2026年3月24日火曜日

●自分のつかれに関しては、自分のつかれなので、判断を間違えない■社会※2026/03/24 17:30

名前だけ店長が、つかれているのは、一日に三時間ぐらいしか、眠ることができない生活をしているから、つかれているのだ。

あるいは、一日中働いている生活をしているから、つかれるのだ。

無理な労働によって、「眠れない状態」が引き出されるのである。長時間労働によって、睡眠時間が実質的に削られるのである。

寝不足のまま、動かない体を動かしているから、つかれがたまるのである。つかれきって、元気がない状態になるのである。

ところが、「過去は関係がない」と言い切るやつが出てくる。「できると言えばできる」と言う意見に賛成したAという人について、多少の記述をしたので、ある人が、言霊主義者であって、過去否定論者である場合について考察することにする。

とりあえず、ある人のことをAさんだとする。はじめにことわっておくけど、過去否定論者というのは、「過去は関係がない」という理論を信じる人のことだ。「過去は現在に影響を与えない」とか「過去は記憶の中にしかない」ということも、過去否定論に含まれているとする。

けど、名前だけ店長が、つかれはてているのは一五年間毎日、サービス残業が続き、睡眠時間を確保できず、自分の時間を確保できないからなのである。

睡眠時間が確保できない生活は、めちゃくちゃにつらいのである。

しかし、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言う人は、「名前だけ店長がどれだけつかれているのか」を無視してしまうのである。

おなじように、「過去は関係がない」と言う人は、「名前だけ店長がどれだけつかれているのかを無視してしまうのである。

過去は関係がないので、名前だけ店長は、つかれていないのである。

一日目のつかれと、一五年目のつかれは、おなじなのである。

ずっと一五年間、睡眠不足のまま暮らしてきたという過去は、無視されてしまうのである。

しかも、それで、いいことを言った気持ちになっているのだ。

「過去は関係がない」と言い切る人は、「過去は関係がない」と言い切ったことで、いい気持ちになっている。なんか、すごくいいことを言った気持ちになっているのだ。

しかし、「過去は関係がない」というのは、暴論なのである。

妄想的な前提が成り立っているアホな理論なのである。
 

名前だけ店長が、「もう、サービス残業をすることはできない」ということを言って、それ対して、ブラック社長が「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と返したところを、Aさんが、聴いたとする。

これは、過去の出来事を認識したということを意味している。ブラック社長が「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と言ったという出来事は、過去のことであり、名前だけ店長が、「もう、サービス残業をすることはできない」と言ったというとは、さらに過去の出来事なのだ。

それに対して、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思ったので、その場で、そのような発言をしたのである。

どうして、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思うことができたのかと言うと、それは、過去の出来事に対する記憶があったからであり、出来事の記憶に関して、あれやこれやと考えることができたからなのだ。

これは、そのまま、「過去は関係がある」ということを意味している。

もし、過去が関係のないことなのであれば、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思うこともできず、そのような考えを発言することもできないのである。

過去は関係があるから、過去の出来事に対して、自分の意見を言うということができるのだ。

もし、ほんとうに、「過去は関係がない」ということが正しいことなら、過去の出来事に関して、自分の意見を言うことすらできない。

「過去は関係がない」というAさんの考え方は、この文脈において、どのような意味をもっているのだろうか。「過去は関係がない」というのは、名前だけ店長が、過去において一五年間つかれた生活をしていたとしても、過去は関係がないので、一五年間の疲労は、関係がないという意味をもっているのである。

ようするに、Aさんが、名前だけ店長の疲労について過小評価しているか、あるはい、無視しているのである。

Aさんは言霊理論を信じているので、「できると言えばできる」とか「元気だ元気だと言えば元気になる」とかという考え方は、正しいと思っているのである。だから、名前だけ店長のつかれを無視してしまう。

名前だけ店長がどれだけつかれていたって、「元気だ元気だ」と言えば、元気になるのだから、そんなのは、関係がないのだ。

また、「できると言えばできるのだから、できると言ってやればいい」と考えてしまうのだ。

「つかれているかどうか」という条件は、「できるかどうか」に関係がないことになっているのだ。

『できると言えばできるのだから、条件に関係なく、できると言えば、できる』と考えているので、条件は最初から無視される。

他人である名前だけ店長のつかれなんて、Aさんには関係がない。

Aさんは、じつは、自分が一倍速で経験していることについては、現実的な考え方をもっているのである。

つまり、「できると言ったってできないことはある」と思っているし、「元気だ元気だと言っても元気にならないことがある」と思っているのだ。

自分が、実際に経験していることに関しては、現実的な選択をするのである。

自分の認知は、あたりまえにあるし、自分の過去の記憶は、あたりまえにある。あたりまえのことに関しては、言霊思考にならないのである。

Aさんだって、猛烈につかれているときは「眠らないとだめだ」と考えて「元気だ元気だと言えば元気になる」と考えないのだ。

自分のつかれに関しては、自分のつかれなので、判断を間違えないのである。

ところが、ひとごとになると、自分のつかれではないので、途端に、言霊思考になってしまうのである。

「条件に関係なく、元気だ元気だと言えば元気になる」「条件に関係なく、できると言えばできる」と考えしまう。この自己中心性は、そのまま、幼児的万能感に直結している。

なお、自分の過去の記憶というのは、その時点で、覚えている範囲の過去の記憶だとする。

あと、「おなじ」を「同じ」と書くかどうか迷っている。これ、いままで「おなじ」にしていたのだよね。めんどうだから、「同じ」でいいかな。 

●理論的な考え方ができないから、つねに、自分を欺くことができる■社会※2026/03/23 7:53

間違いのバッファーは、一〇〇%詐欺なのである。

「努力をすれば成功することもある」ということと「努力をすれば成功する」ということを、意味的にイコールだと思っている人たちがいる。

その人たちは、恒常的に間違いをおかすので、自分の矛盾に気がつかなくてもいいことになっているのである。

理論的な考え方ができないから、つねに、自分を欺くことができるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。