ちょっとだけ言ってしまうと、宗教を「うすく」したのが、精神世界だ。そして、精神世界を「うすく」したのが、ライフハックだ。
ライフハックの文言は、じつは、精神世界の文言とおなじ問題を含んでいる。
宗教を「カジュアル」にしたのが、精神世界だ。そして、精神世界を「カジュアル」にしたのが、ライフハックだ。
ライフハックの文言は、じつは、宗教の文言とおなじ問題を含んでいる。
カジュアルになっている文だけ、問題がないと、ライフハックを(他人に対して)口にする人たちは考えている。「解決策」を教えてあげるつもりになっている。
だから、いいことをしているということになるのである。
ところが、ライフハックを口にする人は、みんな、相手の条件を無視しているのである。どうして、条件を無視しているということが言えるかというと、ライフハックの短い文が、条件を無視しているからなのである。
「XをすればYになる」というような構文で、表現できることは、条件を無視したことなのである。
そして、あまりにもカジュアルだから、宗教くささがないけど、宗教の考え方とおなじように、カルト的な前提が成り立っているのである。ところが、ライフハックを口にする人は、カルト的な前提が成り立っているということに、気がつかない。ライフハックを口にする人は、「宗教なんて関係がない」「精神世界なんて関係がない」と思っているのである。
ところが、ライフハックを口にする人たちには、カルト思考が成り立っている。ライフハックの文言にも、カルト宗教とおなじように、カルト的な前提が成り立っているのである。