あーあ。つまらない。この時間……。
いま、しずかでもしかたがない。
きちがいヘビメタが鳴っていたころ、毎日……この時間のように……しずかだったらなぁ。
みんな、ほんとうに、自分がきらいな音が、まったく理解しない家族によって、ずっと鳴らされている状態というのが、どういう状態のか、わかっていない。
わかっていないから、「自分なら平気だ」「自分なら影響を受けない」「自分なら鳴ってたって勉強ぐらいできる」「自分なら、鳴り終われば、(普通に……鳴っていないときおなじように)眠れる」と思ってしまう。
そうしたら、「エイリがさぼっている」ということになってしまうのである。「エイリが勉強をしたくないから、ヘビメタ騒音でできないと言い訳をしている」ということになってしまうのである。
こういう、不名誉な評価が、必然的に発生してしまうのである。
普通の人の脳みその中に発生してしまう。
そして、それは、たいへん不名誉なことだから、きちがい兄貴に「やめろ」とさんざん言ってるのに、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、のりこえてしまって、きちがい的な方法でずっとずっと鳴らし続ける。
このきちがい的な方法を採用しているのは、ぼくが知っている限り、きちがい兄貴ときちがい親父だけなんだよ。そして、きちがい親父は、騒音を鳴らさなかった。別にきちがい親父が、ヘビメタを鳴らしていたわけではない。
言いたいことは、普通の人の家族が、きちがい兄貴のようには、好きな音楽を鳴らさないということだ。だから、きちがい兄貴の騒音問題のような問題が、発生しないのである。
交渉力も、コミュ力も関係なく、きちがい兄貴がもたらすような問題が、しょうじないのである。
ところが、これもまた、ぼく(エイリ)の、交渉力の問題、コミュ力の問題になってしまうのである。
普通の人の頭のなかで、「エイリの側の交渉力の問題だ」とか「エイリの側のコミュ力の問題だ」とかということになってしまうのである。