2026年5月19日火曜日

●「できると言えばできる」と「努力すればできる」(3)■言霊※2026/05/16 5:21

「すべての努力するということにおいて、努力すれば、成功する」という文と「努力すれば成功する」という文は、意味的に等価なのだ。

その場合、赤ん坊だって、努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功するということになる。

垂直飛びで一〇〇メートルジャンプするように、努力すれば、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることに成功するというこになる。努力論者は、「そんな、むちゃなことは言っていない」と言うかもしれない。

しかし、才能がなくてできない人に、「努力すれば成功する」ということは、赤ちゃんに対して「努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功する」と言うこととおなじなのである。

「赤ん坊じゃないだろ」と言うかもしれない。

では、足がない人に、「努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功する」と言うことはどうなのか?

すべての努力するということにおいて、努力すれば、成功するんだよ。

じゃあ、普通の人に、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプするように努力すれば、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることに成功するということは、どうか。

普通の人は、どれだけ努力しても、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることができない。「努力すればできる」というのは、そのような「制限」を無視した表現なのである。「努力すればできる」というのは、本質的に「できると言えばできる」とおなじように「制限がない」ことを前提とした表現なのである。

ところで、普通の人に、走り幅跳びで八メートルとぶように、努力すれば、八メートルとぶことに成功するという場合は、どうか?

人類のなかには走り幅跳びで八メートルとべる人がいる。

なら、みんな、努力すれば、八メートル、とべるようになるのか?

そんなことはない。普通の人には、走り幅跳びで八メートルとべるような才能はない。才能がない人に、「努力すれば成功する」と言うということは……普通の人に、「走り幅跳びで八メートルとぶように、努力すれば、八メートルとぶことに成功する」と言って、走り幅跳びで八メートルとべるように、努力しろと言っているのとおなじなのである。

もちろん、多くの努力論者は、走り幅跳びで八メートルとべない。

努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになるか、真剣に考えたほうがいい。「そんな無理なことを言っているわけではない」と言うかもしれない。

しかし、条件が特別に悪い人にとっては、「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言われているようなものなのである。

その分野において才能がない人にとっては、「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言われているようなものなのである。

ところで、社会で求められる力には、かたよりがある。

普通の会社で、普通に働く能力というのは、人間の能力のなかの、一部の能力にすぎない。しかし、普通の会社で、普通に働く能力は、特別に重視されるのである。たとえば、Cさんが、走り幅跳びで八メートルとべる能力を持っていたとしても、普通の会社で、普通に働く能力がなかったとする。

その場合、Cさんは、普通の会社で、普通に働くことに、うまく適応でないということになる。

この……普通の会社で、普通に働く能力……というものが、くせ者なのだけど、とりあえず、普通の会社で、普通に働く能力と言っておく。

これ、ほんとうは、相当にあいまいな表現なのである。

普通の会社とはなにかとか、普通に働く能力とはなにかなんて、ほんとうは、うまく定義ができない。具体的な会社のなかで、求められる能力は、ちがうのである。その会社のなかでも、どういう仕事をするかによって、求められる能力がちがう。

ほんとうのことを言えば、「普通の会社で、普通に働く能力」という言葉は、抽象度が高すぎて、話にならないのである。

しかし、とりあえず、言いたいことを言うために、普通の会社で、普通に働く能力……という言葉を使ってみた。

普通の会社で、普通に働く能力……もしくは、普通の会社で、普通に働く才能がない人に、「努力すれば成功する」と言って、できない仕事を押し付けるのは、けっこう、ひどいことなのである。

それは、「普通の人」に対して「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言っているようなものなのである。

無理な努力を押し付けている。

はっきり言えば、普通の人が努力しても、走り幅跳びで八メートルとべるようになる確率は、非常に低い。まず、無理だ。たいていの人には、無理なことなのである。

それとおなじで、なにかについて才能がない人にとっては、なにかについて「努力すれば成功する」と言われても、無理なことを言われているということになる。

なにかについて才能がない人に「努力すれば成功する」と言っても、無駄なのである。無理なことを押し付けていることになる。

そして、努力をしても、けっきょく、成功しなかった人の損害というのは、成功しなかった人が引き受けるしかないことなのである。

ようするに、無駄な努力をすることで、有限の体力も、有限である人生の時間も、消費してしまうことになる。得られるのは、「自信のなさ」だ。あるいは、破滅感だ。

「無駄な努力をすることによって」自分の人生を破壊してしまうことになる。人生の時間は有限だ。無限じゃない。

走り幅跳びで八メートルとべる能力がない人は、人間的に悪い人ではない。

別に走り幅跳びで八メートルとべなくても、「性格が悪い」とは、言えない。

ところが、普通の会社で、普通に働く能力の場合は、性格が悪い人だと言われるようになるのである。努力論が変換装置として成り立っているから、能力がない人は、努力をしない性格が悪い人だと言われるようになる。

