2026年5月13日水曜日

●次から次へと……■騒音※2026/05/13 21:21

 ひょっとしたら、歯医者に行く必要があるかもしれない。いやだなぁーー。どうして、こうなる? もう、いやだなぁ。なんか、もう、いろいろと、いやなんだよなぁ。体がかゆいのは、ダニなのか、アレルギーなのかよくわからない。

ダニなのかな。もう、いやだなぁ。全部が、いやだ。次から次へと……。親父対応とネズミ対応で、もう、ほんとうに、エネルギーを使い果たしてしまった。それから、なんていうのかな……。生きていても、楽しくない。なら、死んでもいいかというと、そうではない。このさき、楽しくなるような予感がない。ずっと、くるしいまま生きてきた。 

もう、つかれたなぁ。かゆいのは問題だ。やっぱり、虫か、ダニに刺されているなぁ。気温が上がると……これかぁ。

ともかく、兄貴の騒音と親父のきちがい行為で、人生がない。楽しいことなんてなかった。いや、ちょっとはあったけど……。それだって、ヘビメタ騒音に汚染された楽しみだ。「あの子」と普通に付き合いたかったというようなことを書いたけど、あれだって、わかいころじゃないと、ダメなんだよなぁ。そして、ヘビメタ騒音に汚染されていない、わかいころじゃないとダメなんだよなぁ。けっきょく、このさき、どれだけ、楽しむように心がけても、きちがいヘビメタ騒音にたたられていたわかいころとおなじように、ダメなんだよなぁ。この、雰囲気が、もう、ヘビメタ騒音だ。だれにも、頼れないまま、きちがいヘビメタ騒音にさらされて……それでも頑張って生きてきたけど……頑張って生きていればいいというものではない。頑張って生きていれば、楽しかったかというと、楽しくなかった。きちがいヘビメタ騒音でいつも、引きつっていた。きちがいヘビメタ騒音でいつも、暗い気持ちだった。けっきょく、その延長線上で生きている。気ちがい家族がおらず、家族のきちがい騒音にさらされ続けなかった人は、まったくわかっていないんだよな。「そんなの可能であるはずがない」と言ってやりたくなる。あいつらが言っていることは、全部、無理なことなんだよ。楽しめるわけがない。生きているだけで、くるしい。ヘビメタ騒音でくるしい。 

*     *     *

ひとつひとつが、めちゃくちゃに、憂鬱なんだよなぁ。いま、午後九時四一分だけど、ヘビメタ騒音の雰囲気がする。いつも鳴っていた。あんな状態でいいわけが、ない。きちがい兄貴の状態というのが、ほかの人にはわからない。実際に、きちがい兄貴の行為が続いてしまった場合の、影響というのが、ほかの人にはわからない。実際に、毎日つもらないとわからない。明るい気分になれるはずがない。どれだけ張り詰めた状態で暮らしているか、まったくわかっていないやつばかりだ。「そんなのは関係がない」「なにがヘビメタ騒音だ」と言ったやつを、なぐってやりたい。まあ、なぐらなかったし、なぐらないけど……。

ごく一部の例外を除いて、みんな、ほんとうに、わかっていない。こいつらが想像するようなことじゃないのである。こいつらが想像するような影響のでかさではないのである。これ、ほんとうに、ぜんぜんわかっていないやつが、えらそうなことを言う。家に、きちがい兄貴のような家族がおらず、きちがい基準の騒音にさらされなかっただけなのに、えらそうなんだよ。『自分なら平気だ』という、気持ちがある。「なんだ!!そんなのぉ!!」と言ったやつも、ゆるせんなぁ。 

●努力論者は、相手をせめることに成功する(2)■社会※2026/05/12 20:52

あんまり言いたくないけど、努力論者が「だれか」を「さぼり魔だ」とか「ダメ人間だ」と決めつけたということは、ほかの人にも影響を与える。

たとえば、Aさんは、ほんとうは、才能がないから、成功しないのだけど、「ちゃんとした努力をしないだめな人間だ」と決めつけられることになる。そういう発言を、職場でしたなら、ほかの人もAさんは「ちゃんとした努力をしないだめな人間だ」とみなすようになるのである。

