2026年9月1日火曜日

●自分のなかの基準としては、「条件」が最初から、ついているのである■社会※2026/09/01 6:21

やがては、定年退職して、無職なるために働いている人は、将来、無職になるために、頑張って働いているということになる。

ところが、人には「人間は働くべきだ」と言ってしまう人たちがいる。

あんまり、この言い方は好きではないのだけど、主語がでかい。「人間」という主語は、でかすぎる。
ともかく、将来無職になるために、いまは、頑張って働ている人が、「人間は働くべきだ」というのは、ナンセンスだ。だって、そうだろ。

将来、無職でも、安心して暮らせるように、いまは、頑張ってお金をためている。それなら、資産額の問題なんだよ。

じゅうぶんなお金をためれば、働かなくてもいいと考えているということなんだよ。矛盾したことを言うな。倫理の問題にすり替えるな。

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あとは、「人間は働くべきだ」ではなくて、「健康なら、人間働くべきだ」という言い方にしておいたほうがいいのではないかと思う。

どうしてかというと、こいつらは、ほんとうは、働けないほどの病気になったら、働かなくてもいい』と考えているからだ。

条件をつけて言うのか、条件をつけずに言うのかということは、重要なことだ。

本人が、働けないような病気になったら、病気なのだから、仕方がないと思って、働かない状態になってしまうのだ。

まあ、働かない状態が、短い場合は、無職にならずに済むことはある。

しかし、働くか働かないのかということに関しては、(自分は)病気なら、働かないという選択をすることがあるということを言っているのである。

ところが、人間を主語にした一〇〇%構文の文は、病気であろうが働くべきだということを言っているのである。

なので、ここにも、隠れた矛盾がある。

自分と他人ということを考えた場合、自分は病気になったら、働かない状態になることがあるけど、「人間は働くべきだ」と他人には言ってしまうというのは、問題だ。

だってそうだろ。

「人間は働くべきだ」は、一〇〇%構文の文だから、他人は、病気になっても働くべきだということを言っていることになる。

なんだろうが、どんな条件だろうが、他人は「人間だから、働くべき」なのである。

自分が病気になったら、働かなくてもいいけど、他人は、病気になっても、働くべきだという卑怯な考え方がひそんでいるのである。

条件をつけずに、一〇〇%構文の文で「人間は働くべきだ」と言うことは、卑怯なことなのである。

自分は、じゅうぶんな資産を貯めたら、働かない。

自分は、病気になったら働かない。

そういう条件があるのに、他人には無条件で、「人間は働くべきだ」と言ってしまう。

それで、おかしいとは思わないのだろう。

自分に適応される、文は「健康なら、人間は働くべきだ」であり、また「じゅうぶんな資産がないなら、人間は働くべきだ」であるのに、他人には「人間は働くべきだ」と言ってしまう。他人に言う文には「条件」がついていないのである。

自分のなかの基準としては、「条件」が最初から、ついているのである。

だから、自分に対しては、ほんとうは、最初から「人間は働くべきだ」とは思っていないのである。 

おかしいとは、思わないのか。

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「あなたは、働くべきだ」とか「自分は、働くべきだ」という話ではなくて、「あなた」である他人に、「人間は働くべきだ」と言ってしまうのである。

この、きたなさ。この、やり口。 

まあ、どんな病気になっても、絶対に死ぬまで働くつもりでいる人はいい。

しかし、ぼくの経験の範囲で言うと、「人間は働くべきだ」と他人に言う人のうち、多くの人は、大きな病気にかかったら、働かないつもりなのである。「自分は」働けないと判断するので、働かないのである。

しかし、ぼくの経験の範囲で言うと、「人間は働くべきだ」と他人に言う人のうち、多くの人は、「自分」から見て「働けるように見える他人」には、「人間は働くべきだ」と言ってしまうのである。


2026年8月31日月曜日

●無職である人のなかにも、いい人と悪い人がいる■社会※2026/08/31 5:16

じつは、無職やひきこもりに偏見をもっている人は、偏見の内容に従って、無職である人やひきこもりである人に対して、悪口を言っていることになる。

ところが、悪口を言っている本人は、別に悪口を言っているとは思わないのである。こういうことが、起こりえる。

じゃあ、まあ、無職ほうから、話をはじめよう。

無職である人のなかにも、いい人と悪い人がいる。条件が悪いので、悪い出来事が発生し続けて、無職にならざるを得ない人がいる。

この人たちは、悪い人ではないのである。

ただ、いろいろな不幸が重なって、仕事ができない状態になっているので、無職であるだけなのである。

ところが、無職に対して偏見がある人は、偏見の内容に従って、その人の人格を判断して、その人はこういう人であると決めつけてしまうのだ。

その「この人はこういう人である」という内容と、現実のその人の内容が、食い違う場合がある。ステレオタイプで、決めつけるわけだから、ステレオタイプで決めつけたことになる。

ようするに、無職であれば、一〇〇%の人が、悪い人になるのである。

たとえば、Aさんは無職に対して偏見があるとする。

そうすると、一〇〇%の無職の人が、その偏見の内容の通りの人だとAさんは見なしていることになる。

ところが、無職というのは、ただ単に、無職であるということを示しているだけなのである。Aさんがもっている偏見の内容を、すべての無職の人がもっているわけではないのである。

ところが、Aさんは、どの無職の人を見ても、「こういう人である」と決めつけてしまう。

おなじことが、ひきこもりにも成り立つ。ひきこもりに対して偏見がある人は、偏見の内容に従って、その人の人格を判断して、その人はこういう人であると決めつけてしまうのだ。

ところが、ひきこもりというカテゴリーに属している人?のなかには、どうしようもない理由でひきこもりになった人もいるのだ。

ようするに、ひきこもりというのは、単なる属性の問題であり、「偏見の内容」のような「性質」もっているということを保証するものではない。

ところが、すべてのひきこもりが、「偏見の内容」のような「性質」をもっていると偏見がある人は、決めつけてしまうのである。

たとえば、Bさんはひきこもりに対して、偏見があるとする。そうすると、一〇〇%のひきこもりの人が、その偏見の内容の通りの人だとBさんは見なしていることになる。

ところが、ひきこもりというのは、ただ単に、ひきこもりであるということを示しているだけなのである。Bさんがもっている偏見の内容を、すべてのひきこもりの人がもっているわけではないのである。

ところが、Bさんは、どのひきこもりの人を見ても、「こういう人である」と決めつけてしまう。 

くそおろかなことをしているのは、AさんやBさんだ。

ちょっとは、自分の偏見について考えたほうがいい。 

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たとえば、ぼくに対して「おまえだって、言霊主義者に偏見を持ってるじゃないか」と思う人がいるかもしれない。

しかし、それはちがう。

まず、ぼくにとって、言霊主義者というのは「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人なのである。

だから、言霊主義者であれば一〇〇%の人が、「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人だということになる。

これで、間違いがないのである。そして、「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」という理論は間違っているのである。

なので、間違っていると言っているだけだ。偏見ではなくて、言葉の定義の問題だ。「言えば言ったことが、言霊の力によって、現実化する」と考える人のことを言霊主義者と言っているのだから、一〇〇%の関係が成り立って、あたりまえなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。