2017年8月31日木曜日

「人がどう思ったってかまわない」に関する考察(2) 原因帰属理論

ヒトゴトなのでどうだっていいということは、言える。しかし、ぼくは、たとえば、Aさんがほんとうは強姦してないのに、強姦魔だと「他の人から言われた場合」Aさんは、気にするだろうなと思う。Aさんにとっては、それはどうでもいいことではないと、ぼくは思う。この、自分にとってどうでもいいことだということと、本人にとってどうでもいいことだということは、ちがう。

Aさんが、「強姦してないのに、他の人から強姦したと言われてくるしい」と言ったら、それは確かにくるしいだろうなと思う。「そんなこと、気にするかな??」とは思わない。こういうことを、いちいち、ごっちゃにして言うやつがいる。

もうちょっと、場合分けしたほうがいいよ。場合分けをすすめる。しかし、こういうやつらは、「めんどくせぇ。どれだっておなじだ」と考えることが多い……みたいだ。そりゃ、ぼくの話にはついてこれないだろうぜ。

ちなみに、Aさんに向かって「くるしい」と言うからくるしくなるんだ……という言葉を投げかけるのは、良くないことだと思う。Aさんがくるしいのは、誤解されているからだ。「くるしい」と言ったからではない。

それから、Aさんが「強姦魔だと言われる状態を想像したから」そういうことが現実化したとも、思わない。これは、ぼくが作者だから、神様的な視点で「事実」を決定できる。Aさんは、かつて、一度も「強姦魔だと言われる状態を想像した」ことがない。

だから、思ったから現実化したというのは、この場合はまちがいだ。

「Aさんが強姦魔だと言われる状態を想像したから、いけないんだ」「Aさんが悪いことを考えたから、悪いことが現実化した」という言葉を投げかけるのは、筋違いだと思う。

また、「強姦魔だと言われる状態を作り出したのはAさんだ。Aさんに責任がある」とも思わない。

だいたい、ぼくは作者だから、事実を決定できる。

しかし、実際の世界では、もちろん、ぼくが事実を決定できるわけではない。ぼくだけではなくて、現実の世界では、だれもが相対的な「他者」であり、神様の視点で事実を決定することができない。せいぜい、いろいろと調べ上げて、事実はこうだったのではないかということを(共同幻想として)決定していくことしかできない。

そりゃ、目撃者の証言を聞いたり、物的な証拠とかそういうものを集めて、だれがこうした……あるいは、だれがこうしなかった……ということを決定するしかない。しかし、その決定はかりそめの決定にすぎない。最終的には、裁判で決めるしかない。けど、裁判で決めたあとも、裁判の決定がまちがっているのではないかという可能性は残り続ける。


それから、「そういう悪いことを考えたから、悪いことが現実化した。だから、悪いことは考えなければいい」とAさんにアドバイスする人は、Aさんが事前に「自分が強姦魔だと思われることを想像した」と考えているらしいけど、それは、事実ではない。

これも、作者だから、Aさんは事前にそんなことは考えたことがありませんと決定、設定できるけど、現実世界では事実として決定できない。現実世界では、Aさんが「自分はそんなこと考えたことがない」と言うしかないのである。

その場合、たとえば、「そういう悪いことを考えたから、悪いことが現実化した。だから、悪いことは考えなければいい」とAさんにアドバイスしたBさんは、Aさんが言うことを信じないかもしれない。

Bさんは「思ったことが必ず現実化する」「思わなかったことは必ず現実化しない」と強く思っているからである。そういう信念がある以上、Bさんにとっては、Aさんは強姦魔だと思われることがあると思ったことがある人でなければならない。

作者だから、Aさんは思ったことがないと決定できるけど、現実社会では、「自分はそんなことは思ったことがない」と言うAさんと、「Aさんはそういうことを思ったに違いない」と考えるBさんが、おのおの、自分の考えを言うだけということになる。Bさんのなかでは「Aさんはそういうことを思ったことがある人」なのだから……。たとえ、Aさんが「そういうことは思ったことがない」と主張したとしても。

この「思ったことは必ず現実化する」という考え方は、自分にだけ適応したほうがいい。他の人にまで適応すると、その人に対してまちがった考えを持つことになる。(まちがった決めつけをしてしまう可能性が高くなる。)しかし、「思ったことは必ず現実化する」と主張する人にとっては、それは「だれにでも」成り立つことなのである。「だれにでも」「すべての事柄について」成り立つことなのである。だから、基本的には、他人のことについてまで、事実とは異なる考えを持つ可能性が高くなる。

だから、「思ったことは必ず現実化する」という考え方は、最初から、はためいわくな考え方だと言うことができる。「思ったことは必ず現実化する」というのは、「すべてはこうだ」と決め付ける考え方のひとつだ。(実際に)そうなったのは、そうなることを考えたからだと、まちがった推論をしてしまう。(実際に)そうなった以上、そうなることを考えたのだと、決めつけてしまう。

他に原因があるのに、「考えたから」と原因を決めつけてしまう。「思ったことは必ず現実化する」と考えるひとは、すべての事柄についてそう考えるので、他の人の身の上に起こった事柄に関しても、そう考える。

だから、ジョゼフ・マーフィーも「いまのあなたは、あなたが考えたことをそのままあらわしている」と言うわけで、慈悲の心が最初からない。

いま貧乏だとしたら、貧乏になると考えたからだ。お金持ちになると考えたら、絶対にお金持ちになっている。貧乏になると考えたから、あなたが貧乏になっている。貧乏になったのは、貧乏になると考えた「あなた」が悪い。あなたが貧乏なのは、貧乏になると考えた「あなた」に責任がある。……「思ったことは必ず現実化する」という考え方を持っているひとは、貧乏な人についてこういうふうに考えるようになる。

しかし、実際には、貧乏な家に生まれたから、貧乏だという場合がある。「子供はしかたがないけど、大人はそう考えた責任がある」などと思う人もいるかもしれないけど、これは、これであとで論じる。いや、いま、言っておこう。

まず、子供は、子供であったとしても、人間だ。赤ちゃんも、この場合は、赤ちゃんであっとしても人間だ。「思ったことは必ず現実化する」と言っているのだから、子供でも赤ちゃんでも、関係がない。どうして、成人しているかどうかが、関係あるのか? そんなのは、あとだしだろ。「思ったことは、必ず現実化する」のである。例外はない。

現実の社会では、所有権が認められていて、所有しているものの差がある。親の年収や財産に差がある。ある子供が貧乏なのは、その子供が「自分は貧乏になる」と思ったことがあるからではない。その子供が、すでに貧乏である両親のもとに生まれてきたからである。

生まれつき貧乏な人と、生まれつき貧乏じゃない人の差がある。その差のほうが、「貧乏になる」と思ったかどうかよりも重要な差だ。貧乏な家に生まれた赤ん坊は「将来自分は貧乏になる」と思う前に、貧乏なのだ。そういう生まれつきの差を無視して、「貧乏になると思ったから貧乏になったのだ」と言ってしまうのがジョゼフ・マフィーと彼の信者だ。





それじゃ、ぼくは救われない。

なんかちがうと思う。
それじゃない。それじゃない。
それじゃ、ぼくは救われない。

2017年8月30日水曜日

「人がどう思ったってかまわない」に関する考察(1)……事実である場合と事実ではない場合について

だれがどう思ったっていいじゃないか」という言説について

自分で洗濯してやったことなのだから、だれにどう思われたっていいという人がいる。しかし、それは、自分が自分の意思で選択したことについだろう。これと、濡れ衣を着せられている場合はちがうのである。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。
Aさんは、自分で選択して強姦したとしよう。その場合、他の人がAさんを指さして、「あいつは強姦したんだ」「あいつは強姦魔だ」と言っても、いいわけである。

たしかに、Aさんは気にしないだろう。しかし、強姦してないにもかかわらず、強姦したと言われたら、気になるだろう。他の人が、「あの人は強姦した人だ」と思ったら、気になるだろう。他人がどう思ってもかまわないということにはならないだろう。

そういう違いがある。

けど、そういう違いに特にこだわらない人は、自分で選択したケースことであり、なおかつ事実である場合と、自分で選択したわけではなくて、なおかつ事実ではない場合というのをごっちゃにしている。わけて考えてない。

人にどう思われたって良い……というのは、それが、事実である場合だ。それが、事実でない場合は、人にどう思われても良いということにはならないと思う。

ヘビメタ騒音について、ぼくは、よく誤解される。この誤解は、ぼくにとって「どうでもいいこと」じゃない。事実である場合と事実でない場合は、わけて考えなければならない。

……続く

2017年8月29日火曜日

この世でやっておきたいことか?


この世でやっておきたいことか?
激しく散った。ヘビメタ騒音で激しく散った。
あれを~~、あれを~~やってないつもりでやったのか??きちがい兄貴!!

あれ、ほんとう、頭の中に残っている。あの時の気持ちはない。あの時、頑固に、どでかい音で鳴らしていたくせに、本人は、「(そんなにでかい音で)鳴らしてない」つもりだったのか? 頭がおかしい。親父とおなじで、自分の気持ちだけなんだよな。入学試験の前に、連続で何時間も鳴らされる身にもなってみろ。

つかれ自体が、自殺やうつ病に直接結びついているつかれ

あの人たちがやっていることは、高度なことじゃないと思うけど……。
けど、あの人たちの元気はないんだよな。

俺は、ヘビメタ騒音が中学高校とまったく鳴ってなかったら、ぜんぜん違う人生を歩んでいたと思う。学生起業家にもなっていたかもしれない。やりたいことはあったんだよ。パソコン系で儲かることだ。ヘビメタ騒音でお金をステレオのほうに使ってしまったので、パソコンを買えなかった。かりに、パソコンを買えたとしても、ヘビメタが鳴っている中でいじったら、きらいになってしまう。そういう、どす黒い、どうしょうもないものなんだよな。ヘビメタ騒音というのは。勉強どころか、好きなこともできない時間なんだよ。ヘビメタ騒音がけたたましくなっている時間というのは。そして、なんて言うのかな、好きなことをやってつかれるつかれ度を一だとすると、好きなことをやってないにもかかわらず、勉強もしてないにもかかわらず、ヘビメタ騒音にさらされているということだけで、つかれ度が一〇〇とか一〇〇〇になってしまう。そういう状態なんだよな。つまり、むだにつかれる。で、このつかれが「やりたいことをやってつかれた場合のつかれ」とちがう。「つかれ」の質自体がちがう。もう、ほんとうにヘビメタ騒音のつかれ……ヘビメタ騒音が鳴っている中で我慢して息をしているときのつかれというのは、つかれ自体が、自殺やうつ病に直接結びついているつかれなんだよ。日常の失敗やいらだちに直接結びついているつかれ、なんだよ。最初から、暗い、憂鬱な、発狂的な「つかれ」で、これは、「走ってつかれた」とか、「仕事をしてつかれた」というのとは、まったくちがう「つかれ」だ。こういうのも、きちがいヘビメタ騒音にさらされたひとじゃないとわからない。普通の人が「騒音」で空想するつかれとはちがうんだよ。「いっくら、鳴っていると言ったってそんなには鳴ってなかったんだろ」と言った人が空想する「騒音」とはちがう。騒音自体がちがうし、どうしても、さらされていると、つかれる。この不可避的なつかれはどうにもならない。この、不可避的なつかれが、原因で引きこもっている。だから、ヘビメタ騒音とおなじように、そういうことを経験したことがない人にはわからない「つかれ」だ。

ポジティブなことを言わなければならない圧力 仮面ポジダーになる

やっぱりつまんない。
元気になってくれないかな? 俺~~
元気になれ!!元気になれ!!元気になれ!!元気になれ!!

復活しろ~~
ふっかつ~~~かつかつ
ふっかつ~~~かつかつふっかつ~~~かつかつ
おれ~~復活しろ~~ 復活復活

なんか楽しくなって、人付き合いも再開しよう~~
けど、もういいや……みたいな気持ちもあるはある。
まあ、いい人だけつきあえばいいんだけどな。

あとは、なんていうのなか、ポジティブなことを言わなければならない圧力というのを感じる。ポジティブ圧力が強いんだよな。そうすると俺みたいな特殊な過去がある人間だと、やりようがないんだよ。きちがいヘビメタ騒音生活で削られた部分ってそういうポジティブな感情だから。俺だって、あったんだよ。ヘビメタ騒音にやられてズタボロになる前は、普通にあったわけ。というか、むしろ普通の人よりも強かったような気がする。それは、自分の中のやる気だけどね。やっぱり、ものを作るのが楽しかったとかそういう感じなにってくるんだよな。ぼくの場合。

やっぱり、対外向けのマスクをして、マスクド・ポジティブマンになるしかないのか? 仮面ポジダーになるしかないのか?

これ、ほんとう、ものを売ろうとするとそうなるんだよな。たいした技術がない人が「Wordpress講座」「ブログで稼ごう講座」をしてしまう時代だからな。活動内容をよくよく見てみると、たいしたことがないんだよな。けど、彼らには、ぼくにはない能力がある。それは、決まった時間に起きることができるという能力だ。これは、むかしはぼくにもあった能力なんだけど、いまはない。これが!! ものすごく重要な能力なんだよ。

一万円ぐらい取る講演会?セミナーでやっていることって、たいしたことじゃないんだよな。「そんなのは、無料のページにたくさん書いてあることだろ」と思うようなことばかりなんだよな。けど、やっちゃった人が、けっきょく勝つ。そういうところがあるんだよな。



2017年8月28日月曜日

飢餓陣営の佐藤さんは、どう思いますか?

たとえば、AさんとBさんがいたとしよう。Aさんは統合失調症で、自分の中の妄想が現実だと思い込む傾向があるとしよう。そして、Bさんは、変わった性格の上司からパワハラを受けて、うつ病になってしまったとしよう。

で、二人がデイケアで出会ったとしよう。そして、最初AさんがBさんに話しかけたとしよう。そして、Bさんは、特に会話を断る(拒む)理由がなかったので、Aさんの話しかけに応じて、ちょっとした会話をしたとしよう。二日後にAさんとBさんが会った。

Aさんは、「Bさんが自分の絵をけなした」と言っていって、手に持っているガラス製のコップを、Bさんの顔に向かって投げた。コップはBさんの目に当たって、Bさんは右目の視力を失った。……こういうことがあったとしよう。Bさんは、Aさんの絵を見たことがないので、そもそも、酷評することができない。なので、BさんはAさんの絵をけなしたという事実はない。

Bさんは、病院に訴えたが、病院は「患者同士のトラブルには介入しない」という主張を繰り返した。Bさんは弁護士のところに相談しに行ったが、弁護士はAさんが統合失調症患者だとすると、Aさんに責任を負わせるのはむずかしいという見解を示した……とする。

ぼくの意見としては、Aさんが統合失調症患者であったとしても、AさんはAさんがやったことに対して責任を負う必要があると思う。飢餓陣営の佐藤さんは、どう思いますか? 責任能力に関係なく、AさんはAさんのやったことについて責任を負うべき。法律は、Aさんと健常者の区別をするべきではなく、Aさんには健常者とおなじ罪がかされるべきだと思います。ぼくの意見は、そう。

飢餓陣営の佐藤さんはどう思いますか? 佐藤さんは、精神障害者が加害者であった場合に関しては、加害者寄りの判断をしますよね。けど、それでは、被害者のほうがむくわれないのではないかと思います。責任能力に関係なく、外面的な客観的な行為を問題にするべきじゃないですか? 「なされた」ならなされたんですよ。Aさんによってなされたことは、Aさんによって!なされたことなんですよ。

AさんもBさんも、ぼくの架空の話しのなかの登場人物で、実在する人物ではありません。だから、「とする」と書いてあるでしょう。それから、Aさんは話しのなかで統合失調症だけど、統合失調症の人はみんなAさんのような人だということを言ってないということに注目してください。これは、たとえば、Aさんが日本人だという設定でもおなじです。読んだ人が、日本人はみんなAさんのような人だと考えるのは、イ・ラショナルシンキング(非合理的な思考)です。それとおなじように、統合失調症の人はみんなAさんのような人だと考えるのはイ・ラショナルシンキングです。

ちょっと関係がない話になるけど、これが、密室の出来事だとするともっと問題が複雑化する。要するに、AさんとBさんしかいない部屋で起こったことだとすると、そもそも、Bさんが言っていることは事実なのかどうかということが問題になる。もし、Aさんが、苦し紛れに「コップなんて投げてない」と言ったら、どうなるか? さらに、そのあと、「Bさんがコップを投げた」と言ったらどうなるか? Aさんがもし、自分にとって都合が悪いことを言われると、「妄想」がはじまる人だとそういうことがあり得る。密室で目撃者がいない場合、Bさんは、こまった立場に突き落とされる。自分にとって都合が悪いことを言われた途端に、「事実ではない」と言い出す人というのは、いる。本人が思いついたことが「現実」として認知・認識されるのならば、本人は「事実として」こうだったと言い出す。そして、それは、その都度「つくられる」ことだから、全体としての整合性はない場合が多い。しかし、全体としての整合性がないということを、その人(ここではAさん)が認めるということは、ない。そのつど、矛盾したことを「真実」「事実」として語るからだ。時系列的に、矛盾点がちがうので、矛盾点を指摘されるたびに、「違う事実」が出てきてしまうというような傾向がある。だから、基本的に、「整合性のある話し」はできない。

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へこたれずに学校に通った七年間

はっきり言って、つまんない

つまんない

昨日の夜もつまらなかったけど、今日もつまんねぇえぇわ。

今日はあれをやろうとしてたんだけどな。

いろいろなんとかしないと!!!

