2025年6月24日火曜日

矛盾を感じないから、「言ったことが現実化する」と信じているだけなのである。

 言霊主義者は、朝起きたとき、どれだけのことが発生したか、思い知るべきなのである。自分が言わなかったことが、いっぱい、いっぱい、発生している。

自分が言わなかったのに、発生したんだぞ。

地球の裏側で、いろいろなことが起こった。そのひとつひとつについて、まったく、言霊主義者は発言していないのである。発言しなかったのである。それなのに、地球の裏側で、いっぱい、いっぱい、いろいろなことが発生した。

地球の裏側どころか、自分の街のありとあらゆることについて、言わなかったにもかかわらず、自分の町のなかで、いろいろなことが発生したのである。

じゃあ、普段、言霊主義者は、土のなかの出来事について、どれだけ、発言するのか。「ミミズがこういうふうに動く」と言わなければ、ミミズがこういうふうに動くということが、現実化しなかったのである。

言霊理論にしたがえばそうなる。

「ミミズがこういうふうに動く」と言わなかったのに、ミミズがこういうふうに動いたということが、現実化してしまうのであれば、言わなかったことも現実化するということなのである。

一匹のミミズだけではない。

おびただしい数の、土のなかに住む奇妙な生物についても、いちいち、だれかが言及しないと、土のなかに住む、おびただしい数の奇妙な生物が、その通りに、動かないのである。

だって、言ったことが現実化すると言っている。

言霊主義者は、言ったことが現実化すると言っているのだ。

おびただしい数の細菌が動いたなら、おびただしい数の細菌について、言霊主義者が、事前に発言していなければならないのである。そうじゃないと、細菌だって動けない。細菌だって、増えない。

地球の裏側どころか、自分の家の、庭のことまで、全部、言われなければ、そうならないのである。言霊主義者が、知らないうちに、その言霊主義者の庭に、雑草がはえた。「ここに雑草がはえる」と言わなくても、雑草がはえた?

なぜか?

言霊の力とは、関係なしに、物理的な力が働いて、雑草がはえたのである。そして、言霊主義者は、雑草が実際にはえて、自分が気がつくまで、雑草についてはなにも考えなかったのである。つまり、雑草についてなにも言わなかったのである。

ある言霊主義者が、道を歩いていたとき、道端に花が咲いているのを発見したとする。「ああっ、こんなところにも、花が咲いている」と言霊主義者は思って、うれしい気持ちになった。

ところで、「ここに花が咲く」と事前に言わなかったのに、どうして、花が咲いたのか? 

おかしいじゃないか。

「だれかが、咲く言ったから咲いたんだろ」と(言霊主義者は)言うかもしれない。しかし、言霊主義者は、ほんとうは、自分が言ったから、自分が言った通りになる(はずだ)と考えているのである。

「明日は雨になる」と自分が言ったから、実際に雨になったと、考えるのである。ほんとうは、「自分」なんだよね。

だから、「自分が言わなかったこと」が現実化していることを発見したときは、おどろかなければならない。ところが、まったく、おどろかないのだ。

「自分が言わなくたって、現実化する」と思っているから、道端の花のことまでは、言わない。それでは、「自分が言わなくたって、現実化する」と意識的に思っているのかというと、そうではないのである。

意識的には「自分が!言ったことが現実化する」と思っているのである。地球の裏側で起こることについてなにも言わなかったのに、地球の裏側で、いろいろなことが起こっている……。起こった。

地球の裏側どころか、隣町のことについて、自分が、まったくなにも言わなかったのに、隣町の人たちがいろいろなことを、した。隣町どころか、自分の庭でも、自分が言わなかったことが、いっぱい、いっぱい、起こっている。起こった。

ようするに、矛盾を感じないから、「言ったことが現実化する」と信じているだけなのである。

つまり、「自分が言ったから、現実化した」と言霊主義者が考えることは、ものすごく、限られていることなのである。

自分の意識がそこに集中しないと「こうなる」ということを言えず、「こうなる」と言ったことが、言ったあとに、現実化しないと「言霊は正しい」と思わないのだ。

そして、自分が言わなかったことが現実化していた場合は、自分が言わなかったのに、現実化したということに、疑問をもたない。これは、矛盾に気がつく思考力がまったくないということを意味しているのである。

庭に草がはえていたら、ごく普通に、「どこかから、雑草のタネがとんできて、土の上に落ちて、発芽して、草がはえた」と思うのだ。

「他人が言ったから、現実化した」「他人が言ったから、庭に草がはえた」と無理やり考えたとしても、ほんとうは、他人が言ったかどうかはわからない。

そして、人類が発生するまえに、「火山が噴火する」と……だれも言わなくても、火山が噴火したということになる。

人類が発生する前に、雨がふっていたとする。人類のだれかが「雨がふる」と言うまえに、雨がふっていたのである。

自分が「雨がふる」と言ったから、「雨がふった」と考えているのが、言霊主義者なのである。

自分が「明日、雨がふる」と言ったから「今日、雨になった」と考えるのが、言霊主義者なのである。 

「自分が言わなかったことでも、だれかが言ったので、そうなった」という理論は、人類が発生する前に起こったさまざまなことを考えると、簡単に否定できるものなのである。

どうして、海がある?

