2026年5月24日日曜日

●こういうところで、二重三重におかしいんだよ■騒音※2026/05/24 10:36

今日は、もうすでに、防草シートをはった。むかし、プロがはった防草シートに穴があいたり、隙間ができたりしていたので、なんとか、ふさごうとしたのだ。考えると簡単なのだけど、実際には、地面の高さで切れない、木の幹や竹があるので、でこぼこで、むずかしい。西側は、隣の家との間に、ブロック塀があるのだけど、ブロック塀と防草シートのあいだに、隙間ができてしまうのだ。さらに、家屋と防草シートのあいだに、隙間ができてしまうのだ。これが……隙間が、どんどん、ひろがっていく。そして、防草シートを突き破って、成長するやつもいるので、いろいろなところに、竹や雑草や木がはえてしまう。とくに、竹はすごい。雑草だけではなくて、木もはえる。ともかく、思った以上に、難航した。いちおう、防草シートをかぶせて、ブロックを置いたけど、実際、太陽光線をどの程度、ふせげるのか、わからない。ブロックは、庭にあったやつを使った。そのあと、物置に入ったのだけど……「この物置に入ったのは、失敗した」と思った。これが、きったないのだ。そして、自転車が二台はいっていて、その二台を外に出して、自分が今使っている自転車を物置にいれようとしたのだけど、一台しか、自転車を外に出せなかった。二台目の自転車が、でかい脚立にひっかかっているのである。脚立の出っ張った部分が、自転車のスポーク(の間)に入っているみたいなのである。脚立の出っ張った部分というのは、ようするに、はしご部分の先端のことだ。あれが、たぶん、スポークの間に挟まっている。だから、自転車を動かそうとしたら、脚立まで動いた。脚立が動いたとき、中央を支える柱が、動いてしまったので、自転車を動かすことをやめた。この中央を支える柱というのは、ほんとうは、なかったものなのだ。けど、物置の「天井」がさがってきたので、親父が、中央に木材をいれて、天井を支えるようにしたのだ。イメージとしては、突っ張り棒みたいなものだ。中央の柱(突っ張り棒)がちょっと動いたとき、天井から、ほこりのようなものが落ちてきた。いやーー。ほこりなんだけど、なんか、かゆくなりそうなほこりだったので、いやだった。実際、なんか、背中がかゆくなったような感じがした。ともかく、こっちのほうも、イメージ通りにはいかず、自転車を二台、出すことができなかった。一台しか出せなかった。あと、蛇が死んで、乾燥したようなものがあった。それも、自分の自転車を出し入れするときに、踏みそうなところにあったので、なんとか、外に出した。これも、なにを使って出すかということで悩んで、けっきょく、枝切りばさみを使って出すことにした。いちおう出せた。けど、これが……物置の内部に草が生えている。つる性の植物が侵入したみたいだ。でっ、草がひっかかって、めんどうだった。そして、この物置は、親父が、なまごみを一時的に入れておく物置だったので、初期の段階で、ネズミが入ってくる物置だった。これも、ほんとうに……親父が急に「生ごみを物置に持って行ってやる」と言い出して、聞かなかったのだ。おれがどれだけ「持って行かなくてもいい」と言っても、「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」「持って行ってやる」と言って聞かなかった。俺が、料理係だったんだよ。それで、なんだか知らないけど、「生ごみが、お勝手にあるのはいやだろ」ということになって、聞かなかった。親父の頭のなかで、俺が……「生ごみがお勝手にあるのは、いやだ」と思っている……ということになってしまうのだ。これも、頭がおかしいのだけど、一度、言い出すと聞かないのだ。この頑固さとしつこさが並じゃない。自分のなかで……親父のなかでやりたくなったら、相手がなんと言っても、けっきょくやってしまう。それも、俺のためにやってやるということになっているらしい。俺のためにやるなら、俺がやらなくていい」何十回も強く言っているのだから、退けばいいのに、退かない。絶対に譲らない。きちがいだから、そういうところで、一切合切、融通がきかない。これ、こまるんだよ。俺が、「持って行かなくていい」と何十回も、でかい声で言っているのに、それは、認めないのだ。自分のなかで、一度スイッチが入ってしまうと、こっちがなにを言っても、聞かずにやってしまう。ともかく、まったく意味がないことなのだけど、親父が生ごみを、物置に入れて、ゴミの日まで、放置したので、ネズミがいっぱい寄ってくることになった。けど、そのときは、まだ、物置に入るだけで、うちの中には、はいってこなかった。けど、親父が、これまた、「酒粕のついた魚」をほぼ、一日中、テーブルの上に置いておくことに、こだわってこだわってこだわって、そうしたので、一日中、ものすごいにおいが、うちじゅうに、蔓延することになった。鼻が正常なら、「臭い」「猛烈ににおっている」ということがわかるのに、きちがい的な意地と、きちがい的な無意識があるので、今度は、におっているということを、認めないのだ。俺が「部屋じゅうがくさくなるからやめろ」と親父に言えば、親父が「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」と絶叫して、くさいということを、全否定するのだ。

こういう脳しくみがわかるか? 

