2024年2月6日火曜日

こまっている人を簡単にバカにできる「言葉の道具」なのだ。

問題なのは、条件を無視した嘘が、あたかも、ほんとうのことであるかのように、考えられていることなのである。

*     *     *

努力というのは、ほんとうは、「努力をした」「努力をしない」という二値ではない。これは、段階がある。頻度や量や時間が問題になる。

ところが、これまた、客観的な指標が、ないのである。もともと、「成功」というのが、なにをさしているのかわからない言葉であり、また、「努力」というのも、なにをさしているのかわからない言葉なのである。

しかし、あたかも、それぞれに「意味が決まっている」ような印象をあたえる。結果のほうからの「十分」「不十分」というのも、勝手に、その人が、そのように判断しているだけで、実際には、「十分」なのか「不十分」なのかわからないものなのである。

しかし、偽である命題を真であると思い込み、結果から、原因のほうにやじるしをのばすことに、まったく疑問を感じない人が、勝手に、「成功してないなら、努力が不十分なのだ」と断定してしまう。この断定は、あやまりだ。勝手に、自分ではない別の人のことを、判断しているだけなのだ。

もともと、努力をしたとか努力をしないということ自体が、主観的なことなのだから、いかようにも言えることなのだけど、それを、結果から考えて「努力しなかった」「十分な努力をしなかった」と決めつけてしまうことには、問題がある。

もともと、能力や環境のことを無視して、努力だけに注目して、努力をすれば、成功するということを言うことがおかしいのだ。能力のちがいが結果に影響をあたえないわけがないだろ。環境のちがいが結果に影響をあたえないわけがないだろ。努力をするのに必要な道具があるのかどうか、努力をするのに必要な時間があるのかどうかということについても、差がある。そういうことをすべて無視して、ただ単に努力のみが結果に影響をあたえるという暴論が、正しいこととして流通してしまっている。

これが問題の根本によこたわっている。

能力と言ったって、いっぱいある。能力については、いろいろな問題がある。能力というのは、はかれる能力しかはかっていない。けど、はかれる能力だけが能力なのかというとそうではないのだ。

なので、まず、どの分野において、どの程度能力があるかということさえ、ほんとうのことを言うと、決められない。さらに、環境といったって、いろいろだ。環境というのは、さまざまな要素を含んでいる。

なので、ここでも、一般的には、一般的にこういうことが結果に影響をあたえるだろうという要素をつまみだして、その要素について語るということになる。あるいは、これまた、測定するということになる。

しかし、たとえば、家族の性格……その人が属している家の、ほかのメンバーの性格というものだって、じつは、ひとことでは語れないものなのである。こういうことを、客観的に語ろうとすれば、かならず、とりこぼしがしょうじる。

努力をだけを(結果に影響をあたえる)要素として取り出し、努力不足だとか努力しなかったと決めつけることは、環境において劣位にある人や、能力において劣位にある人を、おとしめる行為なのである。「努力をすれば成功する」という言葉は、こまっている人を簡単にバカにできる「言葉の道具」なのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。