つかれたぁ。吐き気がある。もう、一回眠りたい。睡眠トライしようかなぁ。しかし、雨と気温変動で、なんか、体調が悪い。希望がないんだよな。希望が欲しいなぁ。横になって考えることが、ヘビメタ騒音がはじまった日のことなんだよなぁ。あれから、どれだけつらい目にあったか。
みんな、実際に経験していないから、「なんだそれ」と思えることなんだよな。けど、自分が、この世で一番きらいな音が、常に爆音で鳴っている生活というものについて、考えたことがあるか。ぜんぜんちがう、騒音について考えて、「そんなの、たいしたことない」と思ってしまう。多くの人が、思ってしまう。けど、ぼくの側から見ると、きちがいヘビメタ騒音は、めちゃくちゃにでかいことなんだよ。
実際に自分が一倍速で経験していることではないから、無視できるだけなんだよ。軽く考えることができるだけなんだよ。そして、たとえば、ヘビメタ騒音の影響を無視して言うことが、倫理や道徳に関することなのだ。こんなの、ない。言っていることがまったくわからないと思う。たとえば、「人間は働くべきだ」というのは、倫理や道徳に関することなのだ。こんなの、ない。倫理や道徳を無視して、きちがいヘビメタを、すべての時間、鳴らすやつは、なんなんだ。すべての時間というのは、「使えるすべての時間」ということだ。きちがい兄貴にとって、使えるすべての時間を鳴らすということは、俺にとって、常に鳴っているということになる。時間を決めてやるわけではないから、常に、鳴り始める可能性があるものなのだ。これ自体が、圧力だ。きちがい兄貴帰ってきたら、鳴り始めるものなのだ。どれだけ俺が「やめろ」「やめろ」と、きちがい兄貴に、直接、強く言っても、きちがい兄貴は、きちがいだから、きちがい感覚で、鳴らしてしまう。これは、倫理や道徳を無視して鳴らすということだ。倫理や道徳を無視して鳴らす人間がいるという前提がある。それで、実際にやられて、こまっている人間に、「こういう基準に合わせるべきだ」と言ってくるのである。そこには、倫理や道徳があるのである。こんなのない。むしろ、「こういう基準に合わせるべきだ」ということを言うこと自体が、非倫理的なこと、非道徳的なことなのだ。ほんとうは、そうだ。けど、こっちが、どれだけ、現実的に、被害を受けていても、「他人である人」にとっては、その被害というのは、ゼロなのだ。他人である人にとっては、被害じゃないからだ。実害を被っていないのだから、実害を被ったことによってしょうじる「影響」を、無視できる。無視してしまう。そして、「自分だって苦労した」と言えば、自分の行為を、肯定できるのである。ところが、実害を被ったことによってしょうじる「影響」を、無視して、非倫理的なことを俺に言ったという履歴は残る。非道徳的なことを俺に言ったという履歴は残る。まあ、ぼくの側に残っているだけだけどね。そりゃ、きちがい兄貴が占有して、きちがいヘビメタを鳴らしているときの時間は、ぼくが苦しんでいる時間だけど、そいつらは、まったくくるしんでいない時間だ。こいつらが「自分だって苦労をした」と言ったって、ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえる、きちがい家族によるきちがいヘビメタ騒音の時間を無視したことには、かわりがない。「ヘビメタ騒音の時間」によって、不可避的にしょうじる、こちら側の損害を無視したことには、かわりがない。