きちがい兄貴が、きちがい感覚で、ヘビメタを思いっきりでかい音で鳴らすと、どうしても、影響を受けるのである。でっ、何回も言っているけど、何時間も何時間も鳴らされたあと、鳴り終わっても、副交感神経も交感神経も、数時間は影響を受けたままになる。これがわかっていないやつが、「鳴り終わったら関係がない」と言う。わかってないから、わかってない発言をするんだよ。こいつらの、ぼんくら発言はほんとうに、腹が立つ。こんなやつらになめられなきゃならなくなる。こいつらは、自分は影響をけないと思っているので、影響を受ける営利より自分のほうが、断然優れていると思っているのだ。ほんとうに、きちがい家族がいないから、きちがい家族の影響を、まのがれているだけなのに、くそふざけたことをいいやがって。本当に腹が立つ。
問題なのは、「決まった時間に起きなければならない」ということなのだ。これが、あせるのだ。いまでも、「決まった時間に起きなければならない」ということになると、眠れなくなり、くるしむことになる。こういうのも、きちがいヘビメタが数千日にわたって毎日続いたから発生したことだ。ところが、これも、『やられていない人』から見ると、俺がさぼっているようにしか見えないのだ。二時間、三時間ぐらいしか眠れない状態で毎日すごしていた。前期の七年間は学校に通っていたのだけど、学校に通うとなると、遅刻をしてはいけないということになる。けど、ほんとうに、午前四時か、午前五時ぐらいからしか、眠れない。「からだがさめるまで」眠れない。毎日、数時間のヘビメタ騒音で、眠れない状態になって、そのあと、午前午前四時か、午前五時ぐらいまで……「猛烈に苦しい体で」起きているということになる。これ、リラックスした、いい時間で、眠れないにしろ、横になっているから、すこしは、休息になって、体が楽なるという感じがするものではないのだ。この時間の苦しさが、わからないやつらが「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うのだ。しかし、こいつらには、きちがい家族がいない。きちがい家族が、よその家ではありえない音で、ガンガン騒音を鳴らし続けるということがない。そういうことが毎日続く生活というものを経験したことがない。そういうことが毎日続く生活をしたことがないので、実際に、どういう体の状態になるか、わかっていないのだ。わかっていないから、ヘビメタ騒音の問題を軽く見て……軽く見ているつもりはないのだけど、軽く見て……「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言いやがるのだ。
「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うやつから見れば、俺がさぼっているようにしか見えないのだ。「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言うやつから見れば、俺が言い訳をしているようにしか見えないのだ。
きちがい兄貴が、よその家では絶対にありえないことを、きちがい感覚でやり通してしまうと、よその人とぼくの間で、ぼくのみに起こったことに関する認知のちがいが発生する。この、認知のちがいも、言ってみれば、自然発生的で、不可避的な認知のちがいだ。ほんとうに、腹が立つ。きちがい兄貴にも、腹が立つし、わかったつもりになって、見下してくるやつにも、ほんとうに腹が立つ。こいつらは、「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって苦労した」「自分だって朝はつらい」と言っているのだから、「騒音で苦しい」ということは、理解しているのだ。「朝、つらいことがある」ということは、理解しているのだ。しかし、程度がちがう。原因がまったく、ちがう。持続時間と持続期間がちがう。毎日……ほんとうに毎日続いたということが、重要なのに、ほんとうに毎日続いたということを無視して、無理解ぶりを発揮した発言を、理解しているつもりで言う。毎日続いたということの重要さがわからないのだ。毎日続いたということは、体に影響を与えるのである。一日だけそうだったこと、一週間だけそうだったこと、一か月間だけそうだったこと、一年間だけそうだったこと、一〇年間だけそうだったことは、それぞれ、ちがった影響を与えるのである。この影響のちがいを無視して、無理解ぶりを発揮した発言をする。しかも、「自分は、ちゃんと理解している」と思っているのだ。ぜんぜんちがう状態のことについて考えているのに、ぜんぜんちがう状態のことについて考えているとは思っていないのだ。「そういうことだろ」と思って、同一視しているのだ。これも、どれだけ、指摘しても……ぼくの経験の範囲だと……こういうやつらは、最後まで分の最初の意見をかえなかった。