ヘビメタ騒音で人付き合いがなくなったんだよね。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音が原因なんだよ。あれだけ長く、人生を破壊するかたちで、騒音が鳴っていると、友達関係も・友達関係以外の人間関係も、くずれていく……。けど、それに気がついているのは、ぼくだけなんだよな。
30年引きこもり貧乏生活
現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2026年5月20日水曜日
2026年5月19日火曜日
●「できると言えばできる」と「努力すればできる」(3)■言霊※2026/05/16 5:21
「すべての努力するということにおいて、努力すれば、成功する」という文と「努力すれば成功する」という文は、意味的に等価なのだ。
その場合、赤ん坊だって、努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功するということになる。
垂直飛びで一〇〇メートルジャンプするように、努力すれば、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることに成功するというこになる。努力論者は、「そんな、むちゃなことは言っていない」と言うかもしれない。
しかし、才能がなくてできない人に、「努力すれば成功する」ということは、赤ちゃんに対して「努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功する」と言うこととおなじなのである。
「赤ん坊じゃないだろ」と言うかもしれない。
では、足がない人に、「努力すれば、縄跳びの二重廻しをすることに成功する」と言うことはどうなのか?
すべての努力するということにおいて、努力すれば、成功するんだよ。
じゃあ、普通の人に、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプするように努力すれば、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることに成功するということは、どうか。
普通の人は、どれだけ努力しても、垂直飛びで一〇〇メートルジャンプすることができない。「努力すればできる」というのは、そのような「制限」を無視した表現なのである。「努力すればできる」というのは、本質的に「できると言えばできる」とおなじように「制限がない」ことを前提とした表現なのである。
ところで、普通の人に、走り幅跳びで八メートルとぶように、努力すれば、八メートルとぶことに成功するという場合は、どうか?
人類のなかには走り幅跳びで八メートルとべる人がいる。
なら、みんな、努力すれば、八メートル、とべるようになるのか?
そんなことはない。普通の人には、走り幅跳びで八メートルとべるような才能はない。才能がない人に、「努力すれば成功する」と言うということは……普通の人に、「走り幅跳びで八メートルとぶように、努力すれば、八メートルとぶことに成功する」と言って、走り幅跳びで八メートルとべるように、努力しろと言っているのとおなじなのである。
もちろん、多くの努力論者は、走り幅跳びで八メートルとべない。
努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになるか、真剣に考えたほうがいい。「そんな無理なことを言っているわけではない」と言うかもしれない。
しかし、条件が特別に悪い人にとっては、「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言われているようなものなのである。
その分野において才能がない人にとっては、「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言われているようなものなのである。
ところで、社会で求められる力には、かたよりがある。
普通の会社で、普通に働く能力というのは、人間の能力のなかの、一部の能力にすぎない。しかし、普通の会社で、普通に働く能力は、特別に重視されるのである。たとえば、Cさんが、走り幅跳びで八メートルとべる能力を持っていたとしても、普通の会社で、普通に働く能力がなかったとする。
その場合、Cさんは、普通の会社で、普通に働くことに、うまく適応でないということになる。
この……普通の会社で、普通に働く能力……というものが、くせ者なのだけど、とりあえず、普通の会社で、普通に働く能力と言っておく。
これ、ほんとうは、相当にあいまいな表現なのである。
普通の会社とはなにかとか、普通に働く能力とはなにかなんて、ほんとうは、うまく定義ができない。具体的な会社のなかで、求められる能力は、ちがうのである。その会社のなかでも、どういう仕事をするかによって、求められる能力がちがう。
ほんとうのことを言えば、「普通の会社で、普通に働く能力」という言葉は、抽象度が高すぎて、話にならないのである。
しかし、とりあえず、言いたいことを言うために、普通の会社で、普通に働く能力……という言葉を使ってみた。
普通の会社で、普通に働く能力……もしくは、普通の会社で、普通に働く才能がない人に、「努力すれば成功する」と言って、できない仕事を押し付けるのは、けっこう、ひどいことなのである。
それは、「普通の人」に対して「努力すれば、走り幅跳びで八メートルとべるようになる」と言っているようなものなのである。
無理な努力を押し付けている。
はっきり言えば、普通の人が努力しても、走り幅跳びで八メートルとべるようになる確率は、非常に低い。まず、無理だ。たいていの人には、無理なことなのである。
それとおなじで、なにかについて才能がない人にとっては、なにかについて「努力すれば成功する」と言われても、無理なことを言われているということになる。
なにかについて才能がない人に「努力すれば成功する」と言っても、無駄なのである。無理なことを押し付けていることになる。
そして、努力をしても、けっきょく、成功しなかった人の損害というのは、成功しなかった人が引き受けるしかないことなのである。
ようするに、無駄な努力をすることで、有限の体力も、有限である人生の時間も、消費してしまうことになる。得られるのは、「自信のなさ」だ。あるいは、破滅感だ。
「無駄な努力をすることによって」自分の人生を破壊してしまうことになる。人生の時間は有限だ。無限じゃない。
走り幅跳びで八メートルとべる能力がない人は、人間的に悪い人ではない。
別に走り幅跳びで八メートルとべなくても、「性格が悪い」とは、言えない。
ところが、普通の会社で、普通に働く能力の場合は、性格が悪い人だと言われるようになるのである。努力論が変換装置として成り立っているから、能力がない人は、努力をしない性格が悪い人だと言われるようになる。
「努力をすれば成功するのに、努力をしようとしないからダメなんだ」とか、「努力をすれば成功するのに、じゅうぶんな努力をしないからダメなんだ」とかと言われるようになる。
努力論を通すと、才能のなさが、性格の悪さに変換されてしまうのである。才能がない人には「だらしがない」とか「さぼり魔だ」とか「誠実ではない」とかというようなイメージがつきまとうのだ。
つまり、努力論者や、努力論者の影響を受けた人は、だれか「才能がない人」を「だらしがない人だ」とか「さぼり魔だ」とか「誠実ではない人だ」とかと決めつけてしまうのである。
その人たちのなかでは、「才能がない」人は、「だらしがない人」「さぼり魔」「誠実ではない人」ということになる。
努力論が、そのような変換装置として機能しているのである。人のこころのなかで、他者に対する見方を、かえてしまう。努力論が成り立っていると、「才能がない人」が「誠実ではない人」になってしまうのである。あるいは、努力論が成り立っていると、「才能がない人」が「性格の悪い人」になってしまうのである。
努力論は、一見よさそうなのだけど、ほかの人をダメ人間だとみなすようなしくみに貢献する。努力論がはびこっていなければ、その分野の才能のない人は、その分野の才能がない人……だということで、終わる。
「その分野の才能がないこと」は、「その分野の才能がないこと」だけを意味して、それだけで、終わる。
その人が、あたかも「道徳的に悪いことをしているようには」みなされないのである。努力論が社会にはびこっていると「その分野の才能がないこと」が「道徳的に悪いことをしているように」みなされてしまう。
やるべきことをやらずにさぼっているのだから、性格が悪い人だということになってしまう。道徳的な人ではないということになってしまう。
その分野の才能がない人が、この見方を、否定するには、「できるようにならなければならない」のである。
しかし、「才能がないからできない」のである。別にさぼっているわけではない。努力論がはびこっていると……「その分野の才能がない人」は、そこに居づらくなるのである。
たとえば、仕事場にいづらくなるのである。あるいは、社会のなかでいづらさを感じることになるのである。
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。