たとえば、卒業写真で素晴らしい笑顔だった人を、追跡調査をしたら、みんな、しあわせになっていたとしよう。
ところで、素晴らしい笑顔だと感じるということは、主観的なことだ。見た人が、「素晴らしい笑顔だ」と感じただけだ。こういうことろで、主観的な考え方が導入されているということにも、気がついたほうがいい。
「素晴らしい笑顔」か「素晴らしい笑顔じゃないか」は客観的には、決めることができないことなのである。せいぜいのところ、アンケートをとって、主観的な決めつけの数を決めることしかできない。
卒業写真で素晴らしい笑顔だった人を、追跡調査をしたら、みんな、しあわせになっていたとしよう……。だから、「笑顔だと、しあわせになる」と言うことができるかと言うと、言うことはできないということになる。
まず、卒業写真で笑顔だったということは、どういうことなのかと言うことを考えなければならない。高校の卒業写真だとすると一八年も生きているということになる。
たとえば、親の性格がいい人は、笑顔になって、親の性格が悪い人は笑顔にならないとする……。これも、仮定の話だ。その場合、しあわせになるかどうかの真の要因は、親の性格がいいか、親の性格が悪いかということになる。
親の性格がよかったから、いろいろな楽しい経験を積むことができた。だから、高校の卒業写真で笑顔でいられた。親の性格が悪かったから、楽しい経験などひとつもなく、つらい経験ばかりだった。
だから、笑顔じゃなかったとする。
そして、生まれたときから一八歳まで、楽しい経験を積むことができたかどうか、ということが、その後の人生に影響をあたえる……とする。
その場合、何度も言うけど、真の要因は、親の性格だということになる。親の性格によって、楽しいことを経験できるかどうかということが決まり、楽しいことを経験できるかどうかが、素晴らしい笑顔になるかどうかを決めるということになるから、真の要因は、親の性格だということになるのである。
そこで、たとえば、「作り笑いでも、笑顔をつくれば、しあわせになることができる」ということを言う人がいたとする。上記の文で「素晴らしい笑顔になるか」と書いたけど、ほんとうは「素晴らしい笑顔をつくるか」と書きたかった。笑顔になるのか、笑顔をつくるのかは、重要な問題だ。
ともかく、作り笑いにも、ほんとうの笑いとおなじような効果があると、前提してしまうのは、問題がありすぎる。別のことを突然、言い出したのとおなじだ。
「作り笑いでも、ほんとうの笑顔とおなじような効果がある」ということと「卒業写真で笑顔だった人は、その後の人生でしあわせになる」ということは、ちがうことなんだよ。
「卒業写真で笑顔だった人は、その後の人生でしあわせになる」ということは、「卒業写真で笑顔」だったから、その後の人生でしあわせになるということを、かならずしも、意味しないのである。
笑顔でいることと、しあわせになることの因果関係があるとは言えないのである。卒業写真で笑顔だった『から』その後の人生がしあわせになったどうかは、わからないのである。真の要因ということも、のべた。ようするに、卒業写真で笑顔だったということは、それまでの人生が充実していたということを、意味しているのかもしれない。
ようするに、一八歳までを有利にすごした人は、その後の人生で、しあわせになる確率が高くなるということを言っているにすぎないのかもしれないのだ。わかるかな?
もう、すでに、しあわせだった確率が高いんだよ。一八歳になるまで、しあわせだった確率が高いわけ。一八歳までの人生で、しあわせだだった人が、その後の人生でしあわせになる確率は、一八歳までの人生で、不幸だった人が、その後の人生あわせになる確率よりも、高いと「想像」できる。推測できる。
親の性格という外部環境について述べたけど、それ以外の外部環境も恵まれていたのかもしれないのである。たとえば、親の収入が平均より高いとか、親の資産額(貯蓄額)が平均より高いというような外部環境があったのかもしれない。
そして、そのことが、楽しい経験つむときの、おカネになったのかもしれない。親の性格がよくても、おカネがない場合は、おカネがないということによって、親が子どもにしてやれることに制限ができるのである。金のない親をもった子どもは、おカネがかかることを経験できない確率が高くなるのである。
おカネがかかることのなかに、その子が楽しいと感じることがあったとしよう。その場合、親にカネがあったほうが、親にカネがない場合よりも、子どもが「楽しいこと」を経験できる確率が上がるのである。そりゃ、カネのぶんだけ、制限されるからそういうことになる。
本人の才能という内部環境も、笑顔でいられるかどうかと関係があると思う。この、才能という言葉が、くせ者なのだ。まえに、なんか、それについて書いたことがある。
まあ、ともかく、優れていたほうが、他人から褒められやすい。優れていたほうが、自分に自信を持てる。優れていたほうが自信をもてるような機会がめぐってくる。その結果「笑顔になった」のかもしれないのである。そして、その結果、自然に笑う回数が増えてたかもしれないのである。そして、自然に笑う回数が増えたから、写真を撮るときも、笑っていたのかもしれないのである。
ちなみに、「笑うな」と指導されたら、笑っていない写真になるのだ。「笑うな」と指導されなかったということを意味しているのだ。卒業写真で素晴らしい笑顔をつくっていた人が、そのあと、しあわせになったかどうかを調べたわけだからさ……。
* * *
たとえば、一八歳までしあわせな環境ですごした人は、そのあとも、しあわせな環境ですごす確率が高いとする。あるいは、一八歳までふしあわせな環境ですごした人よりも、一八歳までしあわせな環境ですごした人のほうが、そのあとの人生で、しあわせになる確率が高いとする。その場合、笑顔という言葉は出てこない。つくり笑顔をつくることで、一八歳まで、ふしあわせな環境ですごしていた人が、一八歳以降、しあわせになるということは、「一八歳までしあわせな環境ですごした人は、そのあとも、しあわせな環境ですごす確率が高い」ということからは、言えない。
現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2025年10月11日土曜日
●「笑顔だと、しあわせになる」と言うことができるか■社会※2025/10/11 3:58
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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