人間の感じ方の問題と、社会のしくみが複雑に絡み合って、一〇〇%構文で、強者が弱者を食い物にするということが発生する。
しかも、強者の側は、弱者側が、言い返してこない限り、無傷なのである。
ところが、弱者側は、一〇〇%構文の文を言われることで、傷つく場合が多い。強者の側は、弱者側が、言い返してこない限り、「いい気分」でいられるのである。言われたほうは、かなりの高確率で、不愉快な思いをすることになるのである。
しかし、「Xをすれば、Yになる」と言っているほうは、弱者側(助言をされた人)が、不愉快な思いをするということに、まったく、気がつかないのである。
こういう構造が成り立っている限り、親切にするつもりで、助言をしてやっても、いいことにはならない。
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人間側の特性
1(親切にしてあげるつもり。いいことを教えてあげて、相手をすくってあげるつもり。)……ようするに、善意。
2(100%構文の文について、理解をしていない。)「Xをすれば、Yになる」という文の意味と、「Xをすれば、Yになる場合もある」ということの区別がついていない。「Xをすれば、Yになる」という文の意味は、「すべてのXにおいて、Xをすれば、かならず、Yになる」という文の意味と等価になるということを(言っている本人が)認識していない。
3(自分は、実際にそうなったという自信。)たとえば、言霊を信じている人が、言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化すると思っているとする。自分が、「元気だ元気だ」と言ったら実際に元気になったような感じがしたとする。その場合、言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化するという理論は正しいと思ってしまう。これは、誤解なのだけど、自分が正しいと思っている理論を否定されると、おこってしまうという確率が高い。
4(相手が、間違っているという自信。)3で言った通り、相手が間違っているということになっている。2について説明されても、2の説明がわからないので、2の説明を否定する。そして、相手が悪意をもっていると思ってしまう。自分が正しいことを言っているのに、相手が間違ったことを言ってくる。相手には悪意があって、自分の自信を打ち砕こうとしていると(かなりの高確率で)思ってしまう。理論的なことは、理論的なことだから、認めなければならないんだよ。けど、認めない。相手が自分の自信をなくさせようとして、わざと、悪いことを言ってくると思う確率が非常に高い。「単純なのが正しい」とか「理屈じゃねーえんだよ」とかという場合が多い。