2024年2月17日土曜日

「無理なこと」なんだよ。原因について勘違いをするな!!

  理解はしないと思うけど、いちおう、説明しておく。これは、これまでに何回も何回も説明してきたことだ。けど、もう一度、説明をしておく。

たとえば、有機水銀をある一定量、摂取してしまうと、だれでも、まっすぐに歩けなくなるとする。とりあえず、ある一定量のことを限界突破量ということにしておこう。Aさんは、汚染魚を食べるまえは、まっすぐに歩けた。

けど、有機水銀が入っている汚染魚を食べているうちに、まっすぐ歩けなくなった。なので、Aさんは「まっすぐ歩けなくなった」「まっすぐ歩くことができない」と言った。

「できない」と言ったから、できなくなったのではなくて、汚染魚を食べたから、まっすぐに歩くことができなくなったのだ。何度も言うけど、汚染魚を食べるまえは、まっすぐに歩くことができた。

ところが、言霊主義者は、「できないと言うから、できないのだ」ということを言い出す。思霊主義者は「できないと思うから、できないのだ」ということを言い出す。過去無関係論者は「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」ということを、言い出す。

そして、言霊主義者は「できると言えばできる」と助言し、思霊主義者は「できると思えばできる」と助言し、過去無関係論者は「汚染魚を食べたという過去は現在に影響をあたえないので、汚染魚を食べたという過去の出来事にこだわらないようにすれば、気持ちよくすごすことができる。こだわっているからダメなんだ。こだわりを捨てて、目の前のことに集中すれば、まっすぐ歩けるようになる」と助言するのだ。

こんなの、リンチ。言葉のリンチ。

しかも、ほんとうに、彼らは、そういうふうに思っているのである。

みんな、無理なことを言っている。

限界突破量の水銀を摂取すれば、みんな……言霊主義者も、思霊主義者も、過去無関係論者も……みんな、まっすぐ歩けないようになる。

Aさんと、 言霊主義者や思霊主義者や過去無関係論者のちがいは、有機水銀を限界突破量だけ、摂取したかどうかということだ。

有機水銀を摂取して、くるしい思いをしているということをAさんが言えば、言霊主義者や思霊主義者や過去無関係論者は、「自分だってくるしい思いをしたことはある」ということを言う。これは、事実なのだろうけど、まっすぐ歩けないという症状が出てないのだから、その「くるしいこと」というのは、まっすぐ歩けないという症状の原因になるものではない。

実際、そういうことを言う言霊主義者や思霊主義者や過去無関係論者は、まっすぐに歩けのだから……。そして、これは、Aさんができないことなのである。

ちょっと横道にそれるけど、「できる」というのは、ポジティブでいいことであるけど、「できない」ということはネガティブでよくないことだという考え方をする人たちがいる。こういう人たちから見ると、Aさんが、ネガティブなことばかり言っている悪い人で、言霊主義者や思霊主義者や過去無関係論者は、ポジティブなことを言っているよい人たちだということになる。こいつも、リンチに加担している。

まっすぐ歩けなくってしまった以上、比較劣位だ。

まっすぐに歩ける人たちは、比較優位だ。

まっすぐに歩けるということだけで、比較優位になり、「えらそうなことを言える立場」をゲットすることができる。自分はできる、おまえはできない……という図式が頭のなかに成り立っている。どんな理由があろうとも、できないのであれば、それは、できないということだから、できる自分のほうがえらい」という感じ方がある。

ようするに、説教をしてもいい立場なのだ。そりゃ、できない人ができる人に「こうすればいい」と言っているわけではないので、普通に考えると、それは問題がない行為のように見える。けど、理由について勘違いしているんだよ。

そして、だれだって、限界突破量をこえて、有機水銀を摂取すれば、まっすぐに歩けなくなるのだから、同等の存在なのだ。おなじ存在なの。原因について勘違いをして、無理なことを比較劣位の人に言うということが、この人たち……言霊主義者や思霊主義者や過去無関係論者がやっていることだ。

「無理なこと」なんだよ。原因について勘違いをするな!! 


*     *     *

自分なら、そういうことがあっても、まっすぐ歩けると思っているのである。その思い込みがまちがいなのである。だいたい、自分だって、そういうことがあったら、まっすぐ歩けなくなるだろうと思っている人は、そんなことを言わない。そういうふうなことというのは、まあ、限界突破量の水銀を摂取することであり、そんなことを言わないの、そんなことというのは、言霊的な説教、思霊的な説教、過去無関係論的な説教のことだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。