2025年11月8日土曜日

●その悪いことをした責任を、自己責任論者は、放棄している■社会※2025/11/08 12:19

  自己責任論というのは、「すべては自己責任である」ということになっているのだけど、他者の責任ついて言及している場合は、その他者の責任であるということを言っているということになる。「すべては、自分の責任」というわけではないのだ。

たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんが自己責任論者だとする。ビーサンが、きちがい的な音でヘビメタを鳴らしている人だとする。Cさんが、Bさんの家族で、きちがい的な音でヘビメタを聞かされている人だとする。

責任の所在は、Cさんにあるのである。

非常識な音のでかさで長時間騒音を鳴らしているわけだから、Cさんに、責任があるのである。行為の責ということを考えると、行為の責任は、Cさんにあるということになるのである。

ところが、Aさんは、Bさんが、Cさんの騒音でくるしんでいるということは、AさんのAさんの自己責任であるとは考えないのである。「すべてが自分の責任であるから」BさんがCさんの騒音でくるしんでいることも自分(Aさん)の責任であるとは考えないのである。

そうではなくて、「すべてが自分の責任であるから」Bさんが(Cさんの騒音で)くるしんでいるのは、Bさんの責任であると考えてしまうのである。Aさんが考えてしまう。

ようするに、『やりがち』の世界だ。

どんな迷惑行為でも、やったやつではなくて、やられたやつの責任だということになってしまう。

ようするに、Aさんは、自動的に、Cさんの責任ではなくて、Bさんの責任を追及するということになってしまうのである。責任は、Cさんにあるのに、あたかも、Bさんに責があると断罪しているような状態になってしまう。

Aさんがそうやって、ほんとうは被害者であるBさんの責任を追及したということは、Aさんの責任なのである。これがわかっているやつが少ない。
 

ケースバイケースの、責任の所在ということを一切合切、無視しているので、被害を受けたら被害を受けた人の責任だということになってしまうのである。

自己責任論者になってしまった人は、一切合切の状況を考えず、ひたすら、被害者の責任を追及する人になってしまうのである。ほんとうに、被害者のほうが悪い場合もある。被害者に責任の所在がある場合がある。ところが、最初から、どのような経緯でどのようなことが起こったのかを無視して、ともかく、被害を受けたほうの自己責任だと、決めつけてしまうのである。そういう単純思考におちこんでしまうのである。

責任がない人の責任を追及するということは、悪いことなのである。

ところが、その悪いことをした責任を、自己責任論者は、放棄しているのである。これは、基本的に、本人が、責任を感じなければ、責任を感じないということを意味している。

なんのことかわからないかもしれないけど、けっきょく、「すべては自己責任」と言ったって、本人が「自分の責任である」と意識したことにだけ、「自己責任を感じる」ということを意味しているのだ。つまり、「すべて」ではないということを意味している。

「すべては自己責任」と言っているけど、自分が責任を感じたことに関しては、責任があると感じるということにすぎないのである。すべてではないのである。これなら、「すべては自己責任」と言わずに、普通に、自分の責任であることは、自分の責任であると認識する「普通の責任論」とかわりがないではないか。

責任を感じることを、事前に、選んでいるのである。「すべては自己責任」と言っているけど、「すべて」ではなくて、自分に責任があると意識にのぼったことだけにしか、責任を感じないのである。それなら、普通の責任論?となんらかわりがないではないか。

*     *     *

どんな状況で、どんな出来事が発生したかにかかわらず、やられたほうの自己責任だと決めつけるやつらが、いいことをしているとは、思えない。 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。