生活というのは、なにか、頭の中にあるものではなくて、実際の時間によって構成されるものなのだよ。
そして、きちがい兄貴が、全力で、全部の時間を使って鳴らすので、俺の「実際の時間」がヘビメタ騒音まみれのものになった。
ところが、ほかの人たちは、そうではないわけ。
「きいたはなし」なんだよ。ほかの人たちは、別に、「実際の時間」を汚染された人たちじゃないんだよ。
だから、「時間の持続」というものを軽く見る。特に、言霊主義者は「言ったことが、現実化する」という理論にこだわるので、すべてが、空想的な話になってしまうのである。
ようするに、「意識的になにかを言えば、その通りになる」という理論なので、意識的な発言こそが、すべてだということになってしまう。意識的な発言で「実際の時間」を構成することができると言っているのだ。
ところが、意識的な発言をして、意識的な発言通りの「現実」というのが「ない」。
ないんだよ。
意識的な発言をしたら、ヘビメタ騒音が実際に鳴りやんで、実際に鳴っていない生活ができるのなら、もちろん、言霊理論を支持できるのだけど、そうではなかった。実際は、ちがっていた。
どれだけ「ヘビメタがすぐに鳴りやむ」と言ったって、きちがい兄貴が、きちがい脳みその命令で、鳴らしていたので、「実際の時間」がヘビメタ騒音で汚染された。
ところが、何度も言うけど、言霊主義者にとっては、俺の「実際の時間」が汚染されたとしても、それは、ひとごとであって、自分の体験ではない。自分の時間は「きちがい家族」による「きちがい騒音」で、汚染されていないわけ。
だから、言わなくても、実際に、「汚染されていない時間」手に入れているわけだ。
そして、たとえば、「雨になると言ったら、雨になったので、言霊理論が正しい」ということを言うわけ。これは、理論的に、破綻しているのだけど、理論的に破綻しているということを説明しても、言霊主義者は納得しない傾向がある。
手短に言って、ぼくの経験の範囲だと、すべての言霊主義者が、ぼくの言っていることを理解せずに、腹を立てたのだ。
「実際の時間」というのがたいせつなのだ。
言霊主義者は「言えば言ったとおりになる」と言っているのだから、俺(えいり)と話した後、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのである。
ところが、言霊主義者にとって、俺との会話時間は、楽しいものではなかったのである。
だから、「実際の経験」がものをいうのだということを言っているのに、実際の経験よりも、意識的な発言のほうが重要だということを、言霊主義者は言うのである。
ようするに、ぼくに言霊理論を否定されて、くやしい思いをしたという実際の体験よりも、「エイリといる楽しい」という意識的な発言のほうが、重要だと言っていることになる。
「言霊理論は間違っている」と言えば、言霊理論にしたがって言霊理論は間違っていることになるのである。
だれが言っても、そうなるのである。
だから、言霊主義者がおれて、「エイリの言うとおりだ」と思って「言霊理論は間違っている」と言えば、言霊理論は間違いだということになるのである。もちろん、これは、言霊理論が正したった場合の話だ。
実際には、言霊理論は、「言霊理論は間違っている」という発言に関係なく、間違っているのである。