思い出の場所をめぐったって、ヘビメタ騒音でつらい思い出ばかりなのだから、意味がない。
破滅破綻の気持ちしかない。
当時もそうだったし、いまもそうだ。「いまもそうだ」というのが、問題だ。きちがいヘビメタが鳴っていて、普通の毎日がないと、破滅破綻するのである。
きちがいヘビメタ騒音で、自動的に、必然的に、破滅破綻するのである。どれだけ、修復しようとしても、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音の持続で、こころに、ぽっかり、穴があいている。
だいたい、「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつらは、想像力が、なさすぎる。ほんとうに、夜郎自大で、自分のことしか考えられないんだよな。
そのわりには、普段、自分が自分の気持ちを制御しているわけではないということに気がつかない。言霊主義者が、普段は、言霊理論に従って思考しているわけではないのとおなじだ。
こいつら、自分が、普段、どういう思考をしているのか気がついていない。
自分の感情が、出来事によって、どういうふうに生成されるのかぜんぜんわかっていない。
つまり、実際の出来事によって、自分のこころがどういう影響を受けるのかぜんぜんわかっていないのだ。わかっていないから、あたかも、自分が、自分のこころを制御できるようなことを言う。
壮大な、勘違いなんだけど、夜郎自大な性格だから、わからない。
あるいは、幼児的万能感に支配されているから、わからない。
これ、場面場面がつながっていないのである。そのときの思考しかないのである。その場面の思考と、別の場面の思考が、食い違っている……あるいは、矛盾しているということに気がつかないのである。
自分が正しいと思っていることを否定されたぐらいで、「おこる」のに、自分は、自分の制御できると思っている。自分の感じ方を、自分で「意識的に」決定できると思っている。
そーーーだいな、勘違い。
「もう、いいかげんにしろ」と言いたくなる。