腹は、いたくないけど、頭がもやもや、もやもやしてしかたがない。横になるしかないかな。眠るわけはいかないけど、横になるしかないか。これじゃあ、楽しくないよな。
まあ、鬱よりなのだけど、不安になるかもしれない。「楽しいことをしよう」と思っただけで、不安になる。普通の状態じゃないんだよな。普通の人は、旅行のことを考えれば、楽しくなる。俺は、憂鬱になる。外食でも、あれやこれでも、普通の人なら、楽しめることが、俺には楽しめない。
ヘビメタ騒音でこうなった。
どれだけのことが続いたか、みんな、知らない。わかっていない。
どういうことが続いたのか、ぜんぜんわかっていないのである。しかし、ほとんどの人が「わたしだって、苦労した」「俺だってつらい思いをした」と言う。しかし、しかし、旅行に行きたいとか、歓楽街に行きたいとか、あれがしたいとか、これがしたいというのがある。そして、あれをしているあいだは、楽しめる。これをするために、どこかに行くなら、どこかに行く予定を立てただけで、楽しくなる。そういう「普通の気持ち」が維持できているのに、俺にむかって「わたしだって、苦労した」「俺だってつらい思いをした」と言うことは……よくないことだと思うなぁ。だって、それは、楽しみがなくなるほど苦労はしていないということだからな。
言えば、言っただけでこうなる……。思えば、思っただけでこうなる……。こういうことを言う人たちは、もっとひどい。
こいつらも、みんな、みんな「自分だって苦労した」ということを言うわけだけど、『言えば、言っただけでこうなる……。思えば、思っただけでこうなる……』と思えるだけの「精神的な体力」がある。
ヘビメタ騒音で、そういうものを、全部かられた。この部分がわかっていないやつらなのである。
ヘビメタ騒音生活で、そういうものを、すべて、失った。
「失う必然性」がわかっていないのである。
『苦労しても、失うわけがない』と(この人たちは)思っているのである。
そういうレベルの苦労なのである。そういうレベルの苦労を想定してものを言っているのである。
ヘビメタ騒音生活がどういうものなのか、ほんとうに、わかっていない。そして、こういうやつらに、こういうことを言われる状態になったということも、じつは、ヘビメタ騒音生活から、発生しているのだ。
そして、発生も必然なんだよ。
証拠もないし、証明することもできないけど、たぶん、だれだって、おなじレベルのことを、長期間やられれば、俺とおなじ状態になると思う。
けど、やられていないから、わかっていないだけなのだ。わかっていないだけなのだけど、程度がちがう苦労や、程度がちがう楽しくない状態を想像して、そういうものだと思って、思ったことを言ってしまう。
その人たちが思っている苦労や、楽しくない状態というのは、ちがう。けど、生涯のなかで、そういう苦労や、そういう楽しくない状態しか、経験していないのだから、その人のなかでは、「苦労と言えば、こういう苦労だ」ということになるし、「楽しくない状態というのは、こういう楽しくない状態だ」ということになるのである。
きちがいヘビメタに何時間も何時間もたたられる状態というのは、そういう状態……「楽しくない状態というのは、こういう楽しくない状態だ」と思ってしまう状態を吹き飛ばすことなのである。あの連続がどういう状態をつくりだすか、まったくわかっていない人たちが、自分なりの苦労や楽しくない状態を考えて、クソを言ってくる。
ともかく、ちがう。
ともかく、こういう人たちは……「必然的にそうなる」ということを理解していない。必然的にそうなる。必然性を理解していない。必然性がわからないのは、実際に経験していないからである。
長い時間、長い期間、自分がこの世で、一番きらいな音を爆音で聞かされるということを、経験していないからである。そこでの生活がどういう生活になるのか、わかっていないのである。
じゃあ、解決への努力というものを考えてみよう。
たとえば、「楽しいことを考えて、楽しいことを実行する」ということだ。たとえば、「騒音の受け止め方をかえようと、努力する」ということだ。……いや。いや。いや。
ともかく、この人たちが「よかれ」と思って助言することが、すべて、ほんとうは「マイナス方向に働く」ということが、わかっていないのだよ。
だって、この人たちは、ほんとうに、そういう努力をすれば、問題が解決すると思っているのだから。解決しないまでも、いい方向に行くと思っているのだから。プラス方向に働くと思っているのだから。こういうところも、まったくわかっていないということを、如実にしめしている。
