2026年6月4日木曜日

●俺が、すぐに停電はなおると言ったから、すぐに停電がなおった■言霊※2026/05/31 21:19

じつは、おどろくべきことに、言霊主義者は、こわれた冷蔵庫を「言霊で」なおすことさえ、できないのだ。

じつは、おどろくべきことに、言霊主義者は、電源プラグを電源コンセントにささなければ、冷蔵庫の庫内をひやすことさえできないのだ。

もちろん、冷蔵庫を設置してくれた人は、電源プラグを電源コンセントにさすだろう。だから、言霊主義者の家でも、冷蔵庫の庫内は、冷えるわけだ。

言霊主義者は、あたりまえだと思っているけど、電気で、冷蔵庫内を冷やしているのだ。

たとえば、電源プラグを電源コンセントから、ぬいたとする。その場合は、もちろん、冷蔵庫庫内は、次第に室温とおなじになる。

だから、冷蔵庫庫内だけ冷えている状態は、維持できない。

しかし、言霊でなおすことができるはずなのだ。言霊理論が正しいなら、確実になおすことができる。

「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」と言えば、言っただけで、例外なく、 「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」のだ。

だから、ほんとうなら、冷蔵庫なんて必要がないし、かりに、冷蔵庫を使っている場合でも、電源プラグを電源コンセントにつながなくても、言霊の力で、冷蔵庫庫内の温度を、自分が言った通りの温度にすることができる。

例外はない。

言い方が悪いから、「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」と言ったのに、「冷蔵庫庫内が、摂氏五度にならなかった」なんてことはないのだ。

もっと、驚くべきことは、言霊主義者が、このことに気がつかないことだ。自分のうちの「冷蔵庫」が、こわれたら、言霊主義者でも、『言霊で』なおそうとはしないのだ。

もともと、冷蔵庫なんか使わなくても、言霊で、自由に温度を調整することができる。

さらに、「これこれは、くさらない」と言えば、くさらない状態を維持できる。

まあ、腐敗のプロセスと消化のプロセスはおなじなので、くさらないと言われたものを食べると、消化ができないということになってしまう。

だから、たとえば、「このエリアは、摂氏五度になる」と言えば、「このエリアは、摂氏五度になる」ので、それで、おしまいだ。

冷蔵庫なんて買う必要がない。電力会社と契約して、電力を買う?必要はない。電気の力なんて使わずに、言霊の力を使って、ものを冷やすことができる。

室温だって自由自在だ。「エアコンの電気代が高い」などと言う必要はない。

ところが、人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者も、普通に、電力会社と契約をして、普通に、エアコンを使っているのである。

なんで、言霊で室温を調整しようとしないのか。

言霊では、室温を調整することができないので、言霊で、室温を調整しようとも思わないのだ。言ったところで、冷えないので、言わない。

言っても冷えないということを、言霊主義者が知っている。

言ったところで、あたたかくならないので、言わない。

言っても、あたたかくならないということを、言霊主義者が知っている。

自分の現実的な問題に関しては、現実的な対処をするのである。エアコンを設置してもらったり、エアコンのスイッチを入れたりして、温度の調整をしようとする。

もし、もし、停電で電気が切れた場合は、言霊の力で、どうにかすることかできるかというと……人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者といえども……どうにかすることができないので、停電から復旧して電気が入るのをまつしかない。

停電しているときに「すぐに停電はなおる」と……ある言霊主義者(Aさん)が言ったとする。そして、すぐに停電がなおったとする。つまり、停電から復旧したとする。

なら、その言霊主義者(Aさん)が「言ったから」言霊の力によって、停電から復旧できたのかというとそうではないのだ。

勝手に、言霊主義者が『俺が、すぐに停電はなおると言ったから、すぐに停電がなおったのだ』と思っただけだ。

こういう勘違いをしているのが、言霊主義者なのだ。

そして、何度も言うけど、言霊主義者だって、電気の力で、部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしているということを、知っている。知っているのだ。

人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者ですら……言霊の力で、部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしていると考えているわけではないのだ。