ヘビメタ騒音がなかった場合の俺の理想生活!
はずかしくて、書けない。

ちょっと、考えるだけで、みじめになるぜ。

あの、体の感覚って、ほんとう、他の人にわからないんだよな。だから、「いま鳴ってないなら、勤められるのではないか」ということを言われてしまう。そういうことも含めて、きちがい兄貴がゆるせない。ほーーんと、ヘビメタ騒音が一〇〇〇日間続いたときの感覚を、他の人にも経験させてやりたいな。どういう「朝」になるか、経験させてやりたい。

ほんとうに、全部が全部ちがってしまった。何度も言うけど、ぼくは、ヘビメタ騒音がはじまるまでは、普通に朝起きることができた。「朝起きることができないなんていうのは甘えだ」と考える人がいるけど、それは、ヘビメタ騒音五〇〇〇日生活を経験したことがないから、そう言える……だけだ。経験したあとに言ってみろ!

たまたま、きちがい兄貴たたられずに、そういう経験がないから、いまも、「小学五年生の俺のように」朝起きることができるわけだろ。これ、ちがうよ。ヘビメタ騒音が鳴っていて、……午後一一時一一分まで鳴っていて……それでも、へこたれずに学校に通った七年間(六年と四ヶ月)が、ぼくをして、朝起きれないからだにしてしまったのだ。七年間、夜の一一時一一分まできちがいの音が鳴っている生活をしてみろ。

これ、最低でも一日に約七時間浴びた状態だから、夜になっても、眠れない。すべての睡眠リズムがゆがむ。狂う。で、そういうことを一日も経験してない人が「朝起きれないなんて甘えだ」「いま鳴ってないなら、勤められるだろというのは、ゆるしがたい。

きちがい兄貴は、そういうギャップを作るためにきちがいヘビメタを毎日、気違い的な意地で、気違い的な音の大きさで、気違い的な長さ鳴らしたわけではない。けど、そういう七年間で、俺のほんとうの体力状態と世間の人の常識のあいだに、亀裂が入った。ギャップが生まれた。

だから!! 俺は、生きにくいんだよ。佐藤さん!! まるで、「働くことの大切さがわかってないから、働いていない」とでも言いたそうだったな。ちがうんだよ。だから、ヘビメタ騒音でできないって言ってるだろ! 最初から!!!

   *   *   *

ほんとうに、ヘビメタ騒音でへんな人生になってしまったな。
ほんとうに、ヘビメタ騒音で人から悪く思われてばっかりだ。
あ~~、もう、いやだ。いやだ。

   *   *   *

ところで、「いやだ。いやだ。というから、世の中がいやなものになるんだ」というような責めの言葉があると思う。これ、ちがうんだよな。「から」がまちがっている。なにを原因かと考えるかがちがう。まちがっている。ハズレ。わかってない。




2017年8月27日日曜日

俺の思いが兄貴の脳みそに直接送信されたら

他の人はどうなんだろうな? もちろん、他の人がどう感じているかとか、他の人がどう暮らしているかというのは、ぼくには関係がない。しったところで、ぼくはその人じゃないのだから、その人が体験していることを、その人が体験しているとおりに体験できるわけじゃない。似たような体験から、だいたいこういうことを感じているんだろうなということを、導き出すしかない。

ぼくにも楽しかった経験はある。水の中に入った経験もある。友達とどこかに行った経験もある。ところで、なんていうのかな? 他人が体験していることを、その人が体験しているように感じたらどうなんだろう。要するに、脳みそが感じていることを、そのまま感じることができたらどうだ? 他の人が脳みそで感じていること……そのままのパルスを、そのまま、受信?できたらどうだ? まあ、他人の脳みそが感じていることを、そのまく受け取ることができるのなら、他人の感覚器を通して、自分が体験しているのと同じなんだろうな。

まあ、送り出すほうにも送り出す機能が必要だな。まあ、そういうのは、SFなんかでは、よくある話しだよな。完全な共感覚。思考まできたらどうだ? 感覚だけじゃなくて思考もくるよな。

たとえば、風を感じているとして、その風は、空気の物理的な運動じゃない……感じている人が「いい風だな」と思えば、いい風だし、「不快な風だな」と思えば不快な風だ。暑いのに熱風とか、へんなにおいがする風とか……寒いのにブリザード。感じるということは、思考だ。物理的な感覚だけが伝わってくるのだと、その人が感じているようには感じない。(その人って感覚を送り出すのほうの他人だけど。)

きちがい兄貴が、俺が信じているように、ヘビメタの音を感じたら……俺の思いがきちがい兄貴の脳みそに直接送信されたら……きちがいヘビメタを一秒だって鳴らすことができなくなるだろうぜ。だから、そうしたら、やつはヘッドホンをしたのだろう。ヘッドホンをすれば、俺が送り出す、不快な感じは、受信しなくて済むからな。

きちがい兄貴よ。どうして、親父の態度で鳴らし続けた。あまりにも長すぎるよ。兄貴の家での態度は、親父の家での態度とおなじで、他の人にはわからない。それこそ、経験から導き出すことができないので「そんなひとはいないのでは?」とか「ほんとうにそんな態度で鳴らしてたのかな?」と思うのだろう。だから、そういう人にしてみれば「家族で話し合えばいい」とか「お兄さんにちゃんと言えばいいのに、お兄さんにちゃんと言わなかったから、鳴らしてたんじゃないか」なんて思ってしまうわけだよ。

これは、まちがっている。知らないだけ。まちがった推論。それから、たとえば、「お兄さんにちゃんと言えばいいのに、お兄さんにちゃんと言わなかったから、鳴らしてたんじゃないか」→「この人(俺)は、そういうことを言えない人なのではないか」なんて思ってしまう人もいるんだよ。迷惑だ。

けど、あの無視の仕方はないぞ。あの無視の仕方はない。それから、どうも本人の言っていることや、当時の態度から考えて、ほんとうに「たいした音で鳴らしてない」つもりみたいなんだけど、それ自体がおかしい。親父よりもずっとおかしい。親父が常に怒り狂っていたのに、「そんなことは、一回もない」と思っているのとおなじだ。

きちがい兄貴よ、きちがい兄貴は、兄貴が一三歳ぐらいになって、「親父を無視する」と言ったときから、家族のことも無視して、家族のことはのことはどうでもいいことになっているみたいだけど……きちがい兄貴が、直接やったことで、弟が迷惑をこうむっているのに、まったく関係がない人のようなつもりでいるというのは、おかしい。

これも、親父の態度なのである。自分が絶対にいうことを聞かずに、押しつけたもので子供が恥をかいても、まったく悪いと思わない。むしろ「なんだ!!そんなの!!」と怒り狂ってしまう。

まず、自分が押しつけたということを認めてないのだけど、自分が押しつけたものが「使えなかった」というのは、親父にとって不愉快な情報なのである。もともと、買ってやりたくないから、怒り狂っている。相手がいうようには、動きたくないのである。

この場合は、ハンダゴテの金を出してやるということだ。新しいハンダゴテを買う金を要求されたということ自体が、親父にとって、パニックになるほど頭にくることなのである。頭に血が上って、爆発しなければならないような状態になることなのである。これが、親父の場合だ。

兄貴の場合は、自分が鳴らしたい音で鳴らしたいわけで、「静かにしろ」といわれたこと自体が、頭にくることなのである。で、きちがい兄貴が、気違い的なけちくささを発揮して……つまり、親父とおなじけちくささを発揮して……五分間だけ〇・一デシベル音をさげてやったとするだろ。それは、兄貴にとってはものすごい譲歩なので、もう、一分だってゆずらなくていい……音をさげなくていいという気持ちになってしまう。

けど、こっちにとっては、その譲歩は「使えないハンダゴテを渡されるような譲歩」なのである。譲歩になってない譲歩で、その五分間も含めて、どでかい音で鳴らしている。だから、「静かにしてくれ」ときちがい兄貴が五分間譲歩したあとに言いにいくわけだよ。うるさいわけだからさ。

そうすると、親父が「このハンダゴテは使えなかった」と兄貴に言われた時のように、兄貴が怒り狂って、自分が鳴らしたい音で鳴らすということにこだわりきって鳴らす。

だから、うるさいままなんだよ。

けど、きちがい兄貴は、親父と「おなじ頭」だから、「せっかく譲歩してやったのになんだ!!」という気持ちになるわけだよ。相手が「こまっている」ということを絶対に認めない。

親父の場合は「せっかくハンダゴテを出してやったのになんだ!」であり、兄貴の場合は「せっかく静かにしてやったのになんだ!」なのである。静かにしてないのに、静かにしてやったと思うことができる。

で、「静かにしたあと」に「静かにしてくれ」と言われると、親父が「親父のハンダゴテは使えなかった」と言われて怒るように怒る。ほんとう、ギャグだから。あんなでかい音で鳴らして「静かにしてやった」と思えるのは、ほんとうにギャグの世界だから。これ、ほんとうに「おやじあたま」で話が通じないんだよな。

兄貴が普段鳴らしている音は、気違い的にどでかい音だ。よその家では一分だって鳴らすことができないようなでかい音だ。そして、きちがい兄貴が静かにした音というのは、よその家では一分だって鳴らすことができないようなでかい音だ。聞き分けることができるほどの差がない。こっちの部屋にいると、音が本当に少しでもさげられたのかどうか認知することができないような差しかない。

きちがい兄貴は気がついてないみたいだけど、きちがい兄貴が「静かにしてやったつもりの音」は、兄貴の友達のカオ君が言ったように「こんなでかい音で鳴らしていて、家族の人は大丈夫なの?」思うようなでかい音だ。そういうでかい音で鳴らしておきながら、「静かにしてやった」つもりでいる。

「それじゃこまる」「そんなんじゃこまる」と言われると、親父のようにふくれて、腹を立てて、きちがいヘビメタ道具にしがみついて、親父のような勢いで、顔を真っ赤にして鳴らし続ける。きちがいヘビメタ道具って、エレキギターな。漆喰壁の六畳間にあんなでかいスピーカーを三つも入れやがって……それ自体がおかしいんだよ。

兄貴は親父のように、頭がおかしい。「自分の気持ち」しかないんだよな。「そのとき!!の自分の気持ちしかない」。やりたかったら、やりたいわけで、一分だろうが一秒だろうが「ほんとうに」ゆずるわけがない。ほんとうにゆずるというのは、我慢しなければならないから……。

ほんとうはヘッドホンをつけたくないのに、我慢してヘッドホンをつけなければならないから……。きちがい兄貴の「譲歩」というのは、そういった意味でまったく我慢してない譲歩なんだよ。「ゆずったつもり」の時も「しずかにしてやったつもり」の時も、ほんとうは、ぜんぜん譲歩してない。我慢してない。

自分が鳴らしたい音で、鳴らしている。自分が満足できる!客観的に言って物理的に言って「どでかい音」で鳴らしている。きちがい兄貴がゆずらないで鳴らしているときも、きちがい兄貴がゆずったつもりで鳴らしているときも、よそのうちでは鳴らせないようなでかい音でヘビメタを鳴らしていた。

で、自分がそうやって、こだわりきって、意地になって、毎日毎日、十年以上、やったことが、ぜんぜんわかってないんだよな。

意地になっやったことは、「(やったって)やってないこと」になっているというのも、親父とおなじでおかしい。一〇年とかそういう単位で毎日やったことが、まったくやってないことになっている。「そんなことをした日は一日もない」と思っている。三六五〇日以上やったのに、一日もやってないと思っている。

それが「そんなんじゃない」の中身だ。けどこれも、「やった」と言われたときに「否定」してしまえば、本人の中では、済んでいることなんだよ。まったく関係がないことになっている。

この態度は、「静かにしてくれ」と言われて「はねのける」時の態度とおなじだから。代入されている項目がちがうだけで、認めたくないことは、絶対の意地で認めないのである。それの繰り返し。一日に何十回でもそうする。

それを、ほんとうに、毎日毎日……一年三六五日中三六五日……やったとしてもやってないことになっている。一〇年経って、連続して三六五〇日やったとしても、一日もやったことになってない。そういう意地で、否定して、やりきる。認めないでやりきる。

その都度、「そんなんじゃない」ことにして、続行する……これが、親父の態度であり、兄貴の態度だ。

うちにいるときは、二人とも催眠術にかかったように、そうする。

そして、そうしたということは、そうしたということを認めなければならないような場面になると、おなじ強度で否定される。

で、本人が、否定したら、もう、「どれだけやってもやってない」ことになっているらしくて、ほんとうに、関係がない人のつもりでいる。ほんとうに本人のなかではやってないつもりになるらしい。「そんなんじゃない」というのは、そういう言葉だ!!

いま住んでいるところで、一日に一分だって、鳴らせないのは、きちがい兄貴が鳴らす音がでかいからだろ。

きちがい兄貴がいま住んでいる「うち」でヘビメタを鳴らせないのは、きちがい兄貴が満足できる音で鳴らすと、いっしょに住んでいる人に迷惑がかかるからだろ。それで、一日中我慢して、鳴らさないで当然なんだよな。どうして、うちでは、一日中、すべての時間、自分が満足できる音で鳴らして当然なんだよ。

しかも、耳が悪くなければ、どれだけ、親父のような性格で強弁したって……「でかい音で鳴らしている」「非常識な音で鳴らしている」ということは、わかることなのに、……ほんとうにまったく、そういうことがわかってない状態で鳴らしているんだよな。

で、その時間がどれだけ長かったか。きちがい兄貴が、こだわって鳴らした音がでかすぎる。きちがい兄貴がこだわって鳴らした時間が長すぎる。きちがい兄貴が、なにもしてないつもりで、鳴らした期間が長すぎる。きちがい兄貴が、そういうことについてまったく気にしてないのは、きちがい兄貴が、「うちでは」親父になっていたから!だ。

兄貴は親父なんだよ。

親父の態度で、鳴らしてた。親父の態度で、でかい音だということを否定していた。親父の態度で、まったく関係がない人のつもりでいた。張本人なのに!! 意地になって絶対にゆずらないでやっていることなのに、本人が「まったく!!!」やってないつもりなんだからな。

やるのは決まっている。それは、絶対に動かさない。一日に一分だって、ちゃんと時間を決めて、鳴らさないで静かにしてやるということがない。絶対に、一分だってゆずらないで毎日毎日、鳴らし切る……なのに! 本人はそうしているあいだ、まったく「でかい音で」鳴らしているつもりがない。

きちがい親父とおなじでまったく意味がない譲歩をしてやれば、「全部完全に譲歩をしてやった」と思う。そして、全部完全に譲歩をしないで……つまり、一〇〇%の時間、自分がやりたいようにやる。

自分がやりたいようにというのは、兄貴にとってみれば、自分が鳴らしたい音で鳴らすということだ。で、きちがい兄貴でなければ……でかい音で鳴らしたいきちがい兄貴ではなければ……きちがい兄貴がこだわって鳴らしている音がでかい音だというのは、一分も聞けば、だれにだってわかることだから。

地球上でただひとり、きちがい兄貴だけが!!!わからない。

きちがい兄貴にとっては、普通の音で小さい音だから、そんなのは関係がないと思っている。「鳴らすな」「静かにしろ」と何回も何回言ってくるやつのほうが、悪いと思っている状態だ。

そんな状態で、静かにするわけがないだろ。兄貴とのやりとりは、親父とのやりとりとおなじなんだよ。何万回言っても、ゴクゴク基本的なことがつたわってない。よその人が聞けば「こんなでかい音で鳴らしていいの」と思ってしまうような、でかい音で鳴らしているのに、鳴らしているあいだ、でかい音で鳴らしていると思ったことが、一秒もないんだよな。

兄貴は一秒もでかい音だと思ったことがない。

それは、言われなかったから、気がつかなかったことではなくて、何万回言われても気がつかなかったことだ。

親父だって自分が物置から出してやったハンダゴテが使えないハンダゴテだと思ったことは一秒もないんだよ。何十回説明されても、絶対に認めない。兄貴は、親父よりもひどいから、何万回、何十万回!? 兄貴が鳴らしている音がでかい音だということを言われても、認めない。

本人が認めなければ、そのままの認知が成り立ち続ける。親父の頭のなかでは、どれだけなにを言われても、エレクトロニクス工作にも使えるハンダゴテのままであるし、兄貴の頭のなかでは、どれだけ非常識なうるさい音だと言われても、たいしてでかい音ではない音(普通の音)なのである。

で、親父は新しいハンダゴテを買ってやらないことに成功するし、兄貴はほんとうは鳴らしてはいけない音をずっと鳴らし切ることに成功する。

それから、兄貴!! うちでだけ、狂うのはやめろ。よそのうちでも、うちで鳴らしていたようなでかい音で鳴らしてみろよ。一分じゃないよ。一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、毎日毎日鳴らしてみろ。どれだけ……どれだけ、注意されるか。どれだけ悪く言われるか……。

他の人が一日に何回も注意してきても「なんだ、人がせっかく静かにしてやっるのに、あとからあとかがたがた言ってきやがって」と言って、おなじ分量ずっと鳴らしてみろ。一日で、人間関係が壊れるよ。

で、きちがい兄貴はよその人の前ではそういうことが、一分だってできないんだよな。

それどころか、他の人には、「そう思われたくない」んだよな。「自分がそういう人間だと思われたくない」という気持ちがある。実は、そういう気持ちが強い。だから、俺がきちがい兄貴がほんとうにやったことをそのまま記述して送ると、「こんな、迷惑なものを送ってきやがって」と思って、よその人の前で「弟が嘘をついている」と言って平気なんだよな。

よその人に対する態度と、俺に対する態度がちがいすぎるということについて、きちがい兄貴は、ほんのちょっとでも気がついているのか?