だって、そうだろ。わかっていないから、「プラス方向に働く」と思っているのだよ。これ、改善じゃなくて、改悪なのである。ちょっとはよくなる行為ではなくて、ものすごく悪くなる行為なのである。
ぜんぜんわかっていない。ぜんぜんわかっていないということは、ぼくとおなじような「くるしい生活」をしていないということなのだよ。
あるいは、「くるしい生活がずっと続かなかった」ということなのだよ。
持続期間は、ものすごく重大な意味をもつ。
けど、これも、軽視されがちだ。
持続期間なんて関係なく「自分だって苦労した」と言う。
持続期間についてまったく考えていないのだ。持続期間……。持続期間……。持続期間は重要だ。これがわかっていないということ自体が、そこで語られる「苦労」が、たいしたことではないということを示唆している。
* * *
まえにも書いたけど、名前だけ店長のような、かつかつの生活をしている人が、「掃除」をして、しあわせになるかどうかだよ。ちょっとでも、しあわせな感じがするかどうかだよ。かつかつの生活をしている。
……「掃除をすればしあわせになる」と言っている人は、名前だけ店長が「カツカツの生活」をしているということを、無視してしまう。
どうして無視できるかというと、ひとごとだから、無視できる。
あるいは、自分が、ほんとうは、名前だけ店長のようなかつかつの生活を、長期間にわたって、経験したことがないから、名前だけ店長のようなかつかつの生活を、長期間にわたって経験すると、肉体と精神にどういう変化がしょうじるか、わかっていないから無視できる。
わかっていないから、言える。
「掃除をすればしあわせになる」と言える。掃除をすることで、名前だけ店長がしあわせになるということを言える。名前だけ店長も、ちょっとは、運がよくなるということを、言える。
かつかつの度合いがわかっていないのだ。
ひとごと……だから。
けど、「自分だって苦労した」と言える。「自分だってくるしいときはある」と言える。「自分だってつかれるときはある」と言える。「自分だって楽しくないときはある」と言える。言える。言える。言える。
けど、かつかつの度合いがわかっていないのである。
そういう状態になるまでの期間の長さを無視した発言をしている。ぜんぜん、わかっていないのだ。
ひとごとだからわかっていないという点もあるし、経験がないからわかっていないという点もある。片方だけ成り立っている場合も、両方とも成り立っている場合も、名前だけ店長の状態を無視した発言をすることができる。
自分の発言が、名前だけ店長の役に立つと思っているのだ……。思っているのだから、わかっていない。名前だけ店長がかつかつな状態で暮らしているということが、わかっていない。
こういう人たちは、名前だけ店長が、かつかつの生活をしているということを無視して、名前だけ店長が(家に帰ったあと)その体で、掃除をすれば運があがると思っているのだ。
名前だけ店長が(家に帰ったあと)名前だけ店長の家、あるいは、名前だけ店長の部屋を掃除すれば、掃除をしたのだから、いい状態で暮らせると思っているのだ。
「かつかつの状態だ」ということを無視している。
俺も、ヘビメタ騒音でかつかつの状態だったんだけど、かつかつの状態だということを、無視しまくるやつらが、クソを言ってきたという経験がある。
かつかつの状態だということを言っているのに、かつかつの状態だということを無視する。かつかつの状態を生み出している原因を無視する。
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たとえば、「掃除をするとさっぱりしていい気分になる」とAさんが思っているとする。
実際に、Aさんが掃除をしたとき、Aさんは、さっぱりしていい気分になったのである。さっぱりしていい気分になることをしあわせを感じると言い換えたとしよう。
その場合、「掃除をするとさっぱりして、しあわせになる」ということになる。でっ、この「しあわせになる」というのは、一時的に「幸福感があった」ということだ。
別にAさんは、嘘を言っていない。
掃除をして、掃除をしたあと、掃除したところを見て「さっぱりした」と思い、同時にしあわせを感じた。
しかし、だからと言って、だれもが、掃除をしたあと、 「さっぱりした」と思い、同時にしあわせを感じるわけではないのである。
たしかに、掃除をすると、さっぱりして、気持ちがいい場合がある。しかし、いつも気持ちがよくなるとは限らないのである。
かつかつの状態だと、掃除をしても、つかれはてて、破滅的な気分になる。かつかつの状態だからだ。
相手が、長期間、毎日、かつかつの状態で暮らしているということを、無視しては、いけないのである。