2026年5月17日日曜日

●「できると言えばできる」と「努力すればできる」(1)■言霊※2026/05/16 5:21

「できると言えばできる」という文と「努力すればできる」という文は、おなじような機能を持つことになるのである。

「できると言えば、できる」のだから、「できる」と言えばできるのである。「できる」と言ったあとに、「できない」状態なのであれば、それは、言霊理論が間違っているからなのである。

「言い方が悪い」というようなことは、一切合切、関係がないのである。

言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化される」という言霊理論が間違っているから、「できる」と言ったあとも、できない状態なのだ。「できる」と言ったあと、「できる状態」になることは、ある。

あるけど、いつも、一〇〇%、できるようになるかというとそうではないのだ。

そして、肝心なことなのだけど、言霊の力によって、「できる状態」になったのではないのだ。

たとえば、なわとびの二重廻しが、できない人が、「できる」と言ったあと、なわとびの二重廻しができるようになったとする。もし、「できる」と言ったことが関係しているのなら、それは、言葉の力だ。自己暗示はある。

それから、すでにできる体力的な条件がそろっていて、「できる」と言わなくても、その日には、できるようになっていたかもしれない。

ようするに、「時間」が必要だったのかもしれないのだ。

やるまえに、『ひょっとして、自分はできるんじゃないかな』と思ってやってみたら、できたということはある。

けど、赤ちゃんにはできない。「自分」が赤ちゃんのとき、二重廻しができるかというと、できない。

ようするに、身体的な成長をまたなければならない。体が成長するということも、「言霊」の力によって、体が成長したわけではない。

「できる」と言ったあと、できるようになったとしても、それが、言霊の力によって、できるようになったのだと考えるのは、すでに、言霊理論におかされているから、そう感じて、そう考えるだけなのだ。

「できる」と言わなくても、そのトライのとき、できたかもしれない。だいたい、できると言わなくても、やってみたら、できたことがあるはずだ。

それなら、「できる」と言わなかったときに、できるようになったことについては、どう説明するのだ?

言霊理論が正しいなら、親が、「この赤ちゃんは、三秒以内に二重廻しができるようになる」と言えば、言霊の力によって、「この赤ちゃん」は、三秒以内に二重廻しができるようになる。

もし、できるようにならないのであれば、言霊理論が間違っているということだ。

「この赤ちゃん」が成長して、一〇歳ぐらいになったとき、二重廻しができるようになったとする。その場合、言霊主義者は「この子が赤ちゃんとき、二重廻しができるようになる」と言ったから、言霊の力によって、二重廻しができるようになったと考えるのだ。

しかし、赤ちゃんのときはできなかった。成長をまたなければならなかった。

どうしてだ?

言霊の力で二重廻しができるようになったわけではないからだ。

身体的な成長が必要だった。そして、身体的な成長には、時間が必要だった。練習をすれば、できるようになるときはある。別に「できる」と言わなくても、できるようになるときは、できるようになる。

身体的な成長や、そのときの気分などが影響する。そのときの気分というのは、重要だ。

「できるようにしなければならない」とへんなところに力が入っていると、できることも、できなくなってしまう場合がある。気分は重要なんだよ。

そして、いちおうは、やってみたいという気分になっているわけだ。気分は、重要なんだよ。

トライしようと思っていないのであれば、そもそも、何回目かのトライで、できるようになるということがない。

しかし、「できる」と言わなかったのに、一回目のトライで、できることだってある。

その場合も、身体的な成長と気持ちが関係している。「できる」と言わなくても、一回目のトライできることはあるのだから、「できると言えば、できる」という一〇〇%構文の文は、間違っている。

