2024年2月19日月曜日

「自分だって」おなじことをさされば、できなくなるのに、それをガン無視する。

 ほんとうに、「自分だって」おなじことをさされば、できなくなるのに、それをガン無視する。「自分だって」おなじことをさされば、できなくなるのに、「おなじことをされても、自分なら、自分はできる」という前提で、ものを言ってくる。これ、能力のちがいじゃないのである。条件のちがいなのである。そして、条件のちがいがずっと続くと、能力のちがいになる場合がある。そりゃ、ずっと、やられていたら、能力をうしなうだろう。そういうことがあってもおかしくない。ずっと、きちがい的な騒音を鳴らされれば、睡眠障害になる。適切な時間に適切な時間の長さ、眠ることができなくなる。その場合、適切な睡眠能力をうしなったということになるのである。だから、できないのだけど、他人がそれを認めない。他人が考えているのは、普通の騒音なのである。きちがい家族によるきちがい的な騒音じゃない。その他人というのは、きちがい家族によるきちがい的な騒音を一秒も経験したことがない。なので、経験的に、「それが続くと」睡眠障害になるということがわからない。本人がわからなければ、「自分なら、それが続いたって睡眠障害なんかにならない」と思うわけだから、「それが続くと」睡眠障害になるということをガン無視して「できると言えばできる」とか「過去は関係がない」とかと言う。「できると言ったってできないものはできない」ということを言っても、「できると言えばできる」と言って、できないというとを認めない。「それが続いて」睡眠障害になったのに、過去は関係がないと言う。自分は、それが続いて睡眠障害になったことがないので、それが続くと睡眠障害になるということがわからないのだ。自分だって、それが続けば、睡眠障害になるのに、自分の場合は、睡眠障害にならないという前提で「過去は関係がない」と睡眠障害になった原因を否定する。睡眠障害になった原因をガン無視する。

実際、自分は、きちがい的な騒音を聞かされるということが(人生のなかで)なかったので、きちがい的な騒音聞かされずに、睡眠障害にはならなかったのである。ただ、それだけだ。もちろんほかの原因で、睡眠障害になることはある。けど、きちがい的な家族によるきちがい的な騒音で睡眠障害になった場合と、別の原因で睡眠障害になった場合はちがうのである。まあ、だから、睡眠障害だとしても、程度や理由がちがう。ともかく、実際にきちがい家族と一緒に暮らしてないので、きちがい家族がきちがい的な態度で鳴らすきちがい的な騒音は経験したことがないということが重要だ。自分が経験しなかったことにかんしては、無視できる状態になってしまうのである。自分と相手の立場を置き換えて考える力が欠如しているので、「そういうことをされれば、(自分だって)そうなる」ということが予想できないのである。実際、自分がされずに、そうならなかったので、「できる」という意味で比較優位なのである。そして、言われるほうは「できない」という意味で比較劣位なのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。