「XをすればYになる」というような一〇〇%構文を口にする人たちが、個別の条件を無視しているということは、指摘した。
もうひとつ、このような「XをすればYになる」というような一〇〇%構文を口にする人たちが、無視することを指摘しておこう。
それは、学習性無力感である。
一〇〇%構文なので、Xをすれば、Yになるはずなのである。
しかし、これは、条件を無視した、でたらめなのである。
「そんな感じがする」と言っているだけなのである。
当然、Xをしても、Yにならない場合がある。
そして、さらに、悪いことに、Xをしたので、より不幸な状態になる場合があるのである。
Xをしても、Yにならないという中立的な場合と、Xをしたので、マイナスのYがしょうじる場合がある。
マイナスのYというのは、反対のことがしょうじると言うことである。たとえば、Yの内容が幸福になるということである場合は、マイナスのYの内容は不幸になるということだ。
条件によっては……ようするに、人によっては、Xをしたので、マイナスのYが生じる確率が九〇%ぐらいある人もいる。
ほんらいなら、おのおの文型について、説明しなければならないのだけど、それは、今までのまとめになってしまうんだよな。
たとえば、「言えば、言ったことが(言霊の力)によって現実化する」確率は、〇%だ。
言霊主義者や言霊的な感覚をもっている普通の人が、勝手に、言葉の力を言霊の力だと勘違いしている場合がある。また、「言ったあと」と「言ったから」を誤解している場合がある。
言霊理論に関しては、「言えば、言ったことが(言霊の力)によって現実化する」確率は〇%なので、実際には当然、Xをしても、Yにならない確率は一〇〇%だ。
しかし、言霊の力によってという部分を、文から削除すると、言葉の力によって現実化される場合があるので、〇%だとは言えなくなる。
しかし、「言えば、言ったことが(言霊の力)によって現実化する」と言わなくても、「言えば、言ったことが現実化する」と言っている場合は、言霊の力によって現実化されるということを意味しているのである。
言葉の力によって、「言ったことが、言ったあとに現実化する場合」というのは、主に自己暗示や、他者に対する命令や依頼によって、現実化する場合に限られる。
自己暗示の場合は「元気だ元気だと言ったら、元気になった(ような感じがした)」というような場合だ。
ただ単に、感じがするだけではなくて、血流をはかったら、血流があがったというようなことがあったとする。
けど、血流があがったことが元気になったことを意味するのかというと、ちがうのである。
しかし、ここでは、自己暗示は効果があったということにしておく。
何度も言うけど、これは、言霊の効果ではなくて、言葉の効果だ。これを、勘違いする人が多い。
他者に対する依頼は、「なになにをしてくれ」と他者に頼んだので、日本語を理解できる他者が、その「なになに」をしてくれた場合だ。
これは、たしかに、「言ったから」「言ったあとに」他者がそうしてくれたということを意味している。「言ったから」という要素は、重要だ。
けど、これが言霊の力で、他者が、他者の意志と関係なく(依頼した人が依頼したことを)実行したのかというと、そうではないのだ。
他者の意志がある。ようするに、他者が、言霊の力によって、動かされているわけではない。
言霊の力というのは、この場合、依頼者が発した言葉に宿っている言霊の力を意味するとする。
「命令」の場合は、「依頼」の場合と、ほとんどおなじだ。
しかし、依頼よりも強制力が強い。組織に属している人が、組織に属している人に命令する場合が多い。
組織に属していない人が、組織に属していない人に命令する場合は、命令されるほうが、命令するほうに対して、命令する権利があると思っている場合だと、命令通りに動くけど、命令されるほうが、命令するほうに対して、命令する権利がないと思っているのであれば、命令通りに動かない。
ともかく、「依頼」と「命令」に関しては、言葉の力であって、言霊の力ではない。
まあ、今回は、言霊の話はこのくらいにしておこう。「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」というのは、一〇〇%構文なので、条件が悪い人が言っても、一〇〇%の確率で、言ったことが現実化しなければならないのである。
ところが、現実化しない。
これは、条件が悪い人の言い方が悪いわけではない。最初から、「言霊の力によって」現実化することがないから、現実化しないだけだ。
言霊主義者は、「言ったことが、言ったあと、言霊以外の力で、現実化する場合がある」ということを「言えば、言ったことが現実化する」と表現しているのだけど、そもそも、そこに、間違いがある。
「言ったことが、言ったあと、言霊以外の力で、現実化する場合」の確率なんて、わからない。
条件がちがえば、確率もちがう。そもそも、「言ったこと」がどういうことなのかということは、重要だ。確率にも影響を与える。
「言ったことが、言ったあと、言霊以外の力で、現実化する場合」のなかには「言ったことが、言ったあと、言葉の力で、現実化する場合」も、含まれている。
「依頼」と「命令」に関しては「言ったから」という表現が、間違いではないということになる。
しかし、「依頼」と「命令」が現実化した場合であっても、「言霊の力」で現実化したのではないのである。
言霊主義者が、勝手に、誤解をして「言霊の力で現実化したのだ」と思い込んでいるだけなのだ。
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今回、ぼくが言いたいことは、確率の低さなのである。
「依頼」と「命令」をぬかせば、「たまたま」起こることなのである。だから、条件が悪い人は、「たまたま起こること」に期待をしなければならないのである。
条件が悪すぎて、一%しか「言ったあと、言霊以外の理由で、現実化すること」がない場合は、九九%は失敗するということになる。
