2026年4月22日水曜日

●「生卵を台の上に落して、生卵が割れる」■言霊※2026/04/22 7:59

 いま、生卵を台の上に落してしまったのだけど、これだって、「生卵が台の上に落ちる」と言ったあと、言霊の力によって、生卵が台の上に落ちたわけではない。

予言はしなかった。

予言成就はなかったということだ。

ところが、言霊主義者は「生卵が台の上に落ちる」と言ったので、言霊の力によって、生卵が台の上に落ちたのだと解釈するのだ。予言成就型と人体感覚型がある。予言成就型というのは、どこかで、その人が、あるとき「生卵が台の上に落ちる」と言ったので、それが、現実化したというタイプの考え方だ。

一方、「元気だ元気だと言ったら元気になった」というような人体感覚型の考え方もある。これは、予言が成就したというタイプとは、ちがうタイプだ。わけて考えるべきだ。

言霊主義者だって、落とすつもりではなかったけど、生卵を落としてしまったときは、「失敗した」というようなことを思うはずだ。

落とすつもりではなかったのだ。

落とすつもりではなかったのに、落としてしまった。

結果、卵が割れて、中身が出てきた。

台の上に出てきたのか、床の上に出てきたのか知らないけど、ともかく、中身が出てくる。

落ちるとか、殻が割れて中身が出てくるというのは、物理的な現象なのである。言霊が一切合切、関係していないことなのである。

そして、言霊主義者ですら、日常生活のなかでは、このような物理的な現象をあたりまえの現象として受け入れているのだ。

何度も言うけど、「あたりまえだ」と言霊主義者が思うことに関しては、言霊主義者は、言霊理論を無視して考えてしまうのである。

しかも、言霊主義者自体は、それが、異常なことだとは思っていないのである。完全スルーで、完全に、意識にのぼらないのである。意識にのぼらない自分を、自分として、受け入れているのである。

だから、「ぬけぬけ」なのである。

予言成就型の場合は、言っておかなければならないのである。事前に言わなければ、「言ったことが」「言霊の力によって」「現実化した」ということにならない。

そりゃ、そうだろ。言わなかったことが、「言霊の力によって」「現実化した」というのは、言霊理論に照らし合わせて考えてみると、おかしなことだ。

「言ったから」現実化するのだ。

「言わなかった」のに、現実化するのは、おかしいのだ。

ところが、言わなかったことが、現実化しても、言霊主義者は、おかしいと思わないことが多い。たいていの言霊主義者は、「言わなかったことが現実化」しても、まったくおかしいと思わないのだ。

これこそ、おかしなことだろ。

どれだけ、「ぬけぬけの思考」をしているのか、よくわかる。

しかも、ぼくが、こういうことを説明しても、たいていの言霊主義者は、認めないのである。「言霊は絶対だ」「単純なのが正しい」「言ったことが、現実化する」と言って、ゆずらない。

ぼくの経験の範囲だと、ぼくが言ったことを認めてくれた言霊主義者はゼロ人だ。だれも、認めてくれなかった。

そして、「下衆の勘ぐり」をしてしまうのである。

ぼくに悪意があって、わざと間違ったことを言っていると思うのだ。これ、勘弁してくれよ。ようするに、自分が正しいと思っていることを、今度は、間違っていることだと認めるのがいやなのだ。

だから、エイリのほうに、悪意があるということにして、認めないようにする。

こういうことが起こってしまう。

その場合、エイリに悪意があって、わざと間違ったことを言っている……と思っても、別にエイリに悪いことをしたとは思わないのだ。

だから、どれだけ言葉では「きれいごと」を言っていても、無駄だということになる。

だって、そうだろう。「人がいやがることはやめましょう」「人に親切にしましょう」「すべてに感謝しましょう」と言っていたって、エイリにとっていやなことは、言うし、エイリに親切にしないし、エイリの発言に感謝しないのだ。

……この人たちは、感謝しない。

「正しいことを教えてくれた」「自分の間違いをただしてくれた」と思わずに、「エイリというやつが、よこしまなことを考えているから、言霊(理論)の悪口を言った」と思ったりするのだ。

「言霊を信じている自分のことを、悪く言った」と思ったりするのだ。「言霊は正しい」「単純なのが正しい」と言ってゆずらない……ことが多い。『エイリに悪意があって、自分に、言霊が間違っているということを信じ込ませようとしている』というようなことを考える人だっている。

やれやれ……。

いやなんだよなぁ……。

こうなることが多い。

ようするに、ぼくが説明したあとも、たいていの言霊主義者は、言霊思考をあきらめないのである。しかし、生卵を台の上に落して、割ってしまった場合は、言霊思考なしで、普通に、生卵を台の上に落して、割ってしまったと考えるのである。

言霊主義者だってそう考える。

日常生活のなかでは、言霊(理論)を完全に無視して、暮らしているのである。「生卵を台の上に落して、生卵が割れる」ということを言わなかったのに、「生卵を台の上に落して、生卵が割れる」ということが現実化したのである。

