じつは、おどろくべきことに、言霊主義者は、こわれた冷蔵庫を「言霊で」なおすことさえ、できないのだ。
じつは、おどろくべきことに、言霊主義者は、電源プラグを電源コンセントにささなければ、冷蔵庫の庫内をひやすことさえできないのだ。
もちろん、冷蔵庫を設置してくれた人は、電源プラグを電源コンセントにさすだろう。だから、言霊主義者の家でも、冷蔵庫の庫内は、冷えるわけだ。
言霊主義者は、あたりまえだと思っているけど、電気で、冷蔵庫内を冷やしているのだ。
たとえば、電源プラグを電源コンセントから、ぬいたとする。その場合は、もちろん、冷蔵庫庫内は、次第に室温とおなじになる。
だから、冷蔵庫庫内だけ冷えている状態は、維持できない。
しかし、言霊でなおすことができるはずなのだ。言霊理論が正しいなら、確実になおすことができる。
「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」と言えば、言っただけで、例外なく、 「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」のだ。
だから、ほんとうなら、冷蔵庫なんて必要がないし、かりに、冷蔵庫を使っている場合でも、電源プラグを電源コンセントにつながなくても、言霊の力で、冷蔵庫庫内の温度を、自分が言った通りの温度にすることができる。
例外はない。
言い方が悪いから、「冷蔵庫庫内が、摂氏五度になる」と言ったのに、「冷蔵庫庫内が、摂氏五度にならなかった」なんてことはないのだ。
もっと、驚くべきことは、言霊主義者が、このことに気がつかないことだ。自分のうちの「冷蔵庫」が、こわれたら、言霊主義者でも、『言霊で』なおそうとはしないのだ。
もともと、冷蔵庫なんか使わなくても、言霊で、自由に温度を調整することができる。
さらに、「これこれは、くさらない」と言えば、くさらない状態を維持できる。
まあ、腐敗のプロセスと消化のプロセスはおなじなので、くさらないと言われたものを食べると、消化ができないということになってしまう。
だから、たとえば、「このエリアは、摂氏五度になる」と言えば、「このエリアは、摂氏五度になる」ので、それで、おしまいだ。
冷蔵庫なんて買う必要がない。電力会社と契約して、電力を買う?必要はない。電気の力なんて使わずに、言霊の力を使って、ものを冷やすことができる。
室温だって自由自在だ。「エアコンの電気代が高い」などと言う必要はない。
ところが、人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者も、普通に、電力会社と契約をして、普通に、エアコンを使っているのである。
なんで、言霊で室温を調整しようとしないのか。
言霊では、室温を調整することができないので、言霊で、室温を調整しようとも思わないのだ。言ったところで、冷えないので、言わない。
言っても冷えないということを、言霊主義者が知っている。
言ったところで、あたたかくならないので、言わない。
言っても、あたたかくならないということを、言霊主義者が知っている。
自分の現実的な問題に関しては、現実的な対処をするのである。エアコンを設置してもらったり、エアコンのスイッチを入れたりして、温度の調整をしようとする。
もし、もし、停電で電気が切れた場合は、言霊の力で、どうにかすることかできるかというと……人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者といえども……どうにかすることができないので、停電から復旧して電気が入るのをまつしかない。
停電しているときに「すぐに停電はなおる」と……ある言霊主義者(Aさん)が言ったとする。そして、すぐに停電がなおったとする。つまり、停電から復旧したとする。
なら、その言霊主義者(Aさん)が「言ったから」言霊の力によって、停電から復旧できたのかというとそうではないのだ。
勝手に、言霊主義者が『俺が、すぐに停電はなおると言ったから、すぐに停電がなおったのだ』と思っただけだ。
こういう勘違いをしているのが、言霊主義者なのだ。
そして、何度も言うけど、言霊主義者だって、電気の力で、部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしているということを、知っている。知っているのだ。
人には「言霊は絶対だ」と豪語する言霊主義者ですら……言霊の力で、部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしていると考えているわけではないのだ。
問題なのは、言霊主義者自身が「言霊の力で部屋を冷やしたり、部屋をあたためたりしているわけではない」ということを知っているのに、「言えば言ったことが(言霊の力で)現実化する」と言ってしまうことなのだ。
矛盾をまったく感じないということが問題なのだ。