問題なのは、言霊主義者自身が「言霊の力で部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしているわけではない」ということを知っているのに、「言えば言ったことが(言霊の力で)現実化する」と言ってしまうことなのだ。

矛盾をまったく感じないということが問題なのだ。

2026年6月3日水曜日

●「言霊的な助言」をするたびに、真理から離れていくのである■言霊※2026/05/28 4:03

ほんとうは、言霊理論が正しいなら、働かなくてもよいのである。

ところが、言霊主義者の頭のなかには、言霊理論と「人間は働くべきである」という価値観が、両立していることが多い。

そうなると、現実の場面では、言霊主義者は、名前だけ店長ではなくて、ブラック社長の見方をするということになる。

その場合、名前だけ店長に「無理なことを」言って、名前だけ店長を追い込むということになる。「できるできると言って頑張ればいい」ということになってしまう。

ところが、名前だけ店長は「でなくなった」から、こまっているのである。

できなくなった名前だけ店長に対して、言霊主義者は「できるできると言って頑張ればいい」とこたえるのである。このズレがわかるだろうか。

名前だけ店長は、もうさんざんやってきて、「限界だ」と言っているのだ。「もう限界だ」「もうこれ以上はできない」と言っているのだ。

しかし、強欲なブラック社長や、ブラック社長に同調するアホな言霊主義者は、名前だけ店長が必死になって言ってることを、無視してしまう。

そのうえで、頭がおかしいアドバイスをするのだ。

これがどういうことなのか、言霊主義者はわかっていない。言霊主義者は、自分のことは、理解しているのだ。自分が一倍速で感じていることについては、理解している。自分がどのくらいつかれているのかということは理解している。

だから、言霊主義者だって、名前だけ店長とおなじことを、十数年間にわたってすれば、「もう無理だ」ということが、わかるのだ。自分のことだと、わかる。

しかし、他人のことだと、わからなくなる。

他人のことなら、それは他人のことなので、自分が一倍速で経験してきたことではない。

だから、名前だけ店長が、その十数年間でどれだけつかれているのかということを、簡単に無視してしまう。

しかも、自分のことに関しては、無視しないということも、無視してしまう。

他人のことについて考えているときは、ごく自然に、他人が一倍速で感じていることを無視してしまうのだけど、自分のことについて考えているときは、ごく自然に、自分が一倍速で感じていることを無視しない。

そして、「自分が一倍速で感じていることを無視しない」ということを、ごく自然に無視してしまう。

これが、問題なんだよ。

運用のレベルで問題があるということを、どれだけ言ったって、こういう人たちは、わからないのだ。

自分のことと他人のことについて、まったくちがった理解が成り立っているということについて無自覚であり、無自覚なことを認めないわけだから、運用レベルでの問題は、(本人としては)感じないことになる。

体感できないのだ。

その場合、人には、言霊理論に基づいた「無理なことを言って」悦に入るということになる。

これ、じつは、「いいことをした」と思ってるのだ。

自分としては、「よい助言をしてやった」と思っているのだ。

ところが、無理なことを押し付けているだけなのである。

言霊理論は間違った理論なので、「無理なことを押し付ける」ときは、重宝する理論なのである。言霊理論は間違った理論なのだけど、言霊主義者のなかでは、正しい理論だということになっているので、言霊主義者・本人は「正しいことを言った」と思うようになっている。

言霊主義者のなかでは「言霊的な助言をすること」はよいことなのである。ここらへんのズレがわかるだろうか。これは、悪魔に利用されているとしか、言いようがない。

こういう、自分のことならちゃんと「無理だと」判断できるのに、他人のことになると、言霊理論を持ち出して、無理なことを言うやつらが、増えるのはよくないことだ。自己責任論にもおなじことが成り立っている。

