過去は記憶の中にしかないと言う人がいるけど、この考え方はまちがっている。今現在は、過去の影響をうけている。だいたい、「今現在」というのは、つねに、過去に押し流されてしまうことなのである。
たとえば、さっき、小便をしたとする。そして、いまは、すっきりしているとする。
いますっきりしているのは、さっき小便をしたからなのである。もちろん、過去は、記憶のなかにあるだけのものじゃない。いまの状態を作り出しているものだ。
過去の出来事が、今現在の状態をつくっているのである。
たとえば、今現在、病院に入院しているとする。入院した理由は、階段から落ちて、足を骨折したというものだとする。過去において、階段から落ちなければ、今現在、入院していないのである。過去において、階段から落ちなければ、入院しているという現実は、「ない」のである。
もちろん、ほかの理由で入院するということはあるけど、ほかの理由で入院したときは、過去において、理由になる出来事が発生したから、入院しているのだ。
今現在、たとえば、足が動かない状態で固定されて、ベットの上に横になっていたとする。その場合、過去は、記憶の中にしかないとは、言えない。
どうしてなら、今現在、入院して、ベッドの上にいるからだ。今現在の状態は、過去の出来事の「上」にあるのである。
比喩的な言い方になるが、今現在が頂点であり、頂点をつくりだしたのは……あるいは、頂点の状態をつくりだしたのは……今現在よりも以前の過去の出来事なのである。
過去は記憶の中にしか存在しないという考え方はまちがっている。ちゃんと、過去の出来事が、今現在の出来事に影響をあたえている。
現在進行形で、影響をあたえている。現在進行形だということは、「今現在」などと言っているあいだに、「今現在」が過去になってしまうということだ。
過去の出来事は、記憶の中にだけ存在するわけではないのである。「過去の出来事」の時系列的な総和が、現在の状態をつくりだしている。
記憶の中にしかないものなのであれば、現在の状態とはまったく関係なしに存在しているはずだ。
ところが、現在の状態は、過去の総和なのである。
もちろん、過去の総和は、現在に影響をあたえている。過去の総和が「今現在」を形作っていると言っても過言ではない。記憶の中にしかないものなのであれば、現在を形作れない。
思い出のなかにあるものだけが、過去の出来事ではないのである。思い出のなかにあることは、現在の状態に、比較的に言って、影響力が小さいものなのだろう。だから、想起するだけですむ記憶なのである。
ところが、過去の出来事が、「今現在の状態」をつくりだしているのである。
過去は、記憶の中にしかないものだ……過去は思い出のなかにしかないものだと思っているとは、影響力が極小であるような過去の出来事を思い出して、現在の状態とは……一見関係がないように思えるから……過去の出来事は、現在に影響をあたえないと思っているだけなのである。
その人だって、「過去の出来事」の影響をうけて、今現在?を生きている。
文字を書くことだって、過去の影響をうけているのである。
もし、ほんとうに、今現在しかないのであれば、行為をどこからどこまでと考えるかという問題はあるけど、今現在書いている文字しか存在していないということになる。
あるいは、鉛筆で文字を書く場合は、ひとつの線をひいている状態しかないということになってしまうのである。そして、ひとつの線をひくということも、過去の出来事の結果なのである。過去の出来事がつみかさなっているので、ひとつの線をひくことができるのである。
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「昨夜は、よく眠った」……と言う場合も、過去の影響をうけている。記憶のなかで「よく眠った」と思っているだけではないのである。ちゃんと、よく眠ったという影響をうけている。
いまのからだの状態は、昨夜の睡眠と無関係ではないのである。起きたとき、『よく眠ったと』思えるのは、実際に眠っているあいだのからだの状態が、今のからだの状態に影響をあたえているから、思えることなのである。
「過去の出来事は、過去の出来事だから、記憶の中にしかない。だから、今現在には、影響をあたえない」という考え方は、完全にまちがっている。