2025年10月1日水曜日

●いろいろなところに、誤謬がある■社会※2025/10/01 15:53

不幸なことがあった場合、自分の気持ちが引き起こしたことだと思うような癖がついていると、現実に対処できなくなってしまうのである。

実際に、自分がおろかなことを思いついて、おろかな行為をしたから、結果的に、不幸がおそってきたということ自体は、ある。あるのだけど、すべてがそうではないのだ。

たとえば、物価高になったとする。自分の住んでいる地域にあるスーパーで売っているものが、高くなったとする。ひとつのスーパーだけではなくて、自分が住んでいる地域にあるすべてのスーパーで高くなったとする。

その場合、自分が物価高を引き寄せたわけではない。自分が、物価高になると思ったから、思霊の力で、実際に物価高になったわけではないのだ。

たとえば、自分が住んでいる地域で、地震が起きたとする。その場合、自分のこころが、地震を引き起こしたと考えるのはまちがいだ。

自分のこころの持ち方で、地震が起きないようにすることができるという考えも、まちがいだ。

現実世界に生きているのだから、自分の気持ちとは、関係がないことが発生して、あたりまえなのである。

自分が、相手をぶんなぐったので、相手が自分をぶんなぐってきたということはある。

相手が自分になにも悪いことをしていないのに、勝手に自分が相手をなぐりたくなって、なぐったなら、自分のこころに問題がある。

こういうことを、例に挙げて、「自分の気持ち」と「実際の出来事」は関係があるということを言ったとする。その出来事に関してだけ言えば、たしかに、「自分の気持」と「相手がなぐってきたということ」には関連がある。

ところが、自分の気持ちと物価高は関係がないのだ。

自分の気持ちと地震は関係がないのだ。

そとには、いろいろなものが存在して、物理的な力が働いている。そとには、いろいろな人がいて、そのいろいろな人は(その人たちの意思にしたがって)動いている。人は、自律的に動いている。

なので、「自分のこころ」の動きとは関係なく、相手が、「相手の意思にしたがった行動」をするのである。

さっき、理由がないのに、相手をぶんなぐった人の話をした。

たとえば、Aさんが、妄想的な考えをもっていて、自分の妄想にしたがって、Bさんをなぐったとする。Bさんは、Aさんに、なにか悪いことをしたわけではないとする。

これは、神様的な視点で考えて、BさんはAさんに、なにもしていないということだ。Bさんが、単に、「自分はAさんに、なにも悪いことをしていない」と考えているだけではなくて、神様視点で、BさんはAさんになにも悪いことをしていないということだ。

Aさんが、妄想的な思考をして、Bさんに怒りを感じたとする。

これは、Bさんのせいじゃないのだ。

Bさんは、事実、Aさんになにもしなかったけど、Bさんが、Aさんをなぐったのだ。

精神世界の考え方にしたがうと、Bさんがなぐられたのは、Bさんの「気持の問題」だということになってしまうのである。

たとえば、「思ったことが現実化する」という考えにしたがうと、Bさんの気持ちが、「AさんがBさんをなぐるという現実を発生させた」ということになってしまうのだ。

Bさんは、「Aさんが、自分(Bさん)をなぐる」と思っていなかったのだけど、精神世界の人たちは、Bさんは、「Aさんが、自分(Bさん)をなぐる」と思っていたのだということにしてしまう。精神世界の人たちは、そう考えてしまう。

精神世界の人たちは「Bさんは、Aさんが自分(Bさん)をなぐると思っていた」と決めつけてしまう。

「実際に、AさんがBさんをなぐったのだから、BさんはAさんになぐられると思っていたはずだ」と……精神世界の人たちは、考えてしまうのだ。

結果から、原因への流れがあるのである。

こういう結果……「AさんがBさんをなぐる」といった結果になったのだから、Bさんは「Aさんが自分(Bさん)をなぐる」と思っていたのだ……と精神世界の人は決めつけてしまう。

「Bさんの気持ち」と「AさんがBさんをなぐったこと」には関係があると(精神世界の人は)考えてしまう。けど、まちがいなのだ。

Bさんの「こころの持ちよう」が問題なのではなくて、Aの「妄想」が問題なのだ。

ちなみに、ビジネス世界には、相手の問題と自分の問題を切り分けて考えればいいという考え方がある。この考え方で言われていることは、Aさんにおける「妄想的な思考」の問題は、Bさんにおける「気持の問題」ではないということだ。これだけはあっている。

けど、BさんがAさんに実際になぐられたことは、Bさんには関係があることなのだ。

相手の問題と自分の問題を切り分けて考えれば、なぐられたという問題が、Bさんにとって関係がない問題になるかというと、関係がない問題にはならない。

こっちも、まちがいだ。

いろいろなところに、誤謬がある。

誤謬のタネがひそんでいる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。