こういうことになっている人がいるということがわかるか? 

「お父さんだって悪気があるわけではない」……と、むかし言われたことがある。けど、親父がやっていることは、むかしからこういうことだ。一緒に住んでいたら、「お父さんだって悪気があるわけではない」……と言った人だって、腹を立てるのに、一緒に住んだことがないからわからないんだよね。

ちなみに、親父が「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」「くさないよぉぉぉ!!!」と絶叫する態度というのは、きちがい兄貴が、「しずかにしてくれ」と言われたときの態度とまったくおなじだ。絶叫するか、真っ赤になって、黙りこくるかのちがいがあるのだけど、頭のなかで起こっていることは、おなじなのだ。

どれだけ言っても、認めない。きちがい兄貴が、親父の真似をして……「でかい音で鳴らしている」ということを、はねのけたのだ。親父の真似をしてというか、脳みその作りがおなじだから、基本的なことを認めないで、やりきるという態度になる。しかも、そうやったということが、わからないのだ。兄貴は、いつもいつも、自分が鳴らしたい音で鳴らすということにこだわてっこだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、でかい音で鳴らしていたのだけど、でかい音で鳴らしているということを、認めなかったのだ。絶対に、認めない。しかも、でかい音で鳴らしているということを認めずに、断固して、一秒も静かにしてやらなかったということも、無視してしまうのである。自分が、全力で、頑固にやったことを、認めないということになる。そりゃ、最初から、自分が、全力で、頑固に鳴らしきったという自覚がないのだから、認めないのである。こういうところで、二重三重におかしいんだよ。これが、腹が立つ部分なんだな。こっちの腹が立つ……ところなんだよな。これだって、よその人にはまったくわからないだろう。こういうことばかりなんだよ。

 

●「引き寄せパラダイムに従って」解釈するようになる(2)■思霊※2026/05/20 1:05

「人のせいにしない」「人のためにつくす」というのは、言葉はきれいだけど、実際には、条件が悪い人を、おいつめる言葉なのだ。

これ、条件のことは、考えていない発言なのである。運用の問題があると、ずっと、言っているだろ。引き寄せを成功させるためには、「人のせいにしない」「人のためにつくす」ということを守って暮らせばいいということになっている。

そういう用意ができると、引き寄せが可能になると言うのだ。しかし、ぼくが、ここで書いてきたように、引き寄せ理論というのは、カルト理論で人を不幸にするものだ。

ぜんぜん、よくないのである。

ほんとうの世界というのは、それはそれは、ものすごい、差がある世界なんだよ。条件に差がある世界なんだよ。ものすごく悪い条件下で暮らしている人は、基本的に言って「よいこと」を引き寄せることができない。

けど、これも、「人のせいにしない」「人のためにつくす」ということを(そのくるしい人が)守っていないから、引き寄せられないのだという理論につながっていく。

条件が悪いというのは、実際には、条件が悪いというような言葉で、あらわすことができないことなのである。

もう、引き寄せや思霊については、さんざん書いてきたけど、書いてきたような「しくみ」によって、じつは、社会に悪い影響を及ぼすのだ。「人のせいにしない」「人のためにつくす」というのは、麻薬や覚せい剤のようなもので、かならず、悪い効果を及ぼすものなのだ。

これ、精神のドラックなのだ。悪い意味で、ドラック。実際には、悪が支配しているのである。

この「精神世界の話」というのは、じつは、悪の支配を強化するものだ。悪魔側の道徳論なのだ。一見よさそうに見えるけど、かならず、運用のレベルで問題が発生するものになっている。まあ、気がつかない人が多いけど……。

*     *     *

引き寄せ能力をあげる話のなかに出てくる……「人のせいにしない」も「人のためにつくす」も、意図的なものなのだ。そして、引き寄せの力をあげるためにすることなのだ。この文脈ではそうだ。

そうなると、ほんとうは、別の目的のために、そうするということになってしまう。

おわかりだろうか。

ほんとうの良心に従った「人のためにつくす」とは、ちがうのである。「人のせいにしない」というのは、ほんとうに人のせいではない場合なら、有効だけど、ほんとうに人のせいである場合は、有害な圧力をかけることになる。

ともかく、責任の所在を考えないで「人のせいにしない」などと、ほかの人に言うのは、有害な圧力をかけることになる。

自己責任論とおなじなんだよなーー。

「人のせいにしない」というのは、せいぜいのところ、自分を対象にして、努力目標にするべきだ。

ほかの人に、無差別に言って、どうする?

