ほんとうに、ほかの人がわからないくらいに、邪魔されてきた。常に、「そこ」でヘビメタが鳴っていた。そこだよ。そこ。押し入れの……うしろあたり。けど、俺の部屋で鳴っているようにうるさいのである。壁が透明だったら、ほんとうに「そこ」で鳴っている。
きちがい兄貴はまったく気にしていなかったけど、毎日、ずっと続く、騒音が、俺のすべてをうばった。まえまえから、きちがい親父ときちがい兄貴のあいだにあった、ハンダゴテ事件について説明してきたけど、きちがい兄貴の態度というのは、きちがい親父の態度とおなじだ。絶対に、自分が発狂的な意地でやっていることで、相手がこまっているということを……認めないのである。これが、いちおうは、認識するけど、自分にとって不都合なので、はねのけるというような状態ではなくて、認識しないまま、はねのけている状態なのである。これが、やっかいなんだよ。そんなの、ほんとうに、きちがいでなければ、絶対わかることなんだよ。きちがいだから、きちがい的な意地で押し通して、きちがい的な意地で押し通したということを、きちがい的な意地で認めない。これ、すっぽぬけている。どれだけバカな人だって、言われればわかることが、わからない。これ、全力でわからなくて、全力で、押し付けているのである。きちがい親父なら、使えないはんだごてを全力で押し付けているのである。きちがい兄貴なら、きちがい的な騒音を、全力で押し付けているのである。きちがい親父は、きちがい兄貴に押し付けたはんだごてのことで、兄貴がどれだけこまっても、かまわないのである。これも、一度は、「こまったんだな」ということを認めて、一切合切かまわないのではなくて、そもそも、「こまった」ということが、どれだけ言われてもわからない状態なのである。きちがい親父が、普通の親父だったら、絶対にわかることを説明されたのに、きちがい親父にとってそれを受け入れるのがいやなことだったので、きちがい的な方法で、認めないことにしたのである。兄貴が、学校で恥をかいたというエピソードを話して、学校でも、技術科の教師から、「そのはんだごては使えない」と言われたということを、必死になって、説明しているのに、きちがい親父は「なんだ!そんなの!!!」「使える!!使える!!使える!!」と絶叫して認めないのである。こういう意地なんだよ。そして、兄貴が、「このはんだごては使えない」ということを説明したときも、 「使える!!使える!!使える!!」と絶叫して使えないということを認めなかったのである。けっきょく、一回目も二回目も、同じ反応なのである。もう、学校で戦線にバカにされ、ほかの生徒からも「こんなことがわからないのか」とバカにされて、返ってきたんだよ。これ、きちがい親父にかかわるとよくあることなんだよ。よその人は、「だいのおとな」がわからないはずがないと思っている。だから、兄貴の説明が悪かったから、お父さんがわからなかったんだ」ということになってしまうのである。そして、「兄貴がバカだから、このハンダゴテが使えないということをひとめ見てわからなかったのだ」ということになってしまうのである。けど、あれに関しては、ほんとうに、わかるように説明していたのである。きちがい親父が、いつものきちがいモードではねのけただけなのである。これ、きちがい兄貴は、悔しくて、悔しくて、きちがい親父と絶交したんだよね。こういうことは、よくあることなんだよ。けど、きちがい親父が一切合切気にしないのである。気にするわけがない。そのくらいにズレている。きちがい親父は、きちがい的な意地でハンダゴテを押し付けて、事件を起こした犯人なのだけど、まったくかかわっている気持ちがないのだ。自分が傷ついたとしか思っていない。この『自分のカネで新しいハンダゴテを買ってやらなければならない状態を押し付けられた」ということが……パニックなのである。これが、ものすごいことなんだよ。全力ではねのける。きちがい親父にとっては、自分の心臓をえぐられてとられたというような感じなのだ。そういう身体感覚で、発狂して、歯向かってくる。発狂して、基本的なことを否定する。この基本的なことというのは、この場合は、ハンダゴテが使えないということだ。これ、命にかかわることのように、重要なことなのである。認めたら、死んでしまうというような感じで、パニックになっているのである。でっ、パニックになって押し通したことは、「やったってやってないこと」なのである。こういうところで、普通の人がわからないことをやっているのである。きちがい兄貴は、毎日、ヘビメタ騒音で、普通の人がわからないことをやっていたのである。普通の人がわかるわけがない。だいたい、きちがい兄貴が、きちがい親父のように、わかっていないのである。兄貴が、でかい音で鳴らしているということを認めないで、きちがい的な意地で鳴らした。基本的なことというのは、あきにの場合、音のでかさなのである。耳が正常なら絶対にわかることが、わからない。盲点になってわからない。きちがい的な意地でわからない。きちがい的な意地で認めないし、きちがい的な意地で認めなかったということを、きちがい的な意地で認めない。だから、いつもやっているのに、いつもやっていないと思っている状態なのである。あるはい、「やってない」と思うような関心もない状態なのである。それで、一秒間だってゆずらないぞという意地で、やりきる。やりきることに命がかかっているのである。きちがい親父と、きちがい兄貴はおなじなのである。おなじしくみが成り立っている。
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普通の生活に関して、愛情飢餓感みたいなものがある。まさしく、飢餓感。これ、普通の生活をしていた人にはまったくわからない感覚だと思う。ぜんぜん、ちがう。ほかの人が考えているような騒音生活ではないのだ。ぜんぜん、ちがう。
ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音なしで、普通に暮らしたかった。きちがいヘビメタ騒音なしで、普通にデートをしたかった。恋愛をしたかった。それは、できた。きちがいヘビメタ騒音がなければ、できことなんだよ。ヘビメタ騒音が鳴っていたから、どうしても、できなことになった。
それから、ほかのやつらは、「騒音が鳴っていても、勉強ぐらいできる」という前提でものを言うことがあるけど、できない。できないんだよ。マイナスになってしまう。覚えたことも忘れてしまう。普段、何も教えてもらわなくても、自分考えてできる数学の文章問題でも、蛇目騒音のなかで勉強してしまうと(勉強しようとしてしまうと)考えがおぼつかなくなってしまうのである。まるで、『できなくなる練習をしているような』感じになってしまう。ヘビメタ騒音のなかで見てしまったものは、考えがおぼつかなくなる。わからなくなる。自分が普通に、ヘビメタ騒音がなければ、一度目はできた問題でも、できなくなってしまうのである。考えがおぼつかなくなる。こんがらがってわからなくなる。自信がなくなる。緊張して、頭がこんがらがる。きちがい兄貴や、きちがい親父とは、ちがう意味で、パニックになってしまう。これ、ヘビメタ騒音が鳴っているときは、ずっとパニックになっているような状態なのである。考えられない。頭がこんがらがる。すごい切迫感がある。騒音の切迫感がある。頭がこんがらがってできないという切迫感がある。これ、やっただけ、おかしくなってしまうのである。できたことが……できなくなってしまうのである。
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おなじところを、ぐるぐるとまわっている。何十年も前、おなじ感じで、さみしかった。