きちがい兄貴は、「わかげのいたり」などという害がない言葉にして表現しているけど、ちがうね。若気の至りはだれにでもあることだけど、きちがい兄貴のは、だれにでもある若気の至りじゃないのである。

きちがい兄貴が親父の態度で、ヘビメタを鳴らし続けたのは、「うち」が親父の作った「うち」だからだ。きちがい兄貴が親父の態度で否定しているのは、親父という特殊な人間が影響を与えたからだ。

だれにでもある若気の至りではなくて、「うち」「親父」という要素がなければ絶対に成り立たない若気の至り?なのである。若気の至りじゃないけどね。そういうふうに、無害化したいんだろ。「若い時はむちゃをした」「若い時はやんちゃをした」というような毒がぬけた話しにしたいんだろ。そういうことじゃない。兄貴は親父のコピーだ。他の人には、親父のやってきことがわからない。他の人にはうちにいるときの親父の態度はわからない。

特に、子供が一三歳ぐらいまでの態度なんて、ひどいものだよ。頭がおかしいからな。けど、最低でも一三年間毎日毎日やったことが、まったくわかってないんだよな。親父も「そんなんじゃない!!そんなんじゃない」と言っているよ。

兄貴も、ほんとうは、こだわりつくして毎日毎日やったことなのに「そんなんじゃない!!そんなんじゃない」と言っているんだろ。い・ま・だ・に、でかい音だということを認めない。自分がこだわって鳴らした音は、よそでは一分だって、鳴らせないような……どでかい音だということを認めろよ。

何十年、否定しているんだよ。

不誠実だろ。

ほんとうにきちがい親父のように「やったつもりがない」んだよな。こだわりつくして、きちがい兄貴がやりたいからやったことなのに……。親父もおなじなんだよ。きちがい親父が怒りたいから、怒ってた。きちがい親父が怒る理由というのは、きちがい親父の中にしかない。客観的な怒る理由がない。

ほんとうは、客観的な怒る理由がないのに、うちのひとといれば、怒っていた。こんなのは、ほんとうに頭がおかしい親父の頭の中にしか、怒る理由がないんだよ。

兄貴だって、ほんとうは、ヘビメタを鳴らす理由はない。客観的な、鳴らさなければならない理由がない。ヘッドホンではなくて、スピーカーで鳴らさなければならない、客観的な理由がない。業務上どうしても音ができることをやっているわけではない。

兄貴が、静かにするつもりになれば、いくらだって静かにできることだ。親父の場合だって、客観的には、怒る理由がないことで怒っている。他の人は「へんに」思うかもしれないけど、その場面に適応した怒る理由というのがない。

けど、うちにいれば、四六時中、頭がおかしいとしかいいようがない理由で怒っていた。ほんとうに、「了解不能」なのである。よその人は「そんなひとはいない。なんか怒る理由があったんだろう」と思うかもしれないけど、頭がおかしい理由で怒ってた。

これ、八つ当たりなんだよ。ほんとうは、本人にとっても、どうでもいいことで怒っていた。だから、爆発してしまえば、それにはまったくこだわらないのである。関心がなくなる。

で、また、次のわけのわからない、理由で怒る。家族といあわせたら、親父はずっとそうやって、何十回も怒っていたんだよ。で、それがまさしく、親父が十数年間にわたって毎日やってきたことなのに、親父は、そんな日は一日もないと思っている。

(親父が、理由もなのに、やけを起こして怒り狂ってきたことを否定しているのは)きちがい兄貴がこだわってこだわって、十数年間にわたって毎日毎日やってきたことを否定しているのとおなじだ。まあ、親父がオリジナルで兄貴がコピーだから、当然か。親父のなかでは、「そんなんじゃない」ということになっているらしい。

俺はいま、兄貴にわかるように親父の例を出している。親父がオリジナルで兄貴がコピーなのだから、親父の態度は兄貴の態度と同じだということは向きが逆向きにっている。兄貴の態度が親父とおなじなのである。兄貴は自分がされたことはわかっているのに……親父の態度が異常だということはわかっているのに、自分の態度が異常だということは親父のようにわかってないんだよ。

自分の弟に対する態度が異常だということは、親父のようにわかってない。親父はもちろん、親父の(家族に対する)態度が、異常だとは思ってないんだよ。で、兄貴は、親父の(家族に対する態度が異常)だということは、身をもって知っている。

けど、自分の(弟に対する)態度が(親父のように)異常だということは、(親父のように)わかってない。無視している。どれだけ言われてもわからない、ブラックホールになっている。

どれだけ言われても、自分のことを言われているとは思えないんだよ。これは、どれだけ言われても、自分が意地になってやったことについて言われているという感覚がないのとおなじだ。ほんとうは自分が意地になってやったことなのに、ヒトゴトなのである。自分がやったことじゃないような感じしかない。

で、これ、不思議なことなんだけど、発狂してやっているときからそうなんだよ。とめられたら発狂するほど、いやなことで、意地になってやっているのに、やっている、感覚がない。とめられたら、意地になってやるようなことなのに、やっているさいちゅう、やっているつもりが、まったくない。

ほんとうに「やってない」と思っている状態になってしまう。ほんとうは、こだわってこだわってこだわって、相手が言っていることは発狂して否定して、やりきったのに、……ぜーんぜん、自分が関わっている感じがしてないんだよな。自分がやったことだと思ってないところがある。

きちがい兄貴よ!! きちがい兄貴もおなじだ。きちがい兄貴よ!! いい加減、気がつけ!!! 自分が意地になってやってきたことが、なんなのか、気がつけ!!!

いまだに、そんなんじゃないつもりなんだよな。親父が自分が過去十数年にわたってやったことを、まったく気にしてないように、兄貴は、自分がやったことを気にしてない。ほんとうに、兄貴も親父も普通の人とはちがう。

きちがい兄貴は、よそのうちでは一分だって鳴らせないくせに!!!自分がやった音はでかくないと思っているんだからな!! いまだに!!当時、そういうつもりで、ガンガン鳴らしてたんだよ。試験期間中だろうがなんだろうが、ずっとガンガン鳴らした。すべての可能な時間、特別どでかい音……よそのうちでは絶対に鳴らすことができないようなでかい音で鳴らしてきた。


2017年8月26日土曜日

うちの中にいれば、ハッピーかというと、そうではない

うむ~~、つまらない。

風呂に入った。
風呂に入ったら刺激されたのか、昨日かゆかった足首のところがまたかゆくなった。

それとも、一階に行って冷蔵庫の前に立った時点で新しくやられているのか?


なんだかんだ言って、つまんない~~
これで俺が、回転しない寿司屋に行って寿司を食ったとしよう。

「そんなふうにのんびり暮らしているなら、いいじゃない」と他の人は言うかもしれない。外から見ると、のんびり暮らしているように見えるのかもしれない。けど、こころの中は、ブリザードだ。ぜんぜん、よくない。

だいたい、外に出るのがしんどい。じゃ、うちの中にいれば、ハッピーかというと、そうではない。

この世の感じがヘビメタ騒音で「白い」んだ。

むなしく白い。不甲斐ない気持ちで不安を抱えて、ただよっているような状態で、ぜんぜんよくない。がんばって!そとに出ても、おなじなんだよ。

これ、ヘビメタ騒音にやられた人じゃないとわからないと思うけど……。どこに行っても、おなじ。普通の人の気分で言うとなんなんだろうな。大好きなお母さんが天国に行ってしまって、悲しい気分でさまよっているような気分かな。

ほんとうにヘビメタ騒音に体力をうばわれて、普通に通勤して働くということができない状態になって以来、いいことがない。からだが常にヘビメタ騒音で「しゅこしゅこ」している。不快、不愉快、不満、怒り、不安といったものが線になって走っているような状態だからな。あくまでも、「ような」だ。文学的な表現。別にほんとうに、線になって走っているわけではない。

まあ、じゃあ別の言い方をしよう。カミナリみたいな感じで、もやもやが走っている感じだ。常に、「不快、不愉快、不満、怒り、不安」がもやもやと体の中にある状態だ。くるしいのである。歩いていても、とまっていてもくるしい。

ヘビメタ騒音が鳴っている普通の日々とおなじ感じなんだよな。ずっと、終わらない。たぶん生きている限り終わらない。「医者に行け」と言われても、困る。けっきょく、七年以上やられた時点で、医者に行っても、むだ。医者は治せない。一日目に、……一日目の一〇分目に、やめてくれればいかったんだよ。一日目の一〇分目に、俺が「うるさい!!静かにしてくれ!!やめてくれ」と兄貴の部屋に怒鳴り込んだとき、やめくれればよかったんだよ。あんなでかい音で鳴らして良いわけがない。実際、きちがい兄貴は、よそじゃ「人に迷惑をかけたくないから」ヘビメタを鳴らしてない。ヘッドホンをしている。よそでは、一日中ヘッドホンをしているのに、うちでは、一分だってヘッドホンをしなかった。で、ヘッドホンをしないで鳴らすという「こだわり」が、親父のこだわりとおなじなんだよ。親父がヘンなことにこだわって、絶対ゆずらないときとおなじなんだよ。ああいうモードでゆずらずにやりきる。で、ああいうモードでゆずらないでやりきったことは、どれだけやっても、「やったこと」になってない。……これ、ほんとうにうちの人以外に言っても、絶対わからないよ。兄貴は親父にやられたことはわかっているんだよな。兄貴は、親父の態度……ものすごく頭にくる親父の態度はわかっている。けど、自分がそういう態度で、ヘビメタを鳴らしたということは、まったくわかってないんだよな。ちなみに、親父は、やっぱり、自分がこだわりつくしてやったことは、認めてないよ。これ、毎日、わけのわからないことで逆上していたんだけど、それも、「やってない」つもりなんだよ。じゃ、「やってないつもり」なら、おとなしくなっているときに、「やめてくれ」と言えばやめてくれるのかというと、そうじゃないんだよ。まあ、俺が〇歳から一三歳までのあいだで、親父が「おとなしく」している時間なんて一分もなかったけどな。俺が〇歳から一三歳までのあいだ、わけがわからない理由で、怒り狂っていたのに、そういうことをした「つもりがない」んだよ。記憶にない。もちろん、親父が、毎日、理由がないことで、怒り狂っていた。これも、常識的な人だと「そんな人いない」と思うんだよ。「理由がないのに怒る人なんていない」とかそう思ってしまう。けど、それは、その人が会ってきた人の中にはいないのだろうけど、この世にいないということではないんだよ。うちには、いたんだよ。毎日、常に、逆上していた。親と他の家族がうちにいたら、親父が他の家族に、連続的に怒り狂う……怒りをぶつけて爆発する……というのが「ふつーー」の状態だったんだよ。こういう基本的なことも、俺が「そうだった」と言っても、認めない。親父は認めない。よその人も、「そんなのはないんじゃない」と思う。毎日、本人が、逆上してやったことが、まったく、記憶にないということになっている。こういうのが、人生の基盤だと、こまるんだよ。やっているさいちゅう、本人が認めないとか、ありえないだろ。けど、そういうことが普通にあり得る。ハンダゴテで言えば、ハンダゴテが使えると言って逆上したことは、おぼえてない状態なんだよ。これは、逆上して「押し付けた」途端に忘れている。と言うか、やっているそばから、やっていることになってないんだよな。顔を真っ赤にして怒っているのに、それがわからない。「そんなんじゃない」ということになっているらしい。で、「そんなんじゃない」というときはまた、顔を真かっにして、怒り狂って、言うわけだから、際限がない。あれだけ、怒っておいて、怒ったという感覚がないみたいなんだよ。けど、ほんとうに怒って、否定している。相手が言っていることことを否定している。けど、これも、相手が言っていることを否定した」という意識はないんだよ。そういう認識は、そういうことをどれだけ熱心に、発狂してやっても、やっているそばから、「やったこと」になってないらしいんだよ。ほんとうにこまる。ほんとうにこまる。で、兄貴の態度が、いま説明したような親父の態度とおなじなんだよ。そして、兄貴の認識が……自分がやったことに関する兄貴の認識が……いま説明したような、親父がやったことに関する親父の認識とおなじなんだよ。だから、兄貴も、際限がない。そりゃ、やっているさいちゅうから「やってない」ということになっているわけだから。そして、相手がそれで困る……ということは、発狂して認めない。で、発狂して認めなかったということも、まったくないことになっているのである。そういうことの繰り返しだ。

こんなの、ほんとうにないよ。よその人は、わからない。俺がへんなことを言っているように思う……人たちがいる。これも、親父が作り出した構造のひとつだ。

(注解)回転しない寿司屋には行かないけどさ。日本近海はやばいと思うから。あとは、金か。


2017年8月25日金曜日

「晴れ晴れしい気持ちが一切合切ない」ということだけでも

ほんとう、どうしようかな。
ほんとう、ヘビメタ騒音がはじまってから、まよいっぱなしなんだよな。くるしいんだよな。ずっとくるしい。

「このさきどうしよう」という不安な気持ちで、歩いていたり、横になっていたり、立ってたり、座っていたりする。で、歩いているときは常にそういう気持ちなので、なにがしかのことをしているときもそうなる。たとえば、アルバイトに行くために歩いているときも、面接授業に行くために歩いているときもそういう不安がつきまとっている。

ようするに、気分がよくない。晴れ晴れしい気持ちじゃない。

きちがいヘビメタがはじまってから、「晴れ晴れしい気持ち」というのが、一切合切ない。それだけでも、実は、でかいことなんじゃないかと思う。

かりに、ぼくが進学や就職のことについて文句を言わなかったとしても、この「晴れ晴れしい気持ちが一切合切ない」というのは残る。恋愛、結婚ということについて文句を言わなかったとしても、この「晴れ晴れしい気持ちが一切合切ない」というのは残る。

このこの「晴れ晴れしい気持ちが一切合切ない」ということだけでも、気違い兄貴がおれにやったことは、ひどいことなんじゃないか? だれだって、そうなると思う。あの連続はそうだ。

だれだってそうなること……本人だってやられれば一日で発狂して暗い気持ちになってしまうようなこと……をずっと、何年間も、十数年間も毎日やっていて、なにも感じてないんだよな。

まあ、そういう人だから、実行できたわけだけど。そういう人だから、どれだけなにを言われても、自分がやりたいことは、一秒もゆずらずにやり通してきたのだけど……。

そして、たとえば、だれだってそうなると言ったけど、実際に経験したのはこの世でぼくひとりなわけで他の人にとっては「ひとごと」だから、なんとだって言えることなんだよな。

不安だ不安だと言っているから不安なんだ。
とか、
つかれたつかれたと言っているからつかれているんだ。
というような「責めの言葉」を言う人も出てくるわけだ。

で、その人だって、おなじ音のでかさで、ずっと毎日おなじ期間やられつづけたら、不安になると思う。人生の中で、そりゃ、ヘビメタ騒音が鳴っていたからこそ、体験してしまういろいろな不愉快な体験があるわけだから。そういう体験と切り離して、人生があるわけではないのだから……。

2017年8月24日木曜日

ほんとうに、気持ちが動かないのである

がんばって買い物に行ってきた。
暑い~~暑い~~暑い~~。

帰ってきてもやることがないなぁ。
ほんとうはあるんだけど、ちょっと目がつかれてやる気になれない。

ジュース類で金が飛ぶ~~

お弁当のそばも買ってきたよ。このあいだも買ったんだけど、たまにはいいんだよね。あとは、俺も、そのうち外こもりでもするかな。タイでもどこでもいいけどさ。

あ~あ、ヘビメタで俺の夢が全部崩れた。
体力、やる気、好きな女の子とのしあわせな生活、全部ない。

   *   *   *

これから、また、横になろう。むなしいけど、しかたがない。
むなしい。

一九歳の時、あの子とわかれて、この部屋に戻ったときとおなじ感覚なんだよな。

ほんとう、どうしよう。
やらなければならないことは、実はある。

ほんとう、気楽にすごしたい。楽しく暮らしたい。
けど、気違いヘビメタ騒音の疲労と履歴でどうにも身動きができない。まあ、体力がないのと睡眠障害はどうにもならないよ。すくなくても、いまのいままで、どれだけがんばっても治らなかった。どのみち、ズレていくんだよ。ほんとう、ヘビメタがなければ簡単にできることが、どうしても、できなくなる。何年も何年もできないままになる。そのあいだに他の人は、先に進んでしまう。

取り残された。もっとも、このあいだ書いたように、「だめだから置いていけ」という気持ちはあった。自分で自分の存在を社会から抹消したかった。実際、体が動かない。気持ちが動かない。

ヘビメタがなければ、ほんとうに、かりに高校に落ちたにしろ、大学に落ちたにしろ自分では、満足なんだよ。「やるだけやってダメだった」というのであれば、他の道を見つけることができる。他のところで、がんばることができる。(たとえ、第一志望校に受からなかったとしてもほかのところでがんばれる)。

けど、中学高校の六年間、すべて毎日とられた。これ、ほんとう一日だけぬかして、すべての日……土曜も日曜も祭日も、夏休みも冬休みも春休みも……すべての日、ヘビメタが鳴っていた。すべての日、一分もゆずってくれなかった。当然、試験前だから、午後四時から六時までの二時間は、ヘッドホンをしてくれるということもなかった。

そういうことをしてないのに「静かにしてやった」と新しい家族の前で、ウソでなく言える神経。……そういう神経が問題なんだよ。どんだけ、どけちぶりを発揮して静かにしてやらなかったかということだ。きちがい親父とおなじで、自分がちょっとでも、静かにしてやったら、静かにしてやったことになってしまう。

ほんとうは、その静かにしてやった時間!兄貴の友達が「こんな音で鳴らしたことがない」と言うほどでかい音で鳴らしていた。兄貴の友達が帰ったあとも、一分だって、ゆずってくれなかった。ちゃんと我慢してゆずってくれるということがなかった。だからゆずってない。

けど、まじめに「ゆずってやった」と思っている。兄貴の友達が帰ったあと、ずっとずっとずっと、一分もゆずらないで「よそのうちではあり得ないほどでかい音で」鳴らしているのに、「ゆずってやった」と思っている。いま「ゆずってくれなかった」と言うと「ゆずってやった!!ゆずってやった!!」と親父のように、否定して、言う。

もう、これ反射みたいなもんなんだよな。兄貴は、親父とおなじだよ。兄貴は、「自分が親父とおなじなんて信じられない」と思うかもしれないけど、全部、態度が親父とおなじだから。やっていることがおなじ。認知がおなじ。時間が経てば、嘘を言って否定することがおなじ。(しかも、本人は、嘘を言っているつもりがない。で、これは、実は反射的に否定して、頑固にやっているときも成り立っている。しくみがおなじなんだよ。よく考えてみるとしくみがおなじ。項目がちがうだけで、基本的なしくみがおなじ。関数におのおの、その時点の数字が入っているのとおなじで、関数自体はおなじ。おなじしくみで、頑固にやって、同じ組で頑固に否定する。

   *   *   *

中学高校と一日も、家で勉強でない状態で良いわけがないだろ。ヘビメタがなければ一〇〇点から九〇点取れるようなテストで、五〇点から六〇点しかとれなくていいわけがないだろ。きちがいヘビメタがなければ、パソコンでプログラムを書くことができた。趣味の読書をすることができた。世界が広がった。

それから、ちょっと言っておくけど、ダイヤ君がツーリングに行こうとか、同人誌を出そうと言ったとき、のる気になれなかったのは、ヘビメタ騒音で……累積残留ヘビメタ騒音で、うつ病になっていたから。当時、医者に行かなかったけど、相当にひどいうつ病とおなじ状態になっていた。ほんとうに、気持ちが動かないのである。きちがいヘビメタがなければ……。


2017年8月23日水曜日

こりゃ、楽しくないよな。

こりゃ、楽しくないよな。
すべてがセピア色。

ほんとうにつまらない。
けど、新しいことをしても、絶望的につまらない。

なんとかしなければ……
なんとか手を打たなければ……
ヘビメタ騒音のときとおなじだ
ほーーんとくるしかった。
全部がくるしかった。
ヘビメタ騒音で全部がくるしかった。
強烈に動きたくない状態で動いている。
気違いヘビメタ騒音のなかで、とまっている。
全部が乱れて崩れる。
だれも知らない。全部くるしい。

これから可能なこと

ほんとう、これから可能なことってなんなんだろうな????
俺の体力でやれることに限る。

ほんとうにヘビメタ騒音でくるしかった。
くる日もくる日もずっとずっと、くるしかった。

あの感じはない。
今日も、感じたんだ。
朝、コンビニまで行ったとき。
けっきょく、どこに行くにしろ、憂鬱でくるしい。
気違いヘビメタ騒音のころの繰り返し。
あの気持ちはない。
けっきょく、どこに行くにしろ、あの感じがつきまとうなら、おなじだ。あのからだの調子のまま、歩いているなら、どこを歩いてもおなじだ。どこに行ってもおなじ。行かなくてもおなじ。

ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音……ばっかり、言うな!!

ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音、
ヘビメタ騒音……ばっかり、言うな!! と言いたくなるかもしれないが、ほんとうに、この時間鳴ってた。いま、午後四時一五分。もうすでに、一五分か、二〇分聞かされている状態だ。で、ほんとうにつらいんだってば。だれも、わかってくれない。だれもわかってくれない。

いま鳴ってないのであれば、働けるとか、簡単に言いやがって。育ち盛りのとき、ずっと毎日、何時間も何時間もきちがいヘビメタを爆音で聞かされてみろ。睡眠回路がぶっ壊れて、どうしても、どうしても、決まった時間に起きれなくなる。どうしても、つかれやすくなる。どうしても、どうしても、鬱になる。ぼーっとしている時間が長くなる。

2017年8月22日火曜日

だからこそ、関係を破壊するしかない。

昨日、かなり崩壊的な疲れに襲われて、寝た。けど、なかなか眠れなかった。とりあえず、起きて、なんとかなっている。

数値か??

これね~~

昨日の夜の不安度を一〇〇だとすると、いまは、六〇ぐらいかな。
不安度というのは「この先どうなっちゃうんだろう?」「俺はこのままおなじことをして死んでいくのか?」という気持ちの度合いを表したものだ。

これ、いちおう復活して!やることが、たいしてかわらないんだよな。疲れる前とかわからないことをやっているわけ。だから、疲れたらまた、不安度が高くなってしまう可能性がある。

俺がいま現在進行系の問題を抱えていて、なおかつ、僕の批判の対象?(記述の対象)が親兄弟だというところが問題なんだよな。だから、小説として発表しているのに……。こんなの、小説にしなかったら、まずすぎる。あ~~あ。けど、実際にはフィクションではなくてぼくの人生の中で発生したことなんだよな。だから、こまっている。

あ~~。

ヘビメタ騒音なしの人生、ヘビメタ騒音なしの人生。
他の人にとっては、まさに、ヘビメタ騒音なしの人生なのだ。他の人の人生の中で、あれほどひどいヘビメタ騒音が鳴っていた時期がない。俺は一四年。しかも、人生の中で一番重要な一〇代、二〇代前半をヘビメタ騒音でやられた。

人生選択上もっとも大切な時期……中学時代高校時代という大切な時期が、すっぽり、ヘビメタ騒音でおおわれている。そのあとだって、何年間も鳴っていた。

けど、それは、やはり、中学時代高校時代をすべてうばわれた……中学時代の毎日、高校時代の毎日、……ずっとずっと、……ほんとうに毎日毎日ヘビメタが強烈にでかい音で鳴っていたということにくらべれば、たいしたことじゃないのかもしれない。

けど、そのあともずっと鳴ってたというのが、くるしいんだよな。くるしい。復活のしようがないんだよな。だから、親友とも「もめた」。これ、いかんともしがたい、問題がある。

それは、やっぱり、実際やられている俺と、他の人とのギャップがある。そりゃ、このくらいの音で鳴っていたということを言えば、そういう事実は伝わるのだけど、俺の実際の体調や鳴らされているときの気分や、前日鳴らされて、朝起きるときの気分は……つたわらない。ほんとうはつたわらない。

だから、そこで、なんて言うのかな、認知に差ができてしまうんだよな。どーしても。実際にぼくの部屋にはいってヘビメタがどれだけでかい音で鳴っているか知っている親友とのあいだにすら、認知の差ができる。ほんとうにぼくにとっては「どうしようもないこと」なんだよ。

「どうにかなってくれ」と言われても、こまるんだよ。七年やられたあとだと、困るんだよ。その七年間、ぼくがどれだけ……。ぼくがどれだけ、がんばってきたと思っているんだよ。

歯を食いしばってがんばってきたと思っているんだよ。「それは、わかる」「なにがあったか知っている」「けど、そこをなんとか」なんて言われたら、もう、そりゃ、つきあえない。ぼくにとっては、ヘビメタ騒音というのは、その時点でも(ヘビメタ騒音歴一二年目でも)そういうでかい問題だった。

ほんとうに、ずっと、何年間も毎日、自分のことのように心配してくれた相手に「どうにかなってくれ」と言われたときの、破滅的な気分がわかるか? これ、たぶんぼく以外のひとは、「そんなことで、破滅的な気分になるのかな?」と思うようなところだし「『どうにかなってくれ』『どうにか立ち直ってくれ』とも、言えないのかよ?」と思うようなところだと思うけど、なんていうのかな、無理なものは無理なんだよ。

まあ、ともかく、実際に経験した人とそうではない人のあいだにはものすごい認知の差がある。「自分だって、『騒音』を経験した。どんな状態かわかる」と言ったけど、君が経験した騒音とぼくが経験した騒音には差がある。

俺が立ち直るか立ち直らないかにかかわらず、いままで通りにつきあってくれればよかったんだよ。別に、君が先に行くことを、邪魔するつもりはない。いや、邪魔したくない。

だから、稚拙なやり方だけけど、つきあいを破壊するしかなかった。だって、君は、『先に行け』と言っても先に行かないだろうから。俺を置いてきぼりにして先に行くことはできない性格だというのはわかっていた。だからこそ、関係を破壊するしかない。

2017年8月21日月曜日

他の人がやっていることがうらやましいか??

実際には腰があがらない。


他の人がやっていることがうらやましいか??
やれるとして、おまえ(俺のこと)ほんとうにやるのかよ??
やりたいのかよ??

本当にやりたいならやってるだろ。
やってないということは本当にはやりたくないことなのではないか?

けど、うらやましい、か?
からだがよく動くひとがうらやましいか?
元気な人がうらやましいか? 特にいいことではないけど、悪いことではないということを、やっている人たちがうらやましいか?
ほんとうは、やるとしたら、いやなんじゃないか?
めんどうくさいんじゃないか。用意したくないんじゃないか。リスクをおそれているのではないか?

けど、ね。ヘビメタ騒音の前は、たしかに、自然な心の流れというのがあった。自然な感情の流れというものがあった。「やりたい」と思うことがあって、やれば、楽しかった。やる元気があった。普通にできた。


けど、それが、ヘビメタ騒音七年目辺りから、だんだん、まるでできなくなっていく。なってくる。なってきた。六年間だって……ヘビメタ騒音歴六年目までだって、地獄なんだよ。あの音に常にやられて、自然な感情の流れというものがなくなっていく。このあいだ夏祭りの夜のことを書いたけど、ああいうのが、どんどん積み重なっていく。ごく自然に積み重なっていく。

ヘビメタ騒音はたしかに僕の勉強時間を奪ったけど、僕の元気も奪った。僕の正常な感覚を奪った。僕の正常な心の動きを奪った。で、ヘビメタ騒音の日々だと……前日もやられたし、……その前々日もやられたし……その一〇〇日前もやられたし、その一〇〇〇日前もやられたし……その二〇〇〇日前もやられていたし……という状態で暮らしていると、思わぬ失敗をしてしまう。これ、自分の行為なのだから、自分の責任なんだろうけど、どれだけ注意してしも失敗してしまう。他人が関わっていることだと、やばい。ほんとうに、ひとつひとつ説明するのは、……説明したくもないけど、いろいろなことが積み重なっていく。もちろん、まずいことが積み重なっていく。

ともかく、自然な心の流れがなくなって、いまも、復活してない。「ないまま」すごしている。

*     *     *

しっかし、つまんない人生だなぁ

*     *     *

あ~~、俺は、こんなことを考えながら、ある日この世から、消えてしまうのか?

毎日毎日、ヘビメタ騒音「で」、つらかったよ。クソ兄貴。

自分の意志でつきあわないことを選んだというのとはちがうんだよ

はぁ~~
どうするかな? ヘビメタ始まってからずっと、憂鬱なんだよな。

これはやばい。
大鬱がきそうだ。

これ、ほんとう、現実がすべて、つらいものになってしまったんだよな。ヘビメタで! ヘビメタ騒音が原因で!!

けっきょく、この雰囲気か。

なんでぼくだけ!
他の人は蛇めた騒音なしで暮らしている。それがどれだけしあわせなことかわかってない。毎日の蛇めた騒音がどれだけ足を引っ張るかわかってない。鳴ってたということはわかるのだろうけど、それが持つ、ほんとうの意味がわかってない。何年も毎日、続いたときにどういうハンディになるかわかってない。

さっきまで、バス停の子について考えていた。あの子は本当にかわいかった。「あの子とつきあっておけばよかったな」と思っていた。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音でメチャクチャなんだよ。だれにもわからないだろうけど、そうなんだよ。ともかく、時間は帰ってこない。過去には戻れない。それは、わかる。ヘビメタ騒音がなく、本当に自分の意志でつきあわないことを選んだというのとはちがうんだよな。まあ、それもどれだけ言っても、しかたがないわけだけどさ。

うちでだけ、普通に精神異常者になれる人がいる。うちでだけ!!!



もう、ヘビメタ騒音で崩壊して、治ってない。ぜんぜん治ってない。直ってない、なのか? まあ、どっちでもおなじだ。なおってない。


あの『崩壊感』はない。ヘビメタ騒音六年目にもう、決定的に崩れていたんだな。修復不可能なほどつくズレていたんだな。で、その感覚というのは、他の人にはわからない。それは、たとえば、六年間毎日、あの時間の長さ、あの音のでかさで、生活を邪魔されたことがないからだ。これ、ほんとうに、すべてにたたるんだよ。

鳴らされている時間だけうるさくて困るというのではなくて、すべての時間が、絶望的に困ったことになる。平日は、午後四時から、午後一一時一〇分ぐらいまで鳴らされていた。

で、土曜日曜と増えてしまうのだけど……。土曜日曜に、鳴りやむならいいんだけど、土曜日曜に、時間が増えてしまう。鳴っている時間が増えてしまう。再起になって思ったけど、やっぱり、気違い兄貴は、あれだけでかい音で鳴らしていて、でかい音で鳴らしているつもりがまったくなかったんだなと思う。



気違い兄貴の状態は、親父の状態だったんだなと思う。これ、親父のまねをしているというのではなくて、ほんとうに親父とおなじ状態だったんだな。親父のまねなんてできない。

ま、あ、たとえば、親父のまねをして理不尽なことで怒るとする、けど、まねをして起こっている場合は、自分がやっていることがわかっている。理不尽なことで怒っているということがわかっている。理不尽なことで怒るという芝居をしているようなものだ。ほんとうは、自分がなにをしているのかわかっている。

けど、親父と脳みそがまったくおなじで、精神構造がまったくおなじなら、親父のまねをするんじゃなくて、親父そのものになれる。

で、親父そのものになって、自分の意地を通したんだな。で、親父そのものだから、命がけで自分の意地を通しても、ぜんぜん、「そうした」というつもりがない。そういうつもりが一切合切しょうじない。

だから、(兄貴には)「こだわらずにやったこと」のように思えるわけだ。ほんとうは、こだわりつくしで、一秒だって絶対にゆずってやらないという意地でやったことなんだけど、兄貴の中では「特にこだわらずにやったこと」なんだよ。

(ようするに、いまのきちがい兄貴の中では「弟がそんなに困っているとは知らなかったから気楽にやってしまったこと」なんだよ。無意識的には、弟が自分の騒音で困っていたことは知っていたし、意地になってやってたことなんだけど、本人は「特に意地になってやったわけじゃない」と思っていた。いまもそう思っている。)

いまのきちがい兄貴が「弟がそんなに困っているとは知らなかった」というポーズを取らなければならなくなったのは、兄貴の嫁さんという外部の人が存在するからだ。その人の前で、いいわけをしなければならなくなった。だから、『知らなかった』ということになっている。兄貴の意識の中で『知らなかった』ということになっている。『知らなかった』なら、しかたがないということになるから。

けど、一日目の一〇分目から、毎日毎日、何年間も何年間もずっと言われているのに『知らない』なんてことはない。逆に、そういう態度で鳴らしていたということだ。どれだけ言われたって、「親父のようにわからない」状態でやりきる。だから、本人は……本人だけは!!つねに!!!『知らない状態』が成り立つ。こんなのはおかしいけど、そういう無視のしかただ。言われなかったのではなくて、どれだけ言われてもそういうことだと認識しなかっただけなのである。何万回、何十万回言われても、『まったく知らない状態』のままやりきる。こういう毎日だ。十年以上、毎日そういう状態なんだよ。だから、ほんとうは言われている!!のに言われたつもりがないまま、やりきるという異常な状態がずっとと続く。そして、そういう状態だと、兄貴は、無限無責任状態で、やりきることができるのだから、兄貴にとっては都合がいいことなんだよ。で、そういうきたないやり方で、毎日毎日、すべての時間、自分が満足できる……よそでは一分だって鳴らせないようなでかい音で、ずっと鳴らし続けた。でっ!!! 『知らない』つもりだ。『やってない』つもりだ。

うちでだけ、狂っている。親父のマネをして、うちでだけ、狂っている。よそのひとには、一日だって、一分だって、そういうことはしないんだよ。だから、よその人は知らない。うちでだけ、親父のようにそうする。無限無責任状態ですべての時間そうする。で、すべての時間「そうしなかった」という意識を持てる。

どうして、うちだけで、狂うんだよ!! どうして、よそのひとには、一分だってできないことを、うちの人には、何時間も何時間もやって、まったく気にしないんだよ。

うちでだけ、狂うな。うちでだけ、精神異常者とか、おかしいだろ。これ、ほんとうに、こういう分野があるんだよ。いや、ないんだけどさ。ないとも、あるとも言えないのだけど、それでも、兄貴と親父はそうなんだよ。うちでだけ精神異常者で、よそじゃ、異常なことをしない。できない。一分だって、ヘビメタをスピーカーから鳴らせない。兄貴の嫁さんは、ヘビメタなんて、聞いたことがない。そういうふうに普通に我慢できるのであれば、うちでだって、我慢できるんだよ。うちでは、我慢せずにすべての時間、ヘビメタを、でかい音で、鳴らしたんだけど、……そういうふうにこだわりきって毎日毎日、やったことは、……全部、親父と同じ理屈で「やってないこと」になっている。何万回も言われたのに……一日に何回も何回も、十数年間毎日毎日言われたのに『知らない』『そんなの知らなかった』ということになっている。

で、『知らない』ということになっている『強度』が強い。これは、頑固に知らないということになっているということだ。気違いの壁がある。親父とおなじ壁だ。やり通す『頑固さ』としらばっくれる頑固さがおなじなのである。同じ強度。意地になってやればやるほど、意地になってやってないと思うわけだ。意地になってやればやるほど、どれだけ注意されても、一回も注意されたことがないという意識を維持するわけだ。頑固さがおなじなんだよ。ともかく、認めない。


2017年8月19日土曜日

カレーを食べた。 今日は腹が減ってばっかりだ。

カレーを食べた。
今日は腹が減ってばっかりだ。

しかし、さみしいよ。
さみしいなぁ。

なんだろうね。ほんとうにヘビメタで困った。あれで人生ない。

なんか楽しく暮らせればいいんだけど、なかなかそういう状態になれない。

けっこう、つらいんだよね。

だいたい、ヘビメタのことを出すと、くる人が減るしなぁ。

まだ、鳴っている感じがするんだよな。

あとは、……あのとき……あのとき。

やっぱり、ヘビメタ騒音でくるしい。

自分の金で買った包丁だから、人をさしてもいいということにはならないだろ

けど、なんというか、頭がモヤモヤでくるしい。
なんかものすごい騒音が鳴っているなかで、試験を受ける夢を見て凹んでいる。へこんでいる。もう、まったく頭が働かない。なんか、体育館みたいなところで、机とか椅子とかなしで試験を受けているのだけど、問題文の意味すらわからないようなパニック状態だ。なんか、毛布とかがあるんだよね。なんか、災害が起きたときの緊急避難場所みたいなところで、試験を受けている夢だ。

