やっぱり、自分がきらいな音をガンガン、聞かされ続けるのは、くるしい。くるしい。毎日何時間も何時間も、自分がきらいな音を、爆音で聞かされるはつらい。自分が生活している空間が……たとえば、この部屋が……自分のきらいな音で、いっぱいになるのはつらい。自分の部屋にいるのに、きちがい的な音ががんがん攻めてきて、強制的に、やってられない気分になるのだ。強制的に、腹がたつのだ。圧迫感を感じる。不愉快な気持が、最大限の大きさで、ずっと続く。強制的に、不可避的にそういう状態になる。耳をふさいでも、爆音だから、たいしてかわらない。耳をふさいでも、上記の状態がまったくかわらない。くるしいに決まっている。
ところが、こういう生活をしていないやつが「楽しいと言えば楽しくなる」と言いやがる。「どんだけくるしくても、楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言いやがる。「過去なんて関係がない」と言いやがる。「騒音なんて関係がない」と言いやがる。「そんなのは、関係がない」と言いやがる。言いやがる。こんなやつら、ほんとうに、害虫でしかない。こいつらは、こいつらで、自分が正しいことを言っていると思っている。「楽しいと言えば楽しくなる。これは正しい」と思っている。こんなやつら……。はっきり言って、きちがい兄貴とたいして、かわらない存在なんだよ。俺にとっては……。
たいせつなことを認めない。あたりまえであることを認めない。こいつらだって、自分がきらいな音に、あれだけ長い時間、毎日毎日さらされ続けたら、憂鬱になる。影響をうける。不可避的に影響をうける。自分が、やられてないから、わかっていないだけ。自分が、経験していないから、わかっていないだけ。「自分なら平気だ」という前提で、むりなことを言ってくる。「むりじゃない」と言ってくる。