これ、本人が一倍速で感じていることについては、自己責任だと思わないのである。自分のなかに、ちゃんとした?理由がある場合は、自己責任だと思わないのである。

しかし、他人のことであれば、「なんだろうが、自己責任」で、その他人の責任だと、その他人をせめることができる人間になっている。

自分に適応する基準と、他人に適応する基準が、まったくちがうのに、本人がそれを意識できないのだ。

こういう人間を増やすことはよくない。

まあ、自己責任論に関しては、今回は、自己責任論と言霊理論はおなじような問題をかかえているということを、指摘するだけにしておこう。

*     *     *

じつは、「XをすればYになる」というタイプの助言にも、言霊理論に基づいた助言とおなじことが成り立っている場合が多い。

「XをすればYになる」というタイプの助言した人は、いいことをしたつもりになるかもしれない。

しかし、条件が悪い人には、「無理なこと」である場合がある。条件が悪いから、「できないこと」があるのだ。

ところが、 「XをすればYになる」というタイプの助言をする人には、「無理なこと」に思えない。条件がちがう世界で生きてきたので、「無理なことだ」ということが、理解できない。

「XをすればYになる」というタイプの助言をする人にも、言霊主義者のようなところがあり、自分が一倍速で感じていることは重視するけど、他人が一倍速で感じていることは無視するという傾向がある。

ようするに、自分が……かりに、その他人とおなじ条件なら、自分にもできないということを、理解していないのだ。

ほんとうは、条件は重要だ。

ところが、他人の条件を無視してしまうのである。

だから、その他人にとって「無理なこと」でも、助言をする人にとっては「無理なことではない」ということになってしまう。

だいたい、「XをすればYになる」というのは、一〇〇%構文の文なので、条件を、最初から無視している。なので、『他人の条件』は当然に無視されることになっている。

その場合、サブルーチンに入ってしまう。

ようするに、『やり方が悪いからできないのだ』というサブルーチンや『方向が間違っているからできないのだ』というサブルーチンや『こころがけが悪いからできないのだ』というサブルーチンに入ってしまう。

『こころがけが悪いからできないのだ』と表現したけど『こころがまえができていないから、だめなのだ』とか『こころの用意ができていないからダメなのなのだ』という表現が使われることもある。

あるいは、『マインドセットの問題だ』というマインドセットサブルーチンに入る場合もある。

ともかく、相手の側(助言を受ける側)の問題で「できないのだ」ということになる。

もともとの、理論に無理があるということにはならない。助言を受ける側の「不足」によって、理論通りにいかないのだということになる。

「不足」というのは、たりていない状態だ。『やり方が悪い』『方向が間違っている』『こころがけがよくない』「こころがまえがよくない」「こころの準備がよくない」「こころの用意がよくない」「マインドセットがよくない」と相手側の不足によって、本来なら、うまくいくはずのことが、うまくいかないのだということになる。

そういう決めつけをされることになる。助言をされて、なおかつ、助言通りにしたのに、うまくいかない人は、自動的に、『やり方が悪い』『方向が間違っている』『こころがけがよくない』「こころがまえがよくない」「こころの準備ができていない」「こころの用意ができていない」「マインドセットがよくない」ということになる。

*     *     *

言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、真理から離れていくのである。 

言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、善からも離れていく。言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、こころがよごれていく。

 「XをすればYになる」というタイプの助言をする人も、良心?にしたがって、助言をするたびに、傲慢になり、こころがよごれていくのである。

この人たちは、一〇〇%詐欺構文の文で、条件が悪い人に無理なことを言う。そして、言霊主義者とおなじように「やり方が悪いからできないのだ」というサブルーチンや「方向が間違っているからできないのだ」というサブルーチンや「こころがけが悪いからできないのだ」というサブルーチンに入ってしまう。

こころがけサブルーチン、こころがまえサブルーチン、こころの用意サブルーチン、マインドセットサブルーチンに入ってしまう。それぞれのサブルーチンについて語っているときも、よいことをしていると思っている。

ところが、相手をディスって、いい気持ちになっているだけなのである。

こころが、よごれていく。傲慢な気持ちが強くなる。マウントをして楽しいと思ってしまう。

そして、相手が、条件について、言及すれば、相手に対して、おこってしまう。

相手に対して怒りの感情がわいてくる。

「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」と腹を立ててしまう。けっきょく、よごれる。助言をするたびに、くさっていくのだ。それこそ、こころが、くさっていく。

うまくできている。うまくできていると思う。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。