まるで、みんな、気にしていないけど「XをすればYになる」というようなライフハックは、やはり、いくつもの、問題を抱えている。
問題なのは、ほんとうに、Yになると思っているところなのだ。
そして、元気にポジティブに言えば、それに、引きずられる人が出てくる。誤解が誤解を生む状態になる。そして、単純な人……と言ってしまうけど……単純な人は、「XをすればYになる」という文と「すべてのXにおいて、Xをすれば、一〇〇%の確率でYになる」という文が、意味的に等価であるということに気がつかない。
説明されたって、わからないのである。
なので、この部分にも、理論的な誤解の「種」がまかれている。
ともかく、「すべてのXにおいて、Xをすれば、一〇〇%の確率でYになる」という文の意味と「XをすればYになることだってある」という文の意味を、区別しないということには、問題がある。
しかし、区別をしない人や、区別ができない人は、区別をしないと言うことに問題があるとは、考えないのである。
じつは、これは、問題だ。ほんとう、問題なんだよ。けど、区別しない。
多くの人は、区別しない。ほんとうは、区別してもらわないとこまる。しかし、区別しない。
「問題が決すると言えば、問題が解決する」とする。この場合、すべての問題が解決するのである。
ただ単に「問題」と言った場合も、「すべての問題」と言った場合も、おなじ意味になってしまうのである。
問題ではない問題はないので、問題という集合は、すべての問題という集合と、等価になるのである。
だから、ただ単に「問題が解決する」と言っただけで「すべの問題が解決する」ということになる。「問題が決すると言えば、すべての問題が解決する」のである。
「すべての問題が決すると言えば、すべての問題が解決する」と言わなくても「問題が決すると言えば、すべての問題が解決する」のである。
「言えば、問題が解決する」とする。たとえば、兄のヘビメタ騒音が俺にとって問題だとする。その場合、ぼくが、「兄のヘビメタ騒音がすぐに鳴りやむ」と言えば、すぐに鳴りやむのである。
ぼくが、「兄のヘビメタ騒音が一秒以内に鳴りやむ」と言えば、「兄のヘビメタ騒音は一秒以内に鳴りやむということになる……はずだ。
ところが、鳴りやまなかった。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の意思で鳴らしていることなので、きちがい兄貴が、鳴らすのをやめようと思わなければ、きちがい兄貴は鳴らすのをやめない。
ぼくが、自分の部屋でどれだけ「兄のヘビメタ騒音は一秒以内に鳴りやむ」と言ったって、鳴りやまないのだ。どうしてかというと、「言えば、問題が解決する」という理論が間違っているからだ。間違っているのである。
「言えば、問題が解決する」ではなくて、「問題が解決すると言えば、問題が解決する」でもいい。
あるいは、「言えば、言ったことが現実化する」でもいい。
ともかく、「言えば、言った内容が、現実化する」という理論は間違っている。
間違っているんだよ。
「言えば、言った内容が、現実化することだってあるじゃないか」と思うかもしれない。
もちろん、言った内容が、言ったあとに、現実化することはある。
けど、「現実化することがある」だけだ。言えば、言った内容が、かならず、現実化するわけではないのである。
だから、「区別することは大切だよ」と言っているのだ。「言えば、言った内容が、現実化することだってある」という文の意味と「言えば、言った内容が、現実化する」という文の意味は、不等価なんだよ。なんでわからないのかな?
じゃあ、「すべての問題は解決すると言えば、すべての問題が解決する」とする。言うだけで、すべての問題が解決してしまうのだ。
もちろん、言うだけで「ヘビメタ騒音の問題」も解決するはずだ。「すべての問題は解決すると言えば、すべての問題が解決する」のだから、ヘビメタ騒音の問題も解決する。
ところが、解決しないのである。「すべての問題は解決する」と言っても、解決しないのである。
問題なのは、善意で助言しているということなのである。いままで、言霊という言葉を使ってこなかったけど、言葉に宿っている言霊の力によって、問題が解決するという理論なのである。
言霊があるから「すべての問題は解決すると言えば、すべての問題が解決する」と思っているのである。言霊主義者だけではなくて、一般の人にも、この感覚はある。
どうしてかというと、みんな、幼児期をこえて生きている人は、幼児的万能感をもっているからだ。
多かれ少なかれ幼児的万能感をもっているのである。なので、言霊理論は、一般人にも、感覚的に受け入れやすい理論なのだ。「言えば、言ったことが現実化する」のだから、「言う」だけでいい。安直な解決方法だ。言うことができる人には、だれにでも、できることだ。
安直な解決方法なのである。
そして、オールマイティーなのである。
どんなことも、解決できるのである。
どんな願いもかなうのである。
どんな願いも、言うだけでかなう。こんなすばらしいことはない。そりゃ、事実なら、信じたい。信じたいと思うのが人間だ。
ところが、事実じゃないのである。事実じゃない。だから、信じている人は、裏切られるのである。
『けど、信じている人はいるじゃないか』と思うかもしれない。そりゃ、信じている人はいる。信じている人は、誤解をしているのである。誤解をしているだけだ。
けど、誤解をしているだけだということは、認めない傾向が強い。ぼくの経験の範囲で言うと、言霊にこだわっている人が、誤解をしているだけだということを、認めてくれたことはない。
問題なのは、正しいと思って、善意で言うことなのだ。善意で、言う。相手を助けてやりたいつもりで言う。そのこころに、嘘はない。
だからこそ、問題なのだ。これも、わかってくれないか。