2025年10月10日金曜日

●そういうことを、相手に突き付けてくる■家族※2025/10/10 18:15

親父がからむと、いちいち、うまくいかないんだよ。「どうして、そういうことを言うのかなぁ」ということを言って、ゆずらない。こまるんだよ。そういうこと、ばかりなんだよ。親父は頭がおかしいから、へんな基準で、動いている。そして、一度スイッチが入ると、絶対の意地でやってしまう。こっちがかかわっていることでも、おかまいなしだ。きちがい兄貴も、ヘビメタを思いっきり鳴らしたいというスイッチが入ってしまったんだよ。自分が鳴らしたいだけ、自由に鳴らす……ようにしようというスイッチが入ってしまった。そうしたら、聞かない。きちがい的な意地でそれをやり続ける。殺さなければ、やめさせることができないのだ。その場で、問答無用で、殺さなければ、相手の行動をとめることができない。相手というのは、この場合、きちがい兄貴ときちがい親父だ。これ、スイッチが入ってしまったら、殺さなければとめることができない。そういうことを、相手に突き付けてくる。この場合の相手というのは、俺だ。主に俺のことだけど、その他の人のことも含んでいる。相手というのは、親父にとって、相手のことだ。そして、相手というのは、兄貴にとって、相手のことだ。とめようとする相手のことなんて、これっちぼっちも考えないのである。自分の気持ちだけで、つっぱしってしまうのである。そして、特集な頭の構造により、相手の気持ちは考えてもいいということになっているし、特殊な頭の構造により、ほんとうに、どれだけ本人が考えようとしても、考えられないのである。本人が相手の気持ちを考えているときは、相手の気持ち考えていないときなのである。ともかく、きちがい兄貴やきちがい親父が、相手の気持ちを考えることができるかというと、できないのである。考えるとすると、特殊な構造をもった頭で考えることになるのだけど、それは、特殊な構造をもった頭で考えることになるので、普通の意味で相手の気持ちを考えるということができないのである。たとえば、だれかが親父や兄貴を説得して、「相手の気持ちを考えるようにしたほうがいい」と言ったとする。けど、考えるとなると、親父は親父の頭を使って考えるわけだし、兄貴は兄貴の頭を使って考えるわけだから、けっきょく、相手の気持ちを考えることができないのである。けど、考えることができなくても、「相手の気持ちを考えるように言われて」本人が、考えたつもりになってしまうことがある。あるけど、そのときも含めて、じつは考えていないのである。ものすごく、自分勝手な方法で、考えているわけだけど……相手の気持ちを考えているのだけど……それは、けっきょく、相手の気持ちを考えていないことになってしまうのである。本人が、「考えるつもりになって」考えた場合の相手の気持ちと、普通の人が……あるいは、説得している人が、思い浮かべるそのような状態とは、ぜんぜんちがうのである。親父の頭の中にある「相手の気持ち」というのは、「相手の気持ち」ではないのである。かすりもしない。兄貴の場合も同様だ。かすりもしない。だから、普通の人は、……あるいは説得している人が……考える「人間のイメージ」とはちがうのだ。根本から、頭の構造がちがう。だから、本人(親父や兄貴)が、どれだけ「考えよう」と思って考えられないのである。特に、スイッチが入って、自分の気持ちでいっぱいのときは、考えられないのである。けど、普段でもそういうところはある。特にスイッチが入っていない場面でも、そういうところは、ある。親父や兄貴には、ある。けど、いっしょに暮らしている人でなければ、特に、こまらないのであ。その都度、ぶつかることはあるかもしれないけど、いっしょに暮らしているのと、いっしょに暮らしていないのとでは、雲泥の差がある。だから、一般の人は、きちがい兄貴の頭の構造や、きちがい親父の頭の構造を無視して、俺に!アドバイスをしてしまうのである。ところが、どれだけアドバイス通りにしても、うまくいかないのである。「言えば言ったことが現実化する」「思えば、思ったことが現実化する」と言うけど、言っても、言ったことが現実化しないし、思っても思ったことが現実化しないのだ。親父や兄貴に関することは、言っても現実化しないし、思っても現実化しない。ところが、そういう精神世界の人は「言い方の問題だ」「思い方の問題だ」と問題をすり替えしまうのである。あるいは、一般の人は、ぼくの説得力のほうに問題があると、問題をすり替えてしまうのである。だから、特殊な構造をもっている頭について考えると次のようなことが言える。特殊な家族と一緒に住んでいる人は、一般人に、不可避的に誤解をされる。一般人は、一般人で、自分が誤解をしたとは思わないということがしょうじる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。