ヘビメタで本当に苦しかったな。「いいわけ」ないでしょ。毎日あんな音で鳴らされて、いいわけがないだろ。もう、死ぬよ。あんなの。俺だから、生きている。俺は自分の生にものすごいこだわりがある。だから、生きている。けど、くるしかった。全部がくるしかった。きちがい兄貴に言っておくけど、ハンダゴテ事件の比じゃないからな。きちがい兄貴がやったことは、親父がやったことよりも、何十万倍もひどいことだ。あんな、きちがい騒音をおしつけられて毎日生きていて、いいわけがないだろ。

ほんとう、常に毎日、鳴らしやがって。きちがい兄貴が静かにしてやったつもりの時間も含めて、よそで鳴らせば、一〇分で警察を呼ばれるような爆音だ。でかい音だ。

そういうでかい音で常に鳴らしてた。そんな、テレビの音やフォークギターの音まで、音をさげるわけがないだろ。自分が思った通りの音で鳴らすことに、きちがい的な意地がかかっている。親父とおなじなんだよ。

全部、異常な意地でやりきったことは、やってないことになっている。その日のうちに、まったくやってないことになっている。その日のうちに、全然関係ない人になっている。とうのその行為をやっている間、どれだけこっちが「そういうことをしている」ということを言っても、認めない。認めなければ、どれだけやってたって、やったことにならないのである。

こういう、気違い的な意地がなりっている。

常に、こういう気違い空間が成り立っている。きちがい空間で、好きなだけ、鳴らしやがって、鳴らしたことになってないのかよ?? 兄貴は親父とおなじ!! こだわってたごわって、発狂してやったことは、全部、関わりがまったくないことで、やってないことなのである。

じゃあ、ほんとうにやめてくれるかといったら、それは、発狂してはねのけて!!ない。

本当は、こだわっている。

こだわってないのではなくて、こだわりつくしている。

絶対に一秒だってゆずれない状態なのである。ゆずるわけがない。親父にとっての電球事件、自転車事件、ハンダゴテ事件と同じだ。毎日、そういう関わり合いが続く。そういう事件が続く。

やり勝ちしている方は……気違い的な意地でやり勝ちしている方は……まったくやったつもりがしょうじない。そういうことからしておかしい。「おまえが意地になってやった」とこっちが言えば、その瞬間から「そんなんじゃない!!」「やってない!!!やってない!!!」と始まる。やっているときは、どれだけ、「やめてくれ」と言っても、やっていることを否定するような意地で、やり続けたんだよ。

そういうことがわかってないというのがおかしい。全部の時間……うちにいる全部の時間……やったことがわかってないなんておかしいだろ。ほんとうに、親父も兄貴、がちゃめちゃな意地でやったことは、「やってないつもり」なんだよ。

「そんなやつ、無視すればいいだろ」ということになるんだけど、「ヘビメタ騒音」は無視できない。きちがい兄貴は、自転車事件以降、きちがい親父のことは、ガン無視だよ。発狂的な意地で無視してやがる。で、親父とまったく同じ態度で、まったくおなじことをしやがる。

これ、前も書いたけど、「カネ」はものすごく重要な問題なんだよ。きちがい兄貴は、自分でアルバイトをして買った!ヘビメタ騒音道具だから、どれだけやったっていい!!という気持ちがある。自分でアルバイトをして買ったものでやっているのだから、「他の人」に文句を言われる筋合いがないのである。

そういう感覚がある。

「うるさいから、やめろ」と言われたら、他の人に文句を言われる筋合いがないのに、文句を言われた!から、腹を立てるというところがあった。

「自分の金で買ったものでやっていることに、ケチをつけるな」「自分の金で買ったものでやっていることに、文句を言うな」というものすごい気持ちがある。

この気持ちは、発狂的に強い。

ものすごい心理的なエネルギーが投入されている。「どれだけ騒音を出してもいいわけで、文句を言ってくるほうがおかしい」という気持ちがある。けど、これは、おかしな理屈なんだよ。自分がアルバイトをして!ためた!お金で包丁を買って、人をさしてもよいのか?ということを考えれば、よくわかるはずだ。

話が違う。それとこれとは、話が違う。自分が一生懸命バイトして買った包丁で、人をさしても、いいということにはならない。自分が一生懸命バイトして買った包丁だろうが、父親の金で買った包丁だろうが、人をさしてはいけないのである。

自分の金で買った包丁だから、人をさしてもいいということにはならないだろ。

それと同じで、自分がバイトをして買ったヘビメタ道具だから、どれだけ、でかい音で鳴らしてもいいということにはならないんだよ。

けど、感情的には、自分の金で買ったヘビメタ道具だから、自分が好きなように鳴らしていいということになってしまっている。買ったときには、すでにそうなっているんだよ。きちがい兄貴の頭の中ではそうなっている。で、ほんとうに、朝から一日中鳴らしやがる。朝から鳴らせるのであれば、朝から、午後一一時一一分まで、絶対の意地で一分もゆずらないでずっと鳴らす。

そりゃ、ヘビメタが好きな兄貴の友達が驚いてしまうようなでかい音で鳴らしているんだよ。けど、そういうでかい音で鳴らしたい兄貴にとっては、「こんなのは、たいした音じゃない」ということになっている。これも、きちがい親父と同じで、いったん、そう決めたら、だれがなにを言ったって絶対に聞かない。

とくに、「うちの人」が何千回、何万回、何十万回、何百万回、絶叫して言ったって、絶対に聞かない。「うちの人」が何千回、何万回、何十万回、何百万回、絶叫して言ったって、「そんなこと、一回言われなかった」というような認知が成り立っているほど、狂っている。

ごくふつーに、言われかなかったと思っている。

「そんなの知らなかたっ」なんて、嘘を言うつもりもなく、言う。それで、平気なんだよ。それは、その回!をそうやって、乗り切ってしまえば、それで、まったく関係がない人になってしまうという精神構造のひとつのあらわれだ。

「その回」も、時間が経てば「なかったこと」になってしまう。

「そんなんじゃない!!そんなんじゃない!!そんなの言われなかった!!そんなの言われなかった!!そんなの知らない!!そんなの知らない!!なんだ!!なんだ!!」と怒り狂えば、それで、おしまいなのである。否定する。

これ、ほんとう、きちがい兄貴もきちがい親父も、言われた途端に、逆上して、相手が言ったそのことを、否定するんだよ。で、否定したらおしまいで、その否定した内容を、やり続ける。頭がおかしい。

自分がこだわりつくして、意地になってやったことを、意地になって否定する。そして、意地になって否定したということも、意地になって否定する。だから、際限がない。終わりがない。いつも、やり勝ちだ。やっている!! けど、「本人は、やってない」と思っている。「やってない」と思いながら、やっている。やっているに決まっているだろ。どれだけの意地がかかっているんだよ。やりきること、に、死にものぐるいの意地がかかっている。だから、こだわってないわけでもないし、やってないわけでもない。けど、本人は、発狂して、相手が言ったことをはねけて、やり続ける。そうやってやったことは、本人にとっては「やってないこと」か、あるいは「やってないこととおなじこと」なのである。言いがたいけどそうだ。

鳴らしていることはわかっている?……たぶん、わかっているのだけど「でかい音で鳴らしている」ということは、たぶんわかってないという状態だ。そこのところをずらしてしまえば、どれだけやったって「やってない」と思える。……けど、親父と同じで、代入されている項目が違うだけで、音の大きさをずらさなくても、こだわりつくしてやっているとことが、わかってない?というところがある。項目が違うだなんだよね。

やりたいときは、相手が言ってくることを、受け入れる前に……認知認識する前に?否定してはねのける。そして、やったあとは「やった」ということを、受け入れる前に……認知認識する前に?否定してはねのける。反射みたいな感じ。実際には反射反応じゃないのだけど、ちゃんと思考回路(大脳)を経由しているのだけど、そのとき「ちゃんと認めている」わけじゃないんだよな。認めずに、はねのけている。で、はねのけ方が、異常なんだよな。怒りの反応であるわけだから。そうやって、逆上して否定することは、自分がやりたいことなのである。意地がかかっていることなのである。

2017年8月18日金曜日

五分間でも静かにしてやったら、一日中静かにしてやったのとおなじだ



兄貴よ! たとえば、ハンダゴテ事件のとき、親父が「ハンダゴテなら用意してやった」と言ったらどう思うよ? そういうことは、言わなかったけど、親父にしてみれば、相手が「これは使えない」というものを押し付けることが「譲歩」の内容かもしれないんだぞ。

「最大限の譲歩」の内容かもしれないんだぞ。「使えないハンダゴテでも、用意してやったら、ものすごいことなんだよ。ものすごく譲歩してやったということになる。親父のなかではな!!
だから、親父は「ハンダゴテなら用意してやった」と自信を持って言うことができる。「だから!!そのハンダゴテが使えないハンダゴテだから、そういう使えないハンダゴテを用意してもらっても意味がないから困る」とどれだけ言っても、まるで通じない。『使える』『使えない』――『大丈夫だ』『大丈夫じゃない』と絶叫し合うようになる。実際ふたりともめちゃくちゃに怒っているので、罵り合いのようになる。それでも、親父のほうが強いから、親父が「だめだ」と言ったら「だめ」だし、『使える』と言ったら『使える』ということになってしまう。そういうふうに、押し切れらてしまう。兄貴は当時、子供だから。中学一年生とはいえ、自分でアルバイトをして金を稼ぐ訳にはいかないから、金が関わることに関しては、親父を通さなければならなくなる。
そんなの、「父親を通さないで母親にどうにかしてもらえばいいだろ」と思うかもしれないけど、母親が子供にものを買ってやると、「どうして、そんなものを買ってやった」と言って、怒り狂うのである。これ、もう、顔を真赤にして、「そんなもの買って!うちにあるのに!!」と絶叫して、絶叫して、怒り狂ってしまうのである。実際、ハンダゴテ事件の前に、そういうことが連続してあったんだよ。だから、お母さんが「そういうことは、お父さんを通して」「お父さんに直接、言って」と兄貴に言ったんだよ。そんなの、母親に言って済む状態だったら、親父の方に言いに行くわけがないだろ。親父のところに言いに行ったら、かならず、ハンダゴテ事件のような目に遭わされる。これ、もう、きまっているんだよ!! きまっているということが、親父と世間の人にはわからない。

ともかく、親父は、自分が用意してやったハンダゴテが『使えないハンダゴテだ』ということは、死にものぐるいで認めない。ほんとうに、大げさじゃなくて、死にものぐるいなんだよ。

ともかく、認めない。


だから、使えないハンダゴテを学校に持っていくことになるわけだろ。兄貴だって、「こんなハンダゴテは使えない」と思っているのに、きちがい親父が発狂して「使える使える使える」と激しく主張するからしかたがなく持っていく羽目になる。

けど、これ、「使える使える使える」と言っておしつけた途端に、「使える使える使える」と言ったことになってないんだよ。おしつけに成功したら、その途端に、忘れてしまう。自分が血相を変えて、怒鳴って、怒鳴って、怒鳴りつけておしつけたということを忘れてしまう。

忘れるというよりも、まったく関係がない人になってしまう。

兄貴が「このハンダゴテは使えない」と言って、親父が「使える使える使える」と言ったという事実が、まったくなかったことになってしまう。そういう状態なんだ。

そういう意味で、相手に関心がないんだぞ。

うちの人に言われている限り、何万回繰り返しても、おなじなんだよ。一回目の反応と二万一回目の反応がおなじ。ハンダゴテの場合は二回目しかなかったけどな。二回目も「使える使える使える」と言って、「使えなかった」ということを否定する。

親父のなかでは「使えるつもり」なのである。

で、この「使えるつもり」というのが、何万回言われても、ひっくり返らない。それは、もとの、親父の無意識的な要求が、金を出したくないだから、そうなる。新しいハンダゴテを買うのが嫌だから、親父のなかで、親父が渡したハンダゴテは使えるということになっているのである。

この、ハンダゴテを買ってやらなければならない状態が変わらない限り、親父が(親父が渡した)ハンダゴテが使えないということは、認めないんだよ。それは、事実に関係なく、何万回言われても変わらない。

兄貴の「静かにしてやった」は、こういう場合の「用意してやった」とまったくおなじだ。きちがい兄貴が「静かにしてやった」つもりの時間、実は静かになってない。きちがい兄貴が「静かにしてやった」つもりの時間、顔くんが驚くようなでかい音で鳴らしている。

でかい音で鳴らしているのに、本人は「譲歩してやった」「静かにしてやった」と思い込むことができる。

で、相手が、どれだけ、それじゃ静かになってない」「それじゃ、譲歩になってないから困る」と言っても、絶対の意地で認めない。自分のなかで「譲歩してやった」「静かにしてやった」ということになっていれば、自動的に実際に「譲歩してやった」「静かにしてやった」と思っているのである。爆音で鳴らしたまま、「譲歩してやった」「静かにしてやった」と思うことが可能だ。

親父が、ハンダゴテが使えないということを、認めないのと同じだ。依然、うるさいままなのに、うるさいままだということを、絶対の意地で認めない。親父と兄貴は、そういうところが、そっくりおなじ。

全部おなじ。

相手が、どれだけ、「それじゃ、まったく静かになってないから困る」と言っても、本人が静かにしてやったつもりなら、よそのひとが驚くような爆音で鳴らしていても、静かにしてやったことになってしまう。で、一分でもそうしてやれば、全部の時間そうしてやったのとおなじなんだよ。

まあ、全部の時間、兄貴が静かにしてやったつもりの爆音で鳴らしても、爆音で鳴っているから困るわけたけど、兄貴が静かにした時間、本当に静かにしたとしても、それが、一日に五分間で、あとの一三時間はずっと鳴っているという状態だと、一三時間は鳴っているわけだから困るんだよ。

夏休みなんて、ほんとうに一四時間近く鳴らしやがって。一三時間四五分が、一三時間四〇分になっても、困るんだよ。そういうのもまったくわかってないな。

「五分間静かにしてやれば、もう、じゅうぶん静かにしてやったのだから、これからはどれだけ鳴らしてもかまわない」という気持ちになって、一二時間、入学試験の前にどでかい音で鳴らされたら、困るんだよ。一三時間四〇分、夏休みの模試の前に鳴らされたら困るんだよ。五分静かにしてやったということは、「一日中、静かにしてやった」ということを意味してない。

けど、気違い兄貴のなかでは、「静かにしてやったのだから、静かにしてやった」ということになってしまう。「五分間でも静かにしてやったら、一日中静かにしてやったのとおなじだ」ということになってしまう。だから、まったくなにも気にしてない状態ができあがる。一二時間五分、兄貴の友達のカオ君がびっくりするような異常な音で鳴らしているのに、「一日中静かにしてやった」と思っている状態ができあがる。


ともかく、おわらない。

なんとか生きている。
なんとか~~~

体調はあんまり良くない。

シンクの掃除をした。なんとかやった。あとは、なんとか、ご飯を食べている。食べた。ご飯を食べるのがたいへんなんだよ。そういう体力だから、食後、歯磨きをしないで寝てしまった。まあ、ビオフェルミンをなめたので、それほど、歯に悪影響を与えていないと思うけど。

騒音生活が体にしてみていて、やはり、つらい。思い出すのは、あんとき、のことばかりだ。どうしても、からだの感じとしてあの頃の感じが復活してしまうときがある。というよりも、つねに、あの頃のからだの感じで生きている。ヘビメタ騒音が毎日一三時間続いた冬休みからだの感じだ。試験前の冬休みに俺がどれだけ!!どれだけ!!どれだけ!!どれだけ!!言っても、絶叫しても、絶対に、静かにしてくれなかった。あれで、静かにしてやったと思っているんだからな! そういうのが、腹立たしい。ともかく、おわらない。




死ぬかって気持ちになる。そのあと、「なんで俺が、死ななきゃならないんだ。死ぬのはやつだ」と思う。そういうことの繰り返し。

2017年8月16日水曜日

『蓄積』『堆積』という説明のしかたを、当時は思いつかなかった

やっぱり、つまらない。
つーーまーーらーーなーーいーー。

がんばってもつまらないな。

やっていることが遅いんだよな。
やっと兄貴の態度を説明することができた。
けど、遅い。それから、なんて言うのかな?