ほかの人に無差別に言うということは、ほんとうに、人の行為が原因でこまっている人をおいつめることになる。

なんで、わからないかな?

*     *     *

世のため人のためと、言っているけど、ほんとうは、自分の利益が欲しい人たちなんだよ。「ごりやく」に、こだわっている人たちであるわけ。

それは、問題はないのだけど、一度、引き寄せ理論を信じてしまうと、引き寄せパラダイムに従って、ほかの人のことを見るようになってしまう。何度も言うけど、それが問題なの……。

実際には、条件の格差があるのだけど、引き寄せパラダイムは、条件の格差を認めないということになる。条件の格差が、実際の格差を引き起こしているわけ。

すでに、起こってしまったことなんだよ。わからないかな? その起こってしまったことについて、『あづけで』……『あとだし』で、引き寄せパラダイムの見方で、説明をしてしまうわけ。『あとだし』で説明しているのだから、引き寄せパラダイムを信じている人にとっては、納得がいく説明になる。

言霊や思霊でも説明したけど、厳然とした差を生み出しているのは、現実的な条件の格差なんだよ。

ほんとうは、悪い条件だからこそ、悪いことが起こってこまっている人に対して、「引き寄せ能力がないから」悪いことが起こっていると説明してしまうことになる。

ほんとうは、悪い条件だからこそ、悪いことが起こってこまっている人に対して、「悪いことを引き寄せているのはあなただ」と説明してしまうことになる。

これは、ほんとうは、よくないことだ。

そりゃ、そうだろ。ほんとうは、その人は……悪い条件でくるしんでいる人は……悪いわけではないのだから……。

さらに、たとえば、引き寄せ能力をあげるには、「人のせいにしないようにすることが必要だ」とか「人のためにつくすようにすることが必要だ」とかと言ってしまうと、じつは、引き寄せ能力が低い人は、「人のせいにしがちだ」とか「人のためにつくすことをしていないとだ」ということになってしまうんだよ。

引き寄せができない人や、引き寄せ能力が低い人は、「人のせいにするような人だ」とか「人のためにつくすことをしていない人だ」とかと、実際に、説明したわけではないけど、引き寄せができない人や、引き寄せ能力が低い人は「人のせいにするような人だ」とか「人のためにつくすことをしていない人だ」とかと説明したのと、おなじような効果をもっているのである。

ようするに、引き寄せパラダイムに従っている人は、引き寄せができない人や、引き寄せ能力が低い人を「人のせいにするような人だ」とか「人のためにつくすことをしていない人だ」 とかと見なすようになってしまうのである。自動的にそうなる。

引き寄せるのに、道徳性が必要だということになると、引き寄せられない人は、道徳性が低い人だとか、道徳性がない人だということに、なってしまうのである。

引き寄せパラダイムに従っている人のなかでは、そうなっしまう。

だから、引き寄せパラダイムに従っている人は、ごく自然に「引き寄せられない人」を見下すようになってしまうのである。

「道徳性がないから、うまく引き寄せることができないのだ」という見方が、引き寄せパラダイムに従っている人のなかで、定着してしまう。

だって、うまく引き寄せるには、道徳的にすぐれた存在にならなければならないのだから、そうなる。

しかし、実際には、引き寄せ教祖は、カネもうけのために、引き寄せ理論をはやらそうしているわけ。そして、引き寄せ信者は、ご利益が欲しくてほしくてたまらないから、引き寄せ能力をあげようとしているわけ。

ご利益と書いたけど、自分の願望が、かないやすくするように、引き寄せというものをやってみようと思っているわけだ。

だから、「道徳的にすぐれている」とか「道徳的になろう」と思っても、けっきょくは、自分の利益になるようなことをしているにすぎないわけ。

そして、「人のために尽くす」ということを念頭に置いた場合、人がどういう状態になるかというと、あんまりいい状態にならない。

これは、「人に親切にすると幸福になる」というライフハックのことについて書いたときも説明したけど、恩着せがましくなってしまったり、相手がやってほしくないことを、やってしまうことになる。