命題として考えた場合、「できると言えば、できる」という命題は『偽』なのである。

さらに、言霊の力によってできるという考え方は、間違っている。

できると言ったあと、できる状態になることはあるけど、言霊の力によって、できる状態になったわけではないのだ。

●毎日そうなんだよ■騒音※2026/05/16 4:04

 たとえば、きちがい親父が、竹を植えようとしたとき、おかあさんが「竹なんて植えたら、たいへんなことになるからやめて」ということを、必死になって言ってたんだよ。そして、親父が、発狂モードで植えてしまった。実際に、親父がやったことは、おかあさんが言ったことをガン無視して、おかあさんがいやがっている竹を植えたということだ。ところが、それがもつ意味がわかっていないのである。もちろん、竹が実際に、庭のあちこちにはえて、たいへんなことになって、わからないままだ。邪魔な竹を切ってほしいから、「邪魔な竹を切ってくれ」と親父に(おかあさんが)言うと、親父は、また、真っ赤な顔をして無視してしまうのだ。実際にやってることはこういうことなんだよ。竹は、成長するので、俺が自転車を出すときは、どれだけ急いでも、蚊に五か所ぐらいは刺されるということになっていた。さらに、自転車を出すときに、竹が背中にあたるのである。竹が、自転車を出すための道に、しだれかかるようにのびていた。だから、雨がふったあとは、背中に、雨水がついてしまうのである。背中がぬれる。「自転車を出すための道」というのは、うちの庭の道のことだ。道と書いたけど、庭の一部だ。きちがい親父に内緒で、勝手に、竹を切ってしまうと、ひどい騒ぎになるので、こっちが勝手に竹を切ることができないのである。だから、親父に「切ってくれ」と頼むわけだけど、頼むたびに、きちがい親父が発狂して、たいへんなことになってしまうのだ。基本的に言って、『自分が言われたらいやなことは、言われると腹が立つ』のだ。これは、親父以外の人間もそうだけど、親父は、そういう性格を煮詰めたようなところがある。その割には、「文句を言われそうなことを、いっぱい、やる」のである。だから、こっちは、言いたくないことを言わなければならなくなるのである。竹だけではなくて、ほかの木も、そうなのである。親父がうちのなかでやることに関しても、そうなのである。親父がだしっぱなしにしたものを、こっちが片づけてしまうと、たいへんなことになるので、いやなのである。でっ、俺が小さいときは、主におかあさんが親父に言ってたのだけど、親父は、どんなことでも、言われると、真っ赤な顔をして不機嫌になり、腹を立てていた。でっ、ちゃんとやってくれるかというと、やってくれないのである。これが、へんなところなのだけど、何十回も言われたから、しかたがなく、木の枝を切るとする。けど、親父が切りたい枝しか切らないのである。だから、邪魔な枝がいつまでも残って、いつも、こっちが不快な思いをしていたのだ。親父がへんな人だから、普通なら絶対に木を植えないようなところにも、木を植えてしまうのである。「自転車を出すための道」と書いたけど、そこにも、木を植えてしまった。けど、この木は、背が低い木で、何十年たっても、大きさがほとんどかわらない木なのである。「棟梁さん」が、「幸福の木」とか言っていたけど、不幸の木だ。通り道の真ん中に植えてしまうのである。本人は、気にしないんだよ。けど、自転車を出して、門のところまで行くときに、いちいち、邪魔な感じがしていた。注意して、避けなければならない。通りにくいのである。けど、これも、親父が生きているあいだは、切ることがなかった。移動もしてくれなかった。へんなところがあって、自分が植えたい気持ちで植えたやつは、親父にとっては、邪魔にならないのだ。けど、普通の人なら絶対に植えないようなところに、植えてしまう。

で、きちがい兄貴のヘビメタ騒音もまったくおなじなんだよ。まーったくおなじなの。これ、よその人はわからないんだよな。親父は性格としてそうなっているんだよ。毎日、コンスタントにそうする。兄貴も性格としてそうなっているのだよ。毎日、コンスタントにそうする。親父の場合は、植物を植えるということで、トラブルを発生させたのだけど、兄貴は、ヘビメタを鳴らすということで、トラブルを発生させたのだ。ほかの家族(当人以外の家族)がどれだけ言っても、親父も兄貴も、まったく気にしないのである。言われたときは、顔を真っ赤にしておこるのである。発狂モードになってしまう。発狂モードになったときに、相手が言ったことをやるかというと、やってくれないのである。ところが、「やってやらなかった」ということも、頭にまったく残らないのである。「文句を言っているときの」相手の感情というのは、全部、ほんとうに、無視してしまうのである。そして、本人たちにとって「やりたいこと」はやりたいことだから、やってしまうのである。頑固に無視して、やってしまう。相手が「やめてくれ」と言ったことを、頑固に頑固に、発狂して、やってしまう。それは、相手の感情を踏みにじる行為なんだよ。そして、そのあともやり続けるわけだから、相手は、こまり続けるわけなんだよ。毎日そうなんだよ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。