「過去は記憶の中にしかない」とか「過去は記憶の中にしか存在しない」とかと言っている人たちは、「今現在に集中すればいい」という文脈で、これらのことを言っている場合が多い。
「今現在に集中すればいい」という文も、「すべては自己責任」という文とおなじように、条件がめちゃくちゃに悪い人を、せめる文なのだ。
条件が悪い人の条件をガン無視して、あたかも、「今現在に集中する」ことで、条件がめちゃくちゃに悪い人の状態を改善できるようなことを言うのである。
しかし、条件が悪い人が「今現在」に集中すると、条件がもっともっと悪くなるのである。はっきり言ってしまうと、この文は、条件が悪い人の首をしめる文だ。
状態の悪さというのが、条件から出てくるもなのである。
条件というのは、過去から現在まで、続いているものなのである。もちろん、短時間で終わる条件もある。しかし、こまっている人の悪い条件というのは、多くの場合、長く続いている条件なのである。つまり、長期間続いている条件なのである。
たとえば、ブラック社長と名前だけ店長がいるとする。名前だけ店長は、長年、サービス残業で、夜、あまり眠れないという生活をしているとする。その場合、名前だけ店長が「今現在に集中しても、いいことにはならないのである。サービス残業に集中したって、いいことにはならないということだ。
日中の仕事でもいい。問題なのは、つかれはてているということなのである。
だから、休まなければならない。それも、長年、むりをしてきたのだから、普通以上に、休めるようにしなければならないのである。
ところが、「今現在に集中すればいい」と助言するやつらは、それがまったくわかっていないのである。名前だけ店長が、「今現在」に集中して、作業をしたとしても、いいことにはならない。無理をして作業をしているのに、さらに、むりをして作業をすることを、推奨されている状態になる。
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「今現在に集中すればいい」などと人に言うやつが、批判をされると、「俺だって苦労した」と言い出す。けど、「今現在に集中すればいい」などと人に言うやつが経験した苦労と、名前だけ店長が経験した苦労をくらべると、名前だけ店長が経験した苦労のほうが、ずっとずっと、ひどい苦労だと言うことができる。
そりゃ、そうだろ。
ほんとうに、ひどい苦労をした人が、ほかの人に、さらに苦労をおしつけるようなことを、言うはずがない。余裕でたえられる苦労だったから、「今現在に集中すればいい」と考え、「今現在に集中すればいいという考え方は、正しい」と思っているんだよ。
だから、「今現在に集中すればいい」と他人に言うんだよ。
ギリギリ、がんばっている人に、もっとがんばらせるようなことを言う人は、くそ。ぎりぎり、がんばってる人に、くるしい状態がさらに長く続くようなことを言う人は、くそ。
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「今現在に集中すればいい」と他人に言う人は、他人の苦労について過小評価をしている場合がある。神様視点で、「今現在に集中すればいい」と他人に言う人の苦労が「小」、名前だけ店長の苦労が「大」であったとする。
けど、「今現在に集中すればいい」と他人に言う人は、自分の苦労が「大」だから、名前だけ店長よりも、自分のほうが苦労してきたと思っているのである。
そして、自分が「今現在に集中するというやり方」で苦労を乗り切ったので、「今現在に集中するというやり方」で、名前だけ店長も苦労を乗り切れると思っているのだ。
ところが、名前だけ店長のほうがはるかに苦労をしているのである。
名前だけ店長だって、ずっと、無理をしてきたのだから、「今現在に集中しよう」と思って、がんばっていたときがあるはずだ。そりゃ、過労しすぎて、意識が遠くなるときだってあるだろう。
ところが、そういうがんばりを……「今現在に集中すればいい」と他人に言う人は……無視してしまう。今現在に集中すれば、乗り切れると思っているので、乗り切れないのであれば、がんばっていないということになってしまうのである。
こいつらの頭のなかではそうなってしまう。
