2025年6月4日水曜日

言霊主義者も自己責任論者も、相当にレベルの高い「鈍感力」をもっているということになる。

だいたい、他人が経験したことや他人の条件を無視して、「すべて、おまえの責任だ」と決めつけることに、なんの意味がある?

そりゃ、言いがたい悪条件や、言っても誰も理解しない悪条件をかかえている人は、「すべて、おまえの責任だ」と言われたら腹立つだろ。

なにも知らないやつが、一括処理して、とにもかくにも、なにか悪いことが発生したら「それは、おまえの責任なんだ」ということを、言ってくる。

これ、言われたら腹がたつことだということがわからないというのがおかしい。洗脳されて、頭がおかしくなると、こういう簡単なことがわからなくなる。

普段、他人に「すべては自己責任」などと言っているやつは、実際には、普通の人のように、「これは、だれだって腹がたつ」などと言っているのだ。

何度も言うけど、自分にとって、一倍速でおこったことは、自分が経験したことだから、普通に考えることができるのである。

たとえば、AさんとBさんがいたとする。Aさんは、自己責任論者だ。Aさんがある日、道に向けて、カメラのシャッターボタンを押したとする。そうしたら、自分がうつされたのではないかと思ったBさんが、自分がカメラに映ったかどうか確認させろと言ってきたとする。

そうしたら、Aさんは、自己責任論者なのに腹をたててしまう。

「なんだこの野郎」という気持になる。「だれだって、そんなことを言われたら腹がたつ」と思ってしまう。こんなやつが「すべては自己責任だ」などと人には言っているのだ。

そういうレベルことなんだよ。

何度も言うけど、自己責任論者は、普段、「すべては自己責任だ」と思わずに生きているんだよ。

*     *     *

普通に、なんかのトラブルが発生したら、相手のせいだと思って、相手の責任を追及しているんだよ。

「すべては自分の責任だ」とほんとうに、すべのことに関して考えていたら、生活なんてできなくなってしまうんだよ。

自分の意識に特別にのったことだけ、「すべては、すべては自己責任だから、これは、自分の責任だ」と考えているんだよ。

それは、「自分の責任だ」と考えやすいところなんだよ。

なんでも、すべて、自分の責任だと考えているわけではないんだよ。

どんな自己責任論者も、「なんでも、すべて自分の責任だ」と考えているわけではないんだよ。普段、他人に対して「すべては自己責任」などと言っている人だって、ほんとうは、「すべて、自分の責任だ」と思って暮らしているわけではないということは、重要なことだ。

これは、意地悪で言っているわけではなくて、重要なことなのだ。ある種の「鈍感力」と言えるものがあるのである。鈍感力がなければ、自我が崩壊してしまうのである。理屈としての自己責任論というのは、それほど、インパクトがあるものなのである。

ほんとうは、「ほんとうに、すべては自己責任だ」と思って暮らしていたら、体がもたないのだ。精神がもたないのだ。

けど、自分のことに関しては……逆に、自分のせいではないとはっきりと思えるので、自我が成り立っているのである。

「すべては自分の責任」なのであれば、他人の身に起こったことも、自分の責任になってしまうのである。

かりに、他人が不幸な条件で不幸な出来事を経験したとする。この経験に「自分」がかかわってなかったとする。

しかし、「すべては自分の責任」なので、それも、「自分の責任」ということになる。

しかし、実際は、自己責任論者は、そんなピュアなこころをもっていないので、他人の身の上に起こったことは、すべて、その他人の責任だと割り切って考えることができるのである。 

自己責任論というのは、じつは、「自分の責任だ」ということには、焦点が当てられていない思考法であり理論なのだ。「すべて他人の責任だ」と考える理論が、自己責任論なのである。

「他人の身の上に起こったことは、すべてその他人の責任だ」と考えるのが、自己責任論にのっとった考え方なのである。「自分の責任」ではないのである。他人が不幸なのは、自分の責任だと考えるのが、自己責任論ではなくて、他人が不幸なのは、その他人の責任だと考えるのが自己責任論になってしまうのである。

*     *     *

この世には条件の差があり、「どうしようもない条件下」で、その人が不幸なことを経験するということがある。けど、それも、自己責任論によって、その人のせいにされてしまう。自己責任論というのは、自分の責任を追及する理論ではなくて、他人の責任を追及する理論なのだ。

「なんだろうが、そいつの責任だ」と割り切って考えるが自己責任論者の考え方だ。ここでも、個々人の「個別性」や条件の「個別性」は無視されてしまうのである。

言霊思考において、言ったことではないことが発生している場合は、言霊とその事象の関係がまったく考えられないのとおなじで、事象と自己責任論との関係が考えられていないのである。

ようするに、言霊主義者は「言ったことが現実化する」という理論を支持しているわけだけど、言わなかったことが現実している場合には、言霊とその現実との関係を無視してしまうのである。

それとおなじように、自己責任論者は、個別性を無視してしまうのである。事象にはさまざまな理由がある。人の不幸な体験には、さまざまな理由がある。

ところが、「なんだろうがそいつのせいだ」と考える自己責任論者は、他人の身に起こった事柄の個別性を無視してしまうのである。

長くなったけど、言霊主義者の現実無視力は、自己責任論者の現実無視力と、似ているところがある。この「現実無視力」を「鈍感力」と言い換えると、言霊主義者も自己責任論者も、相当にレベルの高い「鈍感力」をもっているということになる。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。