2026年5月18日月曜日

●「俺だって眠れない夜がある」■騒音※2026/05/18 22:22

睡眠ひとつとっても、きちがいヘビメタ騒音に何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、さらされ続けたら、交感神経が興奮して、眠れなくなるのに、「そんなの、関係、ない」と言うやつは、ヘビメタ騒音の影響を認めない。影響、あるんだよ。関係、あるんだよ。こいつらのうち、何人かが「俺だって苦労した」と言いやがるんだよ。「俺だって、騒音ぐらいある」と言いやがるんだよ。けど、ちがうんだよね。だいたい、きちがい兄貴は、きちがい兄貴が鳴らしたいから、鳴らしている。きちがい兄貴が、よそでは絶対に鳴らせないような、でかい音で鳴らしたいと思っているから、よそでは絶対に鳴らせないような、でかい音で鳴らしている。きちがい兄貴は、きちがい「兄貴の気持ち以外」の理由がないのである。こういうことも、「そんなの、関係、ない」と言うやつは無視するけど、きちがい兄貴が、「きちがい兄貴の気持ち」以外の理由がない状態で鳴らしているということは、重要なことだ。たとえば、工事をするのは、工事をするという目的がある。だから、音が出る。別に、音を出したくて、音を出しているわけではない。ちゃんと、気持ち以外の目的がある。これが、容認できる目的なのか、容認できない目的なのかは、感情に影響を与えるのである。容認できない目的の場合は、余計に腹が立つのである。そして、きちがい兄貴がきちがい兄貴なので、ほんとうは、夢中になって、全部の時間……鳴らしているのに、全部の時間……あたかも、静かにしてやったような気分でいるのだ。この認知のずれ……。この認知のずれだって、やられてるほうにしてみれば、容認できないことだ。普通の人間は、でかい音で鳴らしているときは、でかい音で鳴らしているということを……言葉ではなんと言っても……認識している。ところが、きちがい兄貴の場合、この認識が一切合切なのである。その部分について、ぼくは、きちがいだと言っているわけ。ちゃんと、理由があるんだよ。きちがいだと言うのには、理由があるんだよ。きちがい兄貴が、きちがい的なでかい音で鳴らし続けているのに、一切合切、きちがい的なでかい音で鳴らし続けているという、認識をもたない……ということは、容認できないことなんだよ。きちがい兄貴のこの認識は、きちがい兄貴の、特殊な、態度を生み出す。この態度が、これまた、容認できないものなのである。これは、きちがい兄貴のような、他人が、横の部屋にいない人には、わからないことなんだよ。家族として、きちがい兄貴のような他人が、横の部屋で、きちがい的にでかい音……きちがいでなければ、気にして鳴らせないような音でずっと鳴らしているということが、発生していない人にはわからないことなんだよ。横の部屋で、きちがいではない他人が、音を鳴らしていても、それは、きちがいではない他人なのだから、抑制された音になる。そして、もしでかい音で鳴らしていたとしても、きちがいではないのだから、でかい音で鳴らしているということを、認識せざるをえない。きちがいではない他人は、どうしても、認識してしまうのである。この部分を、きちがい兄貴は「スキップ」しているのである。きちがい的なしくみで、『やってないこと』にしてしまうのである。こんなの、ない。この部分が、ほかの人が経験した「騒音」とはちがうのである。この部分が、ほかの人が経験した「家族の騒音」とはちがうのである。これは、重要なことだ。しかし、「そんなの、関係、ない」と言うやつや、「俺だって苦労した」と言うやつや、「俺だって、騒音ぐらいある」と言うやつは、無視するわけ。理解しないんだよ。説明したって、理解しないんだよ。こいつらはこいつらで、頑固に、認めない。実際に、ヘビメタ騒音で眠れなくなるのだから……眠るべき時間に眠れなくなるのだから、影響は、ある。一日に影響を与える。次の日に影響を与える。きちがい兄貴が、きちがい的な頑固さで、きちがい的な感覚で、きちがい的な態度で、次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も、おなじように鳴らしてしまうのだから、そういう日が「つもる」のである。そういう日が「つもれば」……そりゃ、長期的な影響が出る。ぼくの体に長的な影響が出る。ところが、こいつらにとっては、自分のことではないので、「影響が出る」と言うことを認めないのである。「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と言ってくる。カルト的な言霊理論にしたがって「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ってくる。けど、「きちがい兄貴」による「ヘビメタ騒音の影響」があるから、元気だ元気だと言っても、元気にならないのである。ちゃんと理由がある。ところが、こいつらは、理由を無視して、「ちゃんと言わないからダメなのだ」「言い方が悪いからダメなんだ」と、ダメ出しをしてくる。その背後には「俺はちゃんと言えるから、元気になるもんねぇーー」という、意識がある。自慢。自慢。マウント。マウント。こいつらに「ちゃんと理由があるから元気だと言っても元気にならない」ということを言ったって、「言霊は絶対だ」とかなんだとか言って、認めないのである。こんな、頭が悪いやつらに、マウントをとられることになる。こんな、頭が悪いやつらに、バカにされることになる。「言い訳だ」「あまえている」とののしられることになる。ついでに言っておくと、「俺だって、眠れないときはある」とか「俺だって眠れない夜はある」と言って、「そんなのは関係、ない」というやつらもおなじだ。関係がないわけがないだろ。こいつらの「眠れない夜」とぼくの眠れない夜は、ちがうんだよ。一日でも、眠れない夜があれば、ヘビメタ騒音という理由を否定できるという、へんな考え方をもっているのである。「きちがい兄貴の、普通の家では鳴らせない、きちがいヘビメタ騒音で、眠れなくなるのだ」ということを、認めないのである。そして、一日でも、眠れない夜があれば、ヘビメタ騒音でこまっている、俺を見下していいと思ってしまうのである。俺だって苦労した」という言葉は、苦労を同質化・同量化してしまうのだけど、「俺だって眠れない夜がある」と言う言葉で、眠れない夜の質を、同質化してしまって、眠れない夜の日数を、同数化(同量化)してしまうのである。時間の長さ、期間の長さは、重要な影響を与える。こいつらは、期間の長さ……眠れない日が続く期間の長さを、無視している。期間の長さを無視するなんて、頭がおかしい。

