寝不足で、起きて、無理やり学校に行っていたのだけど、無理やり起きたときの、切羽詰まった感情が並じゃないのだ。動かない体を無理やり動かしているときの緊張感が並じゃないのだ。
そして、昨日ヘビメタ騒音が残っている。体に残っているんだよね。午前七時三〇分ぐらいというのは、眠ってから、二時間から三時間ぐらいしかたっていない状態で、くるしかった。
このときの体の状態やこのときのこころの状態が、普段動くときにも、影響を与えているのである。いまですら、そうだ。
めちゃくちゃに動きたくない時間というのがあって、このめちゃくちゃに動きたくない時間の状態は、きちがいヘビメタ騒音で学習してしまったものだ。
毎日続くのである。平日は毎日続いた。そして、日曜日も祝日も、けっきょく、朝からヘビメタが鳴っている状態で、くるしいのである。
でっ、ヘビメタ騒音が鳴っている「うち」に滞在している時間が、また、くるしいのである。この部屋にいる間、ずっとやられた。トイレに入っても、風呂に入っても、ずっとやられた。
いまでも、めちゃくちゃに動きたくない状態になるときがあるのだけど、それは、きちがいヘビメタの繰り返しでしょうじた状態だ。これが、経験的にわかっていれば、「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」なんて、言えない。
そんなことは、言えるわけがないのだ。この状態を経験していたら……この状態を何千日も、何万日も経験していたら、そんなことが言えるわけがない。「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などと言えるのは、わかっていないからだ。
経験したことがないからだ。ところが、「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などという本人は「俺だって苦労した」「俺だってつかれているときはある」「俺だって憂鬱なときがある」と言う。
これが、やっかいなんだよ。「言ったことが現実化するから、元気だ元気だと言えば元気になる」などと言っている時点で、たいした苦労をしていないし、たいした憂鬱を経験していないし、たいしたつかれを経験していない。
ぜんぜん、ちがう。
けど、「ぜんぜん、ちがう」ということを言ったって、そいつは、認めない。
「なんだこんにゃろう」「自分だけ苦労したと思っているのか?」と言ってくる。
けど、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っているのだから、大した苦労なんて経験していない。そんなことが言えなくなる苦労がある。
「元気だ元気だと言ったら、俺は元気になった」とも、その人は言ったのだけど、「元気だ元気だと言ったら、俺は元気になった」と言っているのだから、毎日続くヘビメタ騒音のつかれと同等のつかれを経験したわけではないということが、あきらかだ。
そんなことは、言えなくなる。ぜんぜん、わかっていないから、言えるんだよ。