「笑顔だとしあわせになる」のではなくて、「しあわせだから、笑顔になる」のではないか。
その場合、笑顔であるという条件をぬかした、外部環境や内部環境のなかに、しあわせを感じる要素があり、気持ちよく楽しく暮らすことができるので、自然と笑顔になるのである。
かりに、気持ちよく楽しく暮らすことができるので、自然と笑顔になるという場合、つくり笑顔をつくっても、当然、 笑顔であるという条件を抜かした、外部環境や内部環境がかわるわけではないから、気持ちよく楽しく暮らすことができるようにならないのである。
笑顔が主人で、しあわせな生活が従者であるのではなくて、しあわせな生活が主人で笑顔が従者なのだとしたら、笑顔をつくっても、しあわせにはならない。
だいたい、理由がないのに、「しあわせになりたいから」無理やり笑顔をつくっている状態が、しあわせな状態なのか、ふしあわせな状態なのかということを考えると、すくなくても、その状態は、しあわせない状態ではない。