なんとか、起きた。けっきょく、気分なんだよなぁ。
けど、気分は、いろいろな条件によって決まる。条件のなかには、強烈な条件と弱い条件がある。影響度がちがう。無理なものは無理なんだよ。
たとえば、強烈な腹痛におそわれているとき、「楽しい気分になるか」というと、ならない。強烈な腹痛におそわれているとき、「うれしい気分になるか」というと、ならない。
どうしても、「いたい」ということに、神経が集中する。
いたいから「いたい」と思う。いたいときには、いたいわけだから、「楽しい」とか「うれしい」という気分には、結び付きにくい。
もちろん、ドラマやアニメで、主人公が死ぬまえ、いたがっているけど、「うれしい」とか「たのしい」とかという感情に包まれているような描写がある。死ぬまえに、くるしいはずなんだけど、笑顔だった。死ぬまえに、くるしいはずなのだけど、感謝の意を表して死んでいった。
そういうシーンはあるかもしれない。
あるかもしれないけど、日常生活のなかでは、そういうのは、まれで、強烈にどこかがいたい場合は、「いたい」という感覚的な「気持ち」に支配されて、なかなか、「楽しい」とか「うれしい」という気持ちにならない。
あるいは、なかなか、「楽しい」とか「うれしい」という気持ちにならない。
ようするに、条件が生み出した刺激と、結び付きやすい感情と結び付きにくい感情があるのである。しかし、「楽しいと言えば、楽しくなる」というように、一般化してしまうと、この部分をそのまま、無視することになるのである。
しかも、一〇〇%構文の文で言っているということは、注しなければならないのだけど、たいていの人たちは、一〇〇%構文の文で言っているということを、無視してしまう。
なので、条件に関係なく、言ったことが成立するようなことを、他人に言うようになる。「楽しいと言えば、楽しくなる」と言っている人たちが、普段どのように暮らしているかというと、ほんとうは、条件が生み出した刺激の影響を受けて暮らしているのである。
本人が、それに気がついていないだけだ。たとえば、言霊理論が、理論的に間違っているということを指摘されると、怒りの感情がわくのである。言霊理論が、理論的に間違っていると言った相手に対して、憎悪の感情が芽生えるのである。
ほんとうは、言霊主義者は、言霊理論が間違っていると言われた直後、腹を立てている……ときに……「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない可能性がある。
「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない確率は、非常に高い。出来事によって感情が発生したあと、逆のことを言っても、自分の感情なのに、その通りにならない場合がある。
そういう場合は、非常に多い。むしろ、こっちのほうに、法則性があるような感じがする。
あくまでも、感じがするだけだ。ぼくの経験の範囲で言えば、一〇〇%の言霊主義者が、言霊理論を批判されたあとに、おこりだした。でっ、たぶんだけど、おこっているとき、「楽しい楽しい」と言っても楽しくならないはずだ。実際には、言霊主義者はぬけぬけなので、自分が本当に腹を立てているとき「楽しい楽しい」とは、なかなか言わない。
「言えばいいだろ。言えば言った通りになるんだろ」……と言いたくなるけど、エイリがこのように言ったとしても、たいていの言霊主義者は、激しくおこっているときに「楽しい楽しい」とは言わないのだ。
言わないので、『言った通りにならなかった』ということを経験しないことが多いのである。ごく普通に、自分が本当におこっているときは、「楽しい楽しい」とか「うれいうれい」とかというようなことは、言わない。
たとえ、言ったって「そのようにはならない」ということを、言霊主義者が知っているからだ。けど、他人には「どんなにつらくても、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言ってしまう。
他人には「どんな状態でも、、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言ってしまう。
ただ単に、自覚がないだけ。こいつらに、一〇〇%構文の文を与えると、非常にまずいことになるので、ライフハックがはやることは、よくないことだ。
実際の出来事によって、ある種の感情が発生している場合は、その感情とは逆の感情を表す言葉を、言ったって、なかなか、言った通りの感情にはならないのである。中立的な状態で、「楽しい楽しい」と言ったら、楽しくなった(ような気がした)ので、言霊の力があり、言霊の法則が成り立っているということを考える人は、いろいろなところで、あやまちをおかしているのである。
それに関しては、もう、さんざん書いたので、ここでは、省略する。
ある種の出来事が発生しやすくなる、ある種の条件があるのである。ある種の出来事と、結び付きやすい感情があるのである。
だから、実際に、ある種の出来事がしょうじたら、普通は、そのペアの感情がしょうじるのである。あくまでも、「普通は……そうなる」ということだ。組み合わせは、絶対だから、その組み合わせ通りの感情しか、発生しないと言っているわけではない。
出来事と感情のあいだに結び付きやすいペアがある。
でっ、ある種の出来事というのは、ほんとうに、ある程度条件によって決まってしまうようなところがある。これも、確率的に、そういうことが起きやすいということだ。
そして、そういうことが起きやすい仕組みがあるのである。この仕組みは、社会的なしくみであったり、個人の心理的なしくみであったり、人間同士(対人関係上)の心理的なしくみであったりする。