2026年6月30日火曜日

●最初の感じ方のほうが、「地」の感じ方なのである■社会※2026/06/30 6:52

『タンスのカドに足をぶつけたとき、頭をぶつけなくてよかった』と思ったり、『道路でころんだとき、ころんだだけで、事故にあわないでよかった』と思ったりすることが奨励されている。

何事もポジティブに考える人の例としてあげられることが多い。

しかし、そういう場合は、そういうシチュエーションが選ばれている。

「なになによりも、ましだから、よかった」というようなポジティブ・シンキングは、使われる場所が限られているのである。

こういう例は限られている。

そして、こういう人がいるという場合も、「こういう人」……いつもポジティブに感じることができる人は実際の場面では、普通に感情がしょうじて、普通に対応していることが多い。ネガティブな感情が発生しやすい場面では、普通に、ネガティブな感情が発生している。

ようするに、いつもポジティブに(変換して)考える人がいるという確信も、確信をもっている人が「ぬけぬけ」だから、いつもポジティブに(変換して)考える人が実際にいると感じているだけなのである。

そのポジティブな人というのも、普通のことに関しては、普通に反応している。

ぬけぬけだから気がつかないだけ。

ぬけぬけだから、『自分はいつもポジティブに反応している』と思っているだけだ。ぬけぬけだから、『いつもポジティブに反応している人がいる』と思っているだけだ。

ともかく、ポジティブに変換すればいいのだと言われる場面は限られている。

そして、いつもポジティブに変換できる(と言われている)人も、いつもは、ポジティブに変換していない。

考え方を書き換えるまえの……つまりポジティブに変換するまえの感じ方があるのだから、特に、注意が向けられないことに関しては、ポジティブに変換するまえの感じ方で感じている。

元の感じ方があるということ自体が、元の感じ方で感じるということを意味している。ようするに、元の心理的な反応を引き起こす、脳みその体系(シナプスの連合)が成り立っている。

最初の感じ方のほうが、「地」の感じ方なのである。

もし、地の感じ方がまったくない場合は、精神異常者になっている。地の感じ方が弱くなっただけで、躁状態になり、躁病になる。

「ポジティブに受け止めなおせばいい」という考え方は……おさえているところは、おさえて、不愉快に感じるところを、好意的に感じるようにすればいいという考え方なのだけど、おさえているところがおさえられなくなったら、病的な状態になってしまうのである。

おさえているところというのは、もともとの感じ方を生み出す部分なのである。このもともとの感じ方を生み出す部分が消失してしまったら、問題行動のオンパレードになる。

好ましい状態ではなくなる。

ようするに、選んで言っているだけだ。

ポジティブに書き換えられそうな場面が選ばれている。

「いつも」ポジティブに考えている人が、「いつも」ポジティブに考えているというのは、幻想だ。

この「いつも」というのは、ほんとうは、「いつも」ではなくて、そうできる選ばれた場面でポジティブに考えているということを意味しているだけだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。