ほんとうに、いろいろと不愉快な記憶がよみがえってくる。どうして、不愉快な記憶のほうが、残るのだろう。楽しい記憶だってあったはずなのに、なんか、蜃気楼のように消えてしまった。不愉快な記憶に関しては、リアルなのである。そのまま、感情が再現・再生されてしまう。
基本、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音にやられるということは、(ぼく自身が)ダメ人間側にシフトにするということなのである。どうしてかというと、実際に、鳴らされているあいだ、くるしいし、鳴らされたあと、眠れなくなって睡眠時間を確保できなくなるからだ。寝不足で動いているときの、不愉快な気持ちといったらない。実際に、不愉快な出来事が、(ちゃんと眠れる場合よりも)多く発生してしまうのである。そして、次の日もそれが続く。次の日もそれが続く……のは、きちがい兄貴が、きちがいヘビメタを最大音量で鳴らすことをあきらめずに、最大音量で鳴らしているからだ。強制的に、腹が立つし、強制的に睡眠時間が減らされるのである。しかし、ほかの人は、ぼくではないので、「強制的に睡眠時間が減らされるということはない」と考えるのだ。鳴り終わったら関係がない」と考えるのだから、そう考える。ところが、強制的に、睡眠時間が減らされる。強制的に、睡眠質が悪くなる。どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音にさらされて、発狂した状態で、すごさなければならないからだ。よその人は、自分が、きちがい家族の騒音に毎日さらされている我毛はないので……毎日長時間さらされているわけではないので……強制的に「発狂した状態になる」「字尋常じゃないほど、張り詰めて腹が立った状態になる」ということも、否定してしまう。どれだけ鳴ってたって、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのだ。そんなのは、自己責任なのだ。腹を立てるからダメなんだ」と言ってくる。けど、そいつが、そいつのきらいな音に、あれだけ長しい時間さらされたら、腹が立つと思う。そして、その音源である家族が、きちがい的な感覚をもっているやつであれば、それも、腹が立つのである。けど、やられていない人は「自分なら腹を立てない」「そりゃ、ちょっとは不愉快かもしれないけど、鳴り終わったら眠れる」と考えて、俺に無理なことを言ってくる。
きちがい兄貴は、ぼくの立場が……なるくなるようになくなるように、ふるまっているのである。きちがい的な頑固さで、よそのうちでは一分間だって鳴らせないような騒音を鳴らす。どれだけ、俺が、きちがい兄貴、きちがい兄貴の騒音と自分の身に起こったことの関係を話したって、きちがい兄貴は……思いっきり鳴らしたいだけなので……認めないのである。一秒間だって、ゆずりたくないのである。自分が「屈服して」弟のために、ほんとうに我慢しなければならないとなったら、それこそ、発狂してしまうのである。そういうテンションの高さがあるのである。しかし、本人は毎日、「一秒も譲らない状態」で鳴らしているので、気がつかないのである。これをひっくり返すとなると、ほんとうに、殺さなければならなくなるのである。こっちは、こっちで、そういうテンションの高さで、不愉快ないのである。『やっていられない状態』なのである。毎日がそうなんだよ。影響がないわけないだろ。
ところが、「自分なら影響なんて受けない」と思っているやつらが、無理なことを言ってくるのだ。そいつらが、俺に無理なことを言えるのは、そいつらが実際に、やられていないからだ。実際にやられたら「自分なら影響なんて受けない」というバカな思考は粉砕される。こいつらは、想像力がないバカだから「自分なら影響なんて受けない」と思っている。けど、実際に、そいつらのまわりには、きちがい兄貴のような思考をもった人間がいないわけだから、やられないのである。きちがい兄貴のような家族がいないから、きちがい兄貴のような家族が、きちがい的な意地でやることで悩んでいないだけなのに、自分のほうが(エイリよりずっとすごい人間だ)と思っているのである。きちがい兄貴のような家族がいない。きちがい兄貴のような家族が(自分の周りにいないので)きちがい兄貴のような家族が(きちがい的な意地で)やることの影響を受けていないだけなのに、自分のほうが(影響を受けているエイリよりも)ずっと、すぐれていると思い込んでいある。こういうやつらの態度は、実際にぼくが、きちがい兄貴のきちがい行為の影響を受けているということから発生するのである。もっと言えば、こういうやつらの態度は、実際に、きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で、きちがい兄貴の感覚で、きちがい的な音を鳴らしているということから発生するのである。きちがい兄貴が、きちがい兄貴の態度で、きちがい兄貴の感覚で、きちがい的な音を鳴らしていなければ、俺は、こいつらから、無理なことを言われないですむ。こいつらの常識的な思考というのは、実際にやられていないから「自分なら影響を受けないだろう」という仮定のもとに成り立っている。
もう、かさなりすぎた。