しかし、「今現在に集中すればいい」と他人に言う人が、乗りきれたのは、単に、苦労が小さかったからなのである。「今現在に集中しよう」と思って、乗りきれるレベルの苦労だったからなのである。 初期ストレス対抗期間中にのりこえられることだったのである。
また、一日のなかで、ストレス対抗期間が続く時間内に、乗り越えられるものだったのである。だから、「今現在に集中しよう」と思えばどうにかなったことなのである。
しかし、「質」と「量」が関係する。時間の長さ、期間の長さが関係する。そういったものを、「条件」という言葉であらわすとすると、「条件」がちがっていたのである。
しかし、「今現在に集中すればいい」と他人に言う人は、「条件」の差を無視して、夜郎自大になり、自分はできたのだから、他人もできるだろうと思って、無理なをことを(他人に)言うのである。
もちろん、「今現在に集中すればいい」と他人に言う人ぐらいの苦労なら、名前だけ店長だって、乗りきれたのである。それは、名前だけ店長が、一五年間も、一日に三時間ぐらいしか眠れない状態で、仕事をしてきたということからわかる。
一五年間という長さ……。日曜、休日も、平日のように働いて、一五年間という長い期間、毎日働いてきたという実績。それが、名前だけ店長の、生活体力が並ではないということを、証明している。
あーー。それなのに、それなのに、そういう肝心なことは、無視して、ほんのちょっとがんばっただけなのに、「自分はすごい」と思って「今現在に集中すれば、いい」と、名前だけ店長のような人に、言ってしまう。
こいつらは、高慢で夜郎自大だけど、そういう自己認識がないのである。
こんなこと、喧嘩を売っているようなものなのに、まったく気がつかないんだよな。
自己責任論者なら、責任を感じるべき案件だ。
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あとは……「言えば言ったことが現実化する」と言うのであれば、「名前だけ店長が、じゅうぶんな、休息時間をとれる」と言ってあげればいいのだ。
そうすれば、名前だけ店長だって、じゅうぶんな、休息時間をとれるようになる。
「名前だけ店長が、がんばって働かなくても、じゅうぶんな収入を得られるようになる」と言ってあげればいいのだ。そうすれば、名前だけ店長の問題は解決する。ところが、「言えば言ったことが現実化する」と人に言っている人は、言ってやらない。
どうしてかというと、「言ったって言っただけになる」ということを、無意識的には知っているからだ。「言霊なんてまったく無意味なんだよ」と考えているから、問題を解決するような言葉を言わない。
べつに、名前だけ店長の問題なら、名前だけ店長が、問題解決の言葉を言わなければならないという決まりはない。「言えば、言ったことが現実化する」からだ。
「今現在に集中すればいい」と他人に言う人が「名前だけ店長の問題はすべて解決する」と言ってあげれば、名前だけ店長がサービス残業の作業に、集中しなくてもいい状態ができあがるのである。
あーー。それなのに、それなのに、「集中すればいい」と言うのだ。
「できると言えばできる」と言うのだ。完全に、くそですね。人のことなんてまったく考えていないから、「今現在に集中すればいい」とか「できると言えばできる」とかと、人に言う。
「できると言えばできる」のだから、今現在に集中しなくたって……できるぞ。
こいつらが言っていることは、支離滅裂。
ところが、自分では、「いいことを言った」と思っているのである。自分では「すごくいい助言してあげた」と思っているのである。やられたほうは、不愉快な気持になって、こまりはてるのである。
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それから、「夜郎自大」と言われて、おこった人は、自分の受け止め方をかえればいいのである。
「夜郎自大だと言われたので、腹がたつ。これであたりまえだ」と思わずに、「エイリさんが言っていることが正しい。確かに自分は夜郎自大だった」と受け止め方をかえればいいのである。
エイリさんにあわせて、自分の受け止め方をかえればいいのである。
精神世界にこっているあなたなら、それができるだろう。