たとえ、みんながわかってくれたとしても、きちがいヘビメタ騒音で発生してしまった問題は解決しないのだ。
しかし、少数の例外を除いて、みんながみんな、きちがい兄貴のような無理解ぶりを発揮するというのは、ゆるせないなぁ。
これ、こいつらはこいつらで、ほんとうに「自分なら影響を受けないつもり」なのだ。
「自分だって苦労した」という言葉の背景には、「同レベル」「同等」「同質」の苦労を経験したという前提が成り立っている。
この前提が間違っているのだ。
「自分だってつらいことがあった」という言葉の背景には、「同レベル」「同等」「同質」の苦労を経験したという前提が成り立っている。
ようするに、自分なら、おなじことを経験しても、普通に働けたと思っているのだ。ようするに、自分なら、おなじことを経験しても、遅刻をしない暮らしを維持できたと思っているのだ。
ようするに、自分なら、おなじことを経験しても、普通に勉強することができたと思っているのだ。
ようするに、自分なら、おなじことを経験しても、身体が弱くならなかったと思っているのだ。
ようするに、自分なら、おなじことを経験しても、憂鬱な気分は一時的なもので、ずっと毎日、憂鬱な気分ですごしたりしないと思っているのだ。
けど、ちがう。ぜんぜんちがう。
長さがわかっていない。期間の長さがわかっていない。実際にやられたことがないから、どのように、影響を与えるかわかっていないだけなのだ。
けど、問題なのは、学歴、職歴、うつ病的な鬱、慢性疲労症候群のような疲労だ。これ、きちがい兄貴がやったことを、自分の家族がやったって、自分は、普通になっていないときと同じように暮らせると思っているのだ。
ところが、6年以上頑張り続けたら、だめになるのだ。これがみんなわかっていないところなのだけど、6年間、鳴っている状態で、学校に通うことができたなら、そのまま、学校に通えるはずだと思ってしまう。
6年間、鳴っている状態で、学校に通うことができたなら、そのまま、職場に通うことができるはずだと思ってしまう。けど、その&年間がどういう、6年間なのかわかっていないだけなのだ。
どういう努力によって維持されている「学校に通える生活」「学校に通った生活」なのかと言うことが、わかっていないだけなのだ。
たとえば、名前だけ店長は、15年間、頑張って働いてきたのである。
たえて、生きてきたのである。
だから、15年目に働けなくなったのである。これが、わかっていないのだ。たとえば、名前だけ店長は、1日目、働いていたのである。なら、15年と1日目も働けるかというと、そうではないのだ。
うつ病的な鬱、慢性疲労症候群のような疲労が蓄積して、働けない状態になっている。もう、1日目のようには体が動かないのだ。15年と1日目には、動かない体になっている。
1日目にできたのだから、できると思っているやつが間違っている。
14年と1日に目に、できたことなのだから、できるにきまっていると思っているやつが間違っている。この手の間違いをおかすやつが、「わかっているわけがない」のだ。
この手の間違いをおかす人は……100%詐欺になることを恐れずに言えば……みんな、わかっていない。
この手の間違いをおかす人は「自分だって苦労した」と言うけど、まったくわかっていないのだ。こいつらの思考がおさないのだ。
こいつらの想像力が、じゅうぶんではないのだ。自分は苦労した……だから、15年目の名前だけ店長と同じぐらい苦労したにきまっていると考えてしまう。
けど、その人の苦労は……通勤を続けることができるぐらいの苦労なのである。ぜんぜん・おなじじゃないのである。けど、想像力がじゅうぶんにないので、「おなじだ」と思ってしまう。
だから、間違える。
そして、たとえば、名前だけ店長が、働けなくなったら、「働けないなんて言うのは、あまえだ」と言ってせめる側の人間になるのだ。
こいつら、ほんとうに、思考力がないなぁ。
名前だけ店長が働けなくなったら、名前だけ店長は、店長ではなくて、無職になる。そ
うしたら、普通の人には「無職はけしからん」という常識がうめこまれているので、普通の人は、もと名前だけ店長を無職だという理由で、バカにするようになる。