言わなかったことが、現実化した。

*     *     *

「生卵を台の上に落して、生卵を割るぞ」と思って、「私は生卵を台の上に落して、生卵を割る」と言ったあと、実際に、生卵を台の上に落して、割ったとする。

この場合は、言霊の力によって、生卵が割れたわけではないのである。「生卵を台の上に落して、生卵を割るぞ」と思った人の意志が関係している。

そして、実際にそのような行動をしたということが重要なんだよ。そして、物理的予想がつくことを、やったということが重要なのだよ。

生卵が、かたいものに衝突すると生卵の殻が割れて、中身が出てくることがあるということを、学習したのだ。

なので、このことは、「あたりまえ」のことになるのである。その人のなかで「あたりまえのこと」になる。もしかりに、言霊主義者が「生卵を台の上に落して、生卵を割るぞ」と思って、「私は生卵を台の上に落して、生卵を割る」と言ったあと、実際に、生卵を台の上に落して、割ったとする。

その場合、「言霊理論は正しい」と言いたい言霊主義者は「言霊理論は正しい」と言う。

その言霊主義者にとっては、「言霊理論が正しいことを証明した」と言うことになる……場合が多い。しかし、その言霊主義者は「言霊理論が正しい」ことを証明したわけではない。

しかし、言霊主義者のなかでそのようなことがおこなわれることが多いのである。

自分でやって、自分で納得してしまう。

「言霊は正しい」と確信してしまう。「言った通りになった」と思うわけだ。

「言った通りになったのだから、言ったことが(言霊の力によって)現実化するという言霊理論は正しい」と思うわけだ。しかし、間違っている。

日常生活の中でミスをする場合は、「思っていなかったこと」が発生したときなのである。言霊主義者だって、「思ってなかったこと」が発生した場合は、ミスをしたとか失敗をしたと思うわけだ。

ようするに、思っていなかったことが発生したのである。思ってないことを、口走ることはできるけど、数は少ない。

たいていは、思っていなかったことは、言わないのである。

だいたい、気がつかなかったことを、言えるわけがない。気がつかなかったから、ミスがしょうじた場合、気がつかなかったので、ミスがしょうじたのである。

ようするに、過去の自分が、予言したことが起こったわけではないのである。

「思わなかったこと」が発生したのだ。「思わなかった」のだから、たいていの場合は、「それ」を言うことができない。

あとで!!ミスをした認識するのである。おなじことだけど、あとで!!!失敗をしたと認識するのである。あとで!!本人が気がつくのである。

本人が、事前に、予言できるわけがないだろ。

トランス状態におちって、自分でも気がつかずに「生卵を台の上に落して、生卵を割る」と言っていたということが、あとでわかるということは、あるかもしれない。

しかし、数が少ない。

自分がトランス状態におちいったときのことを、ちゃんと記録しておかなければならない。日常生活の些細なことについて、そのようなことをやることは、まれだ。

あっても、例外的なことだ。

その場合は、トランス状態におちいったときの自分の発言を記録しておこうという意図がある。

ほんとうに、「思っていなかったのかどうか」うたがわしい。

●「実際の理由」を無視したほうは、ぜんぜん、それがわかっていない■社会※2026/04/17 3:33

言霊の場合は、言霊がないので、言霊の力によって現実化することはない。また、思霊の場合も、思霊がないので、思霊の力によって、現実化することはない。

しかし、たとえば、掃除の場合は、掃除をすることで、気持ちがいいと感じる人はいるので、掃除をしていなかったときよりも、掃除をするようしてからのほうが、幸福度が上がったと感じる場合がある。

その場合は、掃除によって幸福になったと表現することができる。

しかし、ここで重要なのは、その人の場合、ほんとうに「掃除(をすること)が欠乏していた」ということなのだ。その人が幸福ではない……あるいは、幸福感がたりないと思っている原因が、実際に「掃除だった」わけだ。

ようするに、たまたま、Xが欠乏していたので、Xを充足させることによって、幸福感が得られたわけだ。

それならば、Xの欠乏が、不幸の理由ではない人も、Xをすれば、幸福になるのかというと、ちがうのである。

ところが、一〇〇%構文で言うので、Xの欠乏が不幸の理由ではない人まで、「Xの欠乏が不幸の理由だ」と言われるわけである。

決めつけられるわけである。

決めつけるほうは、実際に、ある人の「不幸な理由は、Xをしないことだ」と思っているのである。

しかし、家族のきちがい騒音がずっと鳴っていることで、不幸な思いをしている人は、Xの欠乏で、不幸な思いをしているわけではないのである。

しかし、Xの教祖や、Xの信者は、「Xの欠乏が(その人が)不幸である理由だ」と決めつけてしまうのである。

「Xをすれば、幸福になる」と言う場合、「X」にフォーカスが集まっている。言っているほうは、「X」に意識を集中しているのである。 

何度も言うけど、「本当の理由」を見ようとしないのである。

不幸な条件が成り立っている人は、その不幸な条件によって不幸なのである。

だから、その不幸な条件から発生する実際の出来事が、不幸感のもとになっていることなのである。Xに意識を集中させている人は、相手の不幸な条件を、ガン無視するのである。

その態度自体が、不幸な人の気持ちを傷つける場合がある。

しかし、Xに意識を集中させている人は、そのことにまったく気がつかない。

Xに意識を集中させている人は、善意で、「Xをすれば、幸福になる」と言っている。

いいことを言っているつもりなのである。

この温度差は、たいていの場合、発生するものなのである。

人は……自分自身における「実際の理由」を無視されると……たいていの場合、腹が立つのである。

しかし、相手自身における「実際の理由」を無視したほうは、ぜんぜん、それがわかっていない。

こういう、温度差がある。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。