2026年7月25日土曜日

●どんなに頑固な言霊主義者だって、そんな生活はしていない■言霊※2026/07/25 13:29

 言霊主義者だって、なまの感情がある。なまの感情は、それまでの「解釈」の体系と、実際の出来事によって、大半は、決まってしまうのである。

実際の出来事は、記憶に残り、解釈の体系にある程度の影響を与える。ものすごく影響を与えるときだってある。

たとえば、言霊主義者が、言霊理論を否定されたときは、怒りのような感情がわくのである。不愉快だと思うのである。言霊主義者は、言霊理論が絶対に正しいと思っているので、言霊理論を否定されると、不愉快な感情がわくのである。

不快になるのである。

ちょっとだけ説明しておくと、「言霊理論が絶対に正しい」と思っているということが、「解釈の体系」の一部を形成しているのである。

だから、自分が絶対に正しいと思っていた言霊理論を否定されたときは「うれしいうれしい」と言っても、なかなか、うれしくならないのである。

「楽しい楽しい」と言っても楽しくならないのである。言葉に言霊の力が宿っていて、その力が絶対的な力なのであれば、自分が絶対に正しいと思っていた言霊理論を否定されたときも、「うれしいうれしい」と言うだけで、ほんとうにうれしくなるはずなのだ。

「楽しい楽しい」と言うだけで、直前の出来事にまったく関係なく「楽しくなるはず」なのだ。

ところが、楽しくならないのである。

こういうことを、言霊主義者は、無視している。

おこっているときに、「うれしい」と言っても、なかなかうれしくならないという事実を、無視しているのである。おこっているときに、「楽しい」と言っても、なかなか、楽しくならないという事実を、無視しているのである。

「ぬけぬけ」だから、気がつかないだけなのだ。

自分の「なまの感情」を、無視してしまう。

出来事に対応したなまの感情があるのに、それを、無視してしまうのである。

言霊との関連において考えることができないのである。自分の「なまの感情」と「言霊」の関係について、よく考えることができないのである。言霊主義者は……。

*     *     * 

逆にたとえば、なにか、とてつもなくうれしいと感じることが起こったとする。

うれしいと思っているときは、「腹が立つ」と言っても、なかなか、腹が立たないのである。うれしいと思っているときは「くやしい」と言っても、なかなか、くやしくならないのである。

どうしてかというと、実際の出来事によって、うれしく感じているからだ。

この場合も、時間的な接近は、ある程度、影響を与える。直前の出来事が、そのときの感情を(だいたいのレベルで)決定しているのである。

だから、直前の出来事が発生して、自分がなんらかのことを感じてしまっている場合は、「言葉によって、書き換えよう」としても、なかなか、書き換えることができないのである。

実際は、こっちが正しい。

言霊理論に従えば、直前の出来事に関係なく、いくらでも、自分の感情を書き換えることができるはずなのだ。

なにが起こったって、自分が「楽しい」と言えば、楽しくなるのである。なにが起こったって、自分が「くやしい」と言えば、くやしくなるのである。

ところが、そんなことにはならない。自分の「なまの感情」が、そのときの感情なのである。

「なまの感情」が発生しているときは、それなりの理由があるのである。それなりの理由を無視して、「言えば」言った通りに(自分が)感じるわけではないのである。

ところが、そういう日常的な出来事を無視して「言えば、言った通りの感情になる」と思っているのが言霊主義者なのである。

言えば、言った通りの感情になるのだから、言えばよいのである。

なにが起こったって、「楽しい」と言えば楽しくなるはずなのである。

ところが、実際には、どんなに頑固な言霊主義者だって、そんな生活はしていない。

●順番を間違えるべきではない■言霊※2026/07/25 12:57

ほんとうに、楽しく感じる場合の「楽しさ」というのは、自然な流れの中にあるのだ。

出来事の流れの中にある。

ところが、楽しく感じるべきだから、「楽しいと言おう」と思っている場合は、起点が「楽しく感じるべきだ」ということだから、そもそも、「自然な流れのなか」にない。

言霊主義者は、誤解をしているけど、自然な流れのなかで「楽しい」と思ったことがあるから、「楽しい」ということが、どういうことなのか、わかっている状態が発生する。

ようするに、その言霊主義者だって、最初から「楽しいと言えば楽しくなるから、楽しいと言おう」と思って、楽しくなったわけではないのだ。

経験として、これこれこういうことがあった。そのなかで、自然に楽しく感じた。赤ん坊として生まれてから、生活しているなかで「この感情」を「楽しい」という言葉で表現するのだということを、学習したのである。

「楽しい」という言葉と、「心理的な状態」のあいだに、連合ができたのである。

連合ができるまえも、「楽しい」と感じたことがあったのである。「楽しい」と感じることがなかったなら、「楽しい」という言葉を学んでも、それがどういう感情に連合しているものか、わからないのである。つまり、わからないままなのである。

だから、その状態で、どれだけ「楽しい楽しい」と連呼しても、ぜんぜん楽しくならないのである。

「楽しい」という言葉と、「実際の感情」のあいだにすでに?連合ができていたから「楽しいというと、楽しくなるような感じがする」という感覚が芽生えたのだ。

順番を間違えるべきではない。

言霊理論によれば、「楽しい」と言うと「楽しい」という言葉に宿っている、「言霊」の力によって、楽しくなるということになる。

しかし、これが、間違っているのである。

言霊の力によって、楽しくなったのではないのだ。

すでに、「楽しい」という言葉と「実際の感情」のあいだに連合ができていたので、条件によっては、「楽しい」という言葉を言うことによって、「実際の感情」か、あるいは「実際の感情」の「雰囲気」がリコールされただけなのだ。

「楽しい」という言葉に、言霊が宿っているわけではないのだ。

「楽しい」と言えば「楽しくなったような感じがする」というのは、自己暗示系の現象だ。

これは、言霊ではなくて、言葉に対応しているのである。

そして、言葉を使うという能力は、発達の過程で、発生した能力なのである。

ようするに、言葉を使うという能力と、言葉に宿っている言霊は、一切合切関係がないのだ。

言霊主義者が勝手に妄想的な思考をして、言葉には言霊が宿っているということにしてしまったのだ。なので、最初から、間違っているのである。

「言霊は絶対だ」と言う人たちがいるけど、なにを言っているか、さっぱりわからない。たぶん、「言霊は絶対だ」と言っている人たちも、自分がなにを言っているのか、さっぱりわかっていないのだと思う。

まあ、雰囲気で考えれば「言霊の力は、絶対的に働く」というようなことなのだろう。

あるいは、「言霊理論は、絶対に正しい」ということなのだろう。

どっちも、間違っている。両方とも間違っている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。