そして、実際にこまっている人には、手を貸さないということになってしまう。実際にこまっている人には、「助言」をするようになるのだけど、それが、よくない助言なのである。

どうしてよくない助言になってしまうかというと、相手の条件を無視した助言になるから、よくない助言になってしまうのだ。 

引き寄せ能力を上げたいという気持ちで、相手に尽くした場合、目的は、引き寄せ能力を上げたいということだから、ほんとうは、相手を見ていないということになる。相手のことを考えているようで、自分の利益のために、そうするということになってしまう。

そうなると、相手が望んでいないことでも、自分がそうしてやりたいからそうするというようなことになってしまうのである。ようするに、相手がなにを望んでいるのかについて、鈍感になってしまうのである。

そして、実際に、条件が悪くて、悪い出来事が多数発生している人には「引き寄せはあるから、引き寄せられるようになればいい」と助言してしまう。

しかし、相手は、現実的な問題でくるしんでいるわけ。たとえば、ブラック社長にやられている名前だけ店長は、長期間にわたって、サービス残業をしているからこまっているわけ。

それに関しては「サービス残業を引き寄せてしまったからダメなんだ」というようなことを、言うわけだから、名前だけ店長はこまってしまう。

そして、「いいことを引き寄せるには、引き寄せ行為をしたほうがいい」ということになるわけ。引き寄せ行為というのが、「強くイメージすること」であったり、「引き寄せ教祖が考え出したおまじないのようなことをすること」であったりするわけ。

そして、それでも、引き寄せができない場合は、「道徳的にすぐれた存在になればいい」ということになるわけ。「人のためにつくしたり」「人のせいにしない」ということを実行すればいいということになる。

ところが、表面的には、「名前だけ店長は、ブラック社長のせいにしている」というような解釈が成り立ってしまう。

これも、ひどい話なのだけど、やられているほうが、「人のせいにする」という「非・道徳的なことをしている」と見なしてしまう。ジャイアンとのび太の話でも、「のび太が、ジャイアンのせいにしている」という言い方を採用した場合、「のび太が、ひとのせいにするという非・道徳的なことをしている」と見なしてしまうことになる。

「なんだかむしゃくしゃする」とか「なんだか気にくわない」という理由で、のび太をなぐったジャイアンのことは、まったく問題にならず、「ジャイアンのせいにしたのび太」のほうが、人のせいにしているからダメなんだということになってしまうのである。

ブラック社長と名前だけ店長の場合も、実際に、名前だけ店長が、いじめられているのに、「名前だけ店長が、自分のつかれを、ブラック社長のせいにしている」ということになってしまうのである。

ちょっと言い方が複雑になるのだけど、「人のせいにしている」というのは、抽象的な言い方なのである。そのとき、個別的で、具体的な出来事について言っているわけではないのだ。

ともかく、「人が人をせめている」場合の話をしているということになる。

「人が人をせめている」と書いたけど、ネガティブな言い方をすると、人をせめている人が、「不平を言っている」とか「不満を言っている」ということになる。

抽象的にはそうなんだよ。

たとえば、のび太は、ジャイアンになぐられたことについて、不満を言っているということになる。不平を言っているということになる。

この場合、不満や不平を口にしているほうが、ともかく、悪いという見なし方が成り立っているのだ。

こういう前提で、一度、抽象化してしまうと、やられているほうに、理がある場合でも……やられているほうが、人のことをせめたなら……人のことをせめているほう(人)が、人のせいにしているということになってしまうのである。

こういう、言い方なのである。

めちゃくちゃに言いにくいことなのだけど、くるしんでいる名前だけ店長が、不平不満を言っているということになってしまう。その場合、不平不満を言っているほうが悪いということになってしまう。

わかるかな?

もちろん、やられたほうが悪い場合だってある。

しかし、それについては、個別具体的な判断をしなければならないのである。

個別具体的なケースついて、個別具体的な判断をしなければならないのである。それなら、どこに正義があるのか?

