2026年3月18日水曜日

●自己責任論がはやったら、世界が悪くなってしまった■社会※2026/03/16 15:10

もし、自己責任論が「いいもの」であるのならば、自己責任論がはやれば、はやったぶんだけ、世界がよくなるはずなのである。

ところが、自己責任論がはやったら、世界が悪くなってしまった。

自己責任論をふりまわす人は、自己責任論が正しいと思って、うたがわない。

「自分は、自己責任論で生きるよ」と豪語するのだ。

ところが、その本人が、じつは、自己責任論では生きていない人間なのである。しかし、その人は、それに気がつかない。

ようするに「ぬけ」があるのだ。

自分が「普通に」ほかの人に責任があると思ってることに関しては、普通に「ほかの人のせいだ」と思う人なのである。

しかし、自己認識は「自己責任論で生きている人」なのである。

言霊主義者が、あたりまえだと思うことに関しては、言霊理論について考えないのとおなじで、自己責任論者も、あたりまえだと思うことに関しては「自己責任だ」と考えないのだ。

そして、「自己責任だと思わなかった」という意識がない状態で生きている。

言霊主義者が、夏の暑い日、自分の買ってきたアイスを、机の上に置いたままにしたら、アイスがとけてしまったということを経験したとする。夏は暑いから、(アイスは)とけてあたりまえなのである。自分が「アイスがとける」と言ったから「アイスがとけたのだ」とは思わないのだ。

自分が……「このアイスはとけない」と言わなかったことについて、注意をはらわない。

「このアイスはとけない」と言えば、アイスがとけないまま、残り続けるとは、言霊主義者でも思わないのだ。言霊なんてまったく関係なく、「暑い日に、アイスを机の上に置いておいたら、そりゃ、とけるだろ」と思っているのだ。

言霊の力でアイスがとけたとは思わないのだ。固体になっていたアイス成分が、熱によって液体になったと考えるのだ。それであたりまえだから、言霊の力なんて、まったく、考えもしないのだ。

あたりまえだと、言霊の力なんて無視してしまうのだ。

言霊なんて、一切合切関係なく、アイスがとけたのである。

そして、言霊主義者自身も、言霊なんて、一切合切関係なく、アイスがとけたと思っているのである。「アイスはとける」と言ったから、言霊の力によって、アイスがとけたとは思わないのだ。

それと、おなじように、自己責任論者も、「普通に」「相手のせいだ」と思えることに関しては、相手の責任を追及するのである。自分が立腹したら、相手の発言が、自分を立腹させたと思うのである。

「自分が立腹したのは、自己責任だ」とは思わないのである。

「ぬけぬけ」なのである。「ぬけぬけ」なのである。

いったい、この自己責任論になんの意味があるのか?

アンガーコントロール論としては意味はない。

自己責任論というのは、ただ単に、他人の責任を追及するためにあるのである。

他人の責任というのは、この場合、他人の身に起きたことは、すべてその他人の責任であるという意味での、他人の責任だ。

なお、アイスというのは、アイスキャンディー(氷系のアイス)を考えて書いた。

2026年3月17日火曜日

●「ひきこもりならコミュニケーション障害者だ」■社会※2026/03/15 10:54

たとえば、一五年間、ブラック企業で働いてきた「名前だけ店長」が、自殺をせずに、うつ病的な状態になり、生活し始めたとする。

うつ病的な状態と書いたのは、医者に行く気力もなかったから、名前だけ店長が、医者に行かなかったからである。

投薬治療というものに意味があるのかどうかということは、ここでは、書かないことにする。

ともかく、セルフニグレクト状態で、名前だけ店長が、ぐたぐたな生活をしていたとする。長期化したとする。

その場合、名前だけ店長は、ひきこもりだということになる。一般人は、ひきこもりならコミュニケーション障害者だと考えてしまう傾向が強い。

しかし、名前だけ店長は、一五年間、ずっと、働いてきた人なので、コミュニケーション障害者ではないということがわかる。一般人が頭のなかにもっている「ひきこもりならコミュニケーション障害者だ」という考え方が間違っているのである。

これも、一括思考で、全部、決めつけてしまう。

なお、セルフニグレクト状態で暮らしている人は、たしかに、人とコミュケーションを積極的にとろうとしている状態ではない。できれば、コミュニケーションをとりたくないと思っている状態だろう。

そして、セルフニグレクト状態であれば、投げやりな状態になっているので、実際のコミュケーション能力も下がっているだろう。しかし、これは、コミュニケーション障害者が、他者とうまくコミュニケーションができない状態とはちがうのである。

コミュニケーション障害者は、セルフニグレクト状態ではなくても、他者とうまくコミュニケーションがとれないのである。ひきこもりならコミュニケーション障害者だという決めつけは、よくない。

コミュニケーション障害者と言っても、いろいろなタイプがいる。ひきこもりと言っても、いろいろなタイプがいる。言葉のイメージで、一括思考してしまうことはよくない。

たとえば、一五年間、ブラック企業で働いてきた「名前だけ店長」が、自殺をせずに、うつ病的な状態になり、生活し始めたとする。

うつ病的な状態と書いたのは、医者に行く気力もなかったから、名前だけ店長が、医者に行かなかったからである。投薬治療というものに意味があるのかどうかということは、ここでは、書かないことにする。

ともかく、セルフニグレクト状態で、名前だけ店長が、ぐたぐたな生活をしていたとする。長期化したとする。

その場合、名前だけ店長は、ひきこもりだということになる。一般人は、ひきこもりならコミュニケーション障害者だと考えてしまう傾向が強い。

しかし、名前だけ店長は、一五年間、ずっと、働いてきた人なので、コミュニケーション障害者ではないということがわかる。一般人が頭のなかにもっている「ひきこもりならコミュニケーション障害者だ」という考え方が間違っているのである。

これも、一括思考で、全部、決めつけてしまう。

なお、セルフニグレクト状態で暮らしている人は、たしかに、人とコミュケーションを積極的にとろうとしている状態ではない。できれば、コミュニケーションをとりたくないと思っている状態だろう。

そして、セルフニグレクト状態であれば、投げやりな状態になっているので、実際のコミュケーション能力も下がっているだろう。

しかし、これは、コミュニケーション障害者が、他者とうまくコミュニケーションができない状態とはちがうのである。

コミュニケーション障害者は、セルフニグレクト状態ではなくても、他者とうまくコミュニケーションがとれないのである。

ひきこもりならコミュニケーション障害者だという決めつけは、よくない。

コミュニケーション障害者と言っても、いろいろなタイプがいる。ひきこもりと言っても、いろいろなタイプがいる。言葉のイメージで、一括思考してしまうことはよくない。

だいたい、コミュニケーション障害者の場合、普通の人と交流しているときに、うまく意思伝達ができないという問題を抱えている。ようするに、人と交流しているときの問題なのである。ようするに、ひきこもっているわけではない人の問題なのである。

しかし、コミュニケーション障害を抱えているので、人と交流したくないと思って、人と交流しない生活をしている場合もある。

けど、これは、コミュニケーション障害者全体の特徴ではない。

コミュニケーション障害というのは、主に、相手が言っていることをうまく理解できないということや、自分が言おうとしていることをうまく言えないという障害のことだ。

名前だけ店長は、コミュニケーション障害者ではない。

それは、彼の一五年間が証明している。いちおう、脳の問題で、人との交流がうまくいかない人と、「人と交流したくない」と思っている人のことは、区別して考えたほうがいい。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。