もう、選択肢がない。
やっぱり、これはおかしいな。満足できない。
不満を持ったまま死んでいくのか?
長すぎる。どんだけ長かったか。

他の人にはわからないことなんだよな。そこで、対立が生まれる。親友とも対立が生まれた。本気で何年間も毎日心配してくれた親友と、やはり、ヘビメタ騒音を巡って対立が生まれる。

親友としては青天の霹靂で、突然、言われた感じがしているんだろうけど、その前に、「立ち直ってくれ」――「無理だ」というやりとりがあった。何回もね。俺が「無理だ」と言っているのだから、無理なんだよ。

あの時は、うまく言えなかったのだけど、蓄積がある。ヘビメタ騒音の蓄積がある。あの時、まるまる荘(まるまるアパート)に出て、親友からすれば、もうヘビメタがないと思っていたらしいけど、帰ってご飯を食べるとき、常にヘビメタが鳴っていた。自分の人生を破壊したヘビメタ騒音が鳴っている中で食べる飯がどれだけ、腹立たしいものかわかるか? 風呂に入っている時間もずっと鳴らされた。うちに帰ったときは、ずっと鳴っている時間なんだよ。経費削減のために、夜飯だけは、家で食べるようにしていた。

で、まるまる荘の部屋に、冷蔵庫がなくて、ものを冷蔵庫に入れて保存するというのができなかった。朝飯昼飯抜きで、夜飯だけ、食いに行ってた。(帰ってた)。くるしかったな。気違い兄貴は、どうして、俺がアパートを借りたのかわかってない。

さんざんもめているのに、毎日毎日、一〇年以上もめているのに、※まったく※わかってないんだな。この、まったくわかってない、というのが親父とおなじなんだよ。まったく関係がない人のつもりでいる。それで、どれだけ注意されても、絶対に自分が鳴らせる時間は、どでかい音……自分が鳴らしたい音で鳴らしまくる。絶対に、一分だろうが一秒だろうがゆずらない。ほんとうはゆずらない。ゆずらないのだけど、これも親父とおなじで、ゆずってやったと思ってる。頭がおかしいから。

気違い兄貴のゆずったというのは、おやじのやってやったというのとおなじ。気違い兄貴の『静かにしてやった』というのは、親父が『ハンダゴテなら用意してやった』というのとおなじ。

まったく意味がない譲歩。まったく意味がないことを『やってやる』ということになる。相手にとってまったく意味がないということは、相手が一〇〇万回説明しても、まったくなにもつたわらない。日本語がつたわらない人みたいにつたわらない。

で、頑固にやる。そして、矛盾しているように聞こえるかもしれないけど、まったくやったつもりが生じない。頑固にこだわりきって、ビタイチモンゆずらずに、自分がやりたいことをやるのだけど、本人はまったくやったつもりがないという状態ができあがる。逆に『譲歩』は、ほんとうはまったく意味がない譲歩なんだけど、本人は、完全な譲歩してやったつもりになる。

で、これまた、『そんなんじゃ、譲歩になってない』『そんなんじゃ、やってもらっても困る』ということを言っても、気違い的な意地で認めないんだよね。一切合切つたわらない。全部毎日おなじ。一度そうなったら、「うちにいるかぎり」何十年でも毎日、そうなんだよ。

で、やりたいようにやるわけだけど……すべての時間やりたいようにやるわけだけど……本人は、すべての時間ゆずってやったと思っている……あるいは、すべての時間やってないと思っている……そういう状態なんだよな。

実際にヘビメタ騒音を経験した人じゃないとわからないのだけど……「つもる」。蓄積していく。堆積していく。親友に「もう、鳴ってないのだから、立ち直ってくれ」といわれたとき、俺は、一〇年間毎日つもっていて、限界だった。あしかけで言えば、一一年目だ。ほんとうに、死にたい。あれ、限界だったんだよ。「なら、そう言えばいいだろ」と思う人もいるかもしれない。

けど、『蓄積』『堆積』という説明のしかたを、当時は思いつかなかった。自分でもヘビメタ騒音にさらされる時間が短くなったのだから、どうにかなるはずだとは思っていた。けど、限界だった。一〇年間※つもって※、もうだめな状態になっていた。

リターン可能ポイントをはるかにこえてしまった。リターン可能ポイントって、普通の人間で一年間だと思う。それをこえたら、もうだめだ。そのあと鳴りやんでもダメだ。一年つもったという、事実が重すぎる。一年間のうちに浴びた毒の総量が、限界をこえてしまっている。『治る』限界をこえてしまっている。だから無理だ。

これも、俺とおなじ音量で俺とおなじ時間の長さ、俺とおなじ期間の長さ、気違い兄貴のような態度で、ヘビメタ騒音にさらされた人じゃないとわからない。気違い兄貴は、ほんとうに「なにもやったつもりがない」んだよ。それは、鳴らしているときからそうだ。鳴らしている最中も、そうだ。鳴らしている最中、どれだけ言われても、「なにかまずいことをしている」という認識がまったく生じない。

親父と同じように、頑固にやっているときは、親父と同じように、まったく、やっているつもりが生じない。兄貴の友達に「こんなでかい音で鳴らして大丈夫なの」と聞かれても、自分がでかい音で鳴らしているという認識がまったく生じない。『こんなのたいした音じゃない』という認識のまま、鳴らし続ける。『たいした音じゃないから大丈夫』という気持ちのままやり続ける。自分が鳴らしている音が異常にでかいということを、絶対に認めない。それは、でかい音で鳴らしたいから、絶対に認めない。

就活の前に、終活か。

就活の前に、終活か。
まじ、で、俺の人生、そんな感じ。

ほんとうにヘビメタ騒音がはじまってから、ずっとくるしい。
くるしいだけ。くるしい思い出しかない。

発狂的な意地でやったことに関しては、まったくやったつもりがない


なんとか、強烈に鬱な状態から、抜け出した。

しかし、目がつかれて、頭がモヤモヤしているのはかわりがない。やはり、ヘビメタ騒音と気違い的な兄貴の態度を考えてしまう。あんだけ腹が立つ態度で、ヘビメタを鳴らしたやつはいない。あんだけ腹が立つ態度で、騒音を鳴らすやつは、この世にいない。気違い兄貴よ、気違い兄貴は、常に、親父の態度に腹を立ててきただろ。親父がとりつかれたように、意地を張って、怒り狂ってなにかをやっているときに、「なんでこいつはこうなんだ!」と思っただろ。腹が立っただろ。親父に関わった分だけ、腹が立っただろ。親父が、気違い的な意地でなにかをやってゆずらなかったとき、殺したいほど腹が立っただろ。気違い兄貴の態度というのは、あの時の親父の態度とおなじだ。しかも、親父は、そうやって、強引にやったのに、「やった」ということを認めない。その、強引にやったのに、「やったことを認めない」という態度もそっくりだよ。あんな理屈、あんな態度で、ヘビメタを鳴らす人なんて、いない。この世にいない。おかしい。

「親父がとりつかれたように、意地を張って、怒り狂ってなにかをやっているとき」と書いたけど、なにかというのが、迷惑行為なのだ。これは、一〇〇%迷惑行為で、そうされると困るとというものだ。相手は、親父の迷惑行為で困っているのである。けど、親父は自分の気持ちだけで、相手が困っているということを、これまた「強引に」認めない。認めないで発狂する。怒り狂って認めない。それが、普通の状態だ。だから、きちがい親父がなにかをやる気になってやり出すと、それがどれだけ迷惑な行為であろうとも、「やめさせる」ということができないのである。やめさせようとしたら、殺し合いになる。どれだけ言っても、絶対の意地で無視してやりきる……これが、普通の状態。他の人の常識だと、困るのであれは「困るからやめて」と言えば良いじゃないかということになる。「お父さんだって『困るからやめて』と言えばやめてくれるよ」と言ってくる。常識的な人のうちなら、そうなのだろうけど、「うち」はちがう。そんなのが通ったことがない。親父がやり出したら、止めることができない。これ、やりきってしまえば「やってない」思って「やってないやってない」と騒ぎ出すわけだけど、やっているときに、「やめてくれ」と言われたら、顔を真っ赤にしてあぶらあせをかいて、目を三角にして、からだをこわばらせて、頑固にやる。発狂的な意地でやるのである。けど、発狂的な意地でやったことに関しては、まったくやったつもりがないのである。つもりだけが、いつもしょうじない。で、発狂的な意地でやったことを「やってないやってない」と否定するとき、親父としては、ほんとうに「やってない」つもりなのである。こういう、やまいだ。で、兄貴も、そうなんだよ。兄貴のヘビメタをやり方というのは、親父のへんな行為のやり方とおなじなんだよ。で、兄貴も、発狂的な意地で絶対にゆずらないでやったことは、「やってない」つもりなのである。全部おなじ。で、兄貴は、親父がやったことに関しては知っているけど、自分(兄貴自身)がやったことに関しては、親父のように、まったく知らない。親父のようにまったくわかってない。親父のようにまったくわかってない状態というのを、死ぬまで永遠に維持している。だから、話しあいは成り立たない。成立しない。話しあいが成り立つなら、そもそも、やっているときに話しあいが成立して、とめることができる。やりきったあと「やったかやってないか」を話し合っても、むだ。やりきられたら、その時点でおしまい!!

2017年8月15日火曜日

騒音サイコパス 20を出したんでよろしく~~

騒音サイコパス 20を出したんでよろしく~~

「一日中、ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気しかない。
どうしても、うまくいかなかった。
ヘビメタ騒音のなかで、もがいたけど、どうやっても、無理だった。
悪い方向に話しがいった。」
という話しです。

全巻、ブックデザイン、エイリです。



ヘビメタ騒音で苦痛の人生だった。

つまんない。どうしてこんなことになっているんだろう?
ヘビメタ騒音で苦痛の毎日だった。
ヘビメタ騒音で苦痛の人生だった。
それだけ。ほんとう、それだけ。

やっぱり、なんだかんだ言ってつらい

ヘビメタ騒音のことを考えて、破滅的な気分になったが、なんとか、野菜スープで持ち直す。やっぱり、体調がすべてだな。

いや、女の子のことを考えると落ち込む。むなしい。いろいろあったんだよ。全部、ヘビメタ騒音で、めちゃくちゃだけど。なんか、うらまれている感じがする。(あいてにしてくれなかった)みたいな感じで。

実は、お返しをしてないのがひとつある。ヘビメタ騒音でそれどころじゃなかったというのが理由なんだけど、その人からみれば、ヘビメタ騒音のことなんて、みえないからな。

やっぱり、なんだかんだ言ってつらい。


2017年8月14日月曜日

まあ、ともかく、自分のからだでためしてみる

もともとからだの調子が悪いので、野菜スープとダイエットを両方始めたのは、良くないかもしれない。
もともとからだの調子が悪いと書いたけど、これは、ぼくの特殊な理由でそうなっている。他の人にはない理由なので、なんていうのかな、他の人の参考にならないかもしれない。

まあ、ともかく、自分のからだでためしてみる。

腹が減った状態を二、三時間維持することが、いいことなのか悪いことなのかわからない。

ヘビメタ騒音のことを考えちゃうんだよな。ヘビメタ騒音がガンガン鳴っていて、勉強することがまったくできなかった時間について考えてしまう。そういう時間が、一日に約七時間から約一四時間続いてた……普通に続いていた日々について考えてしまう。


2017年8月13日日曜日

細かい記憶が襲ってくる。

暑くなってきた。

いままで、涼しかったのにな。

あーあ、こういう日々だよ。
ヘビメタ騒音のことで頭がいっぱいだ。

細かい記憶が襲ってくる。
ヘビメタ騒音がベースにあるけど、他人が関わっているものがあるんだよな。それが、くるしい。

書かないけど、借り物をしたときのことが、頭に浮かぶ。その人とその人の弟が関わっている。その人が、たまたま、弟の自転車に乗ってきてたんだよな。

ヘビメタ騒音が鳴っているとどうしても、忘れ物が多くなる。ヘビメタ騒音で朝からズタボロなのに、そういうところで、またトラブルが発生する。家に帰れば、気違い兄貴がヘビメタを鳴らしているから、ヘビメタ騒音のなかで、トラブルに対処しなければならなくなる。

話しあいで済むなら、一日目に済んでいる

相当にだるい状態で横になっていた。
小便に起きるのがやっとというような状態にもどってしまった。
一日中、寝ていた。

世間は盆休みらしい。

この苦しさ。だるすぎる。

買い物に行けなくなっちゃうんだよな。
寝ている間、兄貴の態度について考えていた。それからぼくの経験した地獄について考えていた。「やっぱり、神様がまちがっている」と何回もこころのなかでつぶやいた。神がいるなら、気違い兄貴のヘビメタ騒音があんなに長く続いてしまうはずがない。神がいるなら、気違い兄貴が、生きているはずがない。

ほんとうに、兄貴の態度は親父の態度そのもの!! 悪いときの親父の態度そのもの。親父が気違い的な意地で、悪いことをするときの態度そのもの。発狂して、やりきる。けど、これがまた、気違い的な意地でやったことを認めない。その、気違い的な意地でやったことを認めないということが、似すぎている。

気違い兄貴よ、気違い兄貴は、常に、カオ君(ヘビメタが好きな、兄貴の友達)がおどろくようなでかい音で鳴らしていた。気違い兄貴が「ゆずったつもり」の音で鳴らしている時も、よそのうちでは一分ですら鳴らせないようなでかい音で鳴らしていた。いい加減気がつけよ!! 気違い兄貴のせいで、友情も結婚も就職も、なにもかも、めちゃくちゃだよ。

気違い兄貴は、きちがい親父のせいで!!!きちがい親父がわけのわからない意地を張って、わけのわからないことをするから、ひどい目に遭ったということがあっただろ。きちがい親父のこころの中にしか、理由がないんだよ。

きちがい親父がそうするからそうしているだけのことなんだよ。きちがい親父が意地を張ってやるから、やっていることなんだよ。

その、きちがい親父が意地を張ってやっていること、あるいは、意地を張って認めないことで、(兄貴が)どれだけいやな思いをしてきたか、(兄貴は)知っている。自分のことなのだから。

気違い兄貴が俺にやったことは、きちがい親父が意地を張ってやったこととおなじなんだよ!!! ある意味、きちがい親父より、ひどい。そういう態度、そういう意地だ。「やってない」「そんなにやってない」なんて、よく言えるな!!

そういう発言や、そういう発言をするときの態度が!!! きちがい親父とおなじ!! そっくり!! うり二つ!! 完全なコピー。

きちがい親父にやられてくやしかったことを、俺にやり返している!!

親父とおなじやり方でやり返している!!

だから、よそのうちでは一秒だって、あんなでかい音で鳴らせないんだよ。よそのうちでは、自分が鳴らそうしている音が、「ゆるされないほど」でかい音だということを知っている。

よそのうちで、あんな音で鳴らしたら、一〇分で警察を呼ばれる。そういうでかい音で鳴らしているの「こんなのたいしたことがない」「こんなの、フォークギターぐらいの音」と思い込んでいる!! うちではな!!

この「思い込み」が、とれないだろ。よそのうちに行っても、「うちでやったこと」に関しては、当時やったときのままなんだよ。いい加減、「よそのうちでは鳴らせないようなでかい音で鳴らしていた」ということを、認めろ。

これも、親父のように、すっとぼけて否定するわけだろ。顔を真っ赤にして目を三角にして否定するわけだろ。「そんなんじゃない!!」「そんなんじゃない!!」「そんなでかくない!!!そんなにでかくない!!」。

本人が、興奮して「そんなんじゃない!!」「そんなんじゃない!!」「そんなでかくない!!!そんなにでかくない!!」と言ったら、それで!!終わってるんだよな。

これ、ほんとうに困る!!
毎回これだから、何十万回繰り返してもおなじなんだよ。

うちにいるときは、そういうつもりで、一秒もゆずらないでガンガン鳴らす。それがあたりまえだから、そうする。うちにいて、鳴らしているときに、「でかい音で鳴らすな!!」「静かにしろ!!」と言われたら、「そんなんじゃない!!」「そんなんじゃない!!」「そんなでかくない!!!そんなにでかくない!!」とこころのなかで思って、目を三角にして顔や真っ赤にして、無視して!!!鳴らし続けたのが、気違い兄貴だ。

親父とおなじで三パターンあるんだよな。
(1)目を三角にして、顔を真っ赤にして無視して鳴らす。
(2)「わかったわかった」と言って、まるで役に立たない譲歩をして、「ゆずってやった」つもりになって、頑固に鳴らす。
(3)「がたがた言ってくるともっと鳴らすぞ」と怒り狂って頑固に鳴らす。

(1)、(2)、(3)で、音量の違いがない。毎日それだ。だから、困っているんだよ。これ、ほんとうに、「本人が」無視してやったことは、どれだけ頑固に執着して、しつこくしつこく、ずっとやったことでも、「まったくやってないこと」になっているんだよな。

こういうことを、やり続けたやつと、話しあいなんてできるわけがないだろ。話しあいで済むなら、一日目に済んでいる。

2017年8月12日土曜日

ファイトケミカルで健康を取り戻そうと思う。

ファイトケミカルで健康を取り戻そうと思う。

しかし、いま、ちょっと、頭にもやがかかっている状態だ。問題があるな。どうしたもんだ。

一四年間のヘビメタ騒音でズタボロになった身体をちょっとでも良くしたいと思う。ちょっとでも、良くなればいいや。

ビタミン剤よりも効くらしいし、理にかなってる。

ドクターペッパーを買いに行くかどうか迷っている。
どうしようかな。さっきまで、実は、ヘビメタ騒音のことで怒っていた。「あれはない」「あれはないぞ」と絶叫してしまうような状態が長く続いた。ズーーっと続いた。

これ、ちがうんだよな。

経験したことがあると人と経験したことがない人では、これに関するそもそもの認識がちがう。だから、ぼくと他の人のあいだに認識の差ができる。他の人はヘビメタ騒音を経験したことがない。ぼくとおなじ音量で、ぼくとおなじ期間の長さ、ぼくとおなじ時間の長さ(一日のなかでの時間の長さ)経験したことがない。

そりゃ、なんかの音で「うるさいな!いいかげんにしろ!!」と感じたことはあるかもしれないけど、それは、家の中で経験したヘビメタ騒音とはちがう。ぼくが経験したヘビメタ騒音とはちがう。

ほんとうに、長すぎる。いっくらなんでも長すぎる。あれで、「まったくつもりがなかった」のかよ? (兄貴は)でかい音で鳴らしているという認識がなかったのかよ? (兄貴はそういう認識が)いまもないのかよ?

