう。名前だけ店長に、サービス残業をおしつけるときの言葉だ。言霊理論が正しいなら、サービス残業なんておしつけなくてもいいのである。言えば言った通りになるので、言えばいいだけの話だ。言えば、その通りになるので、言えば、どんな問題も解決してしまう。サービス残業をおしつけて、せこく、金儲けをしなくてもすむのだ。

名前だけ店長が、もう無理だと考えていたとしよう。だから、「できません」と言う。「できないというからできない。できると言えばできる』というのが、ブラック社長の答えだ。何度も言うけど、ブラック社長の立場なら、「できると言えばできる」という意味がある。おしつけたいだけなのだ。そして、それは、自分のふところに、カネをもってくる言葉なのだ。しかし、従業員のほうが「できると言えばできるというのは正しい」と言って、ブラック社長の味方をするのである。従業員が言霊主義者の場合は、「できると言えばできる」という言葉に、疑問を感じない。正しいと思っているから、正しいと言ってしまう。それが、名前だけ店長を追い込むのだ。言霊主義者の従業員は、ブラック社長に同調して、協力して、名前だけ店長を、追い込む。もちろん、いいことをしていると思っているのだ。正しいことを言っていると思っているのだ。……言霊主義者である従業員は、自分の行いが正しいことだと思っている。しかし、実際には、名前だけ店長を追い込むだけだ。名前だけ店長は、従業員がブラック社長の味方をしているということに、気がついて、絶望して、死んでしまう。これ、うしろのほうから、おなじようにブラック社長に搾取されているにもかかわらず、ブラック社長の言い分を肯定するやつが出てくるということが、どういうことなのか、理解していないのだ。言霊主義者の従業員は、そんなことは理解していない。考えない。自分だって、搾取される側なのに、「できると言えばできる」という言霊主義的な言葉が、正しいと言ってしまうのである。言霊主義を悪いことに利用しているブラック社長に賛成してしまうのである。こんなの、ないだろ。名前だけ店長じゃなくても、「うっっ」と思うよ。「ああ、なにも話が通用しない」と思うよ。「こいつらに何を言っても、頭がおかしい答えが返ってくる」と思うよ。しかも、自分の側についていいはずの従業員が、ブラック社長の味方をするのだ。つかれはてているのに、こんなことをされたら、猛烈にへこむよ。

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「できると言えばできる」も「努力すればできる」もおなじような「機能」をもつ言葉なのだ。妄想的な言葉なのに、正しい言葉として流通してしまう。「Xをすれば、できる」というかたちになるのだけど、 一〇〇%詐欺と法則性詐欺が成り立っている。「Xをすれば、Yできる」というかたちにしてもいい。Yには、内容がはいるのだ。その内容は、おしつける側にとって都合がいい内容だ。

上から下に、こういう妄想的な言葉をおしつけて、Yをさせようとする。もちろん、個人のしあわせをうばっている。こういう、前向きな言葉でも、実際には、個人のしあわせを奪うことが可能なのだ。だから、ほんとうは、後ろ向きな言葉なのだ。はっきり言えば、悪意がある言葉なのだ。もともとは、「できると言えばできる」という言葉は、ただ単に、まちがっている言葉であって、悪意がある言葉ではない。しかし、会社のなかで使われるとなると、使われる場所が限られているので、悪意がある人が使うということになるのである。それに、悪意はないけど、言霊的な考え方に慣れ親しんでいる人が、賛成してしまう。こんなのは、ない。社長が、「楽しいと言えば楽しくなる」と言う場合も、要注意だ。仕事でいやなことがあっても、「楽しい」と言えば、解決してしまう。だから、そうやって解決すればいいという話になる。ただ単に、いやなことではなくて、構造的に問題があるとしたらどうなる? 構造的な問題が、高頻度で発生してしまうではないか。その問題を、言霊の力で解決したほうがいいんじゃないか。ほかの人に負担をかけて、我慢させる方便として、「楽しいと言えば楽しくなる」と言う言霊的な言葉が使われる……。言霊主義者はそういうことに、疑問をもたないばかりか、賛成してしまう。従業員側にいても、言霊主義者は、言霊的な言葉には賛成してしまう。正しいと「自動的に」思ってしまう。こんなやつらがいっぱいいたら、ほんとうにこまっている人は、音(ね)をあげてしまう。自殺しようと思ってしまう。

問題なのは、「努力すればできる」というのも、言霊的な言葉とおなじような意味をもつということだ。「できるできると言って努力すればいい」ということになってしまう。「努力できる」と言えば、「努力できる」のである。「努力すればいいじゃないか」ということになる。条件が悪いと、むりなことが重なるので、できなくなるのである。