自分の富を増やしたいから、名前だけ店長を不当に働かせているブラック社長は、悪くないのかという問題がしょうじる。

しかし、「文句をっているほうは」名前だけ店長だということになる。名前だけ店長が、やられているほうなのに、名前だけ店長が、「人のせいにする悪い人間だ」ということになってしまうのである。

ようするに、「だれのせいか」ということを、まったく問題にせず、ともかく、「人のことをせめしている人が悪い」ということになってしまうのである。

「人のせいにしない」という言い方には、このような問題がある。

「人のせいにしない」という言い方は、やられたほうが悪いということを前提にした言い方なのである。

やられたほうが、ほんとうは、やられたわけではないのに、やったひとのせいにしているということになってしまう。

こんな、ひどい言い方は、ない。

やられたほうが、不当に!!やったほうのせいにしているという判断が混じった言い方になっているのである。もし、ほんとうにやられたほうが正しく、やったほうが悪い場合でも……やったほうが悪いのではなくて、やられたほうが悪いと最初から決めつけた言い方になっているのである。

どれだけひどいことをやられても、やられたほうが不平を言うなら、やれたほうが悪いという見なし方が前提にある言い方なのだ。

これが、やっかいなのは、不平を言いっているほうが、悪い場合が実際にあるということなのである。

その場合、そのよう一例をあげれば、不平を言いっているほうが、悪いということを、一般化することができるのだ。

どうしてかというと、普通の人は、集合的一括思考をしてしまうからだ。

悪い例をあげて、一般化した説明をすると、それで、一般化した説明を信じてしまう。

ほんとうは、個別性を無視しているという問題があるのに、それには、気がつかない。

集合的一括思考をしてしまう人は、個別性を無視しているということに、気がつかない。

名前だけ店長が、ブラック社長に、「もう、つかれたので、サービス残業をさせないでください」ということを言ったとする。これだって、名前だけ店長が、不平不満を言ったことになる。

あるいは、「つかれた」とネガティブなことを言ったということになる。

ちょっと脱線するけど……言霊ということを考えるなら、「つかれた」と言うから、つかれるのだということになってしまう。

「つかれると言うから、つかれるんだ」とブラック社長が言った場合、どうやって、言霊主義者は、ブラック社長に反論するのだ。言霊主義者は(ブラック社長に)同意すると思う。ようするに、言霊主義者は(かなりの高確率で)ブラック社長の見方をして、実際くるしんでいる名前だけ店長をさらにくるしめることになる。

話を元にもどそう。 

ともかく、名前だけ店長が不平不満を言ったということになってしまうのである。そして、不平不満を言うことは、悪いことだということになっていると、悪いことをしたのは、ブラック社長ではなくて、名前だけ店長だということになってしまうのである。

名前だけ店長が、ブラック社長のせいにしたということになってしまうのである。

 名前だけ店長がこれほどまで疲れているのは、たしかに、ブラック社長の要求に問題があるからなのだ。

しかし、名前だけ店長が不平不満を言ったということになれば、名前だけ店長が「不当に」ブラック社長のせいにしたということになってしまうのである。

ほんとうは、ブラック社長のせいではないのに、ブラック社長のせいにしたということになってしまうのである。

「ひとのせいにしない」という言い方には、なんらかの不平不満を述べた人がいるなら、なんらかの不平不満を述べた人が「ひとのせいにした」と……「ひとのせいにしない」という言い方をされた人に、思わせる機能がある。

最初から、判断が含まれている言い方なのだ。

その判断というのは、なんらかの不平不満を述べた人がいるなら、なんらかの不平不満を述べた人が「ひとのせいにした」という判断だ。

「ひとのせいにしない」という言い方をした人が、どれだけ、認識しているのかはわからないけど、「人のせいにしない」という言い方をされた人は、自動的に「個別具体的な区別をしなくても」……人をせめている人が、人のせいにしている(悪い人だ)という認識がうまれるようになっているのだ。

たぶん、「ひとのせいにしない」と言った人も、「個別具体的な区別をしなくても」……人をせめている人が、人のせいにしている(悪い人だ)と判断している。

この言い方には、そういうところがある。

認識が紛れ込んでいるのである。判断が紛れ込んでいるのである。

「不平不満の対象になっている人には、責任がない」という認識が紛れ込んでいるのである。

たとえば、やった人を不平不満の対象になる人だとする。そして、やられた人が不平不満を述べた人だとする。

その場合、なにが起こったとしても、不平不満の述べた人が、「不平不満の対象になる人」のせいにしたということになってしまうのである。

責任の所在を、まったく考えないのである。

だから、ほんとうに、「不平不満の対象になる」人に、責任がある場合でも、とにもかくにも、不平不満を述べた人が、不平不満の対象になる人のせいにしたということになってしまうのである。こういう、言い方なのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。