Aさんは、死に物狂いの努力をしていたかもしれない。「間違った方向の努力だ」と思われがちなのだけど、間違った方向の努力かどうかは、わからない。

これも、成功しなかったという事実に基づいて、勝手に努力論者側が、「Aさんは間違った方向の努力をしている」と決めつけただけなのだ。後出しジャンケンだ。ずるいことをしている。

ともかく、努力論者が、だれかを「努力論」に従って、「ダメ人間だ」と言い切ってしまうと、ほかの「努力論者ではない人たち」も、影響を受けて、だれかを「ダメ人間だ」と決めつけるようになる。そうなると、その人は、その場所で、居場所を失うことになる。

才能がないだけなのに、「努力不足だ」と言われて、「(ちゃんとした努力をしないダメ人間のレッテル」をはられて居場所を失うのである。

 ある分野の才能がないということは、ある分野の才能がないということを意味しているにすぎない。

ところが、「さぼり魔だ」ということになると、道徳の問題になるのである。

才能がないだけなのに、「性格が悪い人だ」ということになってしまうのである。才能の問題が、性格の問題になってしまう。努力論は、才能がない人のことを、「悪い性格をもっている人」にしてしまうのである。

どうしてなら、ほんとうは努力するべきなのに、努力しない人間だということになり、それは、努力をしようとしない性格の問題だということになってしまうからだ。

才能がないだけなのに、性格が悪い人だということになってしまうのである。

これも、「努力論」が実際の社会で運用されることになると、発生する問題だ。

かりに、Aさんが、その分野で才能がないということに悩んでいるとする。ところが、努力論者のなかでは「才能の問題」はないことになっているので、「努力不足の問題だ」ということになってしまうのである。

けっきょく、「さぼろうとしているAさんが悪い」ということになってしまう。Aさんが、どれだけ、頑張って努力しても、「やること」に成功しない限りは、努力をしていないことになってしまうのである。あるいは、努力不足ということになってしまうのである。

あるいは、正しい方向で努力をしてないということになってしまうのである。

まあ、まとめると「さぼって、ちゃんとした努力をしないから、やることに成功しないのだ」ということになってしまうのである。 Aさんが、なんらかの作業をする場合、その、なんらかの作業する場合には、絶対に必要なあることがでなかったとする。

その必要なことをする才能がAさんにはなかったとする。

その場合、Aさんは、その作業をすることに成功しないわけだから、努力不足だということになってしまうのである。ちゃんと努力をしていない問うことになってしまうのである。

Aさん(本人)は、どれだけ、ちゃんとやろうと努力したとしても、結核的に、その作業ができないのであれば(その作業をやることに成功しないのであれば)……自動的に、ちゃんと努力をしていないということになってしまうのである。

別に、さぼりたいわけではないかもしれない。けど、どれだけ努力をしてもできないのだから、しかたがない。

けど、努力論者や努力論者の影響を受けた人は、Aさんが「さぼり魔だからダメなんだ」と思ってしまうのである。

Aさんが「努力をおこたった」からダメなんだと思うようになってしまうのである。Aさんは、努力をしないような悪い人だということになってしまうのである。

ちゃんと努力をしないということは、誠実ではないということになってしまうのである。

Aさんは、「誠実ではない」のではなくて、その作業をする「才能がなかった」だけなのだ。ところが、才能の問題が、誠実さの問題にすりかわるのである。

ようするに、才能の問題が、性格の問題にすりかわるのである。ようするに、努力論という触媒があると、才能のなさが、性格の悪さにすりかわってしまうのである。

努力論によって、Aさんは、性格が悪い人間だと思われることになってしまうのである。Aさんがどれだけ、誠実に頑張っても、才能がないからできなかったとする。

それでも、努力論がはびこった職場では、「Aさんは努力不足で、誠実に努力をしないからできないのだ」ということになってしまうのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。