日曜日の午後一時というのは、きちがいヘビメタが頑固に鳴っている時間だ。どれだけ言っても、やめてくれない。どれだけ言ってもやめてくれない状態が、もう、合計で四時間一〇分ぐらい続いている状態だ。
土曜日だって、ずっと鳴っていたのだ。
きちがい兄貴が眠るまで、ずっと鳴っているのだ。まあ、きちがい兄貴が歯磨きをするために、一階に行くタイミングまでずっと鳴っている。ほかの人にとっては、どうでもいいことなのだけど、……これ、……ずっと鳴っているということが、めちゃくちゃにくるしいのだ。
めちゃくちゃにきらいな音が、無視できない音のでかさで鳴っている。これ、考えることができない。勉強なんてどれだけやろうと思ってもできない。
だいたい、じゃあ、勉強をしないけど、しずかな時間をすごした場合と、勉強ができない状態で、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にかこまれて、きちがい的にうるさい時間をすごした場合をくらべると、勉強をしていないということでは、おなじだけど、つかれ方がぜんぜんちがうのだ。
こういう、つかれを無視する。こういう、不愉快な感情を無視する。こういう、いかりを無視する。こういう不安を無視する。
そりゃ、自分にとって大切なことをしようと思っているのに、つねに、きちがい兄貴が、よその家族が絶対に鳴らさないような音のでかさで、きちがい騒音を鳴らしているという状態だ。
ものすごい、音圧で鳴っている。これ、ぜんぜんちがう。みんな、騒音体験はある。耳が聞こえない人以外、ほとんどの人が、人生のなかで騒音というものを経験したと思う。
騒音を経験したことがない人のほうが少ない。けど、自分の家族による、きちがい的な騒音を経験した人は、めちゃくちゃに少ない。
ぼくが知っている範囲だと、ぼく以外に一人しかいない。その一人の人も、けっきょく、六か月間で、騒音自体が終了したわけで、一五年間続いてしまった僕とは、ちがう人生を歩んでいる。
その人は、ぼくの話を理解してくれた唯一の人だ。
これ、どれだけ親しくても、実際に、きちがい家族によるきちがい騒音をずっと聞かされた場合の生活というものを経験していない人は、ぼくの話を理解してくれないのだ。ひとりも、理解してくれない。
みんな、自分の騒音体験をもとにして考えるから、ぜんぜんちがうことを考えてしまうのである。