「努力をすれば成功するのに、努力をしようとしないからダメなんだ」とか、「努力をすれば成功するのに、じゅうぶんな努力をしないからダメなんだ」とかと言われるようになる。

努力論を通すと、才能のなさが、性格の悪さに変換されてしまうのである。才能がない人には「だらしがない」とか「さぼり魔だ」とか「誠実ではない」とかというようなイメージがつきまとうのだ。

つまり、努力論者や、努力論者の影響を受けた人は、だれか「才能がない人」を「だらしがない人だ」とか「さぼり魔だ」とか「誠実ではない人だ」とかと決めつけてしまうのである。

その人たちのなかでは、「才能がない」人は、「だらしがない人」「さぼり魔」「誠実ではない人」ということになる。

努力論が、そのような変換装置として機能しているのである。人のこころのなかで、他者に対する見方を、かえてしまう。努力論が成り立っていると、「才能がない人」が「誠実ではない人」になってしまうのである。あるいは、努力論が成り立っていると、「才能がない人」が「性格の悪い人」になってしまうのである。

努力論は、一見よさそうなのだけど、ほかの人をダメ人間だとみなすようなしくみに貢献する。努力論がはびこっていなければ、その分野の才能のない人は、その分野の才能がない人……だということで、終わる。

「その分野の才能がないこと」は、「その分野の才能がないこと」だけを意味して、それだけで、終わる。

その人が、あたかも「道徳的に悪いことをしているようには」みなされないのである。努力論が社会にはびこっていると「その分野の才能がないこと」が「道徳的に悪いことをしているように」みなされてしまう。

やるべきことをやらずにさぼっているのだから、性格が悪い人だということになってしまう。道徳的な人ではないということになってしまう。

その分野の才能がない人が、この見方を、否定するには、「できるようにならなければならない」のである。

しかし、「才能がないからできない」のである。別にさぼっているわけではない。努力論がはびこっていると……「その分野の才能がない人」は、そこに居づらくなるのである。

たとえば、仕事場にいづらくなるのである。あるいは、社会のなかでいづらさを感じることになるのである。

2026年5月18日月曜日

●「俺だって眠れない夜はある」■騒音※2026/05/18 22:22

睡眠ひとつとっても、きちがいヘビメタ騒音に何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、さらされ続けたら、交感神経が興奮して、眠れなくなるのに、「そんなの、関係、ない」と言うやつは、ヘビメタ騒音の影響を認めない。

影響、あるんだよ。

関係、あるんだよ。

こいつらのうち、何人かが「俺だって苦労した」と言いやがった。「俺だって、騒音ぐらいある」と言いやがった。

けど、ちがうんだよね。

だいたい、きちがい兄貴は、きちがい兄貴が鳴らしたいから、鳴らしている。きちがい兄貴が、よそでは絶対に鳴らせないような、でかい音で鳴らしたいと思っているから、よそでは絶対に鳴らせないような、でかい音で鳴らしている。

きちがい兄貴は、きちがい「兄貴の気持ち以外」の理由がないのである。こういうことも、「そんなの、関係、ない」と言うやつは無視するけど、きちがい兄貴が、「きちがい兄貴の気持ち」以外の理由がない状態で鳴らしているということは、重要なことだ。

たとえば、工事をするのは、工事をするという目的がある。だから、音が出る。別に、音を出したくて、音を出しているわけではない。

ちゃんと、「気持ち以外の目的」がある。これが、「容認できる目的」なのか、「容認できない目的」なのかは、感情に影響を与えるのである。

容認できない目的の場合は、余計に腹が立つのである。

そして、きちがい兄貴がきちがい兄貴なので、ほんとうは、夢中になって、全部の時間……鳴らしているのに、全部の時間……あたかも、静かにしてやったような気分でいるのだ。この認知のずれ……。この認知のずれだって、やられてるほうにしてみれば、容認できないことだ。