まあ、家できちがい的な家族が、きちがい的な騒音を兆時間鳴らし続けるというようなハンディがある場合は、「努力すればできる」と言ったって、できくなるのである。問題なのは、きちがい的な騒音が長時間鳴っているということだ。きちがい的な騒音が長時間鳴っているという条件が、できないからだをつくるのである。それを「できると言えばできる」と言う解決法で解決できるかと言うとできないのである。ハンディというものがあって、ほかの人は、ヘビメタ騒音のハンディを軽く見るけど、非常に重たいものだった。自分がきらいな音でやられ続けたら、どれだけ、きちがい家族の騒音が、自分の体調に影響をあたえるか、わかるよ。わかるようになるよ。けど、やられていない人にとっては、自分の問題ではないので、軽く考えたり、無視してしまうのである。

そして、言霊主義者なら「できると言えばできる」と言い、努力論者なら「努力すればできる」と言うのだ。いやーー。きちがいヘビメタが鳴っている状況で生きているということ自体が、ものすごい努力のたまものなんだけどなぁ。まるでわかってないなぁ。

長い間つもった場合のことなんて無視しやがるのである。自分が体験してないから、まったくわかってないだけだ。けど、かならず「俺だって苦労した」「俺だって騒音ぐらいあった」と言うのだ。こいつらは……。

たとえば、「どんなにつらいことがあっても、一日の終わりに、楽しいと言えば楽しくる」という言葉を社長が言ったとする。「言霊社員」や「努力論社員」は、その言葉が、いい言葉だと思って、賛成してしまうのである。そうなると、この人たちとはちがう苦労があるぼくは、めちゃくちゃに不愉快な気持になるのである。ものすごいハンディなんだよ。「楽しい」と言ったって、楽しくなるわけがない。ヘビメタがなくなってくれなければだめだ。そして、居間だから言えることなのだけど、一年以内に、鳴りやまなければだめだ。どこまでも、どこまでも、影響がある。

ストスレ対抗期間というべきものがあると(ぼくは)思う。その期間をすぎてしまうとだめなのだ。その期間をすぎて、ずっとずっと、おなじ気ちがいストスレがくわわる生活をしていると、全部がダメになる。ダメになったあと、なおらない。この期間のことをストレス超過期間ということにする。その場合、「楽しいと言えば楽しくなる」とか「できると言えばできる」とか「努力すればできる」と言っているのは、幸運にも、きちがい家族と一緒に住んだことがなく、きちがい家族が、きちがい騒音を鳴らすということがなかった人たちなのだ。この人たちだって、「自分だって苦労した」「自分だってつらいことがあった」と言う。言うけど、程度と期間の長さがちがうんじゃないかな。ぼくとおなじようなことを経験した人が、「楽しいと言えば楽しくなる」とか「できると言えばできる」とか「努力すればできる」と言っていられるとは、到底、思えない。

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そういえば、「人の嫌がることはやめましょう」なんてことを、精神世界の人が言ったりするする。「できると言えばできる」というような言葉が、実際にどういう場面で使われているかわかっているのかな?  人が嫌がることを、人におしつけるときに、使われるんだよ。もちろん、すべての場合ではない。そういう使われ方をする場合が、多い。だから、言霊主義者は、「人の嫌がることをやらないようにしよう」と思っているのであれば、ブラック社長が名前だけ店長に、サービス残業をおしつけようとしているときに、「できると言えばできる」というようなことに賛成するべきではない。いやーー。気がつかないかもしれないけど、そういうことを言われて、名前だけ店長は、嫌がっているよ。店長が嫌がることを、言霊主義者の従業員がしている。まちがっていることに、従業員の立場なのに、賛成してしまう……裏切り者のようなやつがいるんだよね。

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宗教の勧誘というものについて考えてみよう。もちろん、宗教の勧誘が気にならないという人も、わずかだけど、いる。「人の嫌がることはやめましょう」ということについては、たいていの宗教的な人が賛成するんじゃないかな。宗教の人は、まったく気がつかないけど、多くの人は、宗教の勧誘をされたくないと思っているんだよ。迷惑行為だと思っているんだよ。宗教の勧誘をする人は、きらわれているよ。宗教の勧誘をされたくないと思っている人は多い。「人の嫌がることはやめましょう」と言っているのだから、宗教の勧誘は、やめたほうがいい。だって、嫌がっている人のほうが多い。人の嫌がることは、やめましょう。

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。