この世でできる、理想の生活というのは、なんなんだろうなぁ。
そりゃ、もちろん、ヘビメタ騒音がない生活……。ぼくの場合、ヘビメタ騒音がなかった場合の人生になってしまうんだよ。
理想の生活というのは、ヘビメタ騒音がなかった場合の「生活」になる。この「生活」というのは、「全生活」だ。生活、全部だ。
わけ、わからないかもしれないけど、生活の全部だ。けど、けど、けど……実際に、ヘビメタ騒音が発生してしまった。人生のなかで、ヘビメタ騒音が発生してしまった。すでに、発生してしまったのだ。
なので、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の人生というのが、架空の話になってしまう。架空の人生なのだ。普通の人の場合は、そんなことはない。
ヘビメタ騒音が発生してない人生を歩んでいるし、ヘビメタ騒音が(人生のなかで)発生しないことが、あたりまえだからだ。
だから、まあ、スタートラインがちがいすぎるんだよね。
というわけで、ヘビメタ騒音が発生してしまったのだけど……そして、ヘビメタ騒音がいったん発生してしまったら、もう、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の生活には、絶対に戻れないのだけど……。だけど……。だけど……。
理想としては、やはり、ヘビメタ騒音が発生しなかった場合の人生がいいわけ。そういう人生を歩みたかったということになる。