だから、そういう気違い的な感覚で、気違い的な認識で、絶対の意地で、自分の気持ちを通してヘビメタ騒音鳴らしてきた。「つもりがない」というのは、別に矛盾してない。

頑固に、気違い的な意地で鳴らしているあいだつねに「つもりがない」状態なのだから、「鳴らしたつもりがない」ということになる。そういう態度で常に毎時間、毎分毎秒鳴らしてきた。毎日毎日、一年、三六五日中三六五日鳴らしてきた。

こっちがどれだけ言っても、まったく聞かないで鳴らしてきた。

これ、ほんとうに、親父の態度とおなじだからな。

気違い兄貴は、親父にやられたときは、親父の態度がどれだけむかつく態度かわかっているんだよ。親父の態度は、人の気持ちをかきむしる態度だ。一切合切話が通じない。

そして、(親父の場合)話が通じなかったということも、認識されない。何万回繰り返しても、おなじなのである。これも、言いようがないんだよな。何万回もめても!!!……おなじことでもめてもめて、もめてもめて、こっちが絶叫して主張しているのに……「一回も言われたことがないから知らなかった(つもりがない)」という状態を維持する。ごく普通にそうなんだよな。

兄貴もおなじ。

ヘビメタ騒音のことでもめてもめてもめてもめているのに、本人はまったく知らないままなのだ。「知らないまま」鳴らし続ける。言われたら!言われたときだけ「なんだそんなの!」という反応をする。それでおしまい。

そのあと、どれだけ、当のその行為を繰り返しても、相手が困っているということ自体がわからない。何万回言っても通じない。兄貴が鳴らしているヘビメタ騒音で、相手が困っているということ自体がまったくわかってない。わかってない状態を維持する。

わかってない状態を維持したまま、頑固に鳴らし続ける。二回目言われても、おなじなのである。二万回言われてもおなじなのである。一〇万一回言われても、おなじなのである。

※その都度※「※ふっとばして※」※終わり※。吹っ飛ばしたら、言われなかった時点にもどってしまう。だから、何万回言われても知らないままなのだ。知らないまま、自分がやりたいことを押し通す。兄貴の場合は、ヘビメタを、自分が満足できる、どでかい音で鳴らすということだ。

親父の場合は、その都度、やりたいことがちがう。

けど、しくみはおなじなんだよ。

だから、どれだけこっちが「迷惑だからやめろ」ということをどれだけ言っても、まったくつたわらないまま、親父が、頑固にやり続けるということになる。

で、こんなの、ほんとう!他の人に通じないんだよな。「そんなのおかしい」「そんなひといるのかな?」「からかわれているんじゃないの」などと言われてしまう。

けど、どれもちがう。

(親父は)全力で、否定して、がんばって(不適切な行為を繰り返して)、不適切な行為を繰り返してきたということを認めない。認識しない。「やってないつもりまま」生きている。

兄貴もおなじで、あれだけやっておきながら「やってないつもりのまま」生きているのである。

だから、「そんなんじゃない」「静かにしてやった」「言い分がある」などということを、(いまでも)平気で言っている。

「それなら、こっちで鳴らしていたのとおなじ大きさで鳴らしてみろ」「ヘッドホンをして静かにしてくれたのは一日に何時間なんだ?」というと黙りこくる。

で、自分の部屋に戻れば、今度はそういうやりとりがあったということを忘れてしまう。いま住んでいるところでは鳴らしていないし、いま「そんなんじゃない」「静かにしてやった」「言い分がある」と言っている相手は、兄貴の嫁さんだ。

兄貴の嫁さんが「弟さんが言っていることはほんとうなの?」と聞くと、そういうふうに答えるのである。

で、うちではどうだったかというと、黙りこくって自分の部屋に戻って、それ以降、ずっと、ヘビメタをどでかい音で鳴らしてしまうのである。

入学試験前に、「静かにしてくれ」と言われたら、黙りこくって二階に上がって、そのあと、気違い的にでかい音でずっと鳴らした。一〇時間鳴らした。それが気違い兄貴がやったことだ。

気違い兄貴が、居間……一階の部屋にいるということはめずらしいことだ。「黙りこくって二階に上がって」と書いたけど、これは、特殊な状態の時しかない。

普段は、その二階の部屋に閉じこもって、ガンガン鳴らしているからだ。黙りこくって二階に上がって、そのあとずっと鳴らしたというのは、家族会議を開いたときだけだ。

家族会議のテーブルにつけと、三ヶ月四ヶ月前からずっと言っているのに、入学試験一日前まで、テーブルにつかない。それがちがい兄貴の態度だ。テーブルにさえつかなかった。話しあいのテーブルにつくことさえなかった。三年間、話しあいのテーブルにつくことがなかった。これが普段の態度だ。

気違い兄貴が「静かにしている」わけがないだろ。「言い分がある」わけがないだろ。こういうことを、気違い兄貴に説明しなければならない。これがどういうことだかわかっているのか? 兄貴の態度が親父の態度とまったくおなじだということを意味しているんだよ!! 兄貴!!!

やってないつもりのことは、気違い的なこだわりで、絶対にゆずらないで、すべての時間を使ってやってたことだ。そういうことも……そういう基本的なことも、まったく理解認識してないのが、兄貴だ!!

否定しだしたら、今度は、現実無視で、頑固に否定するだけなのである。何年間でも、何十年間でも毎日毎日否定する。親父とおなじだろ!!!

自分は親父とはちがうとでも思っているのかよ!! 兄貴は親父そっくり。兄貴がやったことは親父のやったこととおなじ。兄貴の態度は、親父の態度おなじ。

自分が、どれだけくやしかったか思いだしてみろ。(誤解する人がいるかもしれないので言っておくと、前文の「自分が」というのは、「兄貴が」といこうとだ)。常に毎日、俺に対して、親父とおなじ態度で接して、常に毎日、親父とおなじ態度で自分がやりたいことをやりきって、常に毎日、親父とおなじ態度でそれ自体を否定した。

いまも、否定し続けている。親父とおなじ態度で否定している。これ、ほんとうに、自分がこだわってこだわって、毎日毎日十年間やったことでも、そういうふうにしていたということを認めるということが不都合なことになると「やってないやってない」「そんなんじゃなそんなんじゃない」と言って否定する。

おなじ。

やっているときは、やっていることを否定してたんだよ。代入される項目がちがうだけ。おなじしくみ。おなじ態度。おなじ!現実を無視した!!主張!!!

現実を無視して、本人のなかではそういこうとにしてしまうんだよな。あとは、その繰り返しだ。話しがもどるけど、不都合なことを言われて怒ったときに……怒った瞬間に忘れてしまうというのは、そういうことだ。怒った瞬間に本人のなかでは、現実を無視して「そんなんじゃない」ということにしてまう。

一旦、そうしたら、「言われた」ということ自体が、わからない状態になる。このわからないというのは、ほんとうに記憶がないという意味ではなくて、記憶がないのとおなじぐらいに「どうでもいいこと」になってしまうのである。

相手の言い分をはねのけたら、それでおしまい。

自分はそうしてないと思ってしまう。

あるいは、自分は関係がないと思ってしまう。

そして、そのまま!!!!!!!頑固にやり続ける!!!

だから、やっているんだけど、やってないつもりだ。「やってないつもり」が持続してしまう。こんなのはおかしい!! おかしいけど!!!

全部毎日そうなんだよ。

全部、毎日、激しく!!そうなんだよ。
全部、毎日、どれだけもめても、もめても、もめても、そうなんだよ。

で、本人は「やってないつもり」でいる。そういう認識しか成り立ってない。自分は損なのはかんけいがない」と本気で思っている。張本人なのに。そもそも、本人が「意地を張ってやる」以外、理由がないことなんだよ。

本人がやりたいからやっていることなんだよ。

本人がやりたいからやっている……他にやらなければならない理由がある……わけではない。これがまったくわかってないのである。自分がこだわっているからそうしているのに……。

引きこもり問題は、枝葉の問題

新しくやるサイトはヘビメタや体調不良のことは出さずに、明るく楽しい記事でうめるほうがいいのか?
まあ、新しくやるサイトに関しては、ぼくが編集するというかたちで、他の人に書いてもらう部分も出てくると思う。いや、やっぱり、ぼくが全部書くか。たとえば、パソコンのことを書くなら、ヘビメタ騒音や体調不良のことは書かなくていいわけだから。けど、ヘビメタ騒音でくるしいというのは、つねにある。しかし、ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音というと、人が離れていく。しかし、ぼくにとってはヘビメタ騒音のことがとてもとても重要で、すべてのいまの感情を支配している。まあ、いまの感情に影響を与えているといった方がいいか。いまの感情と、いまの体調に影響を与えている。だから、ヘビメタ騒音の問題は過去のことじゃない。しかし、関係がない人にしてみれば、「ヘビメタ騒音ヘビメタ騒音ってうっせえな」と思えるようなことなので、それが問題だ。これは、ほんとうはけっこう深刻な問題で、ぼくの引きこもり?の根幹をなす問題だ。いや、根幹をなす問題のひとつだ。ひとつなんだけど、根幹をなす。何回も書くけど、引きこもり問題というのは、働けるようになれば解決するような問題じゃない。そとに出れるようになれば解決するような問題じゃない。他の人にとってはそうかもしれないけど、ぼくにとってはそうじゃない。引きこもり問題というのは、ヘビメタ騒音の一部でしかない。ほんのひとつの表出された表現にすぎない。表現型として引きこもりの問題があるということだ。ぼくの場合! 根っこのところ、あるいは、深すぎて表現できない部分、表現されない部分、表出しない部分に問題がある。ヘビメタ騒音問題がある。そして、引きこもりというのは、その問題の一部分が表出したにすぎない。目に見える形になってあらわれているにすぎない。なので、引きこもり問題は、枝葉の問題で、根っこのところにあるヘビメタ騒音問題の一部が目に見える形になってあらわれているにすぎない。おなじことを、何回も説明してしまったけど。

2017年8月10日木曜日

起きた~~~ つまんねぇ~~~

起きた~~~
つまんねぇ~~~
悪夢を見た。

俺は常に選択をまちがっている。
ヘビメタ騒音以降の選択には、基本的に、制限がある。
王道を歩めず、迂回路の中からの選択になる。だから、めんどうなことになる。

 *   *   *
なんかこう、気分的に楽しくなんないかな。
なんか、ネジがズレちゃってんだよな。
ねじずれ~~

途中で、となりの人の騒音で起こされたし、悪夢を見たし、いいことないな。悪夢といっても軽い悪夢だ。

ともかくなんか、たのしくなりたい。
たのしく、なりたい。

なんかこう、やる気がほしい。

つかれないで夢中でなにかを楽しんでやりたい。
気持ちがいいつかれならいいけどさ。


   *   *   *

悪夢の内容は、俺には、ありがちな内容。
リアル系の悪夢なんだよな。
さみしい体験を繰り返しているような……。

道をはずれちゃったんだよ。ヘビメタ騒音で。







普通の楽しい気持ちで友達と会うというわけにはいかない

いま、このあと、どうしよう。


ほんーーんと、やったことが実になってないよな。
どれだけ、つかれたか。どんだけ、ヘビメタ騒音でくたびれたか。どれだけ、ヘビメタ騒音で「夢」が消えていったか。どれだけ、ヘビメタ騒音で友情にひびが入ったか。どれだけヘビメタ騒音で、人間関係にひびが入ったか。


しかし、もう、一年……経ったか。
去年の夏、意図せず、盆踊りに巻き込まれて、たこ焼きを買って帰ってきたのが、ちょうど一年前。駅前のラーメン屋に行くつもりで行ったんだけど、ラーメン屋にたどり着くことができそうにもなかったので、やめて、たこ焼きとものすごく長い?フライドポテトを買った。フライドポテトを食べたら、もう、食べる気力がなくなって、たこ焼きは、食べなかった。食べなかったというか、存在を忘れて、何日も、床の上に置いてしまった。で、三日ぐらいしたとき、夏だから腐っているかと思ったんだけど、腐ってなかった。不思議なんだけど、腐ってなかった。で、腐ってはないけど、水分がなくなって、まずくなったたこ焼きを食べた。


盆踊りったって、むかしは友達と行ってたけど、いまは、そういう人がいないので、さみしいばかりの盆踊りだよ。まあ、あの時から、実際に踊るわけじゃなくて、夜店しかまわってなかったけど。

さみしいさみしい、盆踊りだったな。「ヘビメタ騒音でついにこんなことになってしまったか」と思っていた。あと、友達と盆踊りに行っていたころにしても、ヘビメタ騒音の中から、出て行って、ヘビメタ騒音の中に返ってきたわけで、はらわた、煮えくりかえっている。

あれだけ、けたたましい音で、ずっと鳴らされて、普通の楽しい気持ちで友達と会うというわけにはいかない。けど、ほんとうにうれしかったので、普通に楽しそうに話していたけど、半分半分なんだよな。ヘビメタ騒音の怒りと、目の前の友達との会話で楽しい気持ちが、半分半分。半分は、ヘビメタ騒音のことで、こころのなかで、深く深く怒っている。悪い意味ではちゃめちゃな気分になっている。ズタボロな気持ちになっている。暗い気持ちになっている。

帰って、どれだけ、「宿題をやるからやめろ」と言っても絶対にやめてくれなかった。一分、一秒ですら、やめてくれなかった。それが、兄貴の毎日の態度だ。気違い兄貴は「静かにしてやった」と言っているけど、じゃ、夏休みは、何時から何時まで、しずかにしてやった!!んだよ?? ゼロ秒だろ。

で、気違い兄貴は、気違い的な思い込みで、「こんなのは、フォークギターぐらいの音だ」と思っているらしいけど、ほんとうは、兄貴の友達が「こんな音で鳴らしたことがない」と言うほどでかい音なんだよ。

ヘビメタが好きな兄貴の友達が「こんな音で、自分は鳴らしたことがない」と言うほどでかい音なんだよ。

そういうことが、わかってない。親父のように、言い換えて!でかい音で鳴らしてないことにしている。でかい音で鳴らしてないのだから、どれだけやたっっていいというのが、気違い兄貴の気違い的な言い分だ。

けど、ほんとうは、ヘビメタが好きな兄貴の友達が、びっくりしてしまうようなでかい音で慣らしている。一分一秒ゆずらないで、そういう音でならしているんだよ。夏休みなんて、一日に一四時間近く、そういうどでかい音でならしているんだからな。それで、「ゆずってやった」「静かにしてやった」と本気で思っている。「まったく迷惑をかけてない」と思っている。そういうやり方なんだよ。

どれだけ「迷惑だからやめろ」「うるさいからやめろ」と言ったって、無視をするときの親父と同じような状態になって、無視して怒って鳴らし続けた。

怒って鳴らし続けたのに、本人は、やめてやったのとおなじ気持ちなのである。自分との関係が、切れちゃっているだけ。言われた途端に……自分にとって不都合なことを言われた途端に……怒って、きれちゃって……それで、はねのけて!!……相手の言い分をはねのけて……気違い的な意地で自分がやりたいことをやる。

けど、言われた後、一四時間鳴らしても、本人は、一四時間、静かにしてやった気持ちなんだよ。言われた記憶はない、わけだよ。「そんなの知らなかった」ということになっている。怒ってはねのけた途端に……瞬間に、「相手が言ってきた」ことを忘れてしまう。そういうやり方なんだよ。

一日に、一回だけではなくて、三〇回言われても、一日の終わりには「そんなのは知らなかった」という状態になってしまう。これも、親父がやったことだ。うちには、そういう「伝統!」がある。

親父が何十年か毎日そういう態度で、わけのわからないことをやって、自分の意地を通した。で、兄貴がそれをまねして、「うちで」一五年間毎日、きちがいヘビメタを「よそでは一分だって鳴らせないようなでかい音で」ずっと鳴らし続けた。

そのずっと鳴らし続けたあいだ、気違い兄貴には、「鳴らしたつもり」がない。つもりがないだけで、こだわりつくして鳴らしているのだけど、「鳴らしたつもり」がしょうじない。

一日に何回も何回も「やめろ」「静かにしろ」「うるさい」と言われているのに、「そんなのこと、知らなかった」というような状態になっている。「言われたなかった」という認知になってしまっている。

だから、「相手が困っている」ということは、命がけで、絶対に認めない。「相手が困っている」ということを認めなければ……本人が認めなければ……どれだけ激しく、相手が困ることを、意地になって、やっても、まるでやったことにならないのである。

それが、親父のやってきたことで、兄貴のやってきたことだ。

兄貴が一五歳になったとき、「今度は俺の番だ」ということなのか?親父のやり方で!!ヘビメタを鳴らし始めた。

絶対にゆずらないで、顔を真っ赤にしてやりきるのに、「やったつもり」がまったくしょうじないという、気違い的なやり方で!こだわりつくして!すべての時間!ヘビメタを鳴らす。このすべての時間というのは、可能なすべての時間ということだ。二四時間中二四時間鳴らしたということではない。けど、可能な時間は、すべて鳴らした。

だから、夏休み、冬休み、春休みなんて、一日に一四時間近く鳴らしている状態なのに、「一日中静かにしてやった」という気持ちでいる。ほんとうは、どれだけ頼んでも、一日に一秒だって静かにしてくれなかった。こだわりつくしてそうしているのに本人が、そうしているということがわかってない状態が、ずっと、成立する。(わかってないあいだ、ずっと、気違い的な意地でそうしつづける。やりきる!!)

これが、「うち」なんだよ。

親父がやったことで、兄貴がやったことなんだよ。ほんとうに「気違い」としかいいようがない意地で、やりきる。そうやって、気違い的な意地でやったことは、やってないことなのである。「こういうふうにやった」と言われると、「やってないやってない」というのがはじまる。「そんなんじゃないそんなんじゃない」というのがはじまる。あまりにもへんな状態なので、よその人は、知らなければ「やってないのかもしれない」と思ってしまうだろ。

そういうのが、「うそ」なんだよ。

気違い兄貴はそういうことを、親父にやられて、自分だって何回も何回も……それこそ、何千回もいやな思いをしているのに、自動的に親父のまねをして、そうする。そういうことを言い出す。兄貴よ!! 兄貴!! どんな気持ちになると思っているんだよ? あれだけ鳴らした兄貴が「ゆずってやった」とか言い出す。あれだけでかい音で鳴らしていたのに「そんなにでかい音で鳴らしてない」とか言い出す。兄貴は、親父だよ。兄貴の言い分は、親父の言い分とおなじだよ。

2017年8月9日水曜日

朝の日ざしがさしてきた

ほんとうに無理して通ってたんだよな。無理して通って、通えないからだになってしまった。長かったな~~。ほんとうに長かったな~~。ヘビメタ騒音期間が長すぎて、もう、他のことはなにも言えない。長すぎる。ほんとうに毎日毎日、つらかった。死ぬか生きるかみたいな状態だった。俺は「他の人から見て」サボっているように見えていたけど、ほんとうは、限界ぎりぎりのところでがんばっていた。「がんばっていたなら、いいじゃん」と言う人がいるかもしれない。がんばって、ボロボロになった。がんばっているあいだも、ヘビメタ騒音で穴が開いた。いいわけがない。

頭がモヤモヤする。朝の日ざしがさしてきた。今日は天気だ。晴れだ。いま、午前七時四二分。俺が、この時間、どれだけ急いで朝の用意をしていたか。四二分に起きて、髪の毛もとかさず、ものも食べないで、うがいもしないで、一分で着替えて、そとに出ないと、バスに乗り遅れる。四八分のバスに乗り遅れる。四八分のバスに乗り遅れると、遅刻する。

日ざしのなかで、破綻を感じる。破滅を感じる。焦りと疲れを感じる。

こんなのないよ。

ヘビメタ騒音以降、俺は常に選択をあやまっている感じがする。
これ、きついわ~~

あーあ。
どうすんだ? 俺は????