普通の人間は、でかい音で鳴らしているときは、でかい音で鳴らしているということを……言葉ではなんと言っても……認識している。

ところが、きちがい兄貴の場合、この認識が一切合切なのである。

その部分について、ぼくは、きちがいだと言っているわけ。

それについても、ちゃんと、理由があるんだよ。きちがいだと言うのには、理由があるんだよ。

きちがい兄貴が、きちがい的なでかい音で鳴らし続けているのに、一切合切、きちがい的なでかい音で鳴らし続けているという、認識をもたない……ということは、容認できないことなんだよ。

きちがい兄貴のこの認識は、きちがい兄貴の、特殊な、態度を生み出す。この態度が、これまた、容認できないものなのである。

これは、きちがい兄貴のような、他人が、横の部屋にいない人には、わからないことなんだよ。

家族として、きちがい兄貴のような他人が、横の部屋で、きちがい的にでかい音……きちがいでなければ、気にして鳴らせないような音でずっと鳴らしているということが、発生していない人にはわからないことなんだよ。

横の部屋で、きちがいではない他人が、音を鳴らしていても、それは、きちがいではない他人なのだから、抑制された音になる。

そして、もし、でかい音で鳴らしていたとしても、きちがいではないのだから、でかい音で鳴らしているということを、認識せざるをえない。でかい音で鳴らしている人は、『自分が』でかい音で鳴らしていると認識している。

きちがいではない他人は、どうしても、認識してしまうのである。

この部分を、きちがい兄貴は「スキップ」しているのである。きちがい的なしくみで、『やってないこと』にしてしまうのである。

こんなの、ない。

この部分が、ほかの人が経験した「騒音」とはちがうのである。この部分が、ほかの人が経験した「家族の騒音」とはちがうのである。これは、重要なことだ。

しかし、「そんなの、関係、ない」と言うやつや、「俺だって苦労した」と言うやつや、「俺だって、騒音ぐらいある」と言うやつは、無視するわけ。理解しないんだよ。説明したって、理解しないんだよ。

こいつらはこいつらで、頑固に、認めない。

実際に、ヘビメタ騒音で眠れなくなるのだから……眠るべき時間に眠れなくなるのだから、影響は、ある。一日に影響を与える。次の日に影響を与える。

きちがい兄貴が、きちがい的な頑固さで、きちがい的な感覚で、きちがい的な態度で、次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も、おなじように鳴らしてしまうのだから、そういう日が「つもる」のである。そういう日が「つもれば」……そりゃ、長期的な影響が出る。ぼくの体に長的な影響が出る。

ところが、こいつらにとっては、「自分のことではない」ので、「影響が出る」ということを認めないのである。

「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と言ってくる。

言霊主義者なら、カルト的な言霊理論にしたがって「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってくる。

けど、「きちがい兄貴」による「ヘビメタ騒音の影響」があるから、元気だ元気だと言っても、元気にならないのである。ちゃんと理由がある。

ところが、こいつらは、理由を無視して、「ちゃんと言わないからダメなのだ」「言い方が悪いからダメなんだ」と、ダメ出しをしてくる。その背後には「俺はちゃんと言えるから、元気になるもんねぇーー」という、意識がある。自慢。自慢。マウント。マウント。

こいつらに「ちゃんと理由があるから元気だと言っても元気にならない」ということを言ったって、「言霊は絶対だ」とかなんだとか言って、認めないのである。

こんな、頭が悪いやつらに、マウントをとられることになる。こんな、頭が悪いやつらに、バカにされることになる。「言い訳だ」「あまえている」とののしられることになる。

ついでに言っておくと、「俺だって、眠れないときはある」とか「俺だって眠れない夜はある」と言って、「そんなのは関係、ない」と言うやつらもおなじだ。

関係がないわけがないだろ。こいつらの「眠れない夜」とぼくの眠れない夜は、ちがうんだよ。

一日でも、眠れない夜があれば、ヘビメタ騒音という理由を否定できるという、へんな考え方をもっているのである。

「きちがい兄貴の、普通の家では鳴らせない、きちがいヘビメタ騒音で、眠れなくなるのだ」ということを、認めないのである。

そして、一日でも、眠れない夜があれば、ヘビメタ騒音でこまっている、俺を見下していいと思ってしまうのである。

「俺だって苦労した」という言葉は、苦労を同質化・同量化してしまうのだけど、「俺だって眠れない夜がある」という言葉で、眠れない夜の質を、同質化してしまって、眠れない夜の日数を、同数化(同量化)してしまうのである。

時間の長さ、期間の長さは、重要な影響を与える。

こいつらは、期間の長さ……眠れない日が続く期間の長さを、無視している。

期間の長さを無視するなんて、アホすぎる。

ぜんぜん、ちがうのに、こいつらは、ひどい。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。