2025年10月12日日曜日

●相手の履歴に関する知識は、相手に対する認識に影響をあたえる■社会※2025/10/11 23:27

「ニコニコしているとしあわせなことが起こる」ということについて考えてみよう。こういうことを言う人は、実際の場面におけるメタ認知を無視してしまっているのである。

だから、ニコニコしているとしあわせなことが起こる場合はあるけど、ニコニコしていたら、ふしあわなことが起こる場合もあるということになる。

そして、ニコニコしていいても、特に何も起こらないバカがある。そして、ニコニコしていても、ニコニコしていたこととは関係がない中立的なことが起こる場合もあるのだ。

「ニコニコしているとしあわせなことが起こる」というのは、「Xをしていると、Yがおこる」と抽象化することができる。

この場合、一〇〇%詐欺をやっており、なおかつ、法則性がないのに、あたかも法則性があるようなことを言ってしまっている。

「Xをしていると、Yがおこる」というようなライフハックをくちにする人は、場面における、メタ認知を無視しているのである。無視しているから、自分にとって都合がいいシーンを思い浮かべて 「Xをしていると、Yがおこる」と言いきることができるのだ。

けど、まちがっている。

たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんは、無職に偏見がある人だ。そして、Bさんは無職である人だ。Aさんは、Bさんが無職であるということを知った場合、Bさんに対しても、無職に対する偏見がしょうじる。

Bさんがニコニコしていたって、AさんがもっているBさんに対する偏見が消えないのである。「無職は信用ができない」という偏見をもっていれば、Bさんがニコニコしていても偏見によって、Bさんを信用することができないのである。

実際には、どういう場所で、二人が会って話をしているのかということも、ほんとうは、重要だ。どういう目的で、二人が話をしているのかということも、ほんとうは、重要だ。場所や目的は、メタ認知の中に埋め込まれてしまうのである。

喫茶店で会って話しているのか、職場で話しているのかで、人が人に対して思うことは、ちがうのである。

そして、たとえば、相手に対する知識というのも、影響をあたえる。

「過去は関係がない」と豪語する人だって、相手が、成功した経営者である場合と、無職のニートである場合は、態度がちがうのである。

態度のちがいは、じつは、「知識」によって引き起こされるのだけど、いろいろな知識が「人物に対する認識」「相手に対する認識」に影響をあたえる。成功した経営者のエピソードは、過去のエピソードなのだ。

だから、「過去は関係がない」と言っているのであれば、そういう過去のエピソードも関係がないということになる。

ところが、ぼくの知っている範囲で言うと、「過去は関係がない」と豪語する人たちにかぎって、相手の過去を重視するのである。相手が、成功エピソードをもっていると、尊敬して、相手が失敗エピソードをもっていると、軽蔑するのである。

相手が「いま」もっている肩書だって、過去出来事が関係しているのに、「過去は関係がない」と豪語する人たちは、「過去は関係がない」と豪語するのである。

ところが、「過去は関係がない」と豪語する人たちが、いまの肩書にいたるまでの過去の履歴を重視しているのだ。

まあ、こいつらは、ほんとうに矛盾している。

問題なのは、矛盾していることに気がつかないということだ。本人が気がつかないのである。

言霊主義者が、普段は、言霊理論をガン無視して暮らしているのとおなじだ。言霊主義者というのは、あたりまえのことに関しては、言霊理論をガン無視して暮らしているのだけど、本人には、その自覚がないのだ。まったく、矛盾に気がついていない。

それとおなじで、「過去は関係がない」と言っている人たちは、相手の!履歴を重視しているのに、その自覚がまったくないのだ。

相手の履歴に関する知識は、相手に対する認識に影響をあたえる。相手に対する認識は、いろいろな判断に影響をあたえるのである。

なので、ニコニコしているかどうか、ということよりも、相手に関する知識のほうが、相手に対する認識に影響をあたえる可能性がある。

「ニコニコしていると話しかけやすくなるから、いい交流が生まれやすい」というのは、ニコニコしているということ以外に関しては、無視した言い方なのである。

ようするに、偏見もなく、場面におけるメタ認知が中立的なものである場合は、 「ニコニコしていると話しかけやすくなるから、いい交流が生まれやすい」という傾向があるということ、言っているにすぎない。

ところが、たいていの場合、メタ認知は中立的なものではないのである。職場における人間関係を考えると、初見の人のほうが、少ないので、すでに両者の間で過去の出来事が発生してしまっている。

そうなると、実際に起こった出来事によって、「その人」に対する認識ができあがってしまっている場合がある。

その場合、その人が「ニコニコしている」かどうかよりも、その人に対する(別の人がもっている)認識のほうが、別の人の態度や判断に大きな影響をあたえることがある。

その場合、自然にニコニコしている人なのか、むりにニコニコしている人なのかということは、重要なことだ。無理やりニコニコしていても、自然にニコニコしている場合と「おなじ効果がある」とは言えない。「その人」とか「別の人」という表現だと、混乱が生じるので、とりあえず、CさんとDさんということにしておく。

CさんとDさんが、おなじ会社に勤めていて、おなじ職場にいるのであれば、Cさんが、Dさんをどのように見るかということは、すでに、CさんとDさんのあいだでどのようなことがあったかということで、だいたい決まってくる。

まあ、CさんとDさんのあいだではなくて、他の人がからんでいる場合もあるし、ただ単に、Cさんが、Dさんの行動を見て、Dさんのことをどう思ったかということも、関係している。ともかく、平日はほぼ毎日会っているわけだから、「ニコニコしている」ということに関しても、「自然にニコニコしているのか、無理やりニコニコしているか」ということについて、メタ認知が成立しやすい傾向がある。

たとえば、Dさんが自然にニコニコしているのか、それとも、つくり笑顔を浮かべているだけなのかということについて、Cさんは、識別できる可能性がある。識別できる確率が高い。

「ニコニコしていれば、いいことがある」と言っている人は、「無理やりつくった笑顔でも、ニコニコしていれば、いいことがある」ということを言う。「自然にニコニコしているのか、無理やりニコニコしているか」ということは、関係がないということを、言うのである。

「無理やりニコニコしている場合でも、運があがるから、いいことがある」というカルト的な考え方が、ニコニコ教祖にはあるのだ。「運があがる」という別の要素を勝手に、取入れで、説明をするのである。これ……やっかいなんだよな。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。