こんなのないよ。
こんなの、ない。

2017年8月8日火曜日

「今後のこと」ってなんだよ?

ネットがつながらないと、ビックバンセロリーも視れないんだぞ。


ひと息ついたから、買い物に行くか~~

ここに書くと、さらここの人気がなくなるから、書くべきではないけど、ヘビメタ騒音でぼくの人生がない。

「今後のこと」ってなんだよ?

ほんとうに全部!くずれた!!

仕事と人付き合い。

どれだけ、おまえ、これ、ぶっ壊れたか。いまだにくるしいか。

三〇年引きこもりとか高齢女子引きこもりに関して

「無職」「ひきこもり」「ヘビメタ騒音」をぶらさげて、人とつきあってもいいこと、なかったぜ。まあ、ほんとうに理解してくれる人も三〇%ぐらいはいるんだけどな。

「ヘビメタ騒音」がでかいんだよな。あとの二つは、おまけだ。ヘビメタ騒音の結果!生まれた副産物だ。ぼくにとってはヘビメタ騒音の問題が九割だ。「無職」「ひきこもり」に関してはヘビメタ騒音の結果そうなっただけだから。けど、期間が長いから、なんていうのかな? 悪い意味で話のネタになる。

最近、三〇年引きこもりとか高齢女子引きこもりが話題になっているみたいだ。ぼくの場合、ヘビメタ騒音のことを切り離すことができない。引きこもりの問題について話すなら、かならず、ヘビメタ騒音問題について触れなければならない。けど、他の人はちがうだろう。他の人の事情に関しては、「当事者」として興味があるけど、まあ、いろいろと他の人には他の人の事情や理由があるんだろうなとは思う。

で、三〇年間きこもりとか高齢女子引きこもりに関して、一般の人がどういうことを言っているのかというのも、だいたい読んだ。「そりゃ、ヒトゴトならなんとだって言えるよな」というのが一般の人の感想を読んだときのぼくの感想だ。

引きこもりに関しては、特にこれといった理由もなく、なんとなく引きこもっている人から、相当に深刻な問題を抱えて引きこもっている人までいろいろだ。理由の濃さ、深さは、引きこもりのしんどさに直接影響を与えているから……理由が濃い人、理由が深い人はつらいだろうなと思う。けど、理由の濃さ、深さに関係なく、「むなしさ」はあるだろうなと思う。正直に言ってしまうと、たいした理由もなく引きこもっている人の状態というのはぼくにはわからない。けど、「むなしさ」はあるだろうなと思う。

「終わった感」がある人に対しては、おなじ方法ではダメだ。

「終わった感」というのは、本人の中にある「終わった」という感覚だ。もっと簡単に言うと「社会生活は絶対に無理だ」という感覚だ。これは、客観的な事実は実は関係がなくて、本人の中で「終わって」いれば、それは、本人の中で「終わっている」のだから、「終わった感」があるということだ。「終わった感」があるひとには、それまでの対策や、それまでの対策の延長線上にある対策では、だめだ。ほんとうに意味がない。「終わった感」が強くなるだけだ。

2017年8月5日土曜日

ぼくも日本労働教徒側の理論で、生きていたと思うけどね

はらいてーー

腹が減った状態で、ご飯を食べると痛くなるな~~。

ところで、老後の話しだけど老後は気になるだろ。
自殺しない場合何歳まで生きるのかというのがわからないというのが、この問題の大きな要素だ。

健康寿命? もちろん、健康寿命に決まっているでしょ。まあ、ぼくの場合、健康寿命が一八歳ぐらいで終わってたという感じなんだけどな。問題は睡眠回路とつかれやすさなんだよな。

特に、期間を長くとった場合のつかれやすさが問題だ。あとは、精神か? そりゃ、憂鬱だったら旅行してもつまらないしね。うまいもの食べても、つまらないしね。人と一緒にいても、つまらないしね。(とくに、日本労働教徒と一緒にいてもつまらない。

けど、大半の日本人が日本労働教の信者だから、大半の日本人といてもおもしろくないということになる)(リタイアしている人でも、心根が日本労働教徒だから、自分の無職はたなにあげて、他人の無職をなじったりする。

他人と書くとわかりにくいかもしれないけど、たとえば、定年退職した無職が、若い無職に対して「働け」というような場面を思い浮かべてくれれば、話がわかると思う)。無職かどうかは、状態だからね。

むかし働いていたからといって、いま無職であれば、無職なんだよ。これがわかってない人がいっぱいいる。もちろん、言葉としてはわかっているのだろう。けど、気分的にはわかってない。退職したあとも有職者でいるつもりでいる。

まあ、ヘビメタ騒音にやらなければ、ぼくも日本労働教徒側の理論で、生きていたと思うけどね。日本に生まれ育って日本労働教徒にならなというのは、おかしい。

みんな、洗礼を受けている。

一度は、日本労働教徒になったはずだ。

本人に自覚があるかどうかわからないけど。日本労働教徒の教えにたてつくのは、けっこうたいへんなんだよ。うけない。「なに言ってんだ、こんにゃろう」と思われがちだ。

しかし、日本労働教の教えは、かたよっている。かたよっているとまでは言わないまでも、普遍的なものじゃない。文化や時代が違えば、考えかがちがう。日本のなかでなら、正しい考え方、正しい感じ方なんだけど、それは、日本特有の文化に根ざしたものだ。

だから、地域的にいって普遍じゃない。もちろん、日本だって縄文時代から日本労働教の教えが成り立っていたわけではないので、時代的にいって普遍じゃない。けど、いま現在の日本ということを考えると、わりと普遍的な教えなんだよ。多くの日本人の感覚として成り立っている労働観あるいは、人生観なんだよ。まあ、道徳観ともいえる。

まあ、それはそれとして、七〇歳まで生きるつもりでいるのか、一〇〇歳まで生きるつもりでいるのかで、ちがってくるよねという話だ。

七〇歳、八〇歳、九〇歳、一〇〇歳、一一〇歳で、老後の資金の用意がちがってくる。資金対策がちがってくる。もちろん、厚生年金上乗せ分が、相当にあるという人は、大丈夫だと思うけど。

七〇歳まで生きるつもりで、七一歳になってしまったら、七一歳の時、不安になるだろ。七〇歳までに全部の金を使っているわけだから。そして、国民年金だけでは、暮らせないことがはっきりしているのだから。まあ、いまは、国民年金では足りない分だけ、生活保護をもらえばいいという話になると思うけど、生活保護の制度がいまとおなじカタチで残っているかどうかはわからない。

「そんなら、年金もそうだろ」という話になるのだけど、年金の場合は、実行されるまでに時間がかかる。いきなりは、かわらない。生活保護の場合は、条件が、いきなりかわる可能性がある。

できれば、生活保護はもらいたくない。自分のカネでやっていきたいというのはある。あるんだなぁ。これが~~。

まあ、ぼくの場合、ヘビメタ騒音に七年間毎日やられた時点で(ヘビメタ騒音生活が六年六ヶ月続いた時点で)もう、通勤通学ができない体になっていた。健康じゃないのである。やっぱり、一八歳で、健康寿命が終わってたんだな。

ヘビメタ騒音で通勤通学ができないと言っても、ヘビメタ騒音が健康に与える影響を過小評価する人は、ヘビメタ騒音で通勤通学ができないと言われた後も、通勤通学ができると思っているんだよな。そこの意識の差がでかい。

俺が、七年間死にものぐるいでがんばって「できない」と言っているのだから、できないんだよ。ヘビメタ騒音が健康に与える影響を過小評価する人は、俺とおなじ量、俺とおなじ期間の長さ、毎日ヘビメタ騒音を経験すればいい。俺とおなじ量、俺とおなじ期間の長さ、毎日ヘビメタ騒音を経験して、それで、「できる」と言うのであれば、ぼくは、その人のいうことを尊重する。




2017年8月4日金曜日

「人は働くべきだ。しかし、病気などで働けない場合はしかたがない」

「働けるのに働かない」のか「働けないから働けない」のかということが問題になることがある。「働けない人はしかたがない。しかし、働けるのに働かない人はゆるせない」と思っている人はすくなくないと思う。
しかし、この、働けるか働けないかというのは、あんまり、きちんとした基準があるわけではない。

就労可否証明書と医師の診断書があれば、いちおうは、働けるかどうかの基準になるのだろう。けど、これも、「働く」ということの範囲が問題になる。うつ病の診断や障害年金の申請書などでも、実は医師の考え方が影響する場合が多い。医師によって、だいぶ判断が異なるのが、精神疾患だ。

実は、働けるかどうかに関しては、「見た感じ」どう思うかが問題になる。通常の会話の範囲で医師の診断書を見せろとかそういうことにはならない。

どういう場合が働けて、どういう場合が働けないのかということに関して、実は、個人的な意見が分かれる。おのおのがおのおのの感覚でいっていることでしかない。「病気ならしかたがない」という場合にしても、病気の範囲が問題になる。病気というのは、狭い意味の病気なのか、なんとか障害、なんとか症といったものまで含むのかに関しては、実はおのおのの感覚の違いがある。

たとえば、A1さんA2さんA3さんがいるとしよう。そして、B1さん、B2さん、B3さんがいるとしよう。B1さんは認知症、B2さんはうつ病、B3さんは社交不安障害、B4さんは回避性パーソナリティ障害、B5さんは睡眠障害だとしよう。

その場合、A1さんは、B1さんとB2さんとB5さんは働けないからしかたがないが、B2さんとB3さんB4さんは働けるのに働かない人だと判断するかもしれない。A2さんは、B1さんは働けないからしかたがないけど、B2さん、B3さんは、B4さん、B5さんは働けるのに働かないからケシカランと思うかもしれない。

A1さんとA2さんは、「人間は働くべきだ」「しかし、働けないのであればしかたがない」とおなじように思っているとする。しかし、目の前に具体的な個人があらわれた場合、判断が異なる場合がある。

誰か具体的な個人がいて、その人が「まるまるで働けない」といった場合、「働けない」ということを信じるかどうかの違いがある。信じない場合は「まるまるさんは働けるのに働けない」と思うわけである。

で、その基準がひとりひとりちがうので、総論では「人間は働くべきだ」「しかし、働けないのであればしかたがない」と思っていたとしても、具体的な個人に関しては、その具体的な個人がおなじことを言っているのにある人は「働けないからしかたがない」と思って、また別のある人は「働けるのに、働けないと言って甘えているだけなのだから、働くべきだ」と思うというような違いがある。

つまり、意見が分かれるのである。総論ではおなじでも。なんとか病に関してどう思っているかで、個人に対する判断がちがってくる。


また、おなじなんとか病気、おなじなんとか障害、おなじなんとか症、おなじなんとか症候群でも、程度の違いがあるから、人の数だけバリエーションがあるといっていい。これは、対象となる人のバリエーションだ。そして、判断する人には、判断する人の価値基準のバリエーションがある。

だから、総論では「人は働くべきだ。しかし、病気などで働けない場合はしかたがない」と言っていても、具体的な個人に関しては、実際には、おなじように判断するとは限らない。

ようするに、その人が思っているだけなのである。「働けるのに働かないからケシカラン」と思うか「働けないのだからしかたがない」と思うかは、その人が、話を聞いて判断しているだけのことだ。



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うつ病は「病」とついてはいるけど、狭い意味での「病気」ではない。「病気」であるからには、原因が特定できなければならない。しかし、うつ病の場合は原因が特定できない。セロトニン仮説とかいろいろあるけど、仮説にすぎない。うつ病とはいっているけど、ほんとうは気分障害の一種だ。つまり、「病」ではなくて、「障害」だ。

しかし、広い意味で「病気」という言葉を使うのであれば、うつ病は病気といって差し支えないという事情がある。

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2017年8月3日木曜日

サービス残業をしている人は働いていない 働くという行為そのものと背後の文脈(条件)

サービス残業をしているときは働いてるとはいえない。

行為が同じであっても、働いているといえるときと、働いていないといえる時がある。働いているかどうかは、行為自体とは、関係がない。客観的な行為は、実は、働いているのかどうかを決定しない。働いているかどうかを決定するのは、金が関わっているかどうかと社会的なしくみが成立しているかどうかと関係がある。行為そのものだけでは、働いているのか働いていないのかの判断はできない。

無職の現象学では、茶碗を作るという行為について述べた。ちょっとここでも説明しておこう。同じように茶碗を作っていても、茶碗を作って物置においておくだけなら、働いているとはいえない。しかし、茶碗を作って売りに出せば、買う人がいる限り、働いているといえる。売れないと、働いているとはいえない。作っただけでは十分でなく、市場に出さなければならない。

だから、茶碗を作るという行為自体は、「働く」ということを意味してない。この働くというのは、「労働する」と言い換えてもいい。どれだけ一生懸命、茶碗を作っても、売りに出さなければ、また、買い手がいなければ、働いているとはいえない。一日に、一〇〇〇個の茶碗を一生懸命作っても、売らないのであれば、働いているとはいえない。

サービス残業をしているときも同じだ。どれだけ、一生懸命に仕事をしているようでも、働いているとはいえない。お金の移動がない。お金の移動がないのは、茶碗の場合と同じだけど、さらに、社会的なしくみが成り立っているので、どうしても、働いているように見えてしまう。趣味の陶芸で茶碗をいっぱい作っている人が働いていないということについては、納得できる人も、職場で働いているときとまったく同じ行為をしていても、働いているとはいえない(働いてないといえる)ということに関しては納得できないかもしれない。

しかし、サービス残業をしている人は働いていない。ただ単に、奉仕活動をしているだけだ。どれだけ「動いていても」働いてない。汗水たらして、一生懸命働いているようにみえるけど、働いてない。

客観的な行為だけでは、働いているのかどうかを決定することはできない。働いているかどうかは、客観的な行為によって決定されるのではなくて、背後の文脈(条件)によって決定されるのである。たとえ、動いていなくても、背後の文脈が成立するなら、働いているといえる。まさに、絵のモデルは動かなくても、働いているといえる。背後の文脈は、金の移動があるかないかと社会的なしくみが成立しているかしていないかで、決まる。

2017年8月2日水曜日

「ひとは働くべきだ」とは言えない 一部のひとは働かなくても良い

なぜひとは働かなければならないのか?

に関しては、いろいろな意見があると思います。

問題なのは、「ひと」としてしまうところだと思います。
あなたが、「ひとは働くべきだ」と思って働くことに関して、私は、一切合切の異議を唱えません。そりゃ、そうでしょ。ぜひぜひ、頑張って働いてください。家族のために頑張って働くということは、良いことです。なので、ぜひぜひ、そうしてください。

しかし、「ひとは働くべきだ」というとすると、あなた、だけではなくて、「ひと」である生物は、みんな、例外なく働くべきだということを言っているのと同じ意味になります。なので、働けないひとは、その言葉を聞くと、大変困ってしまいます。

「ひと」を主語にすると、ひとであるものはすべてという意味になるのですが、特に「すべて」という言葉をつけているわけではないので、そこら辺の感覚が、希薄になるのでしょう。

しかし、ひとでないひとはいません。人間でない人間はいません。というわけで、「ひと」という主語を使うとすべてのひと」と言っているのとおなじ意味になります。質的に等価。質的に同義。人間という主語を使うと「すべての人間」と言っているのと同じ意味になります。

というわけで、「ひとは例外なく働くべきだ」という言葉と、「ひとである自分は働くべきだ」という言葉は、同じ意味を持っていません。自分のことを言っているだけであるならば、まったく問題がないので、働くべきだと思って働いてください。誰も、とめません。

しかし、働いている人が、「ひとは働くべきだ」という場合は、人間としての役割について語っているのであって、当然「他人もそうするべきだ」というメッセージが込められています。発言の背後にあるのは、「働かないひとはけしからん」「働かないひとは、ゆるせない」という気持ちだと思います。

そういう気持ちがまったくないのであれば、他人が働こうが働くまいが、本人には一切合切関係がないので、「人間は働くべきだ」という発言を特にする必要もないということになります。

「人間は働くべきだ」という発言をする場合、自分のことだけではなくて、他人のことも言っているということを、認識するべきでしょう。自分と他者は働くべきだと言っているのです。すべての人間は働くべきだということを言っているのです。

(ここでは、「ひと」と「人」と「人間」は、まったく同じものをさすとします。「ひと」と「人」と「人間」の意味が違う場合は、その都度そのことを指摘します。)


2017年8月1日火曜日

諸子百家の一般的な読み方

『韓非子』(かんびし ではなくて、 かんぴし)
『墨子』(ぼくし)
『管子』(かんし)
『淮南子』(えなんじ)
『荘子』(書物としては そうじ 人名としては そうし)(けど、書物もそうしでいいと思う)
『老子』ろうし
『荀子』じゅんし
『孟子』もうし

あくまで、一般的な話。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。