ところが、言霊主義者は、条件が悪い人のせいだというのである。
ところで、「人のせいにしない」ということについて書いたけど、言霊主義者であって、なおかつ「人のせいにしない」ようにしようと思っている人がいたとする。
その人だって、実際の場面では、失敗したという報告を受ければ、「言い方が悪かったから失敗した」と失敗した人(相手)のせいにしてしまうことが多い。
しかし、 言霊主義者であって、「人のせいにしない」ようにしようと思っている人は、「言い方が悪かったから失敗した」と言って相手のせいにしているとき……別に、自分が「人のせいにしている」とは思っていないのである。あるいは、思わないのである。
ここでも、鈍感力が強い人は、無自覚なのだ。
ほんとうなら「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化することはない」ということを認めなければならないのである。あるいは、「言えば言ったことが現実化する」という命題は『偽』であるということを認めなければならないのである。
ところが、たいていの場合、「偽である」ということを認めない。
これに関して言っておくと、言霊主義者は、そもそも、命題が「真である」か「偽であるか」ということを気にしない人たちなのである。「(言霊理論は)絶対に正しい」と思っているのだ。
つまり、「言えば言ったことが現実化する」は『真』であると確信している人たちなのだ。
ところが、『偽』なのである。
ともかく、条件が悪い人は、「言ったことが言ったあとに言った通りになる」ことが確率的に低いのである。
だから、「失敗する」確率が高いのである。そうなると、何回やっても、「うまくいかない」ということになる。
もともと、言霊の力で、言ったことが現実化する確率は〇なんだけど、言ったから、言ったことが現実化したと誤解することができる確率は、ある程度あるのである。
それは、誤解をしているだけだ。誤解をしているだけなのだけど、それでも、条件が悪い人の場合、言った通りにならない確率が高いのだ。
そして、「ある程度ある」と書いたけど、これが、ほかの条件によって、高い場合と低い場合があるのである。
たとえば、言霊主義者の(あることに関する)条件が良ければ、高い確率で(言霊主義者は)誤解をすることができる。いっぽう、条件が悪い人は、低い確率でしか、誤解をすることができないのだ。
しかし、言い方にこだわる言霊主義者は、「自分のほうが言い方がうまいから、現実化させることができるのだ」と……これまた、誤解をしてしまうのである。
こんな、幼稚な人から、助言されるような立場がどういう立場か、わかるか?
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言霊主義者は「何回でも言えばいい」と言うけど、これがどういうことなのか、わかっていないのである。その分だけ、失敗がつみかさなり、その分だけストすれが増すのである。
そして、繰り返されれば、学習性無力感(Learned Helplessness)が生まれるのである。
どうしたって、無力感を感じてしまう。無力感の学習が発生する。どうしてかというと、繰り返し「失敗」が発生するからである。「うまくいかないこと」を複数回、経験してしまう。
もともと、条件を考えていない人にとっては、どうでもいいことなのだけど、条件が悪い人にとっては、重要な問題なのである。
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たとえば、ヘビメタ騒音が鳴っているとする。自分にとってヘビメタが苦手な音だとする。そうすると、鳴っているあいだ、勉強することができないのである。これだけでも、繰り返し学習してしまうので、くるしいことだ。
けど、「言えば解決できる」と言い張る人が出てきたとする。その人は「しずかになる」と言えばしずかになると、言うわけ。ところが、どれだけ「しずかになる」と言ったって、きちがい家族が、ヘビメタを、よそではありえないようなでかい音で鳴らし続けるので、「失敗する回数」が増えるのである。
これも、「言い方が悪い」からダメなんだということになる。言霊主義者の視点から見ると、そう見えるのである。
だから、言霊主義者は、ヘビメタ騒音に悩んでいる人に「言い方が悪いからダメなんだ」とダメ出しをするようになってしまうの出る。これは、言霊主義者側に悪意がなくても、やられているほうにすれば、不愉快な出来事だ。
ただでも、きちがい兄貴のヘビメタでくるしんでいるわけだから、きちがい兄貴のヘビメタが鳴っているということ自体が、不愉快な出来事なのだけど、それにさらに、「しずかになると言えば、しずかになる」というきちがい的な誤情報を与えられることになる。
そして、ポジティブなことが好きな人は、こっちがトライをしなければ、「トライをしないからダメなんだ」と言ってくるようになるのである。ここでも、ダメ出しなのである。
ヘビメタ騒音が鳴っているということが、対処不可能箱に閉じ込められたようなものなのだよ。
それのうえに「しずかになる」と言っても、しずかにならないという「失敗体験」がつみかさなる。
どれだけ兄貴に、直接、しずかにするように言っても、しずかにならない。
毎回毎回、失敗が、つみかさなる。
これ自体が、学習性無力感を生み出すのに、さらに、「しずかになる」と自分の部屋に戻って言っても、しずかにならないということがつみかさなるのである。
言霊理論に従えば、「しずかになる」と言ったら、しずかになるのである。
「しずかになる」と言ったに、しずかにならないわけだから、「言ったことを現実化することに」失敗しているということになる。
多くの言霊主義者は、「言えば言ったことが現実化する」「これは、宇宙を貫く絶対法則だ」と言うのである。
これ以降のことは、ずっと説明してきたとおりだ。ほんとうに、こまるんだよ。ほんとうに、こまる。