もうひとつ言いたいことは「ほとんどの人が笑顔ではないこと」と「つくり笑顔でも、笑顔をつくれば、しあわせになるというライフハック」はセットなのではないかということだ。ようするに、ふしあわせな人が多いから、しあわせになることを、求めているのである。そして、お手軽な方法でなければならないのである。おカネがかかる方法とか、用意をするのに時間がかかる方法ではダメなのである。
笑顔ではない顔というのは、いろいろとある。たとえば、普通の顔、おこっている顔、不満そうな顔、元気がなさそうな顔と、いろいろだ。いつもニコニコしている人は、少ないのである。いつもニコニコしている人は、レア中のレアなのである。
たとえば、電車の中で、どのくらいの人が笑っているかどうかということを見てみればいい。ほとんどの人が笑っていない。ほとんどの人が笑顔ではない。むっつりした顔や、普通の顔で、電車の中にいる。駅のホームに降りてからはどうか? おなじだ。ほとんどの人が笑顔ではない。むっつりした顔や、普通の顔が多い。ようするに、笑顔の人が少数派で、笑顔ではない人が多数派なのである。
電車から降りて、駅構内を歩いているとする。どれだけの人が、ニコニコしているのか。前にも書いたけど、相手がニコニコしていると認識するか、相手がニタニタしていると認識するかは、認識するほうが、決定していることなのである。駅構内を歩いているとき、9割の人が、ニタニタしているたら、人は、どう感じるだろうか?
普通の人は、普通の顔をしている確率が高い。実際には、たぶん、むっつりとした顔をしていると思う。どうしてかというと、電車通勤自体が、とても負担のかかことだからだ。そして、出社して働くということが、笑いをさそうことではないからだ。もちろん、会社で働くことが楽しくて仕方がないので、思わずニコニコしてしまう人もいるだろう。けど、そういう人は、とてつもなく、少ない。
そして、認識する人が「ニタニタしている人だ」と認識してしまうと、やはり、不信感が芽生えるのである。むっつりとした顔をしているほうが、まだ、不信感がしょうじないのではないか。どうしてかというと、通勤自体が不愉快なものであるという共通認識が成り立っている確率が高いからだ。もちろん、例外はいる。通勤自体が楽しくてしかたがないと思っている人もいるだろう。そういう人は、ニコニコしてしまうだろう。けど、ほかの人は、(その人が)ニタニタしていると認識してしまうかもしれない。ぼくの経験の範囲で言えば、通勤自体が不愉快なものである感じている人のほうが、通勤自体が楽しくてしかたがないと感じている人よりも、高いのではないかと思える。
ようするに、きつい生活をしている人が多いから、なんとか、しあわせになりたいと思う人が多くなるのである。そして、役に立たないライフハックが、しあわせになりたい人に、幻想の方法をあたえる。この方法は、役に立たないことが、あとでわかるのである。読んでいるときは、その気になるけど、実際には、役に立たないことが、あとで、わかるのだ。実際にやってみればわかる。思った通りの効果が得られないのだ。逆に、トラブルがしょうじたりする。ともかく、そのライフハックで、しあわせな人が、増えるということがないので、逆に、いつまでも、ライフハックの方法が、売れるということになる。ライフハックの方法が売れて、いろいろな無料動画で、そのライフハックの方法について知ることができるのだけど、それでも、依然として、多数派は、駅構内で、ニコニコしていないという状態が維持される。会社でも、多数派はニコニコしていないという状態が維持される。もちろん、ニコニコしている人も、ニタニタしている人も、多少はいる。
ニコニコしている人やニタニタしている人が、ほんとうに、しあわせを感じているのかどうかは、わからない。たとえば、当然の前提として、ニコニコしている人には話しやすいということが言われる。普通の顔をしている人は、ニコニコしていないので、話しかけにくいのである。ところが、会社の職場というのは、初見の人ばかりが集まっているところではない。どの人がどういう人なのかということは、そこにいる人は、ほとんどの人が認知している場所なのである。
人というのは、なにを考えているかわからない人には、警戒心があるものだから、ニコニコしたほうがいいということを言う人たちがいる。しかし、ニタニタしている人に対しては、警戒心があがるかもしれないのである。
たとえば、Aさんと、Aさん以外の人がいたとする。駅の構内のように、特に面識がない人たちが集まっている場所だとする。ニコニコしている人に関しては、人は、話しかけやすく、警戒心がないとする。おこっている顔をしている人に関しては、人は、話しかけにくく、警戒心があるとする。だから、おこっているひとも、ニコニコすれば、人の警戒心をさげることができると、彼らは言うのだ。そして、人の警戒心をさげることに成功すると、すばらしい交流が始まるので、ニコニコしている人は、しあわせを感じやすいと(彼らは)言うのだ。しかし、対照として出てくるのが、「おこった表情をしている人」なのである。普通の人ではない。普通の顔をしている人が、大半なのである。ぼくの経験の範囲で言うと、普通の顔をしている人が大半で、ニコニコしている人は、少ない。そして、おこっている人が、むりやりニコニコすることで、ほかの人たちは、その人たちがニコニコしていると認識するかどうかという問題がある。つくり笑顔でも、ニコニコしていれば……人は、警戒心がなくなるということを言っているけど、ほんとうにそうなのか、疑問だ。主観的に、本人が、自分の気持ちをおさえて、「ニコニコしている」と思っていても、まわりの人が、「その人はニコニコしている」と認識するかどうかというのは、別の問題だ。まわりの人は、その人がニタニタしていると認識するかもしれないのだ。実際に、顔の表情と、本人の本当の感情にちがいがあるのだから、本人が「ニコニコした表情をつくったつもり」でも、ほかの人は、その人を「ニコニコしている人だ」と認識しないで、「へんな笑顔を浮かべている人だ」と認識するかもしれない。普通の顔をしている人よりも、へんな笑顔を浮かべている人に対して、警戒心がわく場合もある。本人が、本人の感情をかくして、本人なりに「ニコニコすれば」本人以外の人の、本人に対する警戒心がさがるという理論は、肯定しがたい。