どうして、地球がある?

どうして、人類以外の生物が発生したのか? 

*     *     * 

実際、自分の町のことでも、無数のことが起こっており、その無数のことについて、だれかが言及した数は、少ないはずなのである。実際に起こったことの数にくらべて、自分や他人が言ったことの数が、少なすぎるのだ。

事前に言及されなかったにもかかわらず、自然界の物理的な活動によって起こったことは、無数にある。

そして、じつは、人間がかかわることでも、事前にだれかが言わなくても、発生したことが……たくさんあると言わなければならなくなる。

なにを一個とカウントするかの問題があるけど、無数にあると言っていいほど、多数のことが「だれにも言われなかった」にもかかわらず、現実化してしまっている。

*     *     * 

言ったことが現実化する……と言霊主義者が言っているときは、自分が言ったことが、現実化したということに、焦点があっているのである。そこに、意識が集中している。

ほかのことは、自分の身に起こったことですら、事前に、なにも発言されていなかったということに、気がつかない。

自分の身に起こったことですら、自分が言わなかったにもかかわらず、起こったことがたくさんあるはずなのに、それらのことは、簡単にガン無視してしまうのである。言霊主義者は、自分が言わなかったのに、たくさんのことが現実化したということに、気がつかない。

自分が言わなかったことが現実化していることを発見したとしても、『自分が言わなかったことが現実化した』とは、思わないのである。

どれだけ、欠陥のある思考か、わかるだろうか?

わからないのかな?

*     *     * 

言霊主義者は、「自分が言ったことが、現実化する」という意味で、この言葉を言っているけど、自分が言わなくたって、めちゃくちゃに多くのことが現実化しているのである。す

でに、現実化したのである。

ならば、自分が言わなかったことも現実化するし、だれかほかの人が言わなかったことも現実化するということを、認識しなければならないのである。ところが、「ヌケヌケ思考」なので、そういう認識をもつことがない。

*     *     * 

「言えば、言ったことが現実化する」という場合の主体は、第一義的には、「自分」なのである。

「自分」が言わなかったのに、すでに起こったこと……つまり、現実化したことについては、間に合わせ的に、「だれかが言ったから、現実化した」と他人を持ち出すけど、理論的な整合性はないのである。

矛盾については、間に合わせ的な思考で「これが正しい」とつぎはぎで考えているから、根本的な矛盾に突きあたらなくてすむのだ。

しかし、まちがっている。

言霊主義者は、実生活のなかでは、自分が言わなかったことが現実化しているということに気がつかなければならないのだ。

あるいは、自分も他人も言わなかったことが、現実化しているということに、気がつかなければならないのだ。

ところが、まったく気がつかない。

言霊主義者は『言えば、言ったことが現実化する。これが正しい』と思っている。言わなかったことが、現実化していることを突きつけられても、『言えば、言ったことが現実化する。これが正しい』と思っている状態がかわらない。

そして、言霊主義者が、「言えば言ったことが現実化する」と言っているときは、じつは、「言えば、現実化することもあるし、言っても現実化しないことがある」という意味をこめて「言えば言ったことが現実化する」と言っているのだ。

最初から、「言っても現実化しないことがある」ということを、言霊主義者ですら、無意識的には認めているのだ。

だから、あとだしで「言い方が悪いから現実化しなかったのだ」と「いいわけ」をすることができる。そして、その「いいわけ」が、理論的におかしいということに気がつかないですむ。

「言ったら、言ったことが現実化する場合もあるし、現実化しない場合もある」と言えばいいのに、「言えば、言ったことが現実化する」と言ってしまうのである。

これは、無意識的に、一〇〇%詐欺をしているということになる。

しかし、理論的に説明をされても、一〇〇%詐欺をしているということを認めないのである。ぼくが知っている範囲でいうと……一〇〇%詐欺について……ぼくが、ちゃんと理論的に説明してあげても、言霊主義者は、認めない。

言霊主義者は……言霊に関しては……理論的に考えることができないのである。理論的にまちがっていることは、理論的にまちがっているということを認めなければならない。

*     *     *

誤解を招くと、まずいので、ちょっとだけ言っておきたいことがある。「言ったら、言ったことが現実化する場合もあるし、現実化しない場合もある」と書いたけど、言霊の力によって、言ったことが現実化することは、絶対にない。

なぜなら、言霊も言霊の力もないからである。

言ったら、言ったあとに、ほかの理由で、言ったことが現実化する場合はあるけど、それは、言霊ではないほかの理由で現実化しただけだ。

ようするに、言ったあとに、ほかの理由で現実化した場合のことを、「言ったら、言ったことが現実化する場合もある」と(ぼくは)表現しただけなのである。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。