実際には、職階という上下関係がある。会社で働くとなると、上下関係の影響をうける。だから、「よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手の問題だと思って、相手の言っていることを無視していい」ということも、実際の人間関係のなかで発せられる言葉なのである。あるいは、生きる指針として語られる場合は、そのような場面も含めて、「よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手の問題だと思って、相手の言っていることを無視していい」という言葉が語られるのである。ようするに、実際に「運用」されている場面は、さまざまな関係のなかに埋め込まれているのである。ところが、「よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手の問題だと思って、相手の言っていることを無視していい」という考え方が、現実的な関係をまったくふくまない「理想空間」で形成されるのである。「よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手の問題だと思って、相手の言っていることを無視していい」というようなライフハックのような言葉は、どこでも成り立つ言葉として流通するけど、実際には、成り立たない環境がある。とりあえず、「よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手の問題だと思って、相手の言っていることを無視していい」というような考え方を、「相手の問題・割り切り理論」と呼ぶことにする。よく考えなおして、自分が正しいと思ったら、相手が言っていることは、相手の問題だと考えるということだ。
「考えなおしたから、おまえの問題だ」と言える余地がある。「考えなおした」ということが、「相手におしつける」口実になってしまうのだ。人の考えなんて、ある程度決まっているから……「これは、適切範囲要求だ」と思っていれば、考えなおしても、たいていの場合、適切範囲要求だと思うことになる。相手の言っていることを、退けることができる。あたかも、合理的な判断のように思えるかもしれないけど、「考えなおしたのだからいい」「考えなおすと、やっぱり、相手の問題だから、相手にこれを押し釣ることは問題がない」と思うのだ。
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たとえば、きちがい兄貴は、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らしているのに、まったく、悪いと思っていない場合も、きちがい兄貴が「考えなおして」も問題が解決しないのである。無意識のレベルで、聴力を落としているので、でかい音で鳴らしていても、普通の音で鳴らしているとしか思わないのだ。そういう、特殊な人である場合も、やはり、「相手の問題だと、割り切ることで」問題が解決するかというと、解決しないのだ。
兄貴だって……認知的な問題をかかえている兄貴だって……ほんとうは自分の問題なのに、「文句を言ってくる弟の問題だ」と割り切って、きちがい的にでかい音で鳴らすことができるのだ。いっぽう、ぼくが、「兄貴の問題だ」と問題を切り分けても、依然として、きちがいヘビメタを鳴らされている状態なら、ぜんぜん、問題が解決していないということになる。たしかに、きちがい兄貴の問題なのだけど、『きちがい兄貴の問題だ』と割り切ることで、問題が解決しない。問題とはなにか? ここでは、きちがい兄貴が、きちがい騒音を鳴らすという問題が、問題なのだ。
「どれだけなにを言われても」……考えなおして、相手が悪いと思ったら、それは、相手の問題だから、自分には関係がないという考え方は、背景を抜きにして考えれば、それなりに使えるライフハックのように思えるかもしれないけど、現実はちがうのである。