2026年10月25日日曜日

●ヘビメタ騒音で憂鬱だ■騒音※2026/10/25 15:10

  やっぱり、ヘビメタ騒音で●●そうだ。ヘビメタ騒音で人生がない。ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で憂鬱だ。あんな生活、ない。ない。あんなことをやられて、普通の精神を保てるわけがないだろ。あんなことを、やられて、普通の肉体を保てるわけがないだろ。あーー。ほんとうに、全部、ない。ぼくがやりたかったことは、全部、できなかった。いろいろなところで、おかしくなるんだよな。そりゃ、そうだろ。ヘビメタ騒音のことをほんとうに理解してくれた人なんて、ほんとうは、いない。理解というのがどういうことなのかということだ。ぼくだけが、体験したことだ。やられていた間の記憶がない人にわかるわけがない。

一番頭にくるのは「鳴り終わったら関係がない」という発言だ。これは、ゆるしがたい。これは、ゆるしがたい。ゆるしがたい。

まあ、そんな発言で、頭にくるということ自体が、きちがい兄貴のやったことの異常性をものがったているのだ。しかし、きちがい兄貴がやったことの異常性ではなくて、ぼくの反応が異常だということになってしまう。これが、ぼんくら野郎の発想だ。こういうレベルの思考なんだよ。こいつらは!! 

仕事でつらい人は、仕事をやめれば、普通の状態に戻れる。しかし、俺はどうだ? 俺だって、仕事をすればつらいけど、仕事をやめたって、普通の状態に戻れるわけではない。きちがいヘビメタにやられた状態に戻るのだ。これがどういう意味だかわかるか?

どうやっても、どうやっても、しあわせになれない。しあわせどころか、苦痛を感じない、普通のレベルになることができないのだ。ヘビメタ騒音の連続というのはそういうことなんだよ。きちがい兄貴が、きちがいセンスで、きちがい的な意地で、きちがい騒音を鳴らし続けた……。鳴らし続けたというのが問題なんだよ。こんなの、普通の家(うち)だったら、ありえない。うちだから、そうなったのである。うちだから、きちがい兄貴が十数年間毎日、きちがい兄貴が満足できるでかい音で鳴らすことができたのである。うちだから……。うちだから……。

けど、普通の人は、これも無視してしまうのである。そして、毎日連続したということの意味を無視してしまう。こいつらにとってみれば、そういうことでしかないのである。どうしてかというと、こいつらは、おなじことやられたことがないからだ。おなじ生活をしたことがないからだ。こいつらは、まったくなにもわかっていない。

こいつらが「こだわっている」とか「気にしすぎだ」とかと言うのだ。これ、どれだけ、頭にくる発言がわかっているのか? もちろん、わかっていないだろう。つまり、こいつらも、きちがい親父とおなじだ。こいつらも、きちがい兄貴とおなじだ。こいつらの思考レベルはこういう思考レベルだ。

どや顔で「こだわっている」と言って、いい気になっている。どや顔で「気にしすぎだ」と言って、正しいことを言った気になっている。これが、世界だ。

こんな世界、ない。 

●「例・全体思考」■社会※2026/10/25 9:10

思考スタイルというものが問題になる。

たとえば、多くの言霊主義者は、例をあげられたあと、「このように、言えば言ったことが現実化する」ということを言われると、「言えば言ったことが現実化する」ということが、正しいと思ってしまう。

一方、日常生活のなかでは、最初から、言って現実化するということをあきらめていることがあるのだ。

しかし、それにも気がつかない。気がついたあと、無視をするのではなくて、最初から、気がつかない。

十円玉が(下方向に)落ちるのは当たり前だと思っているのだ。「十円玉は、どこまでもどこまでも、上にあがっていく」と言ったって、そんなことは、起こらないと確信している状態で、暮らしているのである。

ようするに、「言えば言ったことが現実化する」ということを信じていないのである。

とりあえず、「矛盾・鈍感思考」と呼ぶことにする。いままでは、「ぬけぬけだ」と表現してきたことだ。

例をあげられたあと、全体的な命題について語られると、全体的な命題が『真』だと信じてしまう思考のことを、とりあえず、「例・全体思考」と呼ぶことにする。

もともと、幼児的全能感があるので、幼児的全能感と結びつきやすい命題は、受け入れやすいの土台がある。

だから、例を挙げられると「XをすればYになる」という全体的な命題を真だと思ってしまう。ようするに、「XをすればYになる」と思い込んでしまう。

ようするに、洗脳したいと思っている人からすれば、こういう人たちは洗脳しやすい人なのである。

 *     *     *

たとえば、「すべては自己責任だ」という考えをはやらせたい場合、「例・全体思考」の持ち主が、いっぱい、いっぱーーーい、いたほうが、都合がよいのである。

ひとつ、例を挙げて、全体性について語ると、全体性のほうを信じてしまう人たちがいるわけ。

しかし、ほんとうは、全体について成り立つことではないのだ。「例・全体思考」の例として挙げられることは、じつは、限られている。狭い範囲で、限られた例を挙げられると、それが、あたかも、広い範囲で、全体に成り立つものだと、勝手に誤解をしてしまうわけだ。

これは、言霊に限られた話ではなくて、「親切にするとしあわせになる(しあわせな生活をすることができる)(しあわせに暮らすことができる)」といった命題にも成り立つものなのである。

その場合、立場が弱い人が、標的になり、圧力をかけられることになる。わかるかな?

 「すべては自己責任だ」とか「「親切にするとしあわせになる」とかと言っている人たちの頭のなかにあるのは、じつは、狭い範囲の限られた例だ。

ところが、普遍化して考えているのである。言葉は、言葉だから、抽象化して、考えるわけなんだけど、抽象化して、抽象度が高い全体性について考えているという意識がないのである。

ようするに、例と全体例(全体性)は、直結しているものなのである。この人たちの頭のなかで、直結している。

しかし、ほんとうは、直結していない。例と全体例(全体性)は、直結していない。

相手の立場について考える力が弱いと、あるいは、普通のレベルだと、相手の個別具体性を無視してしまうのである。

頭のなかに「抽象度が高い全体」が成り立っているので、目の前の他人の、現実を無視してしまう。その場合、立場が弱い(他人)が傷つくことになる。

しかし、頭のなかに「全体性」が成り立っているので、「全体性」のほうが正しいと思ってしまうのである。ようするに、各命題は「どんなときでも正しい」と思っているのである。

しかし、これも、「どんなときでも正しい」と言っていないというような、言い訳が成り立つ余地があるのである。

この余地は、誤謬だ。全体性について語っているのだから、どんなときでも正しいということを語っているということになる。

「どんな場合でも、正しい」という前提で話しているのだけど、「どんな場合でも正しいと言っているわけではない」という言い訳が成り立つ状態なのだ。

これも、思考の矛盾なのである。ただ、矛盾に気がつかない。全体性について語っている人が、自分の思考に矛盾があるということに気がついていないのだ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。