だいたい、他人が経験したことや他人の条件を無視して、「すべて、おまえの責任だ」と決めつけることに、なんの意味がある?
そりゃ、言いがたい悪条件や、言っても誰も理解しない悪条件をかかえている人は、「すべて、おまえの責任だ」と言われたら腹立つだろ。
なにも知らないやつが、一括処理して、とにもかくにも、なにか悪いことが発生したら「それは、おまえの責任なんだ」ということを、言ってくる。
これ、言われたら腹がたつことだということがわからないというのがおかしい。洗脳されて、頭がおかしくなると、こういう簡単なことがわからなくなる。
普段、他人に「すべては自己責任」などと言っているやつは、実際には、普通の人のように、「これは、だれだって腹がたつ」などと言っているのだ。
何度も言うけど、自分にとって、一倍速でおこったことは、自分が経験したことだから、普通に考えることができるのである。
たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは、自己責任論者だ。Aさんがある日、道に向けて、カメラのシャッターボタンを押したとする。そうしたら、自分がうつされたのではないかと思ったBさんが、自分がカメラに映ったかどうか確認させろと言ってきたとする。
そうしたら、Aさんは、自己責任論者なのに腹をたててしまう。
「なんだこの野郎」という気持になる。「だれだって、そんなことを言われたら腹がたつ」と思ってしまう。こんなやつが「すべては自己責任だ」などと人には言っているのだ。
そういうレベルことなんだよ。
何度も言うけど、自己責任論者は、普段、「すべては自己責任だ」と思わずに生きているんだよ。
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普通に、なんかのトラブルが発生したら、相手のせいだと思って、相手の責任を追及しているんだよ。
「すべては自分の責任だ」とほんとうに、すべのことに関して考えていたら、生活なんてできなくなってしまうんだよ。
自分の意識に特別にのったことだけ、「すべては、すべては自己責任だから、これは、自分の責任だ」と考えているんだよ。
それは、「自分の責任だ」と考えやすいところなんだよ。
なんでも、すべて、自分の責任だと考えているわけではないんだよ。
どんな自己責任論者も、「なんでも、すべて自分の責任だ」と考えているわけではないんだよ。普段、他人に対して「すべては自己責任」などと言っている人だって、ほんとうは、「すべて、自分の責任だ」と思って暮らしているわけではないということは、重要なことだ。
これは、意地悪で言っているわけではなくて、重要なことなのだ。ある種の「鈍感力」と言えるものがあるのである。鈍感力がなければ、自我が崩壊してしまうのである。理屈としての自己責任論というのは、それほど、インパクトがあるものなのである。
ほんとうは、「ほんとうに、すべては自己責任だ」と思って暮らしていたら、体がもたないのだ。精神がもたないのだ。
けど、自分のことに関しては……逆に、自分のせいではないとはっきりと思えるので、自我が成り立っているのである。
「すべては自分の責任」なのであれば、他人の身に起こったことも、自分の責任になってしまうのである。
かりに、他人が不幸な条件で不幸な出来事を経験したとする。この経験に「自分」がかかわってなかったとする。
しかし、「すべては自分の責任」なので、それも、「自分の責任」ということになる。
しかし、実際は、自己責任論者は、そんなピュアなこころをもっていないので、他人の身の上に起こったことは、すべて、その他人の責任だと割り切って考えることができるのである。
自己責任論というのは、じつは、「自分の責任だ」ということには、焦点が当てられていない思考法であり理論なのだ。「すべて他人の責任だ」と考える理論が、自己責任論なのである。
「他人の身の上に起こったことは、すべてその他人の責任だ」と考えるのが、自己責任論にのっとった考え方なのである。「自分の責任」ではないのである。他人が不幸なのは、自分の責任だと考えるのが、自己責任論ではなくて、他人が不幸なのは、その他人の責任だと考えるのが自己責任論になってしまうのである。
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この世には条件の差があり、「どうしようもない条件下」で、その人が不幸なことを経験するということがある。けど、それも、自己責任論によって、その人のせいにされてしまう。自己責任論というのは、自分の責任を追及する理論ではなくて、他人の責任を追及する理論なのだ。
「なんだろうが、そいつの責任だ」と割り切って考えるが自己責任論者の考え方だ。ここでも、個々人の「個別性」や条件の「個別性」は無視されてしまうのである。
言霊思考において、言ったことではないことが発生している場合は、言霊とその事象の関係がまったく考えられないのとおなじで、事象と自己責任論との関係が考えられていないのである。
ようするに、言霊主義者は「言ったことが現実化する」という理論を支持しているわけだけど、言わなかったことが現実している場合には、言霊とその現実との関係を無視してしまうのである。
それとおなじように、自己責任論者は、個別性を無視してしまうのである。事象にはさまざまな理由がある。人の不幸な体験には、さまざまな理由がある。
ところが、「なんだろうがそいつのせいだ」と考える自己責任論者は、他人の身に起こった事柄の個別性を無視してしまうのである。
長くなったけど、言霊主義者の現実無視力は、自己責任論者の現実無視力と、似ているところがある。この「現実無視力」を「鈍感力」と言い換えると、言霊主義者も自己責任論者も、相当にレベルの高い「鈍感力」をもっているということになる。