ぜんぜん、ちがうのに、こいつらは、ひどい。 

●「できると言えばできる」と「努力すればできる」(2)■言霊※2026/05/16 23:24

「できるように努力すれば、できる状態になることに成功する」と言い換えてしまうと、「努力をすれば、できるようになる」ということになる。

「できると言えばできる」とほとんどおなじ効力があるのだ。「できると言う」か「努力をするか」のちがいしかない。

たとえば、「時間内にこの作業を完了するように努力すれば、時間内にこの作業を完了することに成功する」という文と「時間内にこの作業を完了すると言えば、時間内にこの作業を完了することができる」という文の内容は、たいしてちがいがないものになる。

細かいところを無視すれば、結果的には、ほとんどおなじことを言っているということになる。

けっきょく、「時間内にこの作業を完了するように努力すれば、時間内にこの作業を完了することに成功する」と言っても、「時間内にこの作業を完了すると言えば、時間内にこの作業を完了することができる」と言っても、時間内にこの作業を完了させることを……強制することができる。

努力論における「努力」が、言霊理論における「言霊」のような役割をしているのである。そして、「努力をすれば成功する」も、また、「Xをすれば、Yする」型の一〇〇%構文の文なのだ。

「Xをすれば、Yする」という文と「すべてのXにおいて、Xをすれば、かならず、Yする」という文は、意味的に等価だ。この場合は、一個のXでも、Xをしたのに、Yにならないのであれば、「Xをすれば、Yする」という命題は、偽だということになる。

ようするに、命題として考えた場合、「努力をすれば成功する」という命題は偽だということになる。

ところが、多くの「普通の人たち」は、このことに気がつかずに、この文を使ってしまっている。

一個でも、「Yしない場合」があるのであれば、「Xをすれば、Yする」とは言えないということになる。「 Xをすれば、Yしない」場合があるのであれば、「Xをすれば、Yする」とは言えない。

ようするに、「努力をすれば成功する」という文は、最初から間違っているのである。

そして、「努力をすれば成功する」のだから、「努力をする」と「努力をしない」の二値しかない。どれだけ小さな努力をしても、努力をしたことになる。小さな努力をしたのに、成功しなかった時点で、「努力をすれば成功する」という文が間違いだということがわかる。

判明してしまう。

問題なのは、「何回でも努力をすればいい」ということになってしまうことだ。そして、さらに問題なのは、「できるできると言って何回でも努力をすればいい」ということになってしまうことだ。

「できると言えばできる」と「努力すればできる」というのは、カルト的な意味で、たいしたちがいがないのだ。

だから、くっつきやすい。「できる言うこと」や「努力すること」にカルト的な意味を付け加えているのだ。「できると言うことは、できるようになることを約束するわけではない。ところが、約束すると思ってる。カルト。カルト。

「努力するということは、できるようになることを約束するわけではない。

ところが、約束すると思っている。カルト。カルト。妄想的な土台がある。

問題なのは、「できると言えば、できる」という言い方の背後には、言霊主義があり、「努力すればできる」という言い方の背後には、努力論があるということなのである。

どちらも、カルト的な思考なのである。

ところが、「あたりまえのこと」としてあつかわれている。言霊主義者が多く、努力論者も多いので、たいして、問題がある考え方だとは思われないのだ。言霊主義者は、「言えば、言ったことが現実化する(これは正しい)」と言い、努力論者は「努力をすれば成功する(これは正しい)」と言うのである。

しかし、これは、妄想的な